2021年4月26日月曜日

噴水の前で

新しい新居での生活は慌ただしく、まるで毎日仮設のパフォーマンスを組んでるみたいなところがある。生活と呼べない、準備は足りていない、その営み手前のパフォーマンスのような段階。これが少しづつ成長すると生活になるのだろうか、そういうことを初歩的に思いながら毎日を積み重ねていく。あんまり走ったり、歌ったりしづらくはなっていてどうしたものかと思っている。少しづつ慣れよう。

今日は学生の頃の友達に会った。結構ふざけていて楽しかった。コロナのせいかそれぞれが仕事ばかりに追われている感じがしなくて、話題もそっちのプレッシャーに押されたりなんかせずに話している時間だったと思う、、、ってか僕は話し過ぎただっけか?wすまんすまん、、いや、そんなことないよって言われそうだけど。 今度、パーティーもしそう。楽しみだな、学生の頃みたいじゃんってどこか思うんだけど、実はそういうのも悪くない時は全然悪くないのだ。日本だと年を取るにつれて何か若い頃に戻るようなことは恥ずかしいような、辿るべきではないような感じがあるが、たぶんうまくやれそうならむしろやることで若い人を(というか自分のある側面を)許していけるし、出来ることがきっと人生において増えるんじゃないかって漠然とした希望もあるのだ。って今度のパーティーにそんな大袈裟な希望を抱かれても、だなw

まぁいずれにせよ!

2021年4月19日月曜日

山あり谷あり

 今日は本当に久しぶりに疲れた。25knほどの距離を自転車で12kgほどの荷物を背負って移動した。

田園都市線沿いというのは山あり谷ありじゃなく、山と谷しかないってくらいに下っては上がるを繰り返す。これが多摩川を越えて世田谷に来たあたりからほとんど平地になっていく、これは本当に驚いた。自転車だと歩き以上に上り下りというのを意識することにも気付いた。自動車だとどうだろう?

なので前半とかは何がスーパーフラットだ、どこが平坦だとか訳のわからない怒りがずっとこみ上げながら走っていた。自分で把握してなかったためにこうして怒っているのか、そもそも人としてのレベルが低いから怒っているのか、それともこの怒るみたいなことはどういうことなのか、何かの源泉なのかとかも少し考える。2時間10分の予想時間を大幅に越えてほぼ3時間半ほどで到着。その後、休んで少し整理して練習に出かけた。

この自転車で走っている時もなぜ、今日予約してしまったんだ、と練習のことについて考えていた。キャンセルをする選択肢もあったけど、何か嫌だった。この嫌だった、がよくある。 今日の場合はなんだろう?と考えてみるとこんな言葉が浮かんできた。1日の身体を動かす習慣や目安は優に越えているから家で休むなり、他の片付けなり整理なりしてもう今日はどこかに行かないでいいんじゃない?という問いに対して出てきた言葉は、今日という日を長く感じる日にしたいから、というのが浮かんだ。

この言葉が十分に自分を説得させた。たとえ練習先で全然疲れて動けなくても、練習場所にさらに自転車を使って向かうことが非常にキツくても予定していた家での整理の作業が到着が遅れてしまったため十分に出来ていなくても、ともかく今日一日を長い日だったと感じるためにはもう一回どこか別の場所や空気に触れることがそうさせる気がして、そうしたのだった。

言葉が面白いと思った。また、今日のイライラはSNSとかに書き込みたくないとも思っていた。言葉にして整理させたくなかった、この怒りなり過ごした時間なりを言葉で説明、整理してしまうのでなく、誰かにはなしたり、ぷんぷん怒った顔してジョークを伝えるなりして過ごせたらどんなに素敵もしれない。SNSをやらないあの人はそんな風に生きているのかもしれない、とかそんなことを思った。文章というやり方が大事な人もいるかもしれないけど、別のやり方が実は無限にあって生き物だった。

憧れるね!

2021年3月10日水曜日

大丈夫じゃないことがない、okの中を生きる

 やつのクビをとりにいくような鋭い目つきと集中力を持ってエモい夜の間を何倍にも広げてナイフで切り裂かれていくくうかんのなかで手探りのこのてはきっと音楽みたいにすてきなメロディを伴いきりひらいているからその音域を自由にとぶ飛行機のひこうきぐもは暗闇でもしっかりと演奏される。円走する。

こと音を出せばひねれば高音が出ると言うから高い音がなってずっとそこで飛んでいる。

"飛んでいる"って書いて思い出しているクラブの空間で"私の曲!"がかかってずっとジャンプして飛び跳ねていた子の事。そのジャンプが永遠に続いていてずっと泣いていた。嬉しくて。ずーっとそこにいた。永遠に覚えている。忘れない。

そういう思い出があるから負けない。ふたたびたましい。たましいなんて遅い言葉!遅い身体!早いイメージ!今日も夜中、歩いているとグングンと車が追い越していく。光はもっと早い。光の速い中に私たちはいて、いつもお互いを光の中で確認する。目を瞑っても聴こえるからそれでも大丈夫。大丈夫じゃないことがない。オールオーケー!本当に信号みたいに三色を点滅して世界中が生きているみたいに本当に夜、美しいものが見たいともう何万回も決意と祈りをしている。10分じゃない!! 

起きているときに夢を見るんだ。

2021年3月5日金曜日

そんな風に立っていれば良いんだね、

 たまたまアップルミュージックの中で出てきたcoccoで、小学生ぶりに聞いてみようと聞いてみたらすごい良くて、調べたら元々バレエダンサーであったこと、色々合点がいって急に接近した。

裸足で歌うこと、身体の地面に対しての乗り方と前を見つめる目や顔の向き方、体を流れる空気とか、そういうものを一気に感じた気になって、これだ、と思った。

singer songerもすごいね、くるりが用意した完璧な特急列車の窓から歌が聞こえてくるみたい。歌が最後に途切れた時にやっとくるりとわかる、みたいな。

自分の声がどんな風に世界に現れるか知ってるみたいだ。空気のようにいつも歌っていた、と言っていて今、自分が辿り着いてやろうと試みていることを沖縄の人は生活のなかで自然と生まれているのだろうか。すごいね。とても素敵だと思った。 素敵なものに出会ったら、今目の前にしている素敵だと自分が思えることをもっとやったりあとはこれから出会うことを想像してみたりしていると、少しいつも切羽詰まったものと違う空気が一瞬とかいっとき、もう少し長くと続く気がするね。

すごい、いけそう、きっと自分にも出来そう、よし、うん、


2021年2月25日木曜日

はんぶんめのなか

 誰もいなくなった ら あるいてあるいて目的地までわたしは。 暗くなったライトが照らさなくなった世界を半目でみている。ことばよりも前に出たくて涙を浮かべるしかなくなる。わたしは海にいたいのと叫ぶ子供たちを道路で思い出している。

コロナが長く続いて誰にも会えない気がしてくる。子供たちが溢れてしまうのを見て一瞬で子供の時に引き戻されて一緒にほとんど泣きそうになってしまう。 隠れんぼのように、このまま誰にも会えない夜を続けたくなってしまう。ある意味で子供の頃に戻れないとするならある人たちとの隠れんぼはずっと続いているということか。


2021年2月3日水曜日

カールスバーグ。

 どこにもいけない感じがつらいなぁ。
いけるっちゃいけるんだけど、そうじゃないというか。
自分の欲望に対して出来ることが少ないというか、発車出来ないような。
どこにもいけないみたいだ。SNSに活路を見出すも混戦状態というか。向こうの先を見れないクラウド、人の群になっていて。したい話が通らないだろうこと。
平然を装ってるように見えるから尚更厳しいのか。全部が錯覚かもしれない。
夜、大量に買ったカールスバーグにたどり着くのだけがフレッシュ、みたいだ。

2021年1月10日日曜日

言い切る

 今年しかないと思って生きるようなことが最近少なくなった気がする。最近とかいう前は歳をとると、というフレーズをつけそうになったけど、最近の尺度を伸ばして広い範囲を指す言葉として最近を使ったのだけど、それさえすでに遅し、というか蛇足で、このせいで態度への覚悟を濁らせる。

言い切る速さとは本当に永遠だなぁ。

永遠の使い方が昭和的だ。ランボーは昭和より以前のくせに、多くの日本人にとっては翻訳の結果、昭和のものとして受け取られてしまったんじゃないだろうか。

いずれにせよ、今年しかないと思って生きることを目指せるのはどの瞬間だろう。誰も見ていないところか、言い切れるところを探さないと。

すたっとそこからも消え去る