2026年9月5日土曜日

Tシャツを抜けて天空へ竜と

 SNSの浸透によって、最適化するアーティストも増えたと思う。全く別のアイディアや文化を提げて取り組むのではなく、既にあるものをズラしていくようなアーティストが現れ過ぎたのではないか、そのせいでそのようなアーカイブが増え、見晴らしもフラットで見渡しても凸凹が感じられない景色が生まれつつある。

本当にみんなキャンバスの絵ばかり描き過ぎだろう、お前は何を代表すんだよ、全くヨォと思ってしまう。あまりに全員がそれに参入し過ぎ、アートのファンをやりすぎ。でももっと広く見渡せば全然の絵のポテンシャルをなくしていないこともわかると思うんだが、周りを見渡してのイライラがつい出てしまった。


最近は、だからアートの内部というよりも周縁の文化全体や歴史、言語までを見渡しての取り組みをしている活動に刺激をもらっている。

自分のダンスがコンセプトになるはず、とも思っている。そこから広がっていければ。クロノトリガーの曲を聴きながら絵を描いていると、そうかゲームのようでもあるんだ、このまだ見たこともない広がりを持った絵の全貌としては、と言う風なことを思った。そうするとだいぶ足りない。

10年前、途方もない先の未来でのとてつもない広がりを持ったイメージがそれでも微妙に見えるような感覚を持った希望があって、その日にできる努力はそれに対してほんの少しだが実感をカウント出来るような感じがあった。それにふたたび近づけたならいいのになぁ、と今思った。明日は思うかな。

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