2019年4月12日金曜日

半分眠い。
シーズンばかり聴いている。
早朝のバイト先はやることが少なく余裕を持って接客を出来る。受ける方も然り。忙しい時間があるからこその猶予の時間なのか、都会の仕事の立地においては。

シーズンを通底している切ないメロディーは歌の最初の方はその波よりもむしろバイオリンの音色に乗っていて、トンネルを出た後にむしろそっちに乗っかるように作成者により舗装されている。トンネルを出ると違う景色が見えてくる、まさにそれで、水の綺麗な、感覚の研ぎ澄まされた自然の中に出るのだ。一方でパーカッションの音にも十分乗れてはしゃげるパートがあり、これははしゃぐと書いたがむしろそこでしっかり運転者ならハンドルを、後部座席に乗るものであれば手すりなりに掴まりながらしっかり乗ることで確実なものにそのドライブ体験がなっていくようなそんな時間と言える。そんな気がしたよ。

うまくやっているかい?
と久しぶりに彼が聞いていく。
大学生と接する中であまりに現実的なことを求めているが、自分の事を思い返せば随分、そこでは自意識という、見えない意識を扱っていたじゃないかと、いうことを思い出している。それが誰も知らない遠くへ案内したじゃないか。前より行きにくく雑草が生い茂っていないだろうか?そんなことをこの曲を聴いて思い出して。

2019年3月22日金曜日

熱狂の中

最近、group_inouをYouTubeで聴いてばかりいる。
いいライブもあって、熱狂の中にいる様が映っている。
どうして見てしまうのか、地球自由!ロスもあるのか。
group_inouの良さはやり過ぎないところだ。
いや、やりすぎて ふりきれているんだけど、それを行っているのはあくまで彼らの意思と身体だ。
楽曲の中でメロディーと言葉ではやり過ぎない。
"日本語"でやり過ぎた楽曲を作ると大変なことになることを避けている。
リスナーの想像力を信じている、いや、人の想像力を信じている。
いや、ちゃんと人をお客さんみたいに扱ったりしない。
"お前"とか"君"とか、だ。
友達としての信頼関係がある。
しかしそういうことをしても日本では有名になりきれない。
それは社会全体がもう1つも2つも大人にならないといけない。
今はやっぱりこびたものを選ぶ人が多すぎる。
そういうこととの戦いでもある。

熱狂の中にいる。
に強く心をまだロックされる。
誰かを殴るように、胸ぐらをつかむように熱くさせたい。
お前の人生なんて知らねぇ、けど熱狂の中にいて目が合う瞬間はあるかもしれない。
ずっと「じゃあ、あとで」だ。

2019年3月13日水曜日

19312

もう今の僕には現実に対応する発表するものがないような、フラフラと町を漂う。
変な眼差しであたりを見回しながら足を前に出し歩いていくから、半分にんげんじゃないみたいに。半分にんげんじゃないみたいだ。

海外にいったらこんなエネルギーの放出の仕方するんだろうか?
このやり取り自体がなんか日本語的なんじゃないかなんて可能性がぼんやりと頭の端っこを漂って、問う、よ。

少し悲しいのは、3月のせいなのか。
昨日の打ち上げの際に確かにみんな口々に泣きたいなんてことを言っていた、夜の光の町並に向かって、人混みの少し上のあたりに向かって。

4月になればこの涙を後ろに追いやってやっぱり元気にアゲインみたいな顔して前のめり、するんだろうか。
恋に期待するんだろうか、故意に。
春、みたく、いわゆる。

知らないけど今はとにかく半分おばけだ。
白い。

2019年3月12日火曜日

7回裏

group inouを聴き始めのは遅く、僕の個展のオープニングで冠さんがDJしていたからそれで知って覚えて聴いてってのが2016年。1月。
その後3月に、すごく好きだった子にフラ!れてしまった時にも重なって聴いていた。その時、浅草付近を歩いていて隅田川を挟んだ向こう側の景色がマグリットの絵のように曇り空に見えた、その時期に聴いていた。

多少その時の雰囲気も中に含まれている、
にしてもだ、今、僕の目の前に映っているのは高校生が、少年がgroup inouの曲を前に立っているエンドロールあるいは映画のオープニングだ。
手にはストレート、あるいはナックルボールの形をすえてこっちにまっすぐ立っている、

体力無限!

みたいな。


今、実際エンドロールみたいに9聞いていて、だけどしかし駅のホームのライト見て、やっぱり光について。光がどれくらい人を動かしているのかも知りたい。音、光、などについてこれから。

野球場はきっと宇宙から見たら面白いに違いないか、特にナイターは。とか思ったり、する。

2019年2月12日火曜日

ステージでの渇き

踊っている時の幸福は踊っている最中にしか出会い続けることが出来ない、と帰りのトレインの中で思う。
もう少し出来ることがあったんじゃないだろうか、一瞬出会いそうな瞬間がステージの上、あったような気がする。出会えたような気がする、恋のように、恋がその人を変えてしまうようにこんな音が自分から出るんだということを知らせるかのような瞬間が。
逃してしまったかもしれない。

もう少し出来ることがあったかもしれないな。

なぜ泣いてしまうんだろか、溜まっている涙の分なんじゃないだろうか。何か頑張っていたら水が身体に溜まっていくのかもしれない。
観客の涙があるとすればやっぱりそれは彼や彼女のもので、ふとした時に、あるいは音楽や状況なのかが蓋をあけるようにしてどっと流れ出す。
肩にすっと手を置きたくなる。そういう時間とかだって生きあっているのかもしれない、

いずれにせよ、言葉の方が後から来るってことあるわけだけど。


2019年1月7日月曜日

ハロー

湘南新宿ライン闇を切り裂いて、っていいフレーズ。
今年は生活を、生活スタイルを変えたいなぁ。
明日は地球に向かってパンチするみたいなパフォーマンスをしたい。
ダンスって言葉ではなくパフォーマンスって言ってしまう、こういう時。
ダンスだと何かをなぞるとかそういう見え方として占めている感じして、そうじゃなくもっとぐちゃっとした表現を含む可能性があるから。
パンチ地面にしたりするかもしれないし。
明日、いいパフォーマンスしたいな、世界が一気に変われ、って思うくらいの。
そういう瞬発性をもっと持ちたい。
何か最近小さいながらも何かコミュニティのことを雑ながら考えているうちに、自分1人での個人の鋭意ある表現をしたい気持ちが少なくなっていきそうで怖い。
10代から20代にかけて街の中を音楽を聴きながらたとえば歩いていると締め付けられように何か口惜しい、あるいは悲しい、あるいは切ない気持ちが溢れて泣きそうで怒ってもいて、くやしくてどうにかしたくて叫びたくて歌いたいような、そしてきっとそれがダンスとかそういうことできっと亀裂を入れられるから、行くんだって気持ちを持ってあの道を歩いていたことを思い出したりして最近そういうの減ってる気がしていて。
若い時のそういうの、持ってる人はそれはきっと何かになるし、そういう眼差しで世界を眺めていることで見えること考えれることがあって。それは愛おしいと思うから。がんばれ。
そこに目を向けることを忘れたり、わからなくなってしまいたくないし、
何か仕事は最近ここ1.2年で忙しく大変になってきているけど、それが敵みたいな存在じゃない分、自分で何かはっとされられる対象や、取り組むことをもっと探しにいかないとずるずるいっちゃいそうで怖いし、そのせいで出来ることが出来なくなったり、出会えなくなってしまったとしたら悲しい。僕はまだ出会っていきたい、ハローと。

2019年1月6日日曜日

2019年始まって、午前中にwwfesのMTGをして、夜は大学の頃に十和田に行ったsozo ageのメンバーで新年会した。懐かしい人、7年ぶりとかじゃないかな?
七尾旅人の新アルバム、いいな。彼に会った時、KENTAROさんのような人だなと思った、繊細で細部まで気になって、、だからこそそういった人だからの生み出せる表現のディテールがあってそれに感動しているんだなぁ。

初詣、江ノ島の海に行った。いつも以上に踏み込んだ場所へ人と一緒だったから冒険出来た。海の波が辿り着いたこっち側、岩場から向こうの海の先、あるいは向こうの街の灯りを見つめる。上には空、雲や夜や星があって。美しかった、この状況に何かを重ねるようにして孤独な気分が見えた。美しい世界の姿をもう少し見たい今年と思った。

あと、最近音楽を今一度聴く中で感じ動かされることがあって、結構突き動かされて、でもなんかその感動くらいにまで自分を持ってくることが出来なくて。
しかしその引っ張られることでそっちがある予感があるから、もう一回そこのことに手を体を伸ばすようなことをしたいなぁと思った。
光の下で。