2026年10月24日土曜日

龍

 村上龍さんが死んでしまった。とてもさみしい。学生の頃、彼の本を読み始めた頃のことがぐっと思い出される。あれもきっと秋だった。下北沢のドラマで一冊の本を手に取り、それがポップアートの出会いとなりアンディーウォーホルとの出会いとなりニューヨークとの出会いとなり、本をよく読むきっかけの一冊に違いなかった。

あの秋の頃はもう戻ってはこない。でも、それがここからどれくらい離れてあるのかがわかって、非常に心細くてさみしい。そんなことを言ったら村上龍にはきっとひと蹴りされてしまいそうだが。

色々書きたいけど眠くなってしまった。

さようなら。ありがとうございました。またきっと読んで、それでやっぱり昔の色んな好きな作家たちと並んで宇宙に届くような取り組みを出来たらいいなぁ。そう思っています。

2026年10月23日金曜日

いまは、

自分を慰めようとしているつもりが全体として見ては傷付けようとしているようでもあり、いやむしろもっとひいてみれば慰められているのかもしれない。
とにかく疲れているのに、うまく休まれていると言えるんだろうか。現実に経済的にやるべきことに対して、なんとか応えようとしているって感じだ。

いろいろなところで人に会い、話を聞く機会もあるし、明らかに話があっても出来ない、してこない人もいる。 とにかくみんな人生に行き詰まっていて、どうしてあげればいいか自分でわからないとも言えるし、正しく葛藤の中にいるとも言える。そうこなくっちゃ、って感じなのかもしれない。 

すごくSEXをしてきて、セクシー女優もやっている人の話を見た。子供が生まれたけど、続けようとしている話。コメントにはたくさんアンチの意見が乗っかる。でもそれまでの過去も、現在もそれを選びその中でなんとか生きる理由を見つけてきたようにも見える。とにかく彼女は死んでいない。生きている。

一般論をどうしても人は言うけど、多かれ少なかれ一般論を割と正しく生きたかに見えた人だって、実はなんとも高度なテクニックの嘘などによって、あたかも誠実に生きてきたかのように振る舞う人もいる。
なんとか死なずにやれる方法を探す中で手にしたという風にその女性は見えた。死を考えたこともあったと話す、隣に死があった。むしろそのことを認識していたようにも見えた、本能的に自分がわかっていた。そして自分を獲得しようとしていた。

SNSでも人のことをとやかく言う。人より自分や周りのことではないだろうか。意外に自分を掘り下げることをやめてしまう。自分のことを考えるなんて特権的だとか、甘やかしだなんて思うのだろうか。
そこにこそ深さもきっとあるのではないだろうか。
そして自分のことを根本から考えることは、色んな自分の欲望や反発に気付くこともあるし、その過程で慕っていた人を見つめ直したり、裏切るような気持ちにもなるかもしれないが。

また別の人がSNSで、自暴自棄になりながらもなんとかして今を生きている姿があった。自暴自棄になりながらも真実の親切を誰かからもらえると信じたんじゃないだろうか、結果として集まってくる人たちはやはり人のことをとやかく言おうとしている人たちだったと思う。自分のことをそれぞれが根本的に考える手前で、人に向かってしまう。それで生きれてしまう、と言う風にも思った。むしろ自暴自棄になっている人の方がはっきりと見えることさえあったかもしれない。 


だから、自分だって改めて相当に途中だ。自分は何しているんだろう、なんて落ち込んでいる暇はなくて。でも落ち込むこともきっと大事。夢も大事。

2026年10月20日火曜日

柳会お

中学生の時、やっぱり思春期男子によくあるように女の子と緊張しちゃってうまく話せない、みたいになりそうな時期があった。それでも幸運なことに色々何かを取り交わす瞬間は互いにある、ということがクラスの子とかと保たれていたのだけどよく話すみたいな子はいなかった。

でも中3で一緒になった青柳さんは誰とも見境なく話した。ギャルだったのに、みんなと話したし、モテた。ぶりっこのような、でもお茶目で、ちゃんとそういう意味で可愛がられるような人だった。 誰とでも話すような人だったし彼氏もいたけど、色々気にしてくれて面白がってくれて互いに面白がってそれでよく話した。し、そこからまた別の女の子とも話すみたいになっていく。それはある意味で僕のその先の人生を絶対的に救ってくれたと思う。時代にブレイクダンスを始めると、それが色んな人とのコミュニケーションを軽やかなものにしてくれた。そのようにして高校に入ればよりその軽やかさが出てきて、ずっとオルタナティブな存在として学校の中でいることが出来た。誰と仲良くなればいいんだろう、グループのどこに所属すればいいんだろう、女の子と話すのはやめておこうとか、男子とよく仲良くしよう、とかそんな余計なことを考えなくてもいい軽やかな場所でいれるような術を、彼女がその最初の準備を作ってくれたような気がする。もちろんもっと辿ればその源泉みたいなものは小学生の時とかからきっと来ていただろうけど、別の道に踏み外す可能性はあったんだ。 彼女は一度アイスクリーム屋さんで働いている時に数年ぶりにあった。その後は噂で聞くくらいだけど、とにかく青柳さんは僕にとってのヒーローだったと今思う。

なぜこんなことを言うかと言えば、男女間の問題というのは大人になってから始まるのでなく、それは親との間から始まり、思春期の学校とかでも語られづらい複雑なことが本当は強く起きているのに、やっぱりそれについてはまだ語り難いなぁ、と見てて思う。

保坂和志の本の中で"やれた"、"やれなかった"委員会の話が出てきた。人生を振り返る。なぜ、あの時あんなに美しい瞬間があり、そこで恋が始まる可能性はなかったのか、とか逆に高校の時に恋をしていた対象の人は今思えば果たしてどうだったんだろう?人生においてやってしまう、自分の見る目のなさ、と一方で人を見る目の強さが発揮されるということのバランスを思う。まぁそもそもこのバランスを言ってしまった時点で相当にダサいが。

保坂さんが言うように"やれなかった"ということはその当時のことを指すだけでなく、今にも響いてある、みたいなことだ。そのことについてストレンジャーシングスも含め考える。大人になっていくということは子どもを生きることでもあるはずだ。もう大人でしか生きない、と強い決心で生きる人もいるかもしれないが。

自分の弱点の一つにすぐに相手の印象を決めつけてしまうところがある。そんな時、一回相手を子どもの状態まで持ってきて見る、ということがうまく機能した時、その人の本当とやりとり出来たかも、という感じがあった。その境地にいけるかな。それにしても僕は偏見で見たり、関係性を早くジャッジしがちだ。


中学の頃のことを思い出すと、その美しさに目が眩む。生きていてよかったと思える瞬間だ。どうか今の中学生とかもそのような時を生きてほしい。たとえその先が霞んでしまったとしても、、そのことについてはもう少し考えれたらなぁ、

2026年10月11日日曜日

すぎ

 今日は稽古の後に、久しぶりにbuoyのイベント。世代は一回りも違う人たちを中心とした、へとへとになって会場へ到着。予想とは違う落ち着きのなかで観客がパフォーマンスを見守っていた。久しぶりに疲れもあって何かここで来た人たちに向けてやることが強く難しいような気がして着替えることが出来ない状態が続いた。もしかして家を出れなくなるとかの緊張ってこういうことなのか、とか想像がよぎった。

場がどうなるかわからなくてフレッシュでもあった。

色んな人と話せたのが良かった。僕の世代の人たちも観に来ていて、それは本当に偉いと思った。やっぱり来そうな人がちゃんと来ている感じ。最近、僕はあんまり出来なくなった。

久しぶりの人たちにも会って色々意見を交わす。

フレッシュにパフォーマンスの後で何か言ってくれる人がいた、嬉しかった。

明日の身体が心配すぎる、、




2026年10月2日金曜日

新、がた

 夢にまで見た天井を見つめ寝る。でも実際には寝ようと試行錯誤を目を瞑ってするので天井の記憶は刻まれがたい、しかし寝付けない。

夕方、ここから20分の海に向かって歩いていく。注意喚起の看板を抜け、誰もいない薄暗がりの砂浜に辿り着く。日本海。この海の景色は他の国にもあるのだろうか、日本海と名付け(実際には日本から呼んだ呼称に過ぎない)られた海が次第に"日本性"なりここでの物語を帯びて感じられる。どこにそれを感じるのか、作り出しているのかわからないけど。海にさえ名称を付けた。空にはさすがに名前をつけないだろうか。

身の危険を感じながらも少し前へ出ていく。自然とiPhoneを取り出し撮影を始めた。ここでしか撮れない、作れないものがあると感じられた。ダンスはここを作る方法だと思うが、この場合はここを刻もうと映像を作る、映画を作る動機は自分にとってたまにこのようにしてあると気付く。

終えて戻ろうとしたとたん雨が強く降り始めた。海のリアクションとして雨が身体に付き合え、と雨に降られ、傘の隙間から少し体を濡らし、いつかのモスバーガーへと辿り着いた。新潟市的な接客を受け、期間限定のシェイクをすすり日記を書いた。

若い時は子供の頃に反発するような努力を見せる。最近は強く若くなくなったのを感じるとすれば、どちらかというと子供の頃のことを思いだそうとすることからだろうか。自分に今、子供がいたりしたらそんなことは考えずに子供がそういうことを促したり、あるいは反発するように考えないかもしれない。

キャリアのことを考えた時に以前であればとにかくすごい仕事をと、思っていたがそれだって子供の頃の煌めきに勝てないような気がしている。というかそれをもっと突き詰めて考えれば、子供の頃のような煌めきをいかにその瞬間に持つことがまた出来るか、ということに眠れない時間を使って辿り着いた。目先の仕事の不安があるが長い時間の仕事を生きるイメージよりも、再び今生きていることをなんとかしたい。いや、もしかしたらそれ自体の葛藤が昔はよりあった可能性がある。譲らない両者の摩擦をもう少し生きていた可能性もある。世間のママやパパはその狭間でもっと格闘しているかもしれない。

2026年9月29日火曜日

ストレンジ

 ついにインドネシアから帰ってきて見始めたストレンジャーシングスが見終わってしまった。この2ヶ月はきっとストレンジャーシングスたちと生きた日々だったと思う。たくさん泣いたし笑った。彼らと別れてしまうのがさみしい。最終話もやっぱり泣いてしまった。最後の方のロビンの涙やスティーブが泣くのを隠すような後ろ向きに向いた仕草が本当のことにしか思えないのだった。

ストレンジャーシングスが友情を描いた作品だったことに強く感謝したい。この作品を見ている途中で気付いたことがあった。

小学生に上がる前、近所の公園で遊んでいるとバットマンのミニゲームを遊んでいる子と遊び始めた、それは保育園で遊んでいるのとはまた違う出会いだった。保育園じゃなくて公園という場所で新しい友達に会えたことは今まで生きてきた中で最も嬉しい瞬間だった。その日きっとうずうずした明日からがその友達が出来たことにワクワクして眠ったんだと思う。世界が全く変わるくらいに嬉しかったんだ。そんな風に1つずつ子供の頃、生き始めていく。


ドラマの中で子供たちが頑張っている姿を見てずっと涙が止まらない。自分への反省もあるし、たとえどんな時代であってもそのことは有効かもしれないと思った。でもこれだって一歩引いてみればそれさえもどこかで生産された形式なのかもしれなかった。

子供であるためにお話が必要だと思った。

みんな一生懸命だった。

2026年9月17日木曜日

朝と夜との会話

 犬が吠えている。そんなはずはない。聞いたこともない。室内で飼われていたということ?外に追い出されたということ?

雨の音が聞こえてくる。十五夜が終わると急に秋になると想像している。秋になればすなわちあの高校の文化祭の秋と繋がっていると時空を超えて感じられると思う。 雨なのに雨戸にして眠ると外と中が繋がっている東南アジアのような、そういう外側との関係性を持っていられるような気がする。

今夜は朝のベニントンと繋がって授業のゲストで話させてもらった。準備資料がうまくいかない感じがしたけどなんとかなりそうな気持ちと不安が半分ずつで挑んだ。プレゼン前なのにほんの少しでもブレイクダンスの練習会に参加した。最近はブレイクダンスの練習会に参加して、気持ちよく踊れることが生き甲斐に感じれてきた。つまり他のことをあの頃よりもたくさんやってきたけど、やっぱりこの踊ったりしている時というのは何にも代え難いものだとわかってきた。 

雨戸だから下のタバコをベランダで吸った人の匂いも入ってくる。なんというか損をしている気分に相変わらずなる。今日の匂いは昭和っぽい。この建物は1980年に建ったからその時に住んでた人の生活とはどのようなものだったんだろう。

アメリカの人たちを前に話すことは興奮する出来事だった。彼らと話して昔、アメリカやニューヨークにかつて憧れた最初の動機の感じを思い出していた。それに再び火がついた感じ。そのことはとても大事だと思う。

また彼が言っていた、歌を作ってる時に泣いてしまう、泣いてしまうのは本当のことに近付くから、と言っていた。ストレンジャーシングスを見ていて泣いてしまう。子供たちの友情を見て泣いてしまう。僕は今泣ける瞬間や時間があるのは幸運だとも思った。そしてそういう瞬間が色んな人に訪れるためにはどうあればいいのか。難しいし、簡単だ。あるところで出来ているのに、あるところで本当にうまく出来ないでいる。

タブーについて面白がったりせずに、逃げずに考える人は少ない。より現代においてタブーを介さずにやろうとしているようにも見える中で。

恋愛について、もしかして自分が中々切り出せなかったことの原因はそこまで訴えなくても家族の中において愛を受け取ることが出来たというのもあるのだろうか、なぜあの人やあの人が愛を求める時、強く追いかけていけるのは、追いかけることの出来た過去が経験があったからではないか。それで果たして愛が得られたかどうかはわからないが、欲しい時に訴えるしかなかったという経験を使うことが出来る。

自分はどこか恋愛において切実さが足りないままで来ているとも言えるのではないか。明日が、いつかが、あるような気がずっとしてしまっているような。

A=Bというわけではないのだけど。 





2026年9月9日水曜日

チケット

 またしても映画館で間違えてしまった。レイトショーのチケットを入り口で機械に読み込ませると、ピーとなって従業員の人が見ると別の館の予約をしてしまったらしい。たまたま10分後に同じ映画をやるというので改めてチケットを買った。やれやれ、だ。

久しぶりに地元の映画館で観る。なんだかこのショッピングモールにはやっぱり20年以上前からの思い出が詰まっている。働いていたアイスクリーム屋はすでにないが、ここにあったということは今でも強く結びつきを感じてしまう。

よくバイト後にも時間を見つけては映画を見に行っていた。大学を卒業し、7年くらいは冴えない時を過ごしたような気もする。フリマのバイトも懐かしい、あの時のグレイ色の時間は蓄積したままだ。

リドリースコットの映画をオデュッセイアの代わりにたまたま観ることになった。非常に変な映画で変なタイミングで観た。エンディングも変で、映画というにふさわしい時間だった。あんなに有名な監督なのに、この作品のことなんて誰も日本じゃ気にしないだろう、みたいな映画の時間だった。でもめちゃなんかそれもよかった。もちろん全然語れるような映画でもあるけど、どうでもいい気もしたし、すごくどうでも良くないような気もした。終わりにかけてクリントイーストウッドが映画人生から引退した話を思い出した。リドリースコットも一種、過激で映画を駆け抜けた人で、もしかしたら最後の方の作品になるかもしれない、その中でこのような作品をとった、というようにも感じられるものだった。何も気にせずにエネルギーもお金もアイディアもあって、しかもそれもアメリカで、というのが可能だった時代。

ここに来て歴史の重みも一方で強く感じられるような現代になってきて、映画という大衆的なメディアを通してそれでも200年ほどの歴史の中の文化を中心に展開せざるをえない国の方法の限界みたいなことも思った。それでパンデミック後の世界を描いたとて。全然違う宗教、文化、考え方による人間の生き方があるよ〜みたいなことを思ったりもした。

あかたも当たり前にそれを享受しきって来てしまったけどね、それは日本という強くアメリカへの憧れを持って進展した場所において。


映画館を出るとちょうどそれは過去に何度もレイトショーを観たあとの時間と同じくらいだというのも感じた。あの時、あの通りの照明に照らされて駄弁っていた人たちがいたっけなぁ、とか。思うのだった。

2026年9月6日日曜日

無限子

ストレンジャーシングスの中で子供同士の友情が描かれる。自分は"男の子"だった、それでそのドラマのあるシーンを見て急に思い出されることがあった。小さい頃、1番の親友だった2人が離れて久しぶりの再開を果たし、互いの友情のギクシャクを感じ、再び友情を思い出すシーンがあった。

保育園や小学生に上がるくらいの時、公園とかで知らない子と仲良くなり友達になった時の喜びのことを覚えている。友達を作るということは本当に明るい光で、見たことないが始まるわくわくに溢れていた。それはそれまでの"人生".と全く違うものだった。中学生の頃、ロードオブザリングを一年生の時に見たのが分かれ目だったと思う。それまで小学生の頃は、たとえばゲームとかの空想の世界と今一緒に遊んでいる友達たちとの世界は一緒だった。一緒にどこまでもいくようなイメージがあった、期待があった。現実から山までも一緒に冒険をするようなつもりで友達だったと思う。

そのことを思い出した。何度も確認する必要がえるはずだが、大人の世界だけが世界や人生や宇宙では決していない。ずっと見えなくなっていた世界があったのを忘れていたみたいだ。 アメリカの映画やドラマはそのことに関しては積極的にいつも取り上げてきたように思う。

そして"男の子"で、そういう時間のことを覚えていて、そこから大人にいつのまにかなって、そのことはほとんど遠いことのようにして多くの大人がいる、というのは一体どういうことなんだろう、この世の大きな不思議の一つだと思う。銀河鉄道の夜、の世界観というのはそういうことも扱っているんだと思った。



2026年9月5日土曜日

Tシャツを抜けて天空へ竜と

 SNSの浸透によって、最適化するアーティストも増えたと思う。全く別のアイディアや文化を提げて取り組むのではなく、既にあるものをズラしていくようなアーティストが現れ過ぎたのではないか、そのせいでそのようなアーカイブが増え、見晴らしもフラットで見渡しても凸凹が感じられない景色が生まれつつある。

本当にみんなキャンバスの絵ばかり描き過ぎだろう、お前は何を代表すんだよ、全くヨォと思ってしまう。あまりに全員がそれに参入し過ぎ、アートのファンをやりすぎ。でももっと広く見渡せば全然の絵のポテンシャルをなくしていないこともわかると思うんだが、周りを見渡してのイライラがつい出てしまった。


最近は、だからアートの内部というよりも周縁の文化全体や歴史、言語までを見渡しての取り組みをしている活動に刺激をもらっている。

自分のダンスがコンセプトになるはず、とも思っている。そこから広がっていければ。クロノトリガーの曲を聴きながら絵を描いていると、そうかゲームのようでもあるんだ、このまだ見たこともない広がりを持った絵の全貌としては、と言う風なことを思った。そうするとだいぶ足りない。

10年前、途方もない先の未来でのとてつもない広がりを持ったイメージがそれでも微妙に見えるような感覚を持った希望があって、その日にできる努力はそれに対してほんの少しだが実感をカウント出来るような感じがあった。それにふたたび近づけたならいいのになぁ、と今思った。明日は思うかな。

2026年9月4日金曜日

永遠に霧のぼり、

 お腹が痛い。きゅるきゅるしている、パーティーでアボガドは脇に寄せたのにそのせいか、それとももうパーティーのあの数種類もの食べ物をいっぺんに消化するような許容度をお腹が待ち合わせていないのか。

ここ数日で気付いたのはこの数週間ずっと調子が60%で、今日はっきりとスタジオを借りて動いた時にわかった。ここ数年、夏から秋にかけてひく夏風邪を拗らせると大体1ヶ月くらいその状態から抜け出れない。

なかなか奴らが体から出ていかない。

最近は色んな再会がある。同世代のダンスの友達に会って別れ際に、何のために生きているか、みたいなことが口から出た。インドネシアにいる時、色んな人と時間を過ごした。過ごさなくてもいいし、過ごしてもいい、というスタンス。なんかあれらの時間のために生きているような気がした。もう20年くらいたちそうな友人たちとコーヒーを飲んだり、ご飯を食べた、そういうことのためにお店はあり、時間はあり、生はあるのではないか。今までにおいては、何か作るためにそういう場所を使って来た、面白いことをするためにカフェに集まって、面白い仕事のためにカフェに集まって。でも、何か日本や東京で見られるクリエイティブな仕事は面白いや楽しい、大事ということから少しずつ全体的に遠のいてしまって、とにかく仕事みたいな感じになっているような印象があって、そんなことのためにカフェに集まっては、違うんじゃないかという気がしての反転が起きている。こんなにも面白くやるとか、ひとが楽しくやる、がないがしろにされる未来がやってくるとは思わなかった。ゾンビとりがゾンビになる、みたいな。 

友人が妄想の世界の話が現実のことのように体験された話をしてくれて、僕にはそのことは神話みたいに大切な話に思えた。いくつかの現実を複数の世界を生きている、うまくカモフラージュしてそれを生きているひとや、見られないように気をつけてる人、むしろ張り切ってやって見せてる人、色々あると思うが。

夢のように、また極端に現実のように、複数の世界をアドベンチャーのように生きていく感じ?映画を信じるように観ることを久しぶりにやってみるとその感じがわかる。 ストレンジャーシングスを見ながらロードオブザリングを見た経験を思い出す。子供の時、思春期くらいまでは涙を流した時の想像力に約束して生きようとしていたことがあった、と今でも思い出せる。トムがフロドを助けてくれた時、色んなことが中学生の時にあった。ロードオブザリングを初めて友達と見に行ったとき、こんな風に一緒に行った友達も思ってくれるだろうか、とか思っていた。でも今度は1人で結局見に行った、ということがあった。夢を現実に押し付けようとしたのかな?一方でそこから夢をより1人で見るようになっていったのか。

トムとフロドの友情は映画だけの話だなんて誰も本当は思っていない。究極的には涙に嘘はつけない。

2026年8月22日土曜日

ことを

 昨日あんまり眠れずぎりぎりな気持ちもありつつワークショップこどもたち、うまくいったと思う!頑張った、全力!本当は70%で安定してやるという気持ちで準備なところもあったけど、実際の子供や大人とのやりとりの中で実際的な判断がそう運んでいった感。

終わって本当にフラフラ。スタッフチームとちょっと労う。

東京や日本がさみしくなればなるほど、頑張る方針の立て方もいかに真面目にやるか、あるいは形容詞とかが死ぬ気で、とかになっているのは何もその人が選びたくやっているより、傾向の中に立つとそう口にせざるを得ないのかも知れない、その状況こそが悲しく思えてきたりもする。

子供のワークを準備しながら、大人が作る総合的な作る、でもある演劇を見ようと岡田さんの新作を観る。友達の優秀な仕事もあったけど、途中からずっと苦痛で早くここから出して、の思い。演劇に出来るのは話を作ってそれに向けて俳優たちが言葉を動員させていくルートに観客もともに登っていくこと、というのも側面としてあるかもしれないが、それに登らなくてもいいかな?という気が起きた。基本的にはその話を運ぶために全員の体がパフォームするというルールから外れることは出来ないとなるとどの人を追っていても基本的にはその話を追うような促しがあって、それをサボって別の場所をぼんやり観ることが難しいと感じられた。それこそゾンビやお化けのようにデッドスペースみたいにないものになっていた。もし俳優が別の目的のことを話しだりしないかな?と思っていた。

最近、めっきり安全な舞台の上でわざわざそこに立つ人が言うことを聞く必要はあるのか?もっと聞くべき声や話すべき人がいないか、安全だったら友達だったらもっと他に話すことはないか、と考えしまうのだった。

YouTubeとかのトークも聞いたりpodcastが流行っているそう。でも基本的にはそこで互いに話すことは情報を出していくだけ、これだと僕的には80点、いっても85点が精一杯。まぁ情報を得るために書いているからそれでいいんだけど。たとえば坂口恭平のTwitterスペースなどを使っての相談ややりとりを聞くと、その時間内での変化が起きる。相談者の中に。人が具体的に何かをする、というのは好奇心が刺激される。人が何かをやる、という根本的に強く面白い。

だからつまり基本的にはこれだけの悪意の社会において、他人と出会すこと、そこで具体的な交しをする。

知ってるのにそのことは言わないのがほとんど?なのはさみしいな、

2026年8月21日金曜日

じけんど

 困った、眠れない。先週から体調を崩し、夏風邪、エアコンをかけれないと思いそうすると熱くて眠れない。困った、3日ほどそれが続く。朝は調整は出来る日だったのでまぁまぁ、だけども。

にしてもケータイばかり見て、動く体力はそれほどないから。でも夕方振り絞って動く時間は快適ではあった。

今夜、暗闇の中で手探りに潜っていくことの出来るスペースがいくつかあったんだから眠れないことも捨てたもんじゃなく、そして眠れない時間と共に生きていると言える。

明日はワークショップだから頭が爽快な状態で子供には対峙したいところ。

気付いたらインドネシアでもらったエネルギーがそろそろ切れてきた、、

気のせい、と自分で言い切らない限りそうならないからね!自分を変えて生きていきたいなぁ。

でもいい音楽は鳴っている。引き続き。

こないだ観た映画、映画館から飛び出して自転車を漕いで坂道を駆け上がっていく車じゃないけど音楽がその坂道とスピードと相まって私を光にしていく。ウォールフラワーという映画があって、車に乗って無限だ、というセリフがある。まさにあの映画のような。光になる。

ストレンジャーシングスが思っていたものと違ったけど楽しんで見ている。韓国のドラマを教えてくれたインターンの友人は帰ってしまう、もう少し話していたらよかったなぁ。 ウィノナライダーが出て、ロードオブザリングのサムが出てくる、相変わらずサムだ。プロムが出てくる。ほら、僕たちはプロムっていいよねぇーと盛り上がったのを覚えている。そんなことまだ言っている1人だ。スパイダーマンの舞台はニューヨークで20年前にサムライミのを観た時、現実としても素晴らしかった街ニューヨークにフィクションとしての一面をもたらすことに成功した映画だった。しかし今やニューヨークはどうだろう?現実としてはあの頃の輝きは半減してそうと外側から見て思う、そうなるとそこでのフィクションの価値もあり方も下がると思う、スパイダーマンが頑張ることの意味も変わってくる。要するにハリウッドは反対側を描かないことによって、もう一方の想像力を掻き立てた?いえいえ、ハリウッドでなく世界が、だろうか。

こんなことを思う。SNSは反対側を描くことによって世界の現実の広がりを見せてくれる。現実のすごさを、たくさん今までよりも観ることが可能になる。一方で、夢的な、フィクション的な想像というのは見れていない世界があったからその面積に対してエネルギーとして浮かび上がってくるものだったのかもしれない。

子供たちがプロダンサーになろうというのは、現実的で社会的な夢に属す気がしている。僕がダンスを始めた理由もそうだった。1人きりのもしかしたら仲間との秘密の小さな頃の夢、ではなくて、現実を面白くやっていくためのクールなアイディアだった。しかし大人が大変になった時に戻っていきたい時間というのはその前のもっと根本的で想像的な時間の方なんじゃないか。どうかな。

スパイダーマンが昔の友人と再び握手をする時に涙が出そうになる。ままごとを見た時も、ファンタスティックビーストを見た時も。ストレンジャーシングスは子供たちが主人公であることが、今も重要な気がする。子供たちは仲間を作って誰も見たことも聞いたこともない冒険に出会してしまいたい。

プロムのシーン、踊れなかった子、なぜあれほどまでに上手くいかなかったのだろう、と自分のことを振り返る。これは健全になってきている証拠だ、自分の事を中心に考えるという意味において。 振り返れば踊れはしてきたんだ、僕の人生は。ただそれは踊る人だったから踊る人としてその時間が流れていたんだ。あの時はかけがえのない時間としていくらか残ったんだけど。もしかしたらそうした時間単位でしか残っていかないのかもしれない。

何か変な次元に生き続けている、

2026年8月18日火曜日

にーゅみ

右側の首あたりが張るように痛く、そこから熱があり全身に痛みのある風邪の症状は初めてで、今日は色んなことをキャンセルさせてもらい病院に診察してもらいにいった。 こんなに素直に病院に行くのは初めてだったり、予定をキャンセルするに葛藤があったが、いつもよりやっぱりインドネシア帰りのパワーがまだ続いていてそれを後押ししてくれた。

最初、病院の受付の人が冷たそうな人に見えたけどそうならないように解き明かすような態度をしてみようと思った。なんか良かった気がする。でも場合によっては全然相手のが何枚も上手な可能性もある。

処方箋を担当してくれた人の眼差し方に、今度は恋をしそうになってしまう。少し頼りなそうで、でも人を頼りにするのは得意というか、上品さを持ったかわいいピンクの時計をしていて付け爪がキレイだけど少し指先の荒れが生活感を漂わせている人だった。そういうの生活におけるささやかなやりとりにせよ、色んなことが感じられて何かエネルギーも強く働くことのように思った。

関係ないが好きな俳優だとか、タレントだとかがちゃんといたりすぐにあげれる人がいる。僕はずっとくだらないと思って取り合わないでほとんどいたと思うけど、むしろそんな風にして何か欲望を具体的な対象に置き換える、というのはある意味で残酷で恐ろしくて恥ずかしいことでもあるが、そのことを認識するということ、自分で出来ることを把握するというのはある意味で何かになることだろうな、って最近初めて考えた。


これだけYouTubeなどを通して、何かの裏側を話したり、対談を聞いたり出来ても、本当の話の中での面白さに出会すことはほぼないのは関係性が変わらないからかもしれない。情報の話でしかないのかもしれない。坂口さんのを除いてはその印象しかない。

2026年8月5日水曜日

みゅう!い、

 帰り道、疲れとアルコールでほんのり朦朧とし最寄駅の改札近く2人組の1人が座り込んでしまい駅員に尋ねるもう片方の人、改札の外には行けないとわかり、なぜか水買ってきますよ、と反応して急いで重い荷物をがさがささせながら地上の自販機まで時間をかけて水を買いに、そして改札近くの駅員さんの元に戻ると駅員さんが身内の方ですか?と聞かれ、いや違います、と伝え水だけすぐに渡して引き上げる。もうなんか条件反射的に、最近はそういう感じある。コンビニで知らないコーヒーの並びと買い方を別の人に聞いてみたり。完全にインドネシアが、少し前から日本での態度の持ちようを変えようとしていたことを後押し+別の視点から、で支えてくれてる。面白いので引き続き。


今日の本番は色々だった。自分にとって。だからやっぱりめちゃくちゃ大事だった。ありがとうございます。

朝起きると微妙に体調崩れてない?って感じで、準備の時間が色々ズレこむそばから不安に。会場着いて、ぼんやりする時間と準備する時間の整理するような態度がバランスとしてあった。本番前の状態の持ち方自体もきっと時とともに変化していくんだと思う。状態にさえ変化のない人もいてそこでの仕事もあるだろうけど。

やる前は緊張と不安でいっぱいだったけど、やっている最中の幸福な時間を大事にしたいと思いました。子供のように時を過ごしてくれてありがとう(大人がやる子供として)。あとは引き続き、"宇宙"やここからそこへ行く方法を研究していくことだな。





2026年8月3日月曜日

ねむ、

ストレンジャーシングスを見始めた。超能力を使う子が鼻血を出していて、こないだまで見ていた、誰だって無価値な自分と戦っている、を思い出した。

でも、そもそもインドネシアに行ったことでヨーロッパにせよ、日本や韓国や中国などのアジアにせよ、個々が戦うべき相手というのがそもそも違う可能性がありうるんじゃないかとさえ想像するようになったのが今。生きていくことに"お金"が必要と普通に考えたり思ったりしてしまうこと。一体いつこんな法則みたいなことを一部の人類は思い至ってしまったのか、とか、、、

ストレンジャーシングス、まだ始まって少ししか見ていないがどっちかという神隠しにあった子の状況の方は描かれず、探している方の側が描かれる。一方でジブリは迷い込んでしまった側について描いていくようにも思った。


渡辺真里のデビューアルバムが良くて聴いている。1985年に売られたやつ。その当時の人たちはどんな風に聞いていたんだろう。あれらの曲が横にあった世界はどんな風だったろう、、


眠すぎて、、


2026年7月26日日曜日

やひ、

 くたくたになって部屋を見渡すと部屋が荒れている。バンドンから帰ってきて1週間。たぶん忙しかった。そういうのとは違う概念をお土産として持って帰ってきつつも、一方でそのような状況。バイトを入れなければよかった。でも、バイトも楽しかった。インドネシアマインドを取り入れるとまったく展開が微妙に変化するのが手に取るようにわかった。

インドネシアでは一見ツーンとしてそうな人も思い切って話すと、水が流れていくように潤いが生まれることが何度もあった。水を通すように見知らぬ人とやりとりすることは日本に帰ってきても楽しい、ALIVEな感じがした。

急に具合が悪くなる、話題の映画を見た。この映画を撮ることは大事なことだったんだろう、と思うけど色気を感じない箇所もあり必要かな?と思ったり、自分が既に考えているアイディアを出ないようにも感じられるところもあった。映画だから出来る世界の羅列に改めて感動しつつも、映画での現状追認に思われるところも。周りの友人の評価も高く期待の上で行ったけども僕は以前の濱口作品の、これはいい!の方向ではなかった。 でもこの映画と山田五郎さんの訃報を聞いて、"alive"と思った。今は多くの作品を見ても、あんまり感動がない、じゃあ楽しく面白くないのか、と言えば、生きている、が感じられる時間や手応えがあって、このことこそが今は最も面白いです。ということで、aliveでふざけたような言葉が自分に浮かんでは消えるのです。

そしてクタクタになって部屋を見渡して。でも考えてみるのはツーンとすることと寂しさは結局繋がっているんじゃないか。東京とかでは多くの人にさみしさを見る。そしてさみしいのにさみしいと言えない強がりで武装し、表に出てくる人がすごく多く、そのことは悲しいと見えてくる。どんなになにを成そうと、さみしいというのはずっと辛いと思う。すごくても、そういうことが現れてしまう。一方で自分の周りや近い人にこの人はほんとうに元気でパワーを振りまいていると感じられる尊敬すべき人たちがいる。それへの対価はつよい愛情。本当にすごい。


ラジオみたいのを聴きながら、岡村隆史もヒーローだった。コメディアンで言えば武も。ポップでいえばミスチルもヒーローだった。 そのことを思い出して自分が好きだったものを褒めたい気持ちが出てきた。彼らがやったことは今までにないことだった。別にジャンルに依拠したりはしていなかった、とことに今気付いた。

2026年7月19日日曜日

くら、

 日本に帰ってきた。まだバンドンの空気が残っていてくれてる、とても心強い。帰れるところがあるというのはどういうことだろう?

バンドンでは寂しくなかった。みんなが優しくて、そしてキュートで美しくもあった。だから目線や身体の向く方向性や仕草で愛が伝わってくる。それは恋人とかでなくても、家族とかでなくとも。ともすればそれは日本では危険に思われたりするかもしれない。でも惜しみないその領域が存在していたように思えた。だから半分恋をしているみたいな気にもなってそのことが何か愛の予感を感じさせて寂しくなかったのかもしれない。ヨーロッパやアジア、日本だとみんなそれぞれに厳しくてプライドがあって寂しそうだ、だからこそやっと自分を許せるスペースとして恋人がある、家族がある、そんなようにも思えた、だがそうだろうか、と今回の旅では思えた。

そのイメージがまだある。そしてそのことだけじゃないけどいくつかのことが後押ししてくれているのがわかる、向こうにいる時はたてようと思いつつたてられなかった日本でのやることが、ぼんやりと帰り際に見えてきた。自分の生きる理由がもう一回見えてきたような気がする、たぶんそれな気がする、そうであってほしい、長かった。

2026年7月11日土曜日

お、そ

 本番が終わった。と言っても明後日もあるけど。とにかく肩の荷が降りた。心配な体調だったけども、それも過ぎていった。パフォーマンスの後に参加したワークショップの中で誰かに向けて踊るパートが現れ、指名を受け、先ほどまでステージマネージャーをしてくれた彼に向けて踊ることになった。何だろう、たとえばどこかからやってくる"勇気“みたいなものが大人になったとしても知らない何かが運んでくれたらきっと誰もが言わなくても願っていないかと思ってそれをつくろうと出来ないかとトライした。自分なりの日本の風みたいな感じで。日本の風というか、あの辺の風って感じだろうか。すると、帰り際お別れの際に彼から実は自分が書いた手紙というのが別れた両親の話だったから、それを踊ってくれたみたいでありがとう、と言われた。急に胸が詰まった。 きっと彼は僕より年上だが、そういう風にして立場が変わる?という交換されることはずっとあることだろう。

ラジルがパフォーマンスを終えた後に倒れた。sickとみんな言っていた。インドネシアの人はみんな優しくてリラックスしていて、と思ったから急に暗い空気が周りにあってみんなもやさしくサポートしていたけれど。それぞれのケアのあり方があった、僕は少しでも背中をさするか考えたが、わからないと思うことにした。もしかしてツアーの中で絶妙な歴史を持つ場所へ入っていったのが原因ではなかったろうか。

帰りは疲れていたが人とご飯食べるかもしれない、と思いもう少し歩いてみる。ついに気になってたコーヒー、ジェラート屋に入る、が思ったよりジェラートは砂糖と言う感じで美味しくはなかった。が、1人打ち上げだとだらだら過ごす。向かいのレストランでは相変わらず熱唱が聞こえる。宿に帰るとタイから来てる2人のアーティストは相変わらずずっとSNSを見ている。僕もそうだ。沢木耕太郎の時はSNSはなかった。あれはもう50年も前の話か。少なからずさまざまな場所で踊ったリサーチが少しは役に立たないかなぁ。

さて、今日は疲れました、

そして眠れなそう、お疲れ様でした。

2026年7月10日金曜日

やった、

 明日本番なのに疲れてるのに寝れないのキツいな。礼拝がせめて聞こえる前に寝れていたい。

それに少し風邪っぽい。日本でも本番前に体調を崩すのをやたらここ数年やっていて、それは悲しいことだが何か気を負いすぎなのか。毎回、本番がそうだとしたら、そこの可能性にかけるというのが"プロ"としては普通だがそれはそれで普通だ。

この寝れない根本さは、その眠れないで微妙に迎える本番で人をがっかりさせてしまうことのプレッシャーがあるわけだがそれよりももっと解決しなきゃいけないことを言おうとしているんじゃないか、と思い至ったと数日前に書いた。

それはここにいようが日本にいようがどこまでも追いかけましてくるのか。そうだよな、だって過ごしてて考えることは基本的には根本的には抜けない部分がある毎日を過ごしているとわかるし。

今年のスケジュール、現実的に目標的に面白くなる、と思い組んでいるが、それでもまだ、で。

やたらSNSとかも見てしまう。そして前と変わらないことに気付いた。"ここ"から見えるものを面白いと思ったことは一度もなかったはず。"ここ"から見えるものは今も昔も自分にとっては変わらない、SNSの発達によって見えることはふえたが"ここ"からあくまでそれは見えている。だからそれ以外をやらない限り、私はつまらないのだ。

だからそれ以外をやらない限り、私はつまらないのだ。全てを"ここ"から見えるようにしてやるのじゃなく、初めてやったみたいにして。