2015年がおわりますね。
今年は最後の方、やけに忘年会というか反省会を人とやりたいって気持ちが自分に出て来たのが新鮮だった。
たぶん、それは今年がやっと人と何か協働作業をしている感じをよく持ったからなんだと思う。
特に何か自分のことをわかってもらえたとかそういうのとは違う、なんか自分じゃない身体が動いてるのを見てそれに励まされたりしたっていうこと。
戦ってる様子がみえたり、何か力添えが見えたんだと思う。感謝しています。
今年はたくさんカルチャーに触れようとして、展示は160こ、映画は158本、イベントや公演は97こ、本は43冊、だいたい触れたかと思う。
このお環境だからこそ時間を作ることもできたと思います、これも感謝、来年はこうはいかないかもしれない、別のターンかもしれないし。とにかくやれることをと思い、この決断をした。来年ももうちょっとひきづるかも。
色んな人と作品を作ったりしていけたのはよかった。
ネパールチャリティーやひかりくん、橋下君、ibisくん、bonusを通してのクリエイション。 だけど作品は作らなくとも名前もないプロジェクトや何かを一緒に見に行ったりするのも活動のようで結構終わって見て大きいものがある。
n.n.n.で服部さんと佐藤君とのやりとり。一月のうるさいから始まって、bananaの赤レンガ倉庫。
1wallを通してのもう一つ作品の取り組みが進んだこと。
イベントならmusic todayや思い出野郎のsoul picnic、展示も石田尚志さんとかマグリットとかyuyokoyamaさんのとかトゥンブリーとかキュッぱの美術館、国立近美とか、六本木アートナイト!
wwwでのトーキングヘッズ爆音上映とか、捩子さんのurban folkとか岸井さんの茶屋建築、大宴会のbonobos、飴屋さんのブルーシート、。ままごとのわが星、、これはとても個人的にだね。
いい映画もいっぱい見た。はじまりのうたがベストかも。
本も佐々木中さん、ミランダジュライ、アトリエワン、とか面白かったんだよ。
でも全体的に今年は知らないとこの補強みたいな。来年もまだまだだけど、基礎体力をつけようとしてる、まだ深く探求じゃなくて。
なんと言っても篠田さんと出会って非劇というチーム制作に参加したのはとてもおおきいな。
2016はいよいよ個展があって、ちょっとそこでそこに至る過程で、何か見つけられればと思います。何かの芽のようなもの。
1月は渇いた空気に太陽の朝の光が眩しそうだと予感する。それでちょっと手でそのまぶしさを防ぐようにしたその表情の感じで。
よいお年を!走る、
どうもaokidです。東京を中心に活動していますが、夢は大きくもっと色んなところで活動活躍出来たらと日々もんもんとしています。 活動はaokidとしておどったり、絵を描いたり、aokid cityという架空の街を作るというプロジェクトを持っていたり、ゲリラパフォーマンスなんかをしたりしています。
2015年12月20日日曜日
30
あと30日ほとで個展が始まる。最近、ギターが全然弾けてない。ギター弾く夜の時間は絵を描くのにあてられてしまった。たくさん描くけど、よくもこの画力でテクニックのなさでここまで来れてしまったとも思う。しかしそれが何かきっかけを導いたりもするのだけど。
こうして今までよりもまぁまぁ籠って制作をするのは、なんだか昔から漁るように読むニューヨーク滞在記とかを思い出す。ソーホーとかの倉庫で打ち込む創作の日々みたいな。憧れるよな。その時間に果たして作家は、当事者は何と出会って格闘したり戯れたり、ただ見つめたりしていくのか、みたいな。
出来れば遠くにいけるような時間を過ごしていきたい。あと30日間。
こうして今までよりもまぁまぁ籠って制作をするのは、なんだか昔から漁るように読むニューヨーク滞在記とかを思い出す。ソーホーとかの倉庫で打ち込む創作の日々みたいな。憧れるよな。その時間に果たして作家は、当事者は何と出会って格闘したり戯れたり、ただ見つめたりしていくのか、みたいな。
出来れば遠くにいけるような時間を過ごしていきたい。あと30日間。
2015年12月18日金曜日
思ったよりも疲れているみたいだ、と今日の途中に思った。今日の途中だなんて、なめた日本語だ。いやいやそんなことが言いたいのじゃなくて、昨日はvacantでBONUS第二回目でした。みんなそれぞれが勝手に変態なメンバーだったりで、こっそり自分の中でうわぁいい面子だぁって喜んでました。そういうのってたまにしかない。という感じに思えばあの現場が忘年会でした。
今日それで、そう、うわぁなんかやっぱりふらっときて、思ってるよりも疲れかストレスか溜まってるみたいで、やるべき事が中々進まない。体と頭が働かなかったりして。自分と格闘っぽい。いや自分を知ろうとしてる段階。
でも、恋愛映画がたくさんあって、いくつも見てそれで、何度も夢を見ることを確認しようとしてるのかもね。
今日それで、そう、うわぁなんかやっぱりふらっときて、思ってるよりも疲れかストレスか溜まってるみたいで、やるべき事が中々進まない。体と頭が働かなかったりして。自分と格闘っぽい。いや自分を知ろうとしてる段階。
でも、恋愛映画がたくさんあって、いくつも見てそれで、何度も夢を見ることを確認しようとしてるのかもね。
2015年12月16日水曜日
BOX
明日というか今日はBONUSだ。昨年からもう一年だ。総まとめ感ある。 どれくらい出来るかな、実はまだ決まってないこともある。取り組むにあたって、日頃、制作のことにあたって自分が何が出来て何がやっぱり出来ないか、を知っていく必要がある。その結果が作家を導くのだと改めて最近は思う。術がないということが、やっと作家にとっては出て来た術となることがある。 話は変わって今観てる映画、men,women & childrenだったかな?邦題は案の定酷い。ポエムゼロ。この映画ではSNSが使われる社会をテーマに作られていて、その中のシーンで書いて送ろうとしたメールを書き換え、簡単な文に結局直し気になる人にメールを送るというのがある。なんてリアリティのあるシーンなんだ。誰しも一度書いておいて送らなかった、あるいは戻って消した、下書きBOXの中に封印された話したかった言葉たちや気持ちがあることだろう。
2015年12月14日月曜日
baby
baby babyって曲があって、いい歌なんだ。街はイルミネーション、君はイリュージョン、天使のような微笑み、と歌う。
素敵な曲は生まれててほしい。多くの人に気付かれなくても、もちろん気付いてそれを使ってほしいのだけど、あってほしい。それで来るべき時が来た時にその曲がグッと胸に迫ってくるといいんじゃないかと。 僕は何年か前に友達と素敵な歌を一緒に作ったと思う。あんまり日本的じゃない、そりゃそうさ歌詞だって英語だし。でも多くの英語の恋愛映画を観てきたし、多いに夢を魅せられて来たから、その由来は僕にとってのリアリティで。この歌を作っておいてほんとに良かった。歌から夢が広がるくらいの、映画くらいに詰め込まれた歌が出来たから。
素敵な曲は生まれててほしい。多くの人に気付かれなくても、もちろん気付いてそれを使ってほしいのだけど、あってほしい。それで来るべき時が来た時にその曲がグッと胸に迫ってくるといいんじゃないかと。 僕は何年か前に友達と素敵な歌を一緒に作ったと思う。あんまり日本的じゃない、そりゃそうさ歌詞だって英語だし。でも多くの英語の恋愛映画を観てきたし、多いに夢を魅せられて来たから、その由来は僕にとってのリアリティで。この歌を作っておいてほんとに良かった。歌から夢が広がるくらいの、映画くらいに詰め込まれた歌が出来たから。
2015年12月9日水曜日
プライド
プライドって原題のパレードへようこそって邦題の映画を観た。ゲイやレズビアンがサッチャー政権に対抗し炭坑夫たちへの募金を集め支援しようとするが、それはあまりに前人未踏だったため炭坑夫らは最初受け入れないのだが、、、といった内容の映画で、要するに戦っていく映画だ。描き方は確かに雑だし、いいとこばっかをうまく見せたようなとこもあるかもしれないが、泣いてしまった。 革命というのは、何かと戦う個人と、その個人が戦いの過程で敵を味方にしていく様は、何回も僕の中の小さくなりかけた灯火に再び火をつける。僕は本当は革命という風景の中にいたいのかもしれない。運動の中心となったマークは26歳でAIDSでこの世を去ってる。僕はその先人たちの築いた道の上に立っているわけで、そういうこともまた胸を熱くさせてるよ。ごめんね、全然うまくやれていないじゃないか、ってね。
2015年11月25日水曜日
宣伝
結構もう時間がない。
非劇、まだチケット余っているのでまだの人は是非予約連絡でもくださいー。
いやぁ、これは集客に困らないかなぁと思っていたのだけど、こうして今慌てて迷惑かもしれないと思いつつも宣伝に回ってしまっている。
難しいなぁ。
以下引用
篠田千明ソロ活動開始後、初の新作劇場公演!!
快快(ファイファイ)の演出家・脚本家として、スイスの国際舞台芸術祭における若手演出家の登竜門として著名な「ZKB Patronage Prize 2010」を日本人として初めて受賞するなど、国内外で高い評価を得てきた篠田千明(しのだちはる)による、ソロ活動開始後初の新作劇場公演を吉祥寺シアターにて開催します。 篠田は2012年に快快脱退後、バンコクへ移住、様々な場所を移動する生活の中で実感した目の前にある「悲劇」の数々を、都市の成立に欠かせない整備されたインフラである“下水道”に見立て、東京という街で「悲劇」がただ消費されていくのではなく、どのような「劇」を立ち上げれば良いのか、考え始めました。また、「集団制作」の手法として、「コーディネート/編集」の視点を持って、『非劇』を立ち上げるために、どのような座組を選ぶのか、またその全員といかに有機的な関係性を持ちながらクリエイティビティを発揮させ、それらを編み、作品に仕上げていくのか、ということをも「演出」と捉え、新たな演劇における「集団制作」の手法を探求していきます。それは「集団制作」そのものが、意図せずともそこに「劇」を生み出してしまう中で、いかに「劇ではないもの=非劇」を起こすのか、という矛盾を超克する挑戦でもあります。演出家・篠田千明の新たな一歩に是非ご注目ください。
『非劇 Higeki』
演出:篠田千明
作:齋藤惠太
補綴:岸井大輔
出演:竹田 靖、辻村優子、福留麻里、Aokid
舞台美術:佐々木 文美
振付:中林 舞
映像:いしいこうた
音響:星野大輔
照明:上田 剛
照明技術:(株)DOTWORKS
舞台監督:佐藤 恵
制作:奥野将徳、水野恵美(プリコグ)
経理:河村美帆香(プリコグ)
宣伝美術:小林剛(UNA)
日時
2015年11月27日(金)〜29日(日)
27日(金) 19:30開演
28日(土) 14:00開演/19:30開演
29日(日) 14:00開演
※受付開始は開演の1時間前、開場は30分前
会場 吉祥寺シアター
チケット
一般 3,000円/学生 2,500円/当日 3,500円
アルテ友の会 2,700円(武蔵野文化事業団のみ取扱)
※全席整理番号付き自由席
チケット取扱
プリコグ http://precog-jp.net/jp/ticket/
(公財)武蔵野文化事業団チケット予約 https://yyk1.ka-ruku.com/musashino-t/ 0422-54-2011(無休 9:00〜22:00)
『非劇 Higeki』公演情報:http://shinodachiharu.com/higeki_release/
特設tumblrサイト:http://higeki-shinoda.tumblr.com/
2015年11月19日木曜日
2015年11月18日水曜日
2015年11月2日月曜日
次回『非劇』に出演します。
11月の公演『非劇』に出演します。
初めて脚本を用いた舞台に出演します。
脚本や台本、原作があることにだんだん興味を持ち始めていました。
何か共有する物語をもとに集団で制作していくというのはいいなぁ、と。これは集団制作だけに言えることじゃなくて、日常の生活においてもキリスト教の人が聖書をみんなで共有しているようなのはうらやましいと思っていました。
よりどころというか。
僕ら日本人でそれはどんなものが持ち得るか、、ね。
夏目漱石とか森鴎外とか?
いや、日本人と出るのはちょっと置いておいて、とりあえず周りの子たちとこれから何かやって行くという時に共有した知的財産?みたいなものを用意したいというアイディア。
話がとんでしまったけど、今は脚本をもとに稽古をしています。
11月27日〜29日まで吉祥寺シアターで行います。
篠田千明『非劇』
昨年はちょうど、ゆりこさんとアンくん、たまにけんとさんとクリエイションしていたの懐かしいな。いい流れが昨年と今年へ続いてる。
今回の集団制作は結構クリエイティブなことが起きてて、ある意味スペシャルだと感じる。
結構スペシャルなものには恵まれてるかもしれないけど、つまりそれは何かを更新しうる場的な。
いや、表現あってないかも。
とにかく、今回のは”今をどういう風にして取り組んでいくか”みたいなことが確かにある作品の制作の中にいる。
ので、これはそういった漠然としてるけど、まじで今なう、なテーマのもと生きてるやつに見に来て、改めて今日や明日から現代と取り組むためのヒントにしてほしい、、、うまくいけば。そう思ってる。そんなことを目指した舞台作品に僕は関わることになってしまったんだ。どうでもいい遠い話じゃない、限りなくいつも僕も抱えてる問題そのものじゃないか!と。
うまくかけないとすれば緊張感のせいか!!
2015年10月31日土曜日
一ヶ月切った
もうこんな時間になっていて、一日を走り終えるとこんな時間になっていて、もうすぐにバタンキューしたい身体がここにある。今日は稽古後に新宿のスタバでmacでの作業と少し絵を描くのと個展の方についてプランを考え直すなどして、新宿で少しだけ練習して、ultraaupernewへ向かった。オープニングパーティーには外国人のお客さんたくさんいた。
そしてそこから渋谷駅までの散歩。帰り電車では人身事故があり、少しとまったまま。
家へたどり着きクールダウン的に少しランニング。
で、映画みながらご飯を食べ、大きい絵を少し描き足し、お風呂あがってこの時間。いくらか話前後するけど。
本番まで一ヶ月きった。
2015年10月29日木曜日
2015年10月27日火曜日
あなたに、
iTunesで何年か前にやっていた日本映画うた魂のサントラがかかってその中の合唱ver.のモンパチのあなたに、がかかった。
この曲ってもともと合唱に向いてるような曲なのかもしれない、中学生とか高校生とかがよく歌うような合唱のメロディーに近いというか。
泣けるくらい。
というのは高校生とかが感じやすい言葉、その時の環境と彼らの中のリアリティーが生む詩がそのまんま反映されてるからだと思う。そのまんま当時の僕たちを、僕たちの葛藤や心とかを思い出すから。泣けて来た。
「泣かないで愛しい人よ」とか「あなたに会いたくて」とか「眠れない夜。夢で会えたら考え過ぎて眠れない夜」だなんて。大人になるにつれて多くの人はそんなことは忘れてしまうじゃない。それが良いのか悪いのかは、、、やっぱり置いておいて。(あぁなんていうか卑怯な選択かもしれない)またこういう表現にあってしまうと失った美しさに泣いてしまうのかもしれない。
そして今日までに個展のタイトルとか決めないといけないわけだけど、実はまだ決まってないという。
夢で会いたい。w
2015年10月23日金曜日
2015年10月20日火曜日
最近、ちょっと今日の夜に雨降って、きてさ、
今日は稽古終わって、書類の下書き、練習をし、帰って来てデヴィッドフィンチャーのドラマの続きと大きい絵の制作をしました。いくつかの事を同時進行で進めていますが、正直追いついていないという感があります。なんだか間に合ってない、つまりベルトの紐を閉めないまま家を出るような感じの慌ただしい感じです。
いよいよゆっくり自分の生活のルーティーンが乱れ始めそわそわしているような感じです。
スタバとかに行ってとなりにプログラマーとか自意識過剰なほどにキーボードをかちかちやってる人がいると結構絶望してしまいますね。
なぜか右の人差し指が微妙な痛さを持って、まさにこうしてキーボードを打つ時にこれまた微妙な痛みを伴います。
さて、明日は橋本君と来年の横浜ダンコレの資料をつめないといけないのですが、果たして橋本君はラインを見てくれているのか不安です。
昨日はブルーシート二回目を行いました。じょじょに社会を変えていくための、”モチーフとしての個人ごとの充実や平和”を目指したこの企画。平和を個人単位で獲得することをしていかないと、本当の平和は達成しないことなどを今日の稽古では話したりしていました。僕もそう思います、だから個人的に頑張ろうと思います。思い付いたアイディアや動こうという意志と身体を大事にというか、どんどん使っていくぜ、と思うのでした。
非劇の稽古が刺激的です。
2015年10月16日金曜日
明日はレッツダンスバトル、みたいな
明日はダンスバトルがShibaurahouseであります。
スペインの宇宙食を読み終わった。
本当はもしちゃんとお金が稼げるようになったら、夜ストリートで練習する必要が変わることで、それを気にせずに夜ご飯を食べれるような生活を過ごせるようになったらもっとご飯を食べることを色々試したいなぁっていう思いが改めて自分の中にあるのを確認するなぁ。
なんだろう?これはなんとなくだけど母親の影響もあるのかな?あるいは父親?
う〜ん。
お金には全然なってないのだけど創作活動における忙しさや、想像しうるアイディアたちは結構忙しく現れてくる。
これを何年か続けるのは結構しんどいものあるかもしれないが、”スペインの〜”はまさにその忙しさについての本でもあったと言えるので励ましになるような気がしないでもなかった。
ということで明日はひかりくんと今年初のshibaurahouseです。
やっぱここいいんだよなー。
2015年10月14日水曜日
秋の匂い、まだ、しない
最近、右の手のひらに豆が出来て来た。そう、最近フットワークにここ1年くらい興味があって意識的に練習時間の中でやるようになっている。ブレイクダンスの中での基本的動作で、まさにb-boy感に昔は抵抗があったのだけど、今はただそこで引き出しを多く持てていけたらいいなと思っている。大技でもないから見ていて、そんなに違いは知らない人にはわからないかもしれないのだけど、ここには色々詰まってることがあるような予感がただするので。
あとは最近できてないけどギターの練習も増やして、指先にも豆を作ったら面白い手の経過を得そうでいいかな、って。
映画館に逃げたいのに物理的に優先すべき時間の過ごし方が勝ってしまい、まさかのピクセルをまだ見れていない。
夜、みんなで飲みにいきたくても一週間のバランスを考え、ここで飲んでは練習が出来ないとことわったりしている。もう少し状況が変わればそういったことも出来るようになるのかな、と考えたり。
秋なの?今。9月は確かに秋の匂いもいくらかあったのに10月はあんまりそんな感じしないね。
匂いかぎたいじゃない〜。
2015年10月10日土曜日
シネマライズが閉館してしまうというニュース。
高校生の頃からの思い出があったので悲しい。こういうのは人ごとだと思っていたので。
よく1人で観に行っては、隣に良い感じの女の子が座ったりして、もしほんとうはこの人と観に来れていたらどんなに良い時間になるだろうか、とか想像したのだった。
今日も稽古です。
今回こうやってFAIFAIのメンバーであった篠田さんをはじめ、そういった先駆者と作品を今クリエイション出来ているというのは恵まれてる。刺激的で、リスペクトを持つ。
僕ももっと色々やらなきゃな、という風になる。離れててもそう強く思うことは出来るのだけど、一緒の創作に取りかかれるというのは、また違うものになる。だろう。
13時からの稽古で、午前中に他の創作活動を行いたいのだけど、なんだかんだ前日が遅くなってしまってうまくやれてない。あ〜。
最近は、どついたるねんの音楽を聞いてます。ライブ観たら泣いちゃうかもしれない。文化祭の楽しさと寂しさが詰まってるようなバンドですね。
2015年10月6日火曜日
地獄のsomewhere
やばい、ふぁっきんビジーデイズに突入したかもしれない。
あれやこれやのそれぞれが、こう複雑にこう日常に絡んでくるように色んなことが始まりつつある。
いい意味で忙しい!しかし、えっとうまく走れてないどころか、さっそく絡まりつつある。
よし、うまくやらなきゃいけないぞ。がんばろう。
最近はハックルベリーフィンの冒険を読み、地獄の黙示録とたまたまsomewhereも同時に見返した。親子じゃん。
すごいタッチ違いすぎる2作だけど、どっちもこう大事。
で、こないだは非劇の顔合わせで今日初稽古。で、今日の夜はflend発足の顔合わせ。
非劇の方は面白いオルタナティブな人の集まりなので話や方法が早速面白い。食らいついていこう。flendの方は同世代のアーティスト、主に画家が中心の集まり、ふむふむしながらこちらも刺激し合ってやっていく。
あと、BONUSもそろそろ打ち合わせ稽古をしなければだし、来年の横浜の話し合いもだし、個展の方もだし、来週のひかりくんとのもやらねばだし。
しかし自分の企画、ブルーシート、こいつをね、軽いフットワークでいかにしてやっていけるか、つないで強くやっていけないかという、ね。期待しています。
風邪には気をつけよう。
2015年9月25日金曜日
秋cks
バイト先のギターリストがおすすめしていたコトリンゴを聴いています。
いいですね。bonobosの音源も最近よく聴いてる。ライブがよかったんだ、まっすぐでしっかりバンドしていて。当たり前に見えて達成しにくいバンドは一つの音楽の形態としてありでしょ、って思わせるようなライブ感だったんだ。
必ずしもオーケストラじゃなくても構わない、こういったバンドという同時代的な形式でも確かに、強いものを感じました。
東京に戻ってくるなり毎日に同じように追われいます、するといかに南会津の原っぱの上で見上げればきれいな星の下という環境がすてきで自然だったか思い出しました。
僕は 雨を 食べて お腹に 木を植えて
2015年9月23日水曜日
2015年9月22日火曜日
林から見た星
大宴会から帰って来た。今回は大きな雨とかもなく、準備も片付けも早く終わり、前夜祭も後夜祭も含め存分に時間を過ごしました。ただ少し肌寒い山の天候でした。
2年ぶりのスタッフボランティアで参加して、久しぶりに会う人たちに懐かしさなんかもこみ上げてたけど、すぐに準備してなじんでいく。
でも皆結構、白髪増えてたり苦労しているのかなぁ、と思った。
あいかわらず、一回り上の世代の男性陣のスタッフなんかに東京では見られないかっこよさを見たりして、身になる思いがしたり、おいしいご飯をとにかく食べまくったりした。
夜は星が近くて、一瞬、プラネタリウムかよなんて思ったりもした。
南会津に来ると人が人に接する感触がちがったりして戸惑う。なんていえばいいのか、優しいというか。
ハッとして、少し自分を省みる。
年齢の離れた友人、コーヒー屋さんのたんじさんや写真家の赤間さん。と色んな話をすることが、特別で、好きだ。20歳も離れた1人ともう1人はもう10歳くらい違うかもしれないけど、良いんだ。ただ共有出来る何か、が今はあることが素敵だ。
やり方を見て勉強になる南会津や福島、あるいは他の地方から来た人たちと、何人かの面白くて近況やヒントを聞きたくて話したい人たち。
そしてあわよくばダンスもして話せることが増えたり。
そういう風にして過ごす。
帰りはちょっとそれでさみしい。
でも、離れた友人というのもすばらしいですね。
2015年9月18日金曜日
clearest blue
chvrchesのアルバムの中に"clearest blue"というタイトルを発見。発見!って感じだ。
あまりにも瞬間がはかないことに矛盾して、情報量は増えていくのに身動きはとりづらく、そのこの現状に対して多くの複雑な重層的な感情や反応を実は示しているぼくたちわたしたち。と言ったところ。
そしてこれさえ記述する術や技術を習得する間もなく時間は流れていく。
それにあらがい手に入れたいのは、”間”で”スペース”だ。
もっと”間””スペース”にいることを感じて生きることがしたい、これがコンセプトかのように最近は出てくるワードだ。
ディビットフィンチャーのドラマは、ドラマになってより重層的に複雑になっていく、どこにディビットは力を置くの?と思い見ていくことになる、普通のドラマなんかこえてほしい、と。僕らが生きる中で本当に選んでいってるものは、全然ドラマなんかと違ってもっと政治的な選択をしていることに気付く。だからこれを見ていて、これはドラマではなく、建築だとも思った。重層的で複雑な構造を描くことがドラマを越えて、存在している現代の選択肢をまるで映していくみたいだ。(最後は筆に任せて書いてしまった、言葉への集中力を切らした。)
スペースの話に戻れば、これからの戦いはやっぱり長引くような気がする。いわゆるちょっと前の時代に光ってた光なんてなくて、ちがう色をした光になってると思う。しかし、でもそれも悪くない、そしてそれはある意味”代案”である。用意するのは大変だがもし描けるならばこれほど楽しいことはないかもしれない、未来という未知を描くのあれば、、、それには体力や集中力がいる。と思っている。体力や集中力ってすばらしい。そこには種も仕掛けもない。
2015年9月16日水曜日
2015年9月14日月曜日
RENとも
今年から使い始めた手帳。毎年使っていたのよりも1.5倍くらいの大きさの。ドイツのかな?
手帳から攻めようって始めて8ヶ月。悪くないと思う、より詳細に。大きく広く、出来れば細かく。
あとはmacもほぼ毎日のように持ち歩き、外でネットするようになった。にしてもこのmacは思いなぁ。どうしよう。
いつからだっけかな?昨年あたりからだっけ?ほぼネットのとんでるスタバばっかいってる。日本のネット、もっと張り巡らしてほしい。
さてさて、今日はNYから友人が一時帰国ということで大学の映画専攻の友達と3人でご飯を食べた。
やばいこのメンツは大学入って間もない頃に大学終わって待ち合わせて文化村にRENTを観に行った仲だった。そしてその一年生の終わりにNYに行ったのだ。帰りに日高屋行ってラーメン食べたなぁ。とか懐かしい。あの頃。色が残ってんのかなぁ?ならば、この今もそういったように今の色をなんとかしてこのキャンバスに塗りたくってやるくらいでいこうと思う、年を取ったら余計にやりにくくなる部分があるだろうし。って今日この人たちと話してるときに思ったんだ。忘れないで実行出来るといいのだけど。
そして帰りにふらっと新宿を歩く中で友達の話になって、そういえば僕にはふらっと立ち寄って朝まで過ごせる友人がこんなにもFacebookに友人がいるのにいないことに触れられた。それで、6月にままごとの”わが星”で小学生の2人が約束をするシーンがあって。また思い出した。そのことも確か母親になんか言われたのがきっかけで。確か昔は友達が君にとって、すべてだったよね、みたいなことを言われて。それは前にも書いたかもしれない、結びも確かやっぱり何かしらは子供頃の何かを失って大人になっていくんだ、みたいな。
2015年9月11日金曜日
散文、
写真をどうまとめれば、と思い、hiromixの写真集を眺める。川内倫子さんの写真集を眺める。プリントアウトした写真を眺める。
はっとする、今執拗になぜか写真に惹かれるのは、写真とは映り込んでしまう"今"を必ず切り取ってしまうからだ。
もしかしたら今、自分はどうしようもなく今を失いたくない、並走したいのかもしれない。どこにいたのか、とか、何を人が見ていたのか、ただそのことが気になるのかもしれない。一方でフィクションを生もうとしていくのだけど、フィクションを生ませるこの世界や状況もとても大事で、大切なのかもしれない。
写真に映り込む、現実へのまなざしを求めているんだ。言葉にならない、どんな風にその時、世界を見つめていたのか。
ダンスは見ることができない、、、ならもしかしてやっぱり勇気と楽しいとかがそのまま大事なのかもしれないね。
ディビットフィンチャーのドラマ。ドラマってこんなだったけ?という感じがあって、それは彼のだから特別であるのかもしれない。けど、こんなにも何か政治をするにあたって何重にも複雑に方法をとっていかなければいけなかったこと。なんか昔を思い出す、そうそうそんなことがあった気がする。すべてのことがそこを、それを左右してしまう、という政治の本来。
そのことがわかるのであれば、少しは自分にもチャンスがあるかもしれない、、
2015年9月10日木曜日
imaなど、
今日は本当に一日中に雨の中にいるような天気だった。
ちょっと遅く起きてしまって、それでも台風だからってこの貴重な休日を家で過ごすわけにはいかない、と。
何があっても決めた過ごし方を全うせねばどんどん目指してるとこから遠くなってしまうぞ、と傲慢な心がいつものように働いて、都内に出て行った。六本木はいつもより断然人が歩いていなくて、走る車が水しぶきを飛ばす、ズボンはばしゃって水を被ったりしながら長靴でひたすらに歩いた。新国立美術館に来ると、いつもこの景観に感心してしまう建築の内部。こんな都心の中で、こんなに贅沢な空間を使った建物体験中々出来ないよなって。さすが国立だ。そういった体験って身体ですぐに気付くと思うんだ。それだけでもこの中にあるカフェっていいなぁと思う。ちょっと違う時間と空間を過ごせそう。
アーティストファイル日本と韓国の作家展を見て、ima concept storeまで歩く。大雨の中。
水谷さんというこないだ知った写真家の新作展を見に。とてもお洒落な空間。ここにもカフェが併設のギャラリーと本屋。
写真を中心にvisual artの本いくつか。五木田さんや田中功起さんの海外の出版本など。
室内建築も思わずかっこ良く、みとれるものがあるのでまた来よう。身体でまずは都会の地図を覚えていく、頭でもイメージを作る。それからはてそれをどうするか、だ。編集が最近気になる。いや、もとから気になってるんだけど、改めて物を多く見ていこう、現状をみんなで良くしていくには自分はどうすればいい?どう動けばいい?今持ってるものを使えるであろうものをどうすればいい?って考えるとおのずと出てくる編集というワード。日本が中々絶望的なのは編集がうまくなされてない、またはバランスが悪いのが原因でもあるでしょう、もちろん。そういうことを思った。
また写真集買う予定だったのに買わなかった。なんか印象が違ってしまった。
でも今は写真について知りたい。写真とは世界のこと、僕も写真が撮りたい、つまりどういう風に世界が見えてるのか見えるのかをもっと良くしたい、それを共有したい。絵でも世界について描くのだけど、写真では現実の風景を見る人にまるで一緒に見えてるかのようにして映す、そのやり取りを出来ればしたいんだ。そのことが必要な気がする。
2015年9月8日火曜日
2015年9月7日月曜日
today
6時間くらい働いて渋谷の文化村にヴィムベンダースの新作映画を観に行く。まずチケットを買って、近くのベローチェで映画の時間まで過ごす。
今日も雨で、傘をさして人々は行き交う。傘だなんて。もう2015年だというのに、なんてアナログな方法を未だに僕たちは採用していることよ。
もちろんこの傘というのが、この2015年を迎えてもアナログな人のこの僕にとってはとても美しく見えるんだけどさ。
映画がすばらしくて、それを観終わって電車で町田へ向かう。びしょびしょになりながらも練習はする。最近は良い。踊りを少しづつ広げようという意識と、動かないけど導かれたい身体がなんとか一緒にある感じ、するし。続くといいな。そして続いてるうちにちょっとでも発見をし、身体が成長したらいいな。
雨の中家へ帰る。びしょる。途中でデビットフィンチャーのドラマの続きを借りていく。
諸々終えて、大きい絵を描く。といっても画用紙サイズ。明日は、範宙遊泳見つつ、友人と話す。有意義な時間にしたいな。
そして今深夜、より朝に近いか。上野くんのアップした曲を聴きながら書く。
https://soundcloud.com/miki-delos-santos/let-me-down
あぁ僕らの青春は誰にも奪えないはずじゃないか。世界の中心に立ちたいじゃないか。
その権利が青春にはあるような気がする。それにさえ気付かずに年を取り死んでしまったらあまりにも惨めじゃないか。
明日の朝こういったことを書いたりして後悔したりもするかもしんないけど、恥ずかしさとか、冷めた感じとか、もったいないじゃないか、って。
好きな絵をかこう、そして自分はどんな絵が好きだったのか?これからそれも一緒に探しにいこう。
やることしかない。反転するとやることに溢れてしかいないんだ。
today is for you
2015年9月6日日曜日
2015年9月3日木曜日
雨9月3日
今日は休みになったので、都心へ向かう。国立新美術館とこないだ出会った写真集の良かった写真家の個展を観に六本木方面へ向かう、がやっぱり新橋へ。ガーディアンガーデンで行われている白黒写真が気になったため、今日は銀座らへんのギャラリーを攻める。
雨が今日も降っていて、出来れば夜はやんでほしい。外で新宿で練習がしたい。
これからBONUSのチラシを描きに木村さんと会う。
いくつもギャラリーを今年は回っている、意識的に。僕はあまりうまく勉強する方法が思い付かないので、この方法になっているとも言える。いくつも回って行くうちにほんのちょっぴりわかることもあれば、わからない宇宙も膨大にある。しかし、一方で何が十分でないのかは確実に浮かび上がってくる。この感じってもしかして、ダンスにだけ打ち込みまくっていた頃に感じつつあったことと同じかもしれない。好きだから見ていたはずが、だんだんボロが見えて来てそ業界を嫌いになっていくあの感じ。しかしそこでやっと改めてその業界に対して反発するように面白いものが生まれてくるのも事実。ちょっと、待ってました!感。
ぐるぐる色々回ってみて行くのに、どれも本当に僕の心を満たしてくれないばかりか、かすりもしないことのが多い。どういうことだろう。大きく見てみると、やっぱりその方向性がまだやられていないということなのか。
感じてるだけではだめで、力をつけて、その方向性に形を持たせ、可視化させる必要があるよな。
ただただあまりにも出来てないことが多すぎるのだ。それでも身体はもっと前を見せてよ、とこの柵を越えようと前にのめり込んでいる、ところ。
それと、最近思うのは、僕らがもっと率先して舵をとりたいよなってこと。
歴史を踏まえながらも、やはり若い者が世界を更新していくのがいい。
未来の形はこのままじゃなく、率先し、手を出し、作りかえて行くこと。
2015年9月1日火曜日
編集の本なんかに今は改めてビビット。
最近の話。絵が描けないとか、ダンスについてやる時間がないとか、本を読む映画を観る何か展示を観に行くことが出来ない、いくらかの時間をかけて歩けないっていうのは今の僕にとっては致命的だ。
出来れば、毎日どれも損ないたくない。あとはギターをやる時間とかも。
なるべく走り続けたい。ダッシュは苦手だけど、このランニングを一定のリズムで走り続けたい。
この運動の中でじょじょに見つけたい。プラスアルファー。そういう感じ。
いずれにせよ、not enoughだ。
最近、横尾忠則の本に、岡本仁さん松浦弥太郎さん、そしてニッポンの音楽という佐々木敦さんが書いた三者の本。いずれも、編集とかに関わることや日本の戦後のカルチャーについての資料を読んで、それらがつながったりしてて、改めて今日、日本のこれからとかを考える上で、また僕たちなり、僕なりの方法を模索するにあたって何か手がかりに自然になっているなぁと思って。
なんか昔の方がコミュニケーションうまくいってたのかなぁ?とか、今と比べて状況どうだろう、とか考えたりするのです。
2015年8月31日月曜日
写真集、
今夜も雨が降っている。窓の外側、ぽちっとかぴちゃっとか音が鳴ってる、あとざーざーとも。
最近は何か必要に駆られて書くようにしている。色んな理由があるんだけど、一つはやっぱり具体的にもう少しどうだったのか手がかりを残しておきたいということだろうか。
今日は写真家の友達、石原さんに誘われてvacantの写真集飲み会という名の写真集出版社がブースを出し、フードを出し、写真集を眺め話すという集まりを設けたイベントへいってきた。気になる作家を何人か発見。 しかし僕は写真に惹かれている。もっと見たい写真があるはずなんだ、シーンや光景、それらをどこか探していて、写真を見に行く。しかし見つかっていない。だからやっぱり僕も写真をもっと取らなければ出会えない。あるいはこのもやもやを抱えたまま生きていくか。頭によぎった可能性を永遠に捨ててしまって出会えないのはさみしいかもしれない。
夜はにがウーロンによる映画を観に行った。一日に写真集と映画、しかも両方がほぼ日本、というのを見ると何か一つ見るだけ以上に具体的に考えさせるものがある。カメラを通して残してプリント、現像、映写する必要のある"現在"をいかにして僕らはこの身体や頭やその道具を使って手に入れて伝えていくことが出来るんだろう。そこに対して欲して欲して、る。
帰ってまた恋愛映画を観る。
2015年8月28日金曜日
do in the world
夢や目標を確認する。
世界中で活躍したい。活動したい。その場所に行ってすることの影響や見え方がどう変わるのか興味があるし、日本以外の場所で僕が行うアクションがそこの場所にとって重要である気がするんだ、長い目で見て。
そして世界を面白くしたい。
今はどんな方法を使ってでも、(口では言うがびびって他の方法をとれていないんだとも思う。だから今は手はこつこつと、頭はビッグに。)世界を面白くしたい。
そしてこの世界に置いて、この世界に属さない場所はどこにもないから、そこを面白くすることは世界を面白くすることだ。問題は、自分がそれをしているんだというイメージと、そのイメージが横に広がるようなイメージをもっとするようにいること、かな?
多くの映画を見て、それは僕にとって窓のようで、そうして世界を想像する事が出来、その想像は僕に欲望を与える。
若気の至りかもしれないけど、僕はもっともっと欲しがっている。
I know that,そんなことは知ってるんだけどこの若さに身を任せようと思う。こっちに僕は人生を賭けて、今走っている最中だ。
もっとスピードが出せるし、もっとここぞという時が来るだろう、今は地味に疲れているけど、これは最低ラインでしかない。
ということを毎日everyday、寝ても覚めても、抱えて生きている最近は。
いつでもどこからでも革命を起こしたいってずっと思っているんだ。
変わっているだろうか?何がそうさせるんだろうか?
このことは信じてやまない、っすよ。
HUMAN/human aokid×橋本匠によるダンスピース
恐竜
恐竜のようにして、大きな一歩、一歩出して、大きく叫んでごつごつ歩き回ったりして。
そういえば、まだジュラシックパークまだ見てなくて。
今日は久しぶりにアイデンアンドティティを取り出して、これを高校生の時に見たの大きかったな。高校3年生とかだっけかな。
それでグミチョコレートパインとか、パンクとかさわりだけ聞いたりさ。その頃からブレイクダンスをこよなく愛していた少年がなんだか変わって行ったんだよな。
あの頃の青春映画はもしかしたら愛がもっとあったのかな、って今観ると思ったりしてさ。
今は高校生とかの映画でヒーローは描かないのかな、って考えたり。
夜、家でギターのスコアひろげて、ミスチルでさ。esとかeverythingとかこれって彼らが25歳の時とかに歌っていたんだよな。esの歌詞とか読んでて、テンションの高さを伺えるよ。何が起きても変じゃないそんな時代さ覚悟は出来てる、って。
tilmansの個展、、大阪かぁ、10月までならねじ込めたのになぁ。
やっぱ最近はスターに刺激を受けてるよ、スティーブジョブズとかtilmansとかグレングールドとか、イチローとかね。
また再び。
秋っぽいね、ちょっとなんか文化祭のほらさみしさみたいな風が、吹いているね。
あの人は元気にしてるかな? 年をとって忘れたくないうつくしい景色の記憶を覚えていたりするの良いよね、でもそれは記憶であるからうつくしいのかもしれなくて、目の前に現れたらうまく対応できなかったりしてさ。変に複雑に生きてるみたいだなぁとか思ったりして。、、、ともかく未来でそのことをどう思うのかはわからないし、それさえも今の僕にかかっているのかもしれないけど、なんか新しい景色に出会っていきたい気持ちはつまってるんだぜ。
2015年8月26日水曜日
マイフレンドフォーエバー
今日は最寄り駅の近くで人身事故があって二時間半くらい止まっていた。駅に行くと動かないということで、いったんスタバにでも戻ってさっき買った本を少し読みつつパソコンを広げ、気になったことをノートしたりして過ごす。同じようにして足止めをくらったであろう人が何人もいるような気がした。しかも今日は雨が降ったから、なんだか余計に足止めくらって少し予定を変更せざるをえない人が多かったんじゃないだろうか、そんな人たちを見るのもなにかわるくない雰囲気がある、むしろどこかで歓迎するような、いつもよりちょっと美しさすら感じるようなところさえ。
時間をかけて、九時をまわって代田橋の方へついた。次回に舞台の制作合宿が行われているのに少し顔を出しに行って来た。
11月の後半に行う、篠田さんによる新作に出演する。
夜に、フォーエバーフレンドを観る。この映画は20年くらい前の映画で、小学生くらいの男の子2人の友情を描く。一方の子がエイズにかかっていて、そんな隣人と仲良くなる話。
子供時代を通過して大人にどうしてもなってしまう。失ってしまった世界をどうしても見せられてしまうと。直面せざるをえないことで、再び昔の子供だった自分を思い出す。 その時にあれも自分であることに気付く。今となっては他人のようなのに。ただ失って来てしまったんだということが襲う。そして今になって、改めてその時間、その子供だった時こそ本当にかけがえのないものだったと気付くんだ。もう遅いし、子供に戻ることは 絶対出来ないのに。
2015年8月25日火曜日
夜は涼しげに
見れば見るほどに面白い部分に気付いていきつつ、より納得がいかないことも増えていくのかもしれない。
そしてこの不満は、現状に対する不満はどこにいても起きるのか?またそれは同質のものではたぶんないとは思うのだがうまく想像まで出来ない。
tilmansの写真集を勢いで買ってしまった。
来年の個展について考える際、多いにtilmansの中にもヒントがあるんじゃないかという気はしている。
いずれにせよ、tilmansの凄さは打率の高さにあると思う。イチローが何年も連続で首位打者をとったかのようにヒットだらけの作品集や展示なのだろうと思う。
また、なぜそれが人を励ますかと言えば、その人を追うことでそのフィルターを通し世界を知る機会にもなるからだ。
写真家としてアベレージが高いのはすばらしい。
日本に対する不満はこうで、やっぱり何か一つの社会に小さく小さく向かっていくようなところが息苦しい。
選択肢はそれしかないのだろうか、と思ってしまう。皆なにか余計なことに疲れて、本当に自分の意志で歩き回っての本望での疲れじゃないんじゃないの?それ、っとか思ってしまう。
そうだから、もっと大きく僕は想像して、色んなジャンルを飛び越えて見て、編集をしたい。
もっとお互いを知りやすくなって、その結果、もう少し色んな話さえ共有出来るようになってけたらいいんだけども。
2015年8月24日月曜日
BBQ
今日は急な坂スタジオでBBQをしていて、佐藤さんに連れていってもらった。
ここで、久しぶりに色んな人に再会した。ももちゃんや、ゆきなさん、のがみさんなど。
新しい人にも会って、ちょっと話したりなんかして、楽しかった。夏休み感あった。
エントランスのとこで軽くiPadDJみたいの用意していとうさんがplayしていて、ちょっとそこだけクラブみたいな。w
もちろん雰囲気なんてないので、ただ音楽とお酒で乗ってるみたいな感じ。でもそれも中々いい感じにゆるい。
話も前よりも出来たから、今後にそれがいかされてくるといいな。良いタイミングでいいシチュエーションが出来あがった今日。
2015年8月22日土曜日
夜8月
随分遅い時間になってしまった。起きたらWSだというのに。
でも。
今日は新宿で練習をした。この辺では有名なまだ中学生のb-boy。彼はなんと、僕が大学4年生の時に展示を相原でした際に、オープニングパフォーマンスとかで少しダンスを踊ったりしながらパフォーマンスを見せ、それに見に来ていた子だったのだ。
今では皆も注目するようなb-boyになったけど、そんなきっかけがブレイクダンスをドロップアウトした僕が展示会場で見せたちょっとしたダンスだったんだ。彼が熱心になっていく中、僕はシーンでは活動もしていなかったから少し申し訳ないような気持ちもあった。けど、彼はたくましくもちろん僕なんかおかまいなしにすばらしいダンスをしている。
そんな彼と、パパと、その弟の車に乗っけてもらって帰って来た。
車の中で僕の経歴なんかの話になって、ウォーターボーイズの話になった。パパはとても興味を示してくれて僕は話した。
あんまり最近はそういうことなかったから自分でもその時の感触を確かめるように思い出しながら話していた。
パパは話でもとても興奮してくれて、僕は話しながら思い出を追いかけていた。
家の近くまで来たので映画WATER BOYSのDVDに僕らが高校の文化祭にかけた夏を収録したDVDを貸して見てもらうことになった。
思いがけず10年前の8月を僕は追想する機会を得たわけだ。
それだけで十分すばらしいじゃないかって思う夜だったんだ。
実はこれ以外にも伏線があって、とにかく何かもっと感化されて今を楽しんでもらえたらいいんだけどな、って思っている。
そのときの感動を大切にしてほしい、その感動したその時の自分って凄いと思うのだ。これは絶対必要だ、とかそういう熱い時間が感動したときに出現する素敵な自分、はチャンスで。そいつがもしかしたら導いてくれるかもしれないんだ。
だめだ、、おやすみなさい、、
2015年8月20日木曜日
なんちゃう
夜、雨が降ってることが多いこの夏。
こっそりと誰にも知られないようにまるで降ってるみたい。
寝るときに少し雨戸にして外の音が入ってくる、車が雨をはじく音、これ夏に聞くとまた感じ違うのね。
夏っていってはりきるのだけど、今年も海にも花火にも行かなさそうだ。
達成してることもあれば達成出来なかったこともある。
こないだグッドマンでのひかりくんとのライブも夏休み感あったと言われた。そんなに狙いたいわけじゃないけど。
来年もし同じように何度か夏に発表する機会があるなら、もっとしっかりしたものを届けられるよう一年を過ごしたいな。
明日はstスポットに高橋和誠くんのダンスを初めて観に行く予定。あさっては都会へ、アートを見る。次の日は橋本君とのwsで、夜はソウルピクニックだ。楽しみ。 その他のもろもろ締め切りもある。
あ〜ぁもっとクリエイティブに今を編集し、青春しなきゃなぁ。
何かあるとすれば、それは何かをしている中にしかない、だれかたちと一緒に感動出来るとすればそれは何かに取り組んでる瞬間にしかないかもしれない。
みたいなフレーズが頭にどこかからやってくるのです。
あぁ花火ほんとうは行きたかったなぁ。
高校生の頃から行ってないかもしれない。
人生を僕は損しているんじゃないか、と思ってしまう。
映画を観るたびに、優先すべきことは人生じゃないか、と気付かされるのに、中々ほんとうにうまくいかないよ、そうは。
それを達成するためにあらゆるすべてがあったかもしれないのに、と。
でもやっぱりたぶん、まだ十分じゃなかったんだ。
いつも足りてないんだよなぁ。
本当に人生はいつも欠いていて、足りていないよなぁ。あぁ。
なんちゃって、
2015年8月19日水曜日
818
はくしょん、なんちゃって。
個展についても考えている。
個展を来年の一月に行う。で、考える内容。
個展ってのはいいですね、個展にも色々ある。展示自体を体験、展示してみせる方法や、作品、ピースを売ることを目的とした展示。
今は前者でいきたいと思っている。
今、考えていることがどこまで進ませられるかな。
考えも、進むのと同じで、たくさんのドアを押し上げていかなければその考えにたどり着けないことに気付く。
スケッチブックに描く絵を、展示として再生?再演?再現?させるには、そうすればいいかなぁと考える。
もしかしたらそれはやっぱりまだかもしれない。でもこれは並走させる必要はきっとあるんだ、だから描き続ける、でこれが伏線というか、もう一方のバランスのために役に立ってくるだろう。
今日もダンスの方は悪くなかったが、大量に汗が出過ぎたため帰宅。もう少ししたかったな。
BASQUIAの絵もチェックしなきゃ。
2015年8月18日火曜日
今日は雨だったけど悪くないな、
今日は昨日より身体が動いた。昨日はおとといの本番で使った疲れが残って身体がばきばきしていたのだけど、今日は外が涼しいというのもあってか、多少なりとも動いた。
帰ってから、メンインブラック3を観ながらご飯を食べる。このシリーズはやっと今年になって見始めた。
こういうことになっていたのね、とふむふむ思いながら観ている。
その後、少しギターさわって、少し画用紙に絵を描く。
もうちょっとこれに時間をかけたいな。
フィジカルに時間がほしいな。それぞれのやってることにプラス30分ずつでも配分出来たらなぁとか。
学生の頃からしっかりと出来ていればよかった。あるいはフリーターになてすぐにでもそうなれればよかった。
しかし、隙間が多くあるときに限って想像力や危機感は生まれないもので、隙間を埋めてみるとやっとそこで想像力や危機感が働くことを実感。この年にして。遅いっ。
来年このペースでやっていれることだってあやしいよな。なんとかしたい。
2015年8月17日月曜日
幸せはなぜアルバイトで貯めたお金のように
中々うまくいかないものもあるなぁ。やれやれ、と。
森山直太朗のレスターって曲があって、その歌詞の中で夕方4時また寝過ごしてしまったよう、というのがあって。
これを聴くと大学生の頃を思い出す、朝までTSUTAYAでバイトして始発で帰るか、深夜練して朝帰って、お昼に起きて学校行くつもりが大体16時とかに起きてしまうという。これが冬だったりすると、もうあたりは暗くなっていて、なんか取り残されたようなポツーントした感じがあった。 そこからでも、焦って一日を取り戻そうと学校の方に向かうのも好きだったかも。結局図書室か、スタバかの後に橋本で練習して、みたいな生活。
生きるのも、面白いよ、こっちが良くてもあっちの方は全然だめだったりってバランスで進んでいてさ。
まるっきりダメなこともある。
ため息しか出ないけど、まぁなんとかなる、よ、と。
2015年8月14日金曜日
牛
失うものなんて何もないじゃないか。
高校生の頃に観て影響をもろに受けた、青春3部作を最近連日見返してる。
WATER BOYS、69、アイデンアンドティティ。これにPingPongも追加しようかな?
世界の中心で愛を叫ぶ、って映画も僕は結構好きかも。もしかして今見たら突っ込みどころ満載なのかわからないけど。
森山未來が、助けてください!って叫ぶシーン、とお祭りの中、1人泣き出してしまうシーンは、鮮明に覚えている。
土曜はライブハウスで坂下ひかりくんとライブやる。パフォーマンスで、音楽未然。
ダンス、、じゃないけど、踊りもする。こないだの練習では、ひかりくんが本当に色々やらせてくれて世界をシートをひいてくれたから、そこを歩けた。そこで出来た。
本番はどうかな? ちょっと怖い。失敗しちゃうかも。でも確かに、新しく、出会ってしまった。
またやりたいことに一歩近付いた。段々近付いてる、27歳にして。でも、まだもっと、理想の星は遠のいてく、だってまたさらに夢を見る予定だから。見いだしてく予定だから。
にしても、親孝行したいな。
本当になんか僕ばっかり肥えてしまってるみたいで。
ごめんよ。
いい年してきた。
今、走ってて、ちょっと手の届きそうな目と鼻の先に光があって、つかもうと走りながら手を伸ばしてるみたいにして、それが瀬戸際な感じもする。これを逃してしまったら永遠に逃してしまうのか、とか考えちゃう。
永遠、とか考える年になってきた。つまり、失う、ってことに関して。永遠に損なってしまう、ということがやっと少しぼんやりとだけど想像出来るようになってきたのかも。 人によってはそんなことはとっくにわかってる人もいるだろうし、まだやっぱりわからない人もいるだろうし、気付かないイメージできないままでいくっていう可能性もあるだろう。
でも、もしかしたら、永遠さえも振り切れる可能性だってあるんじゃないかな、
だから失うものなんて何もないじゃないか、(自分をだましきることだって出来るよいざとなれば。ふとした瞬間、涙が溢れてしまうかもしれないけど。それでも。かまわないって。さ。いう風に。)
2015年8月13日木曜日
ロランス
クサヴィエドランの私はロランスを観た。
最後の方までこれはマイノリティーの直面する可能性のある厳しい現実の話かと思って見ていたんだ。
そしたら。
これはまぎれもないすごい恋についての話だったんだね。
その瞬間にさらにぐっと物語に打たれる感じがあった。
”生きる”こと。
がすごいことだってこと、で。
誰かと出会ってしまったら、ほんとうにお互いをぶつけ合える、ことが出来る人間、の可能性を持って、
ぼくたちは生きてしまっている。
それは過去になってしまう、きっと。
過去を持ってしまうことは、でも、絶対に美しくて愛おしいことじゃないか。
誰と共有することがなくても。それを持って生きている、ということは。
2015年8月5日水曜日
アフター公演
n.n.n.afterが終わった。そこで橋本匠くんとの共作を発表した。
最初の2日間はボロボロだった。こうすればこうなると思っていた。しかし劇場はそういう風には行かないことに色んな人に指摘を受け、取り組んだら変わった。ほんとに変わった、、っぽいかも。
後半は評判良くなった。
いい作品が出来たと思う。橋本くんとのおかげで、舞台にこういった作品をあげることが出来た。舞台シーンは息苦しいと思っていた。みんなそれぞれやってるのだろうけど、明らかに視点が似通っていて、息苦しいと思った。これは舞台だけでない、あらゆるところで。だから僕は何か一つのシーンにつかってるとそれこそ息苦しいし、そういう集中力が好きじゃないから色んなシーンに飛び込むことで、違うじゃない、って自分に信号を送ってるのかも。だからおんなじ目で見てるのかもしれない。
今年を少し振り返る。
二月にBANANAという人の振付け作品に出る。経験を積もうと。
ミキハウスや吉原、ネパールのイベントなどを通して、ライブ、パフォーマンスを繰り広げる。
こういうのって、あんまり外からのアートとして評価の位置づけが難しいよな。自分では結構クリアしてると思っても、それがダンスシーンとかに還元されればいいのに、って思ったりもする。
日本の悪口を一言。
日本だと、これがダンス!って思ってる思い込みの強いダンサーやこれが絵!って思い込みの強い絵描きが多い。
外から見てそれがそれたり得るのって鮮やかにそれが浮かび上がったときだと思うんだ。だからそこに至るまでだったり、周辺のことが大事なのにって思っている。 それは自分の創作の問題にもいつもなってるのであるのかもしれない。
話がとんだ。
なんとかして、こうして橋本くんと考えとかを反映させたような作品を作ることができたのは小さいが一歩で。
で、今日こうしてバイト昼過ぎにあがって、ニパフを観に行く、あと土曜は蓮沼さんの企画。(こういうのも僕のカラダをもちろん作っていく)
そしてこれからの生活をどうしようとか思いながら作品を作ったりし始める。
たぶん、僕はほんとにアーティストになりたい!ってわけじゃない。
全部を生きたいし、何よりこの今の状態の社会が完成だと思っていない。
その社会の中で出来るアイディアをひとつづつ試したいんだ。
その過程で作品を作るとかアーティストになる、ってことが必要だと思う。
そして時に踊るって行為は、それはもう魔法みたいな奇跡的なアプローチであるのを知ってるから、だから踊るんだよ。
現実的なアクションの繰り返しと奇跡もまた必要なんですよ、世界に。
そうこれが僕にとっての世界です。
2015年8月1日土曜日
2015年7月30日木曜日
N.N.N.after
舞台、初日でした。
この一週間は劇場通いで、公演と稽古にあたります。
中々尊い時間ですね、なんとか毎日をいいものにしたい。それは毎日、思わない日はない。
その獲得のための毎日の戦いでもあって、戦わなかった日をちゃんと後悔もしたりしながら今があります。
後悔っていうポジションも必要なのかもしんない。味わってない感情があればうらやましがってもいいのかな、と思ったりします。
明日も作品を世の中に発表します、ぜひ観てください!
http://stspot.jp/schedule/nnnafetr.html
□公演日時
7/29(水)20:00
7/30(木)20:00
7/31(金)20:00
8/1(土)14:00 19:00
8/2(日)14:00
*受付は開演30分前、開場は開演20分前から開始します。
*学生の方は、当日受付にて学籍・年齢を確認できる証明書をご提示ください。
*公演時間は休憩を入れて約90分となります。
*上演順はaokid×橋本、kopicとなります。
□チケット料金
前売一般2,300円/前売学生1,800円/当日2,500円
□ご予約・お問い合わせ:STスポット
TEL 045-325-0411
MAIL tickets@stspot.jp
WEB http://stspot.jp/ticket/nnna/
□スタッフ
舞台監督:熊木進
照明:しもだめぐみ
音響:櫻内憧海
撮影:金子愛帆
宣伝美術:高田真希
主催:STスポット
助成:芸術文化振興基金 神奈川県
後援 横浜アーツフェスティバル実行委員会
2015年7月16日木曜日
デモ
デモに参加して来た。シュプレヒコールや演説にも違和感がある、もっと掘り下げたところから個人のスタンスから話せないのかな、とか学生はどこかのコピペを持って来たような文章を話す。しょうがないか、そんな学生で面白いことを言えるなんてよっぽどの人生を過ごして来てないかぎり言えないだろう。今の時代。 というのは、世の中色んなことを教えてくれていなかった時代であるとも感じているから。これからはわからないよ、だからあえて過去形にして書く。
にしても反応があるのは美術系の友人ばかりだなぁ。
僕も含めて世の中がいかに工場のようにしてベルトコンベアの上を進むしかない缶詰のようにして動くかわかるようだ。
僕らの個性なんて途中で貼られたラベルの色に過ぎないみたいなイメージが浮かんでしまう。。。
それでも僕はこの工場のコンベアの上で気付いた。気付いてしまったんだ!
2015年7月12日日曜日
勝負
実際の現実の敵は、物語に出てくる物理的なモンスターなんかよりもよっぽど曖昧で把握出来ないのにじわじわとおそってきて疲れさせて死においやるみたいにして存在している。このクソみたいなモンスターを倒そうとしなきゃ、もちろんよりよい未来は訪れない。
ずっとこいつを倒したくて倒したくてしょうがない。 身の回りの人が日々のストレスを話してくる、そんなの抱えきれないよって思う。心配で憂鬱になる。もっといいこと絶対数をあげたいよ。 なぜ世の中はそういうことは放置したままで、くそみたいな広告と会社がはびこる社会を許してるのだろう? こんな状況になってるということはもちろん僕にも責任がある。負けてるんだ。いつも勝者と敗者がほんとうはいる。日本ではあたかもそんなことってないかのように言われたり、あるいはリア充だとかいう言葉を使うレベルまで引き下げないと勝負自体が見えてこない、みたいなほんとうに内輪、内輪のくそレベルの話でやっとしてる具合だ、、、ファッーック!
明日がある、勝つために明日がやってくる!いやだーこんなの!
2015年7月8日水曜日
夜行
東京に帰って来た。
広島から京都で、3日間。
それでもやっぱり今回は何も向こうでランニングもダンスも出来なかったのでカラダが良くないことになってると感じる。
なんとかこういうの今後どうしていこうかな。
海外にずっと行っていた友達に久しぶりに会って一日中ぶらぶらした。目当ての神社に中々辿りつけず、温泉にたどり着いてしまったので露天風呂にまで入った。これってなんて休暇なんだろう、って思った。
色んなことを話して、新しく京都に出来たユースホステルについてるカフェでお別れをした。右と左に。映画的に見たらすばらしい最後の構図のシーンだったと思う。そんな事言うべきじゃなかったかな。w
今回、思ったのは昔ほどこういった土地に来たときの新鮮感が薄れていること。
それでも、バス停に向かっていよいよここにいる時間を失い、東京が近付いてくると、やはりこの滞在や京都をいとおしく思って後ろ髪ひかれるような思いで、なんか胸いっぱいでバスに乗り込む。
夜はまっくらで、カーテンをしめたバスはまた暗いから、二重の闇に覆われてる感じして。
2015年7月6日月曜日
広島
友達の結婚式で広島に来ている。初めての広島。
東京と同じようにして宮島を歩いた。なんとなく歩き始め、山の方へ行く。
緑の中に身を浸そうと奥へ入っていく、どこかで引き返すポイントを決めないと帰り道がわからなくなりそうだった。
だけど、歩みを進めてしまいたくてどんどん中へ。なんとか民家が立ち並ぶ場所へ出る。
この感じは久しぶりだ、自分と目の前を進んでいくことへの目的しかない。
一回りしてなんとか戻れるということだった。
途中、鹿の群れが片手に食べ切った後のプリッツの箱めがけて迫って来たときはかなり焦った。二十頭くらいいた。
結局空とわかって、途中で気持ちがおれてるようだったけど。
ずいぶんとこっちでぶらぶらとするが、東京のプレッシャーもついてきているし、それと感覚として何年か前と街を見る自分のまなざしさえ違ってると感じる。
このプレッシャーからは逃れることができないみたいだ。
今日は京都にいる。
帰って来た友達の話を色々聞く予定。
2015年6月29日月曜日
2015年6月17日水曜日
未来にしたいこと
passion pitの新しいアルバムを聴いていてにやにやが止まらない。
それで絵を描いている。
パーティーがしたいなぁ。作品の幅を越えて世界を面白くしたいな。
地道な活動や運動を後ろにかくして、ぱっとマジシャンのように目の前に広げるマジックみたいに。
いやそれは理想としても、僕はそこまで出来た人間ではとてもとてもないのだけど。
(うわぁあいかわらずメロいなぁ。passion pit。甘い、甘すぎる。)
7月末の公演に向けてパフォーマーに橋本匠くんと作品作っています。今は、楽しいです、面白いです。
彼とのやりとり、イメージの交換が、世界が増えてくようで。
彼のパフォーマンスを知ってる人はわかると思うけど、彼は自分で体験した、知った世界を編集しながらアウトプットするようなパフォーマンスで即興でやっていく、ので編集が未完成かもしれないまま危険にすすんでいくんだけど、これが面白いし、世界をどう生きていくかを示してもいると思ってて、いいなって思ってるんです。
そういうスタンスの人と作っています。
来年の一月に向けての準備もそろそろ始まるかもしんないです。
本当はNY行きたいのとaokid cityを今年中に組み込みたいなぁ。
ちょくちょく点ではいよいよ、色々公式な感じで発表が出来つつあるんですが、といってもコンペに勝って権利を得た、から自主企画でも依頼でもないので、やっぱり挑戦する側です、まだまだ。
昨日、talking headsのライブ映像を爆音でwww.で観て、もっともっと色々やりたいなって思った。
最近、パフォーマンスでもギターを使って即興で歌を歌うのをやってて手応えもあって、これはもっと進化させて、ライブにもしていきたい、さらにそこにダンス的アプローチを加え、建築みたいな舞台装置を作ったりしてライブしたいなとか。それだけじゃなく、写真とか絵とかを本とかにしたり、展示で展開したりして、もっと色んな考察を試みたい。
"play"とかやっぱりテーマで、それももっと知らない人に出会っていきたいな。
子供の頃みたいに、未知な人に知り合う方法としてもplayしたいきたいな。
生まれて来たのは遊ぶだめかもしんないよ、だってこんなに楽しいことがあるんだぜ、もちろん大変で苦しいこともあるけど、楽しい方のこれ、この気持ち、この顔、この身体、なんとかして次に横につなげたくないかい?と思うことにしたりしてさ、
2015年6月10日水曜日
MeconopsisCharityLive+Performance for Nepal@渋谷RubuRoom
MeconopsisCharityLive+PerformanceForNepalというイベントに参加して来ました。
6月5日、金曜日の渋谷RUBYROOMにて。
濱田明季ちゃんが企画をした。
とっても僕にとって誇りを持てるイベントとなったので、ここに書いておこうと思います。
濱田さんが少ししゃべったあとに、物や道具を使ったパフォーマンスを行って、次によだまりえさんが何曲か歌を電子ピアノの伴奏で歌い、その後が僕でしゃべったり踊ったり即興のギターをひきそこに歌をのせたりしました。その後、BOMBORIの坂下ひかりくんと和太鼓人間鼓次郎さんによる打楽器のライブ、そしてMADEGGくんのプレイという流れの3時間ちょっとのイベントでした。転換にも十分な時間と、ネパール音楽やインドの曲なんかがかかってるような空間でした。物販では遠藤明佳里さんのデザインした優しい凛とした顔の女の子が描かれたTシャツが置かれ、田中彰さんによる樹皮のような和紙のような素材にあてられた版画たちが展示されていました。
全体的な構成のバランスが良かったと思います。ありそうでなかったディレクション、いや、実は難しいディレクションなのかもしれない。それぞれがぞれぞれの取り組むジャンル内での発表はあっても中々こうも違うアウトプットのものを並べるという企画をあまり見かけない。そして、そのみんなの気分もこれからという若い人を集めたのが良かったなと思います。でも、観てて誰か欠けちゃうと一気にバランスを失うような全体のバランスを感じてもいました、ぎりぎりのところをなんとか乗り切るようなライブだったとも感じました。
今後それぞれの活動が楽しみであり、こういった意義のあるイベントにまた出会えることが出来ればすばらしいなと思います。ビッグリスペクトを濱田さん、出演者に、共有したお客さんに送りたいです。
最後につけたすような形になってしまいましたが、ネパール地震の被害はまだ地域の方で続いてることと思います。
日本でもまだ影響はずっと続いていますね。本当に僕は無知で全然現状を把握できていないです、もう少しはそのことに目を向けねばならないよ、と自分にもう少し言い聞かせなければいけないです。
終わってみれば一緒に何か山に登ったような気分が自然に出来ていました。
そういう力がいつの間にか合わさって、何かを動かしていけるんだって気がします。
2015年6月5日金曜日
明日は、
明日はパフォーマンスを渋谷のRUBY ROOMで行います。
今日は、KILL YOUR DARLINGというビート詩人たちの実話をもとにした映画を観た。
On the roadとか、ランボーとかが段々とだんだんと僕のもとにやってきてる。
いい感じだ。 明日のパフォーマンス、どうなるかな?でもやっとここに来て、なんていうか地図を広げるように僕の中でパフォーマンスへの期待とかイメージがやっとつかめたり、わからない部分も含めて面白く楽しくなってきてる。
なんでもありなんだ、ってことが念頭にあって、そういうとこから始められたり、お前の正体が気になって仕方ないよ。
どうしてくれるのさ?先が知りたいな、って感じで明日が、明日が、明日が続いていく。
いや、はじまっちゃこわいし、何も出来ないかもしれないんだけど。その緊張はでも、なんかもしかしたら友達が出来ないかもしれないって緊張にも似てる。でも今の僕にはあまりにも保険が出来すぎたようにも見えるけど。
さぁ、いずれにせよ。
2015年6月2日火曜日
kayo
going steadyの佳代っていう曲があって、これを聴いては高校生になって別れてしまった一つ年下の子のことをよく浮かべていたことを思い出した。
その子が僕がまだ中学三年生で相手が中学二年生だった時に彼らgoing steadyのさくらの唄っていうアルバムを貸してくれたのだった。
僕はずっと高校生の頃にバンドに憧れては友達のライブを観に行っていた。帰りに電車の窓にそうようにしてMDでよく聴いていたなぁ。あの時の、夜は美しくて、想像しても広がっていて本当に銀河鉄道の夜みたいな美しさを描き、持っていたと思う。友達の鳴らすエレキギターの旋律がそういうイメージたちに近付いてるように思えて、僕は自分の居場所がいつもそこからは遠いような気がしていて、どんよりした気持ちや葛藤があったのを覚えている。
あの頃のあの風景は美しくて、愛おしいなぁ。曲を聴いてそんなことをまた思っている。
2015年5月27日水曜日
宇宙みたいなイメージ3
出来ればあと3年くらいのイメージは、なんか宇宙の中にいるみたいなイメージでいきたいし、いたいな。
なんか宇宙の中に浮かんでて、無数の星、みたく光があって、ポイントポイントごとにあって、見れたりアクセス出来たり感じれたり思考出来る場所にいつも身を化身を置いておきたい、そんなイメージ。
それから宇宙はずっと膨張していることを、今、思い出した。
2015年5月18日月曜日
2015年5月10日日曜日
2015年4月30日木曜日
吉原芸術大サービス〜GWゲイジュツワッショイ〜
今年も吉原芸術大サービスに参加します。今年は5月の4、5、6日。の三日間。
昨年は4月だったのです。少しはあったかい季節だ。 この芸術祭は江戸時代、遊郭として栄えていた吉原で、すたれつつあった様子の弁財天を当時学生だった彼らが絵を描いたりしながら地元の人たちと一緒にもう一回再生していくところから始まって、僕はそれに混ぜてもらうような形で参加しています。
そっか、今書いていてそういうことに気付いたので、改めてそのへんの視点もなんかうまく自分なりに合点するとこへ持っていけないかな?そしたらアイディアが結果として生まれそう。
ともかく、そんな感じで今年もやります。 昨年とてもいいイベントだったので今年はどうなるかな?
僕はダンスと絵を展開します。ってかなりアバウトですね。
期間も長く人も流動的で常に流れたり滞ったりすると思うので、その中でちょくちょく仕掛けていけるようなスタンスをとっていきたいと思ってます。 立てかけれるくらいの厚さある絵を色んなところに展開しつつ、紙に絵をあてて、それを来た人の体に貼っていこうかな?それとあとパフォーマンスはもうちょっと考える。
タイムスケジュールは、4日は13時からの開会式in弁財天でちょこっと。5日夕方16時より公園で。6日17時半より公園で。
やります。HPで詳細はチェックできますよ!
ダンスに関して、最近よく思うのは、まだなんも始まってもいなくて、始める準備にもまだとりかかれないでどんどん時間が進行していってて、いつ果たしてもっとダンスとの距離を近づけて考え思うことが出来るだろう。ってこと。Out of my control過ぎるよ今んとこ。
2015年4月27日月曜日
六本木アートナイト
バイト後に無償に映画館で映画見たくて、ウディアレンの新作見ようかと思ったら時間がうまく合わず、では武の新作見ようと見て来た。ついつい武に期待して映画を観に行くんだけど、彼が90年代に撮っていたような鋭い切れ味の映画はもう見ることが出来ないのかもしれない。それでも日本映画業界はひどい作品ばかりだから、武がここからいなくなってしまったらより悪い状況になるかもしれないよな、とも思うのです。 武がもうあぁいったナイフのような映画をとれないということと、イチローがかつてのようにはもう活躍していないというのは、どこか似ていて悲しく見ててつらいものがある。それでも彼らは、多くの人の理解を越えたところで続けていた活動の人生を生きるしか選択肢はないのかもしれない。
六本木アートナイトに今年も行って来た。いい夜にしたくて、でも不安もあって行ったのだけど、今年もスペシャルで素敵で、映画みたいだった。 そうか。僕はその日が映画みたいになったらいいなとついつい考えているのかもしれない。その人ごとの”一日”に興味があるのか?わからないけど。まだ。
2015年4月18日土曜日
12回グラフィック展を終えた
1_wallグラフィック展を終了した。グランプリをとった展示期間というのはなんかいつもと違う"感じ"がした。ちょっとさみしい感じ。
もう出せないのか、とか月日を感じる。三年半も出していたわけだしね。それでもひとつぼ展の資料をたどればもっと8年越しくらいでとってる人とかいてさ、1人でギャラリーにいる際に読み込んでたら色んな過去のことが書かれてて面白くて時代の流れがわかって、もっとコミットしていいんだなって思ったよ。
公開審査会の二次会は朝まで続いて皆で朝になって普段は通らない銀座の地下通路を歩いていったんだけど、びっくりするほど長い地下駐車場が展開されていて、銀座にまたやられていたんだ。大人のかっこよさというか懐の深さというか歴史というか政治性含めというか。
それで、こうして搬出を終えて来年個展だ。ギャラリーきゃべつ畑以来の。なんかこんなことを言うなんて信じられないんだけど、1人でやるのさみしいなぁっていう感情。明日にはすぐ消えるかもしれないし、まったく展示の本質とズレてるかもしんないけど、ちょっと、そんな想いが現れたことにびっくり。たぶんノスタルジーの続きが変な具合に出てきちゃったんだと思い、置いておく。
そういえば1_walvに出す前は、写真と文章と絵とあとは体のパフォーマンスの全部で一つ感覚だったのだけど、このコンペに取り組むに当たってだんだん集中力を絵のみで構成されたファイル、ポートフォリオを作るぞという感じで取り組んで進んで来た。
今、改めて他のことにもまたというよりまさに改めて見ていかなければ、これからの"コスモ"についてのバランスをとっていく、ことをしていかねばという感。
2015年4月3日金曜日
グランプリとった!
グランプリとりました!1_wallグラフィック!うあー!
思えば最初に出したのは3年半前で、ちょうど届けてかいぶつくんとかNewKIdsTheatreをやっていた時だ。
初めは紙芝居の作品を出したりしていて。
なんかプレゼンしている時にちょっと泣きそうになる時があった。w
話していると最近そういう瞬間訪れる。自分ひとりの時に頭の中で強く発している言葉だったりするかも。
議論してる最中、だまっている時間色々考えようとメモをとったり、聞きつつ考えたり。
しっくりくる言葉が浮かんで書いたのは、「がんばって、泣く、がんばって、泣く」だった。
誠実にがんばっては報われなくて泣く、それでもがんばって、また泣く誰かの姿を思い出した。
僕は全然その姿勢には程遠いけど映画のように美しいと思う。
アフターパーティーをスタッフやアーティスト達としていると途中LEEくんが入って来て、僕はずっと携帯見てなかったから気付かなくて、びっくりして驚いてうれしくて、LEE君がまたほんとに自分のことのように喜ぶ顔をしてきたんだ。菊池敦己さんもやって来てくれて。うれしくてうれしくて。
楽しくて皆で朝まで飲んで話して、または講評の続きがあったりして。
幸福な夜を明かしました。
今までたくさんの競技に参加して来て、でも1人でしっかりとこういう賞をもらったことがなかったからついにという感じもあって。
こんな気持ち中々ないので書いてみた。
いい朝だったなぁ。青春。
それからSNSなんかでも周りの人の反響がこんなにあったことないから驚いて。嬉しくて。
だって自分はほんとにいつも勝手で、勝手で色んな人を傷つけていると思う。極端で、配慮がなく、雑で、言いたいことを言って。でも言いたいこと言わなきゃとも思っていて。
あークソで申し訳ないけど、がんばって恩返ししたいな。
親にも出来ていない、もう年だと言うのにお金も稼げてなくてどこかへ旅行させてあげたりだとか出来ていないし、未だにたくさん働かせてしまって。
がんばって、面白くしていきたいです。
今ある状況を変えていきたいです。
いけ!少しづつでもずっと、
2015年3月26日木曜日
はじまりのうた
今日はホリデーで、友達と待ち合わせぶらぶらするところから始まった。天気が良く、このオフ感はほんとに久しぶりの休日って感じで悪くないって感じで。
寒かったけど太陽は照っていたよ。
映画を観た、二回目のはじまりのうた、映画館の中でもやっぱりグッと来続けていて、あぁこの素敵な空気感たまんないって感じで、憧れの空気感に包まれた。あー。
それを観た後に会話なんかがその勢いも借りて少しづつ変化していくのがわかった一日のライブ感。
人生は生ものでこんな風に映画やなにかの力も人と人の関係や、勢いの力が加わっていく、感じると人と人だけでなく色んな要素が存在しかろうじて宇宙出来上がってる感、、、というのは脱線し過ぎというものか。
ともかく素敵な映画で胸がいっぱいで、もちろん音楽の印象の支配も大きかったけど、さ!
2015年3月23日月曜日
展示が始まった。
今日から銀座のリクルートが運営しているギャラリー”ガーディアンガーデン”にて、第12回1_WALLグラフィック展が始まった。3回目の挑戦。いっそのことあともう3回入選すればそれで僕の作品だけで6つ分の壁を埋めれるなぁとか冗談みたいなこと考えたり。
とにもかくにも展示が始まりました。日曜日をのぞく日の11時から19時まで入場無料でやっています。
『KREUZBERG』というタイトルをつけました。
2月で、20歳の頃にBerlinに行ったことを思い出しました。
BlocPartyのweekend in the cityというアルバムの中のkreuzbergという曲が美しくて、色んな要素が重なって僕は導かれるようにして当時のBerlinへ向かった。
あの2週間僕が出会ったものたちについて、、僕はそこでビールを好きになり、憧れのダンサーのホームパーティーにお邪魔し、ユースホステルで出会った仲間と小さな映画を撮り、ベルリンの壁でラストシーンと気持ちよくなることを教わり、クラブで踊り、朝はホステルのカフェで鼻歌をうたう金髪の女の子を眺め、若いパリジェンヌたちとパンクバーへ行き、別れ際にかわいい手紙をもらい、ケバブを食べ、キャスパーデビットフリードリッヒを教わり、そして壁に貼ってある何枚も重なったポスターをお土産に持ち帰った。
20歳の頃、僕は若く世界も若かった。まだまだやれるけど、もう一回そんな希望が頭に浮かんだからそれをタイトルにした。言葉は言葉で宇宙をつくっていく。
絵は絵で宇宙をつくっていき、ダンスもそうやって宇宙を作っていく。
またがんばれば出会えると思ってる。
2015年3月13日金曜日
美術館と寒さ
やれやれいつになったらもう少しあったかくなるんだろう。寒くて体調に関して油断ならない。
でも今日寒い中夜走っていると星がよく見えて、そういえば昨年よりもこの星を見ていないなぁと思ったので、なんとか寒いうちにじゃあもうちょっと星を見ておきたいところ。
今日は戸栗美術館という渋谷Bunkamura裏側を回って少し歩いたところにある陶器専門の美術館に初めて行った。先週は松濤美術館に初めて行った。今日見たのは伊万里焼という江戸時代に日本で初めてオリジナルな陶器ということで作られた陶器を集めた展示で、陶器どれくらい楽しめるか不安だったけどかなり楽しめた。解説を読むと実際に料理なんかで使われていたということで、当時の生活を想像しながら見ていく作業や、描かれた絵の詳細なんかも、いわゆる絵画を見るのとは違う情報が頭に入って来て、よりそれが歴史的に入ってくるのが面白かった。あと器のグラフィックも陶器が立方体であるためにそれぞれの側面にあるのが、関係し合って面白い展開をしていた。個人的にも気になってるその辺のことだったので。
今年は行ったことのない美術館にどんどん行こうと思ってる。
2015年3月6日金曜日
不器用
僕は不器用だろう。小さい頃から何かを人よりもうまくやる、という面は他人に見せてこれなかったと思う。でもめでたい楽観主義者なのか、自分の中であれさっきよりうまい、とかこのポイントのこの感じってうまいやつじゃねぇ?みたいなところを見つけてはひっそりと喜び快感を感じてもいたんだと思う。
なぜこの話をするかと言うと、、、
こないだある人にあって、その人は僕に身体についてのことをもっとやるように勧めていて、それは自分でもわかっててでもやれていない、そして僕は不器用なのに色んなことに浮気に手を染め始めるということに至った。その旨も伝えた。
「でも、あれもこれもやりたいんだ。(一方でこれはやっぱり本当にやりたいと思ってるものは必要を感じたものがほとんどでこれを信じて進めなきゃいけない)」というのがいつも僕にまとわりついている。もしかしたらただの一匹も何も得られないかもしれない、でも僕はやっぱりやってしまう、当分は。いつかダンスか何かだけに辿り着けるのかはわからない、でも辿り着けるんじゃないか?とも考えたり。
でも思い返せばずっとあれもこれもやりたくなったという、それがなかったら今の自分には辿り着けなかったとも思っている。
高校生になって本当はバンドがやりたかったのにダンスを続けていて、高校3年生の時にブレイクダンスのチームがいよいよ本格始動するという時にどうしてもやりたかったウォーターボーイズを学校で行い、チームはその後で一度クビにもなっている。映画か俳優か舞台パフォーマンスを学ぼうかと大学を考える際に、美大である造形大学が頭に浮かんだこと。そこに入学して現代アートなんかに出会ったことなんかも。
だからやっぱりこれからも遠回りするか、よっぽど現実的な会心のパンチがやってこない限りやっぱりこの方法論で僕は進んでいくのかもしんない。
結局なにもつかめないとかいやだなぁ、とか思いながら、でも途中で出会えるものは何物にも変え難いよ。
2015年3月5日木曜日
アメリカン
風邪をひいて寝込んで3日になる。月曜の朝、寝坊して起きてバイト先に行くもどこかお腹が痛くてそれはきっと昨晩のお酒のせいかなと思っていたんだけど、バイト先で少しトイレに駆け込むものの調子が回復するどころか結構きつくてこれはダメだと思ったら、なんとかバイト先で回してくれて帰れることになった。 風邪というより熱かな、風邪は多いけど熱から来る風邪はあんまりなかったから思いがけなかった。にしても今年に入って三回目かも。これはひどい。タイムロス。
三日間そうして寝込んでいる。ベッドの上にこんなにいることは風邪でもひかない限りやってこないし、体の節々が菌によって支配されてうまく動かすことが出来ない、ほんとに寝てるしかなくなる。 あるいは考えるかで、この今生きてる現実を抜けてもう少し知らない世界を生きたいとかそんなこと考えてしまう。
さすがに3日目で少しは回復もあったのでちょっと無理して近くの映画館に映画を見に行く。ポイント溜まっていたのでポイント分で無料で観れた。アメリカンスナイパー。今話題の。隣の席は監督と同じ年くらいだろうかおじいさんに挟まれておじいさんたちからは何か意識的な呼吸をしてるような音が聞こえてきていた。 アメリカンスナイパーを見ながら涙が出てくるんだけど、この涙がどこから来るのかは最後までわからない。たぶんこういった?問題に対して、僕やあるいは他の人にもたぶんかなり複雑に入り組んだところでリンクする部分が反応しているんだろう。僕は日本人だけど、弁明のしようがなくこの社会世界の中に否応なく関係していることを突き付けられるというよりもかなり変化球的に僕の身体にそれが影響して来たんだよな。たぶん。わかんないけど。 一方で羨ましくもあったんだ、それは映画の中のシールズの訓練をする際の厳しさとその訓練の中にも入ってくるアメリカンジョークとかが全てそれらがアメリカを作る要素だ、っていうメッセージのことやあるいはこういった話を映画に還元してしまうアメリカに。
映画館から出て風邪をひいた自分はまっすぐ家に戻っていくのだけど、戦争映画にさえアメリカンドリームを一方で見ずにはいられなかった。それは今に始まったことじゃなくて昔からずっと。
2015年2月27日金曜日
今日、雨、宇多。
今日?今日だって?今日は歌を聴いた。
ハナレグミがカバーしてる宇多田ヒカルさんのflavor of life。この曲は深いですね。
深い椅子に腰をかけている、スピーカーを近くに置き、暗黒の底から音がポロポロと聴こえて届く。
その暗黒の井戸について考えている。そこから話が進んで、浮かぶ情景を思い出している最中。そんな音楽なんですね。
音楽は景色で、聴いてるこっちは必死に過去に戻り手探りで思い出をひっぱり返そうとしていく、昔の誰かに出会うんですね、あれ君そんなんだっけ?
みたいな会話で。そうしてなんだかさみしくなっていくんですね。過去は過去で実はいつも用意されてそこでずっと現在とは違うところで存在しているみたいに。生きることはさみしく切なく美しいことかもしんないとか、日本人だからか思っちゃって。いつの間にか感動してる。花火みたいに美しいのかもしれないね。
HYの366日も聴いた。なんとベタですね。
でもこの曲は中々びっくりするくらいストレートなメロディ。でも、歌詞の内容は中々失ったことについてなんですね。
メロディとこの女性の歌と言葉が、とても生命って感じで生きて活きていきてるんですね。
なんか悲しい曲だけど、からだいっぱいで陽の光を浴びたい、浴びたい、浴びたーい!んだ!って感じな気持ちが生まれるのがわかって、あなたあなたあなたー!って感じの気持ちがやってきて、これこそダンスだって感じになります。
色んなダンスの側面はあるけど、この気持ちこそダンスだって。気持ちが湧き上がってる、想いとかが湧き上がってる今、そうそれこそ私、私ここにいて、人じゃないかもしれない何か大切な存在を強く世界の中に見出したっていうそういう気持ちに出会うことがすばらしくて。
やっぱり出会うことで僕は私はあなたは感動して奮い立って強く想って強く感じて強く欲して強く開けて、これってここにいるんだってことです。
僕が強くここにいれたか、どうかが大事です。離さないぜ。
2015年2月25日水曜日
トライ
とりあえず昨年は後半下半期からともかく人前での発表を多くしようと思っていた。
そうして、なんとか自分で企画したりまたは誰かから声がかかったりで意識的にも動こうと思ったように動くことは出来た。ともかく、若いうちに出来る経験は積んでおきたいし、やりながら考えて、やらなかったことがなるべく少ないように経験を多くしたいと思い、そういう方針でいくことにした。
今年もその方針をとりつつだが、そういうことにもっと危機感をとるべきだったとは思う、もっと早い段階から。それこそ大学4年生くらいの頃から。そうすればもうちょっと状況は違っていたかもしれないとも思う。
どんどん年もとっていくし、体力だって減っていくだろうし、自分の今持ってる方法ではお金にも当分なっていかないかもしれないし。
と考えれば色々問題は山積みだけど、なんとかフィジカルな気持ちでクリアして、トライしていきたい。
2015年2月23日月曜日
2015年2月21日土曜日
ニューシネマパラダイスについて
イタリア人は時々、ほんとにヒューマニズムなすごいもの作っちゃうなぁ。ってニューシネマパラダイスを見て思う。
ルネッサンスだとか、イタリア人そのものの生活感だとか、ピッザだとか、映画だとか。
この映画の最後のシーンで、主人公トトに映写技師アルフレードが残していくいくらかのフィルムを映写するとそこにはかつて教会での上映においてカットされていたたくさんの映画のキスシーンだけで構成された映像が映される。なんてうつくしいシーンだろう、思いがけなくて涙に溢れる。 なんていうか、この構成の仕方がやっぱりラテン系のイタリア人にやられたって感じがするんだ、、いつも彼らは女の子のお尻ばっか付け回しているような感じがするんだけど、彼らはすごく家族愛に育まれてスーパーマザコンで、だからこそそんなシーンを作れてしまうのかもしれない、ほんとうに君たちにはやられた気分だよ、まったくもって、、、、素敵だ。
2015年2月19日木曜日
2015年2月5日木曜日
友人に会う
また風邪をひいてしまった。今年になって二回目かも。
本や文章ってやっぱり素敵だなって思います、今日はそんな本のすばらしさを教えてくれた友人の一人きむきむに久しぶりに会って風邪をひきつつも、迷惑かなと多少気にしつつもあってきました。
彼女は本が好きで、よく学生の頃、外の大きな段差になってるスペースで思い思いの格好をして読んでいました。
話しかけてその日が、なんとなく始まったり。いい思い出です。思い出って視覚的に覚えてることが多いのか、思い出といえば風景が頭に描かれてる気がします。
風が吹いたことなんかも話したりして、でもこの風はやんでしまいそうなこと、、ともかくスプートニクの恋人を読まなければという感じですかね。
僕なりにとっても大事で大事な一年にしたいと思います。
本はやっぱりすばらしくて、ネットで読めるものとは明らかに違うものだと思ってます。
この本が他の文章と違うということにはっと気付かされながら何か作るということもしていければと思います。
2015年1月30日金曜日
子供は抽象的だなぁって
おーい。
抽象的な日記が続きます。
昨年を思い返せば、思いがけない偶然がいくつかあって、いくつもあって、歩いているとそこの角のとこから出て来たものにばったり出くわすということ。それを今年も楽しみにしたい。し、意識的に出来ることも重ねてしっかりととしをとっていきたいです。おもいっきり生きたい。
今度、2月11日に横浜でやるBANANAの出会いもそんな思いがけないところからふっと来た。こないだOnGOingの展示でお世話になったアーティストのみほさんと話してる時も、「3年くらい前に展示を見たんだけど、、、今度一緒にやらないかい?」というキュレーターの声があって展示をしたりとか。w 本当に生きてる間の”時間”は相対性でもって縮んだり伸びたりするんだなぁってそういうの聞いた時に待つ(松)のもいいかもな、ってちょっと傾く。不思議な世界にいるみたいだ。今をかっとばして生きるのも、もっと長い時の中にどっしりと生きるのも、どちらも素敵かもしれない。あんまり考えずに書くに任せてみる。
最近はなんだかすごく映画にぐっときている。映画みたいなことがしたい、しかも物語というよりは現代を映すような、って波が自分の中にやってきてる。なんか人と人のドラマプラス後の風景、みたいな。だからそれに近い写真にもぐっと来ていて。 もうすでに世界に存在している風景をそのまま映しとるような作業。 なんとなく頭に浮かぶのだけど、あんまり見た事がなくて、それがひどく必要に感じて。
なんかそんなことが最近よく頭に浮かんでる。浮かんでいる。
2015年1月22日木曜日
次回は2月11日、横浜赤レンガ
2月11日に横浜ダンスコレクションでの受賞者公演に出る。そのスタッフ見せで横浜赤レンガ倉庫へ。
今日は寒く、雨が降っていて風景が広く見えるここ桜木町では人の数もまばらでいつも以上に風景が灰色の雲と際立っていて、グレイ色のポエムみたいに歩く僕に語りかけてくるような気分だった。
観覧車は豪快に景色に丸を描き、ランドマークタワーは台形を思わせる、海が床にしかれ、こっち側の想像力を海外の世界に向けてとばす。
BANANAという作品に参加します。韓国人留学生のアンくんと振付家のゆりこさん。
楽しみだ。
2015年1月8日木曜日
無題
前回のblogで後ろ向きなことを書いたんだけど、それは訂正で。
今日はワタリウム美術館へ磯崎新展を見に行って来た。最近、頭ん中でつながっていく作家達。昔の作家達の交流が見えてくる、昔の方が今よりも作家自体の数は少なかったのだろうか。だからみんなで集まるという機会が多かったのか?
今、僕の雰囲気はこうだ、やれることをほぼやってから、やっと0,1が生まれるようなこと。
僕は今、0,1を生み出そうとしているところなんだ。そしてもうすぐ27歳になる。バスキアの死んでしまった年齢だ。今年の始まり、は2014年から2015年にかけて友人の作家ジュリアンシュナーベルが監督したバスキアという映画を観ながら飛び越えた。
彼の絵画を越える絵を産むことができるだろうか?また、彼の多義にわたる作家活動を越えるようなことを巻き起こせるか? がんばろう。そうやって彼とのコミュニケーションを計るようにして生きてみせる。
やれる手は尽くしてみる。その後、途方にくれても良い。
2015年1月6日火曜日
2015 we are the city
あいかわらず、くるまがばんばんとばしていく高速道路の横。
いくせんもの紙ヒコーキを飛ばし、それぞれの色が各国へ向かう状況を頭にえがく。
世界を面白くしたいが、僕の方向性も政治性ももしかして今、国にあるものたちとぜんぜんと違う方向性へ向いてるかもしれない。仲間はいるのか、いないのか、わからないけど。
今年は、もう少しなんとかしたい2015。
夢も現実もたのしんでいきたい。
子供のように軽やかに色んなことに恋をして、好奇心をっもって武器を手に入れて、王冠を手に入れて、果てしなさそうでわくわくする冒険の正体にもう一回。何度でも挑戦したい。
今、編集作業なんかをして映像とかtumblrとかに活動をまとめたりして、プレゼン出来るような状態に持っていってる。一方で本質的な部分も磨かないといけない。 世界的に活躍したい、って夢は全然捨ててない。キーは、もっと探求することといかに伝えていけるか、なんじゃないかな。
2015年1月1日木曜日
2To 2015
2015年がはじまった。時間と空間の流れは、ほんとに相対的にして、早い。
年越しはばたばたして、とりあえず洗濯物を干し、カレーとエビスビールでDVDを観た、借りていたバスキアの。
本当はもうちょっと余裕があって特別な気分のまま特別な何かを達成しようとも思っていたんだ。だって年越しって考えるといつもよりも何かはみ出したいとかそういう気持ちが備わりやすいじゃない?
家族はおばあちゃんの家に行ってるので、ほんとにマイペースな感じだ。
2014年は前半と後半でそれぞれの感じでやれたので、もう少し2014年が続いてもいいくらいだったんだけど。
まぁめくろう次にまっさらなページ2015。
よし、今年も僕のやり方でおもしろいことをしていきたいと思っている。
もうちょっとやり方とか考えなきゃいけないけど。時間はどんどんなくなっていくみたいだけど。
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