2011年11月23日水曜日

kreuzberg

海外の音楽を聴いて救われた。
ここじゃだめだとか思った。
この都会じゃわかってもらえないと。出会えないと。出会え切れないと。
じゃあ向こうで受け入れられるのだろうか。
思った世界は存在しているのか。
こんな身なりの自分だ、言語も通じない、、、
それでも行くしかなかった。
行って出会えたんだろうか。
通じない世界はもっと孤独で、ひとりぼっちになった。
でも気が付いたら誰かが横にいてくれた。
この感じだって瞬間も味わった。
帰りの飛行機、涙が出た。それがのぞんでいた世界だったのかどうかわからない。でも。
それがベルリンでした。

今もまだその音楽を聴いている。なんにも変わっちゃいないかもしれない。

2011年11月22日火曜日

crazy boy

東京にいて、東京に少し飽きてしまったので、これはいかんと、他の行動に出た。少し昔の本を読む。なんとなく人間としてひきつけられる人、夏目漱石を読むことにする。
夏目漱石の小説には、時代の変わり目においての、全体ががざがさしていた中での1人の人間が考えていた、振る舞いについてが描かれていると思う。
僕は、今、ちょっと戸惑っているのかもしれない、どうすればいいのか、がすぐわからなくなってしまうのだ。
個人のこと。全体のことに対して。
全体のことが本当に見えにくく、自然には上手くいかないので、個人のことから考え直すことにした。
個人のことを考えて、これだ、と思うまで考えて、イメージを出す。なんでそうなるのか?というのは自分で決めたようで、全体との相対関係から意外に決まってきたりしてる。それプラス、僕個人の能力、びびったりとか、これはやれるんじゃないかとか、不安とか、勘違いした自信とか、諸々がそれで決定される。

世の中はあまりにも複雑で、わかった上で、それから行動するにはとてもエネルギーがいる。

僕は最近、昔のことも思い返しつつ、今出来てること考えると、思ったよりも達成したかったことにはエネルギーと思考が必要だったのかもしれない。自ら自覚するのが、足りなかったが、敗戦しまくっていたんだ。しかも自覚がない敗北で、いつの間にか負けていたんだ。痛くも痒くもない。なんとなく時がたった時に気付く、何も得れていなかったことに。

でも、最近はそれでも、昔に建てた理想に向かって、エネルギーを増やして、複雑であろうと、この現代に対して、自分なりの感覚を持って立ち向かいたいという気分である。
なぜか?というと、人生は一回きりだからである。どんなにくだらない瞬間、時間ばかりで構成されようと、理不尽な罵倒を浴びてる時間であろうと、掴みようがない退屈な時間が目の前に残ってだだ流れていようと、人生は一回きりで、終わり。次はないんだ、次はもらえないんだ。

それで、ずっと田舎にいて、一つの価値観を教え込まれるなんて嫌だし、それもそれで一つの人生の使い方だけど、僕はあれもこれもみたいし知りたいんだ。いつか映画か、絵本で見たように小さな子供が主人公で、家を飛び出た子供にある日道でなにか人々におじさんがなんだか楽しそうにあれやこれや見せている、紙芝居で楽しそな面白そうなことを見せている。少年は色んなことをおじさんにそのショーが終わった後も尋ねた。おじさんは自分が見た世界や、想像した世界やおもちゃを教えてあげた、次の日も待てずに少年は走り出す。なんだろう?この胸と目の周りが落ち着かない感じ、冷めないぞ、これから起こることが楽しみだ。

そういう世界を用意したい。
このテンションって異常だろうか?そんなテンションなんてどうでもいいだろうか?でも、こういう考えにその日、辿り着けたりすると、僕は熱くなります。こういうことを考えれた時に、僕は凄いなんかとにかく体温が上がるのを感じるし、意思を確認する、こうしたいんだ!ってことの正体はこいつのことかも、って。
こういう状態でなるべく生きれることが、今の目先の目標かもしれない。僕は弱く、意思なんてすぐ吹かれたら消えてしまいそうなくらいなので、体の中で水をやって、火をやって、外からの風に吹かれて消えないように、また水をやらずに枯れてしまわないように、注意しながら、育てなければ、と思うのです。

2011年11月12日土曜日

レイニディー

今日は冴えない一日になりそうだった。
バイトから始まって、咳が止まらなくて、帰ってから少し寝る。あんまり良くならなくて、外へ出た。
雨の中、車のライトが過ぎる。ぶーん。

ちょっとほんを読もう。
ドイツ単語練習までは辿り着けず。まったくなにしてんだか。
今後の作戦をたてる、、、
僕の中では、2011は既に終わってしまって、今は2012が始まるまではなんとなく2011と2012の間なんだっていうイメージが湧いて来て、そんな感じでいる。
2011は終わって、今は気持ちを切り替えて、その間、に取り組みたいと思ってね。
ここをどうやれるかがすごく大事な気がして、何しろ2012の一月になれば僕も24になる。(あと、69日。)
その前に、その前に、なんとか滑り込みたいんだ。なにを?って、とにかくなんか滑り込みたくて、滑り込みたい、

町田の外は寒くて、練習していると、あと来週から東京ELECTROCKSTAIRSの稽古も始まる、、ドイツツアー、、届けてかいぶつくん。個人パワーアップして乗り込みたい、、
あ、練習していると、耳でイヤホンして乗り出して踊り出すと、中はがんがんなのに、外すと外は静かでまるで世界が違う。
がんがんの世界で乗って来るとまさか自分がすごいいい感じに踊れてる気がして、、あぁこのダンスを誰かに観て欲しい、絶対つかめるからとかいう風になってすごいいけそうな感じ。でも、イヤホンとるとしずかで勘違いだったかもしれない、と思ったりします。
それにしても練習時間短くて、昔はただブレイクダンスばかりやれば良かったのでそのやり方で集中して長時間練習していたのですが、今はどこに向かうのか感覚とイメージの試行錯誤で、また立ち踊りのメソッドが足りなく、いくつもないステップに、不定期な練習日時のためもあって、中々ものにできていない。。
なので、なんとなく最近なんだか黒田育世さんのことが頭に浮かんで考えたりもしててiPhoneで打ったらなんか出て来ないかなぁって思って、そしたらインタビューがちょうど出て来て、それが結構しっかりずっしりストレートに載っていたもので、練習へのモチベーションが上がってバーンって逆立ちに入ったりしたのと、うわぁ!じゃあ自分どうしよう??的な感覚に陥って、練習終えて帰っているところ。

そういえば、こないだ帰り道に、改めて口に出してみたこと。
自分の才能にとにかく素直になって、ひたすらただ追いかけてまっすぐにジャスト!自分の力を信じて進んでいくこと。それこそ世界が待っている。自分が諦める姿、よりも、ただその人が生まれて、信じてかっこよくその人をまっとう!すれば、それこそ世界が笑って楽しみにしてるし、みんながよろこぶんだ。だれかが喜んぶんだ。
そのことを忘れちゃいけないよ、あるいは忘れたら思い出すんだ、そうして笑って走り出すこと。よっしゃ!行けるはずだぜ、

2011年11月5日土曜日

2011の気分、漠然と!

どうも、ご無沙汰してます。
えっと、今ひとつのバイトを終え、もう一つのバイトの前の時間です。

歩調を合わせることなんかなくて、それについて、I don't careだと思えば、僕はそれについてわざわざ付き合う必要もなく、そういう問題は検討した上ですっ飛ばして、もっと考えたいことについて考えればいいんだと思った。
つまり、昨日隣の女の子たちが話していた内容について、本当にどうでもいい話!と思って、なんだかげんなりしてしまった。別に他人のストレスを感じる必要なんてないのに。



絵をたくさん書いた、
もし物語も付け加えて、書物を増やして、いつか!
図書館なりを作って、誰かがその内容について、何時間も時間を費やしてくれたらこれほどの幸運はないと思っている、どこか。
僕は本ってやっぱり好きだな。特にたくさん読むというわけじゃないけど、人間が静かにそれに向かって自分から話を目に入れていくことが、静かなのって好きだ。それは個人的行為で、時間もかかるんだけど、誰かのために時間をかけること、しかも自分のペースにて。

最近、観た新しい映画のほとんどはもしかしたらエンターテイメントの部分では楽しめていない。social networkとか、派手に楽しむとかいうより、自分の精神の持ちようとか、こういう状況でどんな心持ちで戦うのかとか、そういうストイックな部分などで感じれてるものだという気がする。
エンターテイメントならひと昔前のもの、ホームアローンとかレントとか。
今は、もしかしてお金で買えるエンターテイメントがある程度見えた上、なんかもう楽しめにくくなってきてる感じ。
それが生きることとかに関わってきてる、というのを感じれないと心底楽しめない、ような感じ?がしている。
たぶん世の中が変わったせいじゃないだろうか、色んなことが昔のようにはいかなくなってきている、漠然とだけど。

2011年10月30日日曜日

東 京 都 建築 映画

高松、直島でのサイドストーリーとして、artistの杉本博司さんと、建築家の安藤忠雄さんの、仕事、自伝にぐっと生で近付こうとした。
そういうことについて、東京でこの興奮を話すにも、中々相手が見つからなない。
(いやいるんだけど、矛盾だけど、もっとそういう興奮を共有したい、すべきだ、とか傲慢に思ってしまうわけ。でも、それは反省する必要もない。誰かに媚びうる必要なんてない。)
ふさわしい場所も見つけ難い。そんなことよりも多くの人はAKBとかの話を好むのだ。芸能人とか好むのだ。田舎根性。
建築が、街を作っていく姿に僕は興奮するけど、彼らはかわいらしい女の子がアイドルとして笑顔を振りまくのを拾うことに走り回ってエネルギーを費やす。それだけのことか。それが通過点でなく終着駅。

見た目は似てても、まったく価値観はちがってきている。他の国の人だって、同じ価値観を持ってることも知ってるんだから、日本人だからといって同じだとは思わないことに慣れていかないといけないのだ、これからは。世界は変わりつつある。いや、きっと急速に変わってるんだ。ペリーは何百年も、前の話だ。もうとっくのとうの話。話がとってもそれた。カーブ、広島カープの佐々岡投手。

その他にも僕はこの旅で、from Japanのクールなプロフェッサーを再認識、やっと確認出来たと思っていて、
彼らに視線を注げば希望が見える、その背中が輝いてる。
メディアは、うまくスポットライトをずらしてばかり。たとえばショーを観にいっても、TVをつけてもスポットライトを当てる場所を勘違いしてるか、誤っているかにしか見えなく、不快で、落ち込む、絶望的、come to the hell、でも何も言わない。言わない感。いや、聞こえない感。言っても伝わらない感。それこそ絶望感。
いつだって、他人こそが、偶然の音楽を鳴らしうると思うが、馴れ合いばかりにすがる、、それもわからなくもない、だってさみしいし。
希望はあるんだけど、集中してないと見損なう。
もし、集中力や忍耐にかければ、自分だってAKBの一員に捉えられる蟻地獄。そのまんま一生を過ごし、それでいいなんて言うんだろう。
感じる以上に厳しい寒さ、でも乗り越えたら快感がありそうだ。
映画をとることが出来なくなってしまった場所。うまく撮影が進められない、役者がいない、いやいるんだ、きっと。やたらセリフの多い脚本。照明をうまく当てれない。なぜ?フィルムだけはくるくる回っている、くるくるくるくる。溜まるフィルム、いつか大きな火事を起こす着火材。編集するには量がありすぎ、編集もどこか違ってる。。。

京都にはきれいに歴史が保存されており、直島はうまく現代のやり方で現代と戦ってるように見える場所。
東京で、何に視線を注げばいいかわからない時に、京都では慌てず歴史に視線を注ぐことが出来る。
確かに、音楽をイヤホンで聴くなら、東京は時に中毒的に最高であるとも言えるが。

glee

最近、アメリカドラマのgleeを借りて観てる。ドラマを観るなんて久しぶりだ。ブラックジャックによろしく、ウォーターボーイズとか1ℓの涙以来だ。
24も観ようか、と思っている。
人にお勧めされた。

gleeは最初、苦手で、役者陣の冴えない感じとか。ドラマとしては、充分な強度が足りないと感じた。
だが、iTunesで曲を落として以来、あまりに音楽が良かったので、音楽を軸にドラマが成り立っているなら、観れると思ったのと、身の回りの感度の高い若い子(感度の高い若い子ってなんだか何かふとした時にチャンスを持ってきてくれそうな気がするんだよなぁ)が観ていると言ってたので、それに乗っかてみようという気が起きたのだ。それで観ることにした。

gleeでは、大量のアメリカンポップスを中心にglee clubの生徒達などがカバーして歌っていく。
iTunesで調べると大量にそれらの音楽が出て来るのだけと、人によってはゴミだめのように思うかもしれないが、僕はすごいエネルギーを感じて、これは巨大だと感じた。
単純に歌を歌うエネルギーや、何年も前のアメリカンポップスなどは、未だに輝いていて、それらは印象を少し変えて、いまだ人々のまなざしがそこに集まるような、イメージがあって、えーと、まぁ言ってしまえばカラオケだけど、

なんだろう、なんなんだろう

アメリカらしい。
それでいてまた、世界中を魅了出来て。
現代的なやり方かもしれない。
ひねりのないパワー。いや、ひねりなんてものはとっくにどこかへおしやった

つまり、僕は、やっぱり単純に、歌をたくさん歌うパワーに、圧倒されたり、背景には学生ドラマが絡んでいて、歌うことと日常を生きることのリンクに感動してやまないわけで、それを一層助けるのは日本語訳されてるけどそれらの歌の歌詞だったりして。改めて向こうの歌詞は時にストレートすぎて、僕らのややこしい問題なんてすっとばして表現していることに感化されずにはいられない。年を取るにつれて、煩わしい問題は増えていくのだけど、そんなのクソみたいなもんだ、くそッ。ふぁっくだ!
非常に大きく勘違いした状態で歌うこと、ロマンチックであること。

2011年10月29日土曜日

kidだ!


ふーちょっと旅から、もう一週間がたつ。
今日は魔法のランプを作った、でも肝心の魔法が出るかはあんまり望めないかな。
こないだまで、旅の途中で日記を更新していたんだけど、前回の日記を書いた後に出会いがあって、旅は急展開をし色やスタイルが一気に変わったのでした。フェリーで、もうそろそろかと、通りかかった外国人であろう2人組に声をかけたところから。

で、記したいことはいくつもあるのだけど、気付くとたくさんの人に出会ってるうちに、気持ちとかばっかりが増えて、書くにも感傷的なりになってしまい、コントロールして何か書ききる自信もなく、この感じを伝えたいのだけど、これはこれで、自分の体の中にまだいる。

色んなことが終わって、始まっていってる。
ふー
僕は、また白い紙を取り出して、ペンを持つ事から、だ。まだ中々ペンは進まない。

で、も、きっとだ、きっとである、きっとで、あーる、kidだ!

ハロウィンというので、明日は廻転忍者で、よく一緒に下らないパフォーマンスを繰り広げた高校の先輩でもあるコウさんと久しぶりに、バカをしに新木場agehaだ!Forever young!