2019年3月13日水曜日

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もう今の僕には現実に対応する発表するものがないような、フラフラと町を漂う。
変な眼差しであたりを見回しながら足を前に出し歩いていくから、半分にんげんじゃないみたいに。半分にんげんじゃないみたいだ。

海外にいったらこんなエネルギーの放出の仕方するんだろうか?
このやり取り自体がなんか日本語的なんじゃないかなんて可能性がぼんやりと頭の端っこを漂って、問う、よ。

少し悲しいのは、3月のせいなのか。
昨日の打ち上げの際に確かにみんな口々に泣きたいなんてことを言っていた、夜の光の町並に向かって、人混みの少し上のあたりに向かって。

4月になればこの涙を後ろに追いやってやっぱり元気にアゲインみたいな顔して前のめり、するんだろうか。
恋に期待するんだろうか、故意に。
春、みたく、いわゆる。

知らないけど今はとにかく半分おばけだ。
白い。

2019年3月12日火曜日

7回裏

group inouを聴き始めのは遅く、僕の個展のオープニングで冠さんがDJしていたからそれで知って覚えて聴いてってのが2016年。1月。
その後3月に、すごく好きだった子にフラ!れてしまった時にも重なって聴いていた。その時、浅草付近を歩いていて隅田川を挟んだ向こう側の景色がマグリットの絵のように曇り空に見えた、その時期に聴いていた。

多少その時の雰囲気も中に含まれている、
にしてもだ、今、僕の目の前に映っているのは高校生が、少年がgroup inouの曲を前に立っているエンドロールあるいは映画のオープニングだ。
手にはストレート、あるいはナックルボールの形をすえてこっちにまっすぐ立っている、

体力無限!

みたいな。


今、実際エンドロールみたいに9聞いていて、だけどしかし駅のホームのライト見て、やっぱり光について。光がどれくらい人を動かしているのかも知りたい。音、光、などについてこれから。

野球場はきっと宇宙から見たら面白いに違いないか、特にナイターは。とか思ったり、する。

2019年2月12日火曜日

ステージでの渇き

踊っている時の幸福は踊っている最中にしか出会い続けることが出来ない、と帰りのトレインの中で思う。
もう少し出来ることがあったんじゃないだろうか、一瞬出会いそうな瞬間がステージの上、あったような気がする。出会えたような気がする、恋のように、恋がその人を変えてしまうようにこんな音が自分から出るんだということを知らせるかのような瞬間が。
逃してしまったかもしれない。

もう少し出来ることがあったかもしれないな。

なぜ泣いてしまうんだろか、溜まっている涙の分なんじゃないだろうか。何か頑張っていたら水が身体に溜まっていくのかもしれない。
観客の涙があるとすればやっぱりそれは彼や彼女のもので、ふとした時に、あるいは音楽や状況なのかが蓋をあけるようにしてどっと流れ出す。
肩にすっと手を置きたくなる。そういう時間とかだって生きあっているのかもしれない、

いずれにせよ、言葉の方が後から来るってことあるわけだけど。


2019年1月7日月曜日

ハロー

湘南新宿ライン闇を切り裂いて、っていいフレーズ。
今年は生活を、生活スタイルを変えたいなぁ。
明日は地球に向かってパンチするみたいなパフォーマンスをしたい。
ダンスって言葉ではなくパフォーマンスって言ってしまう、こういう時。
ダンスだと何かをなぞるとかそういう見え方として占めている感じして、そうじゃなくもっとぐちゃっとした表現を含む可能性があるから。
パンチ地面にしたりするかもしれないし。
明日、いいパフォーマンスしたいな、世界が一気に変われ、って思うくらいの。
そういう瞬発性をもっと持ちたい。
何か最近小さいながらも何かコミュニティのことを雑ながら考えているうちに、自分1人での個人の鋭意ある表現をしたい気持ちが少なくなっていきそうで怖い。
10代から20代にかけて街の中を音楽を聴きながらたとえば歩いていると締め付けられように何か口惜しい、あるいは悲しい、あるいは切ない気持ちが溢れて泣きそうで怒ってもいて、くやしくてどうにかしたくて叫びたくて歌いたいような、そしてきっとそれがダンスとかそういうことできっと亀裂を入れられるから、行くんだって気持ちを持ってあの道を歩いていたことを思い出したりして最近そういうの減ってる気がしていて。
若い時のそういうの、持ってる人はそれはきっと何かになるし、そういう眼差しで世界を眺めていることで見えること考えれることがあって。それは愛おしいと思うから。がんばれ。
そこに目を向けることを忘れたり、わからなくなってしまいたくないし、
何か仕事は最近ここ1.2年で忙しく大変になってきているけど、それが敵みたいな存在じゃない分、自分で何かはっとされられる対象や、取り組むことをもっと探しにいかないとずるずるいっちゃいそうで怖いし、そのせいで出来ることが出来なくなったり、出会えなくなってしまったとしたら悲しい。僕はまだ出会っていきたい、ハローと。

2019年1月6日日曜日

2019年始まって、午前中にwwfesのMTGをして、夜は大学の頃に十和田に行ったsozo ageのメンバーで新年会した。懐かしい人、7年ぶりとかじゃないかな?
七尾旅人の新アルバム、いいな。彼に会った時、KENTAROさんのような人だなと思った、繊細で細部まで気になって、、だからこそそういった人だからの生み出せる表現のディテールがあってそれに感動しているんだなぁ。

初詣、江ノ島の海に行った。いつも以上に踏み込んだ場所へ人と一緒だったから冒険出来た。海の波が辿り着いたこっち側、岩場から向こうの海の先、あるいは向こうの街の灯りを見つめる。上には空、雲や夜や星があって。美しかった、この状況に何かを重ねるようにして孤独な気分が見えた。美しい世界の姿をもう少し見たい今年と思った。

あと、最近音楽を今一度聴く中で感じ動かされることがあって、結構突き動かされて、でもなんかその感動くらいにまで自分を持ってくることが出来なくて。
しかしその引っ張られることでそっちがある予感があるから、もう一回そこのことに手を体を伸ばすようなことをしたいなぁと思った。
光の下で。

2018年12月24日月曜日

クリスマス前日、

またこんな時間になっている。早く寝るようにしたい、せめて2時前には寝るようにって思って長らく。困ったな。
200本のタバコをツタヤで借りて来た。大学生の時に年末系の映画を観ようキャンペーンみたいな時期があってその時見て以来だから10年振りくらい。NYでの年越しをどう過ごすかって、いや誰と過ごすかみたいなことをキャラクターたちがやっていくやつ。
それを見て、年始に年末はNYで過ごそうなんてことをそういえば何年か前によく思っていたことがあったな。お金貯めて、とりあえずNY行くみたいな。23〜26くらいかな、でもいつの間にかそういう気持ちが少なくなっていることに気付いて、驚く。その正体がなんかそういうわけのわかんない可能性に賭けるみたいなこと?なのかそれともどこにでもいけちゃう軽やかさなのか、そういうものが減っているのはなんか寂しいと思った。そういう風にしてこの30代というのが寂しいって思うものになるのは嫌だな。でも30代になって何か20代とは違う価値観を持ち始めた時、たぶんそこだけが変わったわけじゃなくて、接続していることが身体を通して変わっていくことと一緒に影響し合っているからなんだと思う。たとえば自然とか、日常生活における太陽とか建物とか生活圏の温度とか湿度とか生き物のリズムとかそういうこととの接続がもしかしたら身体に影響して、そうなっていくみたいなことあるんじゃないかな、なんて。でもなんか、やっぱり僕はどうなんだろう、もっとわからないも試してみたいと風に傾けれないかなぁ、、

関係ないけど父親が今日、天皇の誕生日ということで彼のことすごい推してて尊敬もしているから行くことにしたみたいで、夜中の2時とかに起きて11時くらいの到着を目指して歩いったという。しかもリュックには米軍はアメリカから出ていけ、という手書きのポスターを貼ってそれをしょって家から35kmの距離を歩いていった。途中、同じように真夜中を目の前を長く歩いている人がいて、ついに近付いた時に声をかけたら早稲田の学生で中央林間から二子玉川まで歩いているという、そこで歩きながら色々談笑して、その手書きポスター見て右翼ですか、なんて聞かれたらしい。右翼じゃないし、今は本当の右翼なんていなくてアメリカに追従してる感じなんじゃないですか、という風に答えたそう。
それにしてもさらっとそういう風にやろうと思ったことを自分で決めてやっちゃうところがあって、これじゃあパフォーマンスだし、なんというか自然だし、すごいなぁと負けた感じがした。すがすがしい。

クリスマスパーティーだ、、!よし、

2018年12月9日日曜日

公演中、

3ステージだから明日で公演が終わる。こうしてキムさんと一緒に舞台に立ったりとダンスのここ何十年かの歴史について少しだけでもと想像を巡らすことがある、思わず今までどれくらい舞台に立ったんですか?と聞いてしまった。もちろん数えていないということでわからなかったのだけど。なんとなく、1000回くらい立ちたいなぁなんて思ってしまった。しかし一方で公演中に、果たして人前に立つということをこういう大げさにやることにたいしての疑問も生まれるからうーんどうしようかな、、とか思うくせにこうして数にしちゃうとなんとなく目指せちゃえる感じもあって。試しに今年を数えたら本番みたいなものが60以上あって。つまり6日に一回は人前に立ってるみたいな、、今年はたくさん出たなぁ。そうするとこれを10年で600回だ、、すると1000なんてもっといけるような気もしてくる。いずれにせよ、面白くある必要があるので、なんとも先が読めないけども。
その話はその話でそのままにして、ハリーポッターの新しいの見た。ファンタスティックビーストシリーズはすばらしいな、ロードオブザリングを観た時のような感動がある。は、少し違うかもしれない、でもすごい素敵。泣きそうになる美しさに。そういうところから始まったことを思い出させる。またエマワトソンも好きなんだよね、なんか童心に変えれるよな、見ていると。美女と野獣は彼女のために作られたんじゃないかとさえ思ったよね。