2017年を振り返って。
2017年、3月の旅行以降はほんとは作品作りを集中して行おうと考えていたけど、中々それが叶わなかった。思った以上に他の入ってくる仕事の割合が大きかった。ちがう、だんだん日本での環境の中にいる要請に身体と思考がならされていったんだと思う。
2月はChoreographで多田淳之介さんの作品に参加。これは横浜ダンスコレクションのプログラムの一つで、大谷能生さん、伊東歌織さん、戸沢直子さん、群青さんとの共演。という、とても僕にとっては伏線を回収するようなメンバーでした。制作期間の中で話したこととかがとても多様でした。なんというか人生の途中の確認みたいな感じでした。こうしてB-Boyのときの経験とかも更新されていくのだった。
3月はアジアとヨーロッパを旅しました。32日間。安旅。思えばもっとせめれたんじゃないかとかも思うけど、ともかくは外に身を置く中で見えることがやはり多数あった。というか絶対にあるんだよね。毎年行かなきゃいけないし、自分の夢でもある、向こうで活躍すること。まだもちろん捨ててない。向こうで働き生きる友人の姿は、切実で今まで知らない彼の姿だった。自分を反省した。
4月は帰ってきて新しい生活が始まっていく感じがあり、すぐに白くまさんと大池さんの結婚パーティーを一緒に作っていくという個人と個人でやりとりをした仕事でした。こういったことを仕事として成立させてくれた2人には感謝がつきません。
5月は小さいイベントが重なって、米澤一平くんと初めてセッションをした。作品未満くらいの発表という小さな一歩。この後もこの一平くんと可能性を頼りに、よださんや、橋本くん、とか色々試せていった。一方で一平くんは一平くんでたくさんの企画を他の人とすすめていたのよかったな。
6月は長野県松本市にあるawai art centerに誘ってもらってあそびなおすに出演をしてきた。展示であり、ライブである、という試みを今年が結構重ねていく中での最初の出だしとなる感触が確かにありました。
7月は武蔵野プレイスでの個展。リアリーリアリーフリーマーケットとの抱き合わせ企画。
個展でありながら、多くイベントを開催してみるパフォーマティブな展示を目指しました。きっと展示としての物足りなさはあったと思います。が、イベントの多くの開催を武蔵野プレイスとTERA TO TERAスタッフと出来たことに確かな手応えがありました。色んな可能性を感じることのできた夏、となりました。
9月に初めての単独公演『I ALL YOU WORLD PLAY』を横浜STスポットで行いました。
65分くらいの作品となりました。自分の持てる世界観や、これまで獲得しつつある技術を詰め込み、劇場の方とスタッフと作りあげる思い入れもある作品がやっと一つできあがりました。
舞台をこれからも作っていきたいと考える最低ラインは越えることができたかなと考えています。
10月は鉄鋼島FESとTokyoCanalLinks♯1 “翼を持つことと根を持つこと”グループ展に参加しました。キュレーションは青木彬さんです。
11月は横浜STスポット30周年で額田大志くんと20分の作品を作り始めた。音楽家との共同制作だった。ここで試せたことは、たとえば作品のソフトなパッケージングだったり少し衣装で遊んでみることだったり、今後にもきっと使えると思うので来年の活動に直接敵につなげたい。
の後、京都に10日間滞在し、多田淳之介さんの作品『re play Dance Edit』に参加した。この作品では、シンガポールやカンボジアのダンサー、関西と関東のダンサーが集まって制作を行った。それぞれの取り組むシーンの状況の情報を少しでも交換することができた。
12月はクリスマスパーティーを行った。なるべく昨年よりも負担を減らして、のぞめるようにしたいと思ってそれを目指した。結果、昨年とも嗜好性のちがうものを参加者で提示出来る場になッタト思います。またやります。
また今年は代々木公園で行う活動、どうぶつえん、とそれに加えて青空絵画教室を開くことができました。
9月の最終週から東京造形大学のcslabで働き始めた。小山友也くんが回しているスペースで、週一回の授業があり、2日間通って大学での何かしらのアクションを行っていった。企画をしたり、実際に行ったり、人を呼んだり。
週一の知の漂流教室では学生が集まって、いろんなアイディアを出し合いそれぞれにやりたいことを巻き込みながらつき合わせながら、補い合いながら、だけど走れる時は走ってのバランスで毎授業の展開を試みた。
この感想をどのようにまとめればいいんだろう。
あとは、大学の授業だけで大学は出来るわけではないと考えていて、ともかく毎日をある目標に向けて提案をしていくことにした。大学におけるパフォーマティブな側面をもっと面白がってやりたいと考え、いろんな学生や助手や教授に声をかけパフォーマンスイベントを展開した。
大学ももっと面白い方がいいに決まっているし、大学の外ももっと面白い方がいいに決まっている。思う存分力をつけながらも、ずでにある力は使っていくべきだ。
今年は計画性の中にも即興性をもって挑むことが多かった。とにかく何かが起こっている状態を目指そうと思った。世の中に必要だと思う現象はとりあえず起きていないと、(言い換えれば柱さえなければ屋根さえ載らない、家ができないみたいな。)まずいなぁと思って。それで仲間にも協力してもらったり、友達になったらすぐそれに加わってもらったりした。それがしかも可能というシーンにたくさん出くわして、非常にいい感じです。
今年はたくさん仕事をしました。みんなにもたくさん協力もしてもらった。迷惑も込みで。
来年はもっとそれを越えよう。しかも海外でもなんとか活動したい。出来ないかな、自分次第ですね。 1月からスタートダッシュしたいな。
今夜も走るかな、、海まで走りきれる自信が今はない、、どうしよう。最近はランニングより稽古が中心だしなぁ。
仕事のことばかり書いているけど、生きることをもっと多様にできる工夫もしたいなぁ。 なんかずっと生きることは悲しいみたいなことをずっと思ってしまっている。みんな、僕らの世代はまじめだと感じるからで。じゃあまじめじゃなくなったら、大丈夫かというとそれもなんか難しいとこまできてる感じする、、って言っちゃうからダメなのか。
でも割り切れる問題じゃないと思ったから、羅列するだけで終わりにしないようにした。
めんどくさいなぁ。明日はもっとすっきりとでもちゃんと問題を持ったまま、しかしはっきりと走り始めよう。生きることはやめていない。 (写真は香港での)