2024年12月31日火曜日

田舎

新潟に何年振りかに行った。でも2年前に弥彦村にはいったけどいわゆる田舎は10年振りとかかも。小さい時の記憶と繋がっていて田舎の家に帰るのがいつも楽しみだった。そこの家の生活の感じ、陽当たりとか風通しとか美味しいご飯や台所、炬燵のある居間とか。書き出すとたくさん出てくる、それらが輝いて自分には感じられた。もうそこは取り壊しを待つ段階で、でもそこにあったから興奮して何枚かの写真を撮った。自分がもう少し良いカメラを持って時間をかけて、その家での時間を思い出すようなショットを撮れたらどれだけいいだろうか、と思った。自分にとっての幼少期の記憶の美しさはそれを越えられるものがないくらいになぜか大事だ。それはここ10年とかで強くなってきている気がする。とは言うものの、家族の方では色々あるので僕がそう見えていた、というのは切り離されてそうある、という感じなのだが。

早くして亡くなってしまったいとこにも2年越しでやっと会えて挨拶をし、老人ホームに入ったおばあちゃんにも会った。おばあちゃんは相変わらずおばあちゃんだったが少し可愛らしくなっていた。少しだけ僕が知らない方に傾いていったわけだ、要するに歳をさらに重ねてボケの方に向かっていっていた。でも覚えたり忘れたりをその短い時間の中で繰り返して話していた。コロナの対策もあり、部屋ではない無愛想な部屋で喋る際に出て来てしまう変な間はそのせいでむしろ埋まっていく感じもあった。おばあちゃんの生け花と自分の絵がどこか繋がる感覚があって、その場で持って来たお花を絵にしてプレゼントをした。飾ってくれるといいな。思えば大事な時にいくつか書いた花の絵の思い出がある。

結構な時間が経ったのでそろそろかなぁと思って切り上げて出る時に、なんだか自分で別れを切り出すようで、残酷な感じがしてきた。10年近く会いに来なかったこととか。そしてもしかしたらこれで会えなくなるかも、ということ。おばあちゃんと話しながら改めて家族は難しいと思った。それぞれに人で、それぞれの人が考えたいことや欲望というのはバラバラでそのせいで迷惑を受ける家族の人もいるし、でもそれが歳をとってしまってボケてしまっても自然に残ったものによってその人が見えてくる、というか。

それでも僕にとっては良くしてくれた人で、おばあちゃんは基本的には自分にやることがある人で暇のない人だったけど、もう少しあの時かまってあげたり一緒の時間を過ごすことが出来たけどいつも遊びにいったりめんどくさがって一緒の時間を過ごさなかったことが、今回も別れを自分で切り出す時にずっと同じだと感じられた。ずーっとそうだったなぁと思えて泣けてきてしまった。ごめん、というか。でもどうにもそれは出来ないことだったような気がする。すれ違いは、すれ違いのまま。帰りはギリギリまで送り出してくれた。なんだかもう会えない気もしてきた。そうするとこの思いやこの関係の構図はずっとこのままなんだと思えて、自分のいる場所がわかって泣けてしまった。

その後にいとこにあった。家族というのはすごいと思った。

2024年12月18日水曜日

午前中

 ここ数日、本当は午前中に時間をたっぷり作って制作や掃除、稽古にあてるつもりが連日の寝坊などによって時間をずいぶん削られたりなくしたりしてあちゃあ、という感じだったけどでも、その分寝たならそれはそれでokなのでは、みたいな思考も新しくやってきつつ。

今日はそれでもその借りを返したいと思い、小さな抵抗とスタジオを借りて練習。ずいぶん眠かったけど、こういうのありかもな、と踊ってる中での発見もあり、時間を確保してよかった。

3日連続で実は忘年会みたいな感じかも、、おかげでこのクソみたいな内臓が疲れ切ってる。明日で少し回復、、、と思ったら明日も忘年会しようぜ、と誘ったところだった、、やばい。朝ごはんで調整?だ、、

明日は色々調整し直そう。

2024年12月15日日曜日

愛に駆けつける人たち

 ラブアクチュアリーを久しぶりに観た。どうなるかなぁと思っていたらたくさん泣いてしまった。もう古い時代の映画になったかな、って思うところもあったけど、それも自分の中の景色として残っていた。あの曲たちとともに。この景色が思い出されて、自分の中にあって。

みんながそこに向かって走っていく姿。イギリスの映画って、ダニーボイルにしろ走るよなぁ。どこに向かっているかって、愛に駆けつけているんだと。そしてその駆けつけたところを見届けようとする人たちもいる。かつてそういう人たちがいた、にならないといいな。そんな夢物語を思った。今の自分はどうだろう?寛容じゃどんどんなくなっていると思った。

ジョニーミッチェルに出会ったのもこの映画だったね。あんな風に人々が嬉々としてどこかに向かって駆けて行く景色、それが90年代や2000年代だった、みたいなことにどうかならないでよ、という気持ち復活100%の。

2024年12月12日木曜日

やり方

 横浜通いが続いている。こんなにもたくさん舞台を観るのは久しぶり。ありがたい機会。それなのに全く難しい。職業病と言ってしまえばそれまでだけど。どんどんと暗い方に向かってしまう。世の中は悪くなる一方でこれらの方法は果たして有効なのだろうか。また世界とかとはもちろん無関係の世界なのかもしれない。だって僕だって別に世界と遠い態度をとっているくせに。

そんな夜にかつてのチームメイトから連絡があった。なんというかなんというタイミング。あの日、気持ちが離れつつあったブレイクダンスから舞台というオルタナティブなダンスのチラシを手にした日だった。しかしどこへ行ってもその所属先というのを見つけ切ることが難しい。


また別の話だけど、もう少しこうして生きよう、みたいなことのためには今のやり方ではなくて、別に新しく、いや根本的に、作っていく必要があるんじゃないかって今日少し思えた。今の心で行っても、うまくいかないとうまくいくの評価の下し方のままで、そうじゃないあり方みたいなところっていうのも可能性としてあるかもしれないぞ、と。

2024年12月9日月曜日

紺色のブルー

 最近は夜の空が紺色のブルーでとてもキレイでこの時ほど1日のうちで息を気持ちよく吸える。ずっとこの色を見ていたいと思わせる。こんな色の中にいれることが生きているということなのかもしれない。

宇多田ヒカルが宮沢賢治のあるテキストの部分について引用しながら話している動画が回ってきて見ていた。確かに関心したけども。でも宮沢賢治は早くに死んでしまった。あの時の言葉でもあるような気がする。その言葉をあの時を越えている宇多田ヒカルさんが生きるというのは、少し若いときの態度に近く生きようとしているようにも思えて、狙いと違う可能性もあるけど、逆にそんな風に生きることは大変かもしれないけどなんか素敵だと思った。

2024年11月24日日曜日

歌空

 少しずつ色んなことが思い出されていく。やりたかったこととか。たぶんやっぱりコロナが起きていった時期は大きくて色んな計画が意識的と無意識的な両輪でズレていって時間を大いに割ければ修正を図ることが出来たかもしれない。が、今思い出されたのが今、だ。

今日は長い1日だった。

1日の締めくくりにスタジオを借りて踊った。調子は戻りつつある。なぜならこの動きをしたいというのにアクセスし取り組めるようになっていると感じられた。収穫。明日も動こう。

ところで素晴らしい曲のラインナップだと感じられる中で華原朋美のアイムプラウドが流れて来てそこからはもうそれに、引っ張られて最後まで。帰り道もお供してもらった。街中でいる場所なんてどこにもない。身体中から涙溢れている。身体中から涙が溢れている、っていうこと。90年代の涙を今流すような感じがあった。その時の大変さは実はまだ思い出されることで生きているのかもしれない。本人はあんなに可愛らしいのに声はモンスターのようだと思った。人間の声として良い、じゃなくて何か別のサムシング。何かになっていく。そのギャップが無意識の中に本人の中に共存していたんじゃないか。

ともちゃんのその声を夜空の街の中で聴いてたはずなのにその歌は何か広い空のことをさしていて、次にはその大きな空を引き連れていくようなイメージが浮かんでいた。あなたは大丈夫。1人でもこの翼がある、ということがわかった。久しぶりに翼を生やせたことが嬉しくて嬉しくて。こんな風に歌を音楽を聴けることがあることが僕にとっての人生の大切なことであったと思う。

2024年11月8日金曜日

2種類

 世の中にはいびきをかいてぐっすり寝る人と、それを聞いて寝付けなくなる人の2種類がいる。

と、言いたくなるが実際はもっとこの時代にあって多様なグラデーションがあるのだろうが現在の自分のユースホステルでの状況がそうだ。もうユースホステルなんだからしょうがない。養豚場のように所狭しと部屋に並んだ2段ベットの様々なところからいびきが聞こえてくる。特に自分の上の人がひどい。昨日もひどかったのに、今日はわざわざ昼寝をします、と一言言ってきたくせに、さっきまでがちゃがちゃ自分が寝れないからか音を立ててたくせにすぐ今度は寝つけていびきをかきはじめた。もう、たぶん自分が寝れないのはこの状況だけのせいじゃないのはわかってきたが辛い。

家の上の階の人のデジャブじゃないだろうか。人に眠るのを侵害されて体調を崩すルーティーンはなんとかしたい。

はぁ、明日もハードだ。

2024年11月7日木曜日

川空

 一瞬にして寝れない条件が成立する。全く寝れないわけではないのだけど。昨日もずいぶん疲れたのに寝れなくてそれで今日は広島の到着を遅らせた。帰りの新幹線も自由席にしてみようと思う。

コロナくらいから甘えが始まったように思う。なんかもういい加減、やめないといけない自己憐憫みたいな気分がある。それが眠れないことにも繋がっているんじゃないか。それでもこないだの稽古期間が終わる頃にはどうしても疲れて、呼吸も結構難しいという状況になって流石にそれは"頑張った"んだと思うことにしてほんの少し自分を労って、控えていた仕事も無理をしないと言い聞かせてやった。どれくらい効果があったか知らないけど。でもまたこうして寝れないと結局また疲れが溜まるし、どうしたものか。

20歳ぐらいの頃はいい日記を平均して書けるという時期があって、そのいい日記とは、何か読んでいて書いていてそれにドライブしていくような感じのあるやつだった。それがいつの間にか、いわゆる表の活動で頑張るのに対して頑張らない、媚びない、勝手にやる、適当な場所を確保しようと思ってそういう場所としてやっていった。

今は色んなバランスが崩れている。見渡すとぜんぜんなんだか良いことがないように思うし、人生の指針を見失ってる気がする。これはダメだ。でもそうじゃなくて、目の前のことが良いと思う瞬間はたくさんある。だからその時間を生きようとするところから始めて(すでに)いけばいいんじゃないか?という理屈が立ちつつある。これはポジティブ。これで、ここから、こうして抜け出せれるかなぁ。

帰り道、銭湯から歩くと夜道には色んな誘惑がある。めちゃ広島の闇の繁華街。神社を通り過ぎるとそこには流れる水は腐らない、と書いてあった。流れ続ける、止まってると思ったところにまた流れていく。

広島のヒントをもらった気がする。ところで広島を歩いているとなぜここと長崎に原爆が落ちたんだろうと思う。川を見つめているとそう思うんだ。川には空が映る。空に川は映らない。

2024年11月4日月曜日

いったん、

 以前住んでいた家で最も好きだった時間は寝る前にゴミを捨てに行く時間だった。そこで少し静かになった街の、人が作った家や街灯や道路がそこにあって夜空がそこにあって、そこで吸う風呂上がりの空気が美味しかった。

最近は今の家でゴミを捨てる時に歯磨きをしながら降りていく。今夜は星も見えて風も美味しかった。下からマンションの構造を見上げるのもいいと感じた。

人生について考えると、最近はネガティヴなことばかりが思われるけど。たとえば家族とかを見るととても羨ましく思う。そんな風に誰かの人生に関与出来ることで始まることがあるんじゃないか、と勝手な一方的な妄想があって。だけども、みんながみんな、新しく家族を持つわけではないし、今日だって色んな人に会った。クリエーションだって数ヶ月人と過ごし、1人で作る何かだってポイントで人と関わる。すでに色んな人生が錯綜しているのだ。その人生さえ、認めないことになってしまう。それは変だ。

そんな時に子供のことを考える。子供の時に見た光景のことをどこか感覚的に覚えていて、あの時のことがきっと今生きている子供たちの中にも起きているのなら、それがどこかでまだ会ってない人たちやもう会ってる人たちでそういう子供がいるのは知っている、彼らにとってその何かいい光景が起こっているのならそれでいいんじゃないか。そして、つまり回り回ってどこかで繋がり、それが錯綜しているなら、もうそれで素晴らしいんじゃないか。

さっき、手を動かしながらそんなことを思ったようだ。ひとまず。まぁ明日は明日。いったん、

2024年11月2日土曜日

残りの稽古もあと2日。このタイミングでまた上の階の騒音に悩まされる。音楽をやっているのに低音が地面に向かうことを知らない人なのかもしれない。一応そのこともビルの各部屋に届いた紙に書いてあったはずだけど、そのことが何を示すかわからないのかもしれない。いや、単刀直入にバカなのかもしれない。
なんだか最近知らない人にクレームばかり言ってる気もする。よく言えばちゃんと意見を言っている。
自分の状態がそこまで良いわけでもないのだし、あんまり強がれないので、しょうがない。
そんな中でこないだのドラッグクイーンのショーは間違いなく勇気をもらえるものだった。
好きなものを好きと言って何か輝いてみせる姿。それはどうしたって表舞台!と言われるような場所ではないが、そもそも多くの表舞台なんて、与えられるべき人に与えられてはいないじゃないか。
それでも彼らが立つ舞台で起こることに対して、それを信じたい。色んなことは置いておいて、今それに感動する、そういう瞬間が起きていた。
それは今の自分にとって強く励ましで鼓舞でケアであった。まるで裸にされるようにしてダサい自分のまま舞台に上げられるような経験だった。

上に書いたように必ずしも与えられるべき人に与えられない、ということがこの年になってたくさん見かけるようになってきている気がして。年をとると未来に希望を見なくなる理由の一つはこれも一つかもしれないですね。

2024年10月28日月曜日

ポップコーンを久しぶりに食べた

 少しずつ体調が良くなってる気がする。先週より良い。稽古の中で、筋肉が落ちたり、どこか心肺機能が下がっているような感覚でそれが足の踏み込みにも、関係しているようで浮ついていた足の踏み込みが再び実感を得ようとしつつあるかも、、だから今日の帰り間際はステップを少し試す喜びにあった気がする。

夜、そこまでは頼まれていないことを、前のめりでテキストを書いていたら寝る時間を越えてしまったし頭も冴えてしまった。それで寝れない。しかし、家のオーナーに電話したおかげで上の階の騒音がなくなった。これは本当に大きい。

でも身体は油断禁物だ。やはり変な感じは引き続きある。






2024年10月23日水曜日

うるさい

 新しくリハーサルが始まった。とにかく人の情報量の多い現場で、エネルギーが必要でこのずっと壊している体調で大丈夫かと不安だったが、なんとか1日を乗り越えたものの、やはりそもそもの基礎体力は低いままで、肺とかの呼吸から何か厳しい感じがありつつ、なんとか2日終えて、ご飯をみんなで食べて帰ってかなりギリギリな感じ。

しかもその帰り道に、隣に座ったおじさんがやな予感するなと思い案の定、ふとした時にポロッと何か言ってきて僕らへの何かかと思ったら反対側に座った女性に対してのいちゃもんを僕に相談するように言ってきて、つい条件反射的にカッとなって自意識過剰だと言ってしまった。大丈夫?なのかと状態を不安に思ってしまい、そこから色々な話をしようと持ち掛ける方法で女性から気を逸らそうとしてみる。でも心を開いてくれないし、中々別の方へ行けず、途中で降りてしまったのがよりによってその女性が降りていった駅のホームで、危ない可能性もあるんじゃないかと不安で扉のギリギリまでおじさん気をつけて、とむしろおじさんを気遣うそぶりを見せる、、不安だ。大丈夫だろうか、あの女性は。

帰ってからおじさんに対して失礼だったかと少し反省もあるが、でもまぁストリートで社会なんだからそれくらいの偶然はありだろう、と思うことにする。酔っ払っていたのもあるけど、同じ時間を生きているんだし話しましょうよ、と言うと嫌だよ、出会い方が最悪だったんだから、とナイーブなことを言っていて、それはこの状況においてなんてマジョリティ男性の特権なんだ、と思ったが、これはこっちの前提なのかもしれない、、そんなものは彼にとっては形成されようがないペースなのかもしれない。

そんな知らない人に何か言ったくせに、クソ疲れて寝ようとしたらクソ上の階の人がやはりくそ音楽の重低音が響いてきて、もう一瞬でカチンときて寝れなくなってしまった。この体調を悪くした日の直前も上からの騒音で疲れているのに寝れないのが原因の一つであったんだから、結構立派な被害者だ。ぶん殴りたいくらいにイライラしていて、一度下の入り口で会って挨拶した時にユーモアまじえてそのことについて触れた話でもしようかと思ってしていないし、直接うるさいとも言いにいけてないし、管理会社にも許すようにしてまぁいいか、とクレームを入れられていない。本当は寝れないのはその都度信じられないくらい自分の中の危機的な怒りが起きている。社会的な信用なんて知らねえよくらいに、この眠りを妨げることに対して怒っている。

あのおじさんに対してアクションを踏み出すくせに、自分の半径のことが出来ずにいるわけだ。終わってますね。言うようにしよう、

2024年10月12日土曜日

 ば

2024年10月10日木曜日

この家に移ってきてから初めてペインティングを描き出した。

寝ようとしたらどこからともなかうるさくてまた隣のアパートのパーティーか上の家かと思ったらおそらく礼儀正しい隣の家からだ。やれやれ。

それに気付いたのは、一度うるさいと思ってベランダに出たからであった。

すると今日の空は信じられないくらい綺麗で星が透き通って空に見えた。東京じゃないみたいに綺麗で。なんだか宇宙における身体的に祝福されているような気がした。

2024年10月5日土曜日

あしわかね、

 満身創痍でここ数日間を乗り切る。月火水と練習を少し再開した感じ3日で徐々に身体が動くようになっていった気があった。けど木金に締切に追われて夜中まで作業で、もうそうなるとやはり全然以前の体力ではないのでギリギリ。満身創痍で終わった。明日のことは途中で考えるのをやめて、今日を乗り切ることしか考えないことにした。

でも今日はキツかったけど絵を届けにいったらギャラリーのいつもお世話になってる方にカフェのご飯をご馳走してもらった、本当にありがたい、、、

こないだ病院に行って検査は来週。かいちゃんに打ち合わせついでにかいママの食事のあれやこれを少し聞きつつ冗談も言ったり聞いたりで元気をもらった水曜。友達っていいんだなぁ、ってすごい思った。

身体の調子は喉は落ち着いて今度はちょっと肺とかなのかな?呼吸が少し押さえつけられるような感じ。なんだろうこの推移、変化、移行。もう体調を崩して1ヶ月だぜ、、やれやれ。


明日はわからないので寝よう、

2024年10月2日水曜日

なんとなく

 行った病院の先生が丁寧で良かったのだけど、薬を飲んで咳らへんが少し和らいだように思ったけどその日はなぜか眠れず次の日は疲れていたのにまたしても眠れないし、なんか臓器の方に違和感、目を瞑ってるの目が回るような感覚があり、次の日調べると薬の副作用として眠れなくなるなどが書いてあった。薬って飲んだら基本眠くなると思っていたが、腎臓が悪いと話すとそれを避ける薬をくれたつもりがそれに身体が対応し切れないという感じになったのではないか。

それで臓器系にかなり負担がきていると感じられて。夜極度に不安が走って、それで明日は病院に行って診てもらおうと思う。身体が回復し切ってからじゃないと数値をちゃんと測ってもらえないのでは、と思うのだけど、、色々と今詰んでるような気がして行かねば。

先生が言うようにこれはコロナの後遺症の可能性もあるな。先生でさえ2ヶ月から半年症状があったと言う。半年つかいものにならないのはキツいなぁ。

関係ないけど幼稚園でwsをする、あの3年ほどは、いつもハードだったけど、あれはあれの時間があって、楽しかった。たくさん甘えてくる子供たち。お迎えに来る家族の方。ちょっと大変そうで割とぶっきらぼうな先生。帰り道、ワークショップを一緒にやった人たちと子供の反応について具体的に名前をあげながら話す時間。到着する時間は3時とかで終わると夕方から夜で、まさに自分が小さい時に見ていた風景のことを思い出し、勝手に幸せだったと思ってしまう。

いい時間を過ごせるといいね、あたたかさを子供がなるべく感じられるといい。もちろんそれだけじゃない時間もたくさんあっていいと思うけど。

そして大人だって、いつまでたっても子供の部分があるよな、、

2024年9月29日日曜日

瞬き

 昨日は上の人がその後すぐ音楽をやめてくれたおかげですぐに寝付く事が出来たが、今度は起きるのが早くなり4時半に起きてしまった。そこからほぼ寝れず今日はかなりしんどい一日で、身体もかなりボロボロになってしまった状態でライブに臨んだ。色んな気づきをもらえるライブだったと思う。

帰りにやっと、待っていた時間が、おそらくずっと探していた時間にほんの少し出会えた。

現実に嫌だと思い、空想を生きる瞬間が少しだけ生まれた。めちゃくちゃ久しぶりに訪れたそれだった。

2024年9月28日土曜日

夜の街へ

 あまりにも治らないので、地べた音楽祭には間に合わせたいので、迷いに迷って中途半端に練習するのでなく家の近くのクリニックへ行った。50人くらいが評価していて満点のところ。 行ってみると信じられないことに院内でトムウェイツがかかってる。誰の趣味なんだろう。受付のおばさんだろうか。先生も丁寧で、これを1日続けるのはハードな仕事だろうと思う。薬を受け取って夜は六本木へ。ライブ後にジェームスとみほさんと落ち合い蕎麦を食べに行った。ジーマにむかし教えてもらったお店だった。

最近は夜眠れないのを改善したいのでベッドに入る時間を記述してみている。実際に布団に入ってから眠れるまではもちろんバラバラだけど。

ジェームズが人生は難しいから、という話をした。みほさんやぼくを巻き込みながら。

うわぁっていうことに今更出会っている人生だが、他の人もう一回り先にそれを経験し、これから地を固めていくんだろうか、とか周りを見ながら思う。

でも知らないよな、人間なんて、





嫌な予感がする、、、上の階の人が音出しを始めている、、やれやれ

2024年9月22日日曜日

あの曲

 トーキングヘッズのthis must be the placeにハマるのは遅く、大学の先生でもあった飯名さんの主催するマムシュカというイベントのDJタイムで突如流れ出会ってしまった。別のアルバムは持っていたがなぜかこの曲に、この有名な曲にはまだ出会ってなかった。その時アサヒアートスクエアの空間は軽い熱狂が一瞬ふわっと空間を軽くした。人々がさっきよりも勢いをつけてふわっと踊り出した瞬間に出会した。

その後、ショーンペンが主演する映画の予告編に出会う。この曲が翻訳された歌詞が歌と同時にテロップで流れてきた。映画のタイトルは、ここが帰る場所、だった。

ふわりとこの曲が流れてきてわたしにいう。少し歌詞を変えていう。言ってきている気がする。少しずつほれで現実に帰っていく。

ここはthis must not be the place帰る場所ではない。

さぁ向こうへ。さぁ向こうへ、と。

こっちではなかったのか、と。

またやり直し。

いつのまにかすっかり帰る気でいたんだ

おそらく たぶん。

ここじゃなかったのか

いつのまにかすっかり帰る気でいたんだ。

早いよ、疲れた?あともうひと頑張り

一瞬、

 久しぶりにスタジオを借りて練習が出来た。稽古と言いたくなさもあるのは、自分の出自へのリスペクトかも、小さいw。この3日間の軽いランニングのおかげで体力が戻ってきてる気がする。回復。あとちょい。それで今日は踊りたい気持ちもあり、中々移動もあって1日の最後に練習をいれたものだから疲れるけど、でも踊ると楽しいと感じられた。良かった。久しぶり~!って感じ。元気になると楽しい。

元気であり続けるのは難しい。

Twitterでパレスチナの動画が流れてきた。原爆美術館やはだしのゲンで見るような子供の焼死体、それでも止血しようと足を縛る大人。あんなに小さい子供に足を強く縛りたくなんかないはずなのに、死ぬよりも痛いで生きてくれるならと縛っているのかもしれない。一瞬、、うっ、、となる。


2024年9月21日土曜日

それその

 今年にやって眠れない日の方が増えている気がする。4日に一日くらい?それは言い過ぎかな。ぷつりというのがもしかしたらほんの僅かに起きていてそれが合図で眠れなくなる。毎日を一定のリズムで眠ることが、精神的にも身体的にも健康を作る、と書いてあるそれが出来ない。理屈でわかりやる、ということをある意味でクリアしようとしているくせにこの部分などに関して全く出来ず、人にも得意げに伝達しているくせに実行出来ないという有様。でも数年前は眠ることがもう少しうまかったけどふとんに入る時間はもっと遅かったことを思えば進歩、なのか。

気付いたらいい年齢になっていて、ネガティブなことも考えざるをえない。今一度人の事なんて考えたくないな。でもそうなんだろうか、本当は人の事を考えたいのかもしれない。どうなんだろう。体が動いている事、それそのものかも。

夜眠れないくせに変な夢は見ていて、その変な夢があるおかげでなんか微妙にそこで見る世界が面白く、良いなぁと思ってしまえてるのは救いなのかもしんない。

2024年9月19日木曜日

大阪

 大阪に行ったのはとても良かった。と言ったって基本的には大阪城をぐるぐるしたりしてるとか、大きな美術館に行くとかくらいしかしていないのだけど。とにかく大阪城を頭に入れるというのがあったから、歩き回ってあそこにあれがあるとか、周辺の建物は、とか歴史がこうあるとか、そういうことをぐるぐる周遊し見て回る。そうしてまた本屋さんなんかで本を手にとり読むということもするし、街というものに今度は広がって街を知ろうみたいなこともにも至る、とかくとシンプルだけど意外にこの時間自体が久しぶりだったわけだ。だからこれ自体がインプットになったし、持っていった仕事のインスピレーションにもなったと思う。東京に帰ってもそれをやりたいと思うのみだ。あとは体調がもう少しばっちりなら踊りをもっとやりたかったなぁ。金沢と広島にも行けるといいんだけど。 

2024年9月14日土曜日

秋の映画

 ずっとまたちょっとダルい風邪が続いている。昨年末なったやつ。もう2週間くらい。治りそうで治らない。コロナ以降、こういうのにかかるようになった気がする。その前までなら大体三、四日で治るかかかっても1週間ちょっとで遅くとも良くなったのに。 3時とか4時とかに寝ることはもうだいぶなくなったけど、やっぱり今年に入って別の仕事も増やしてバラバラな時間になっている。時間を朝にしようと朝の時間を使う意識は増えてはいるものの。生活をそこに向けていく努力はもう少し必要そうだ。

明日も早いのになぁ。

周りの人が結婚し、もうすぐ生まれるというのを同い年の人から何度か聞いている。おめでとう、という気持ちと本当に安全に生まれてくれ、という気持ちとがいつもあって勝手にハラハラする。生まれるまで何があるかわからないと思ってしまう。

冷静と情熱の間、これは果たして作り込まれた素晴らしい映画かと言えばきっとそうじゃない。日本の多くの恋愛映画をそもそも見る気にもなれないのであんまり自分のジャッジは信用ならないにせよ。しかし、この映画はなぜか好きだ。拙い日本語を話す彼女と男性、日本人が話すときに感情を探して言葉を探すのとは別の経路を挟んだ彼女の発話の方が何が奥行きを持った想像力を誘う響きがある。とか、設定がイタリアで彼らはイタリアに長く住んでるというフィクションを映画ということでやっていて、そのことが浮ついて感じられることが別のレイヤーとして旅に来たような感じと、以前どこかで読んだイタリアにたとえば住み着いた職人のような彫刻家のことを両方思い出すような感覚がする。ねじれてアクロバティックにいい感じ。

それにしても恋愛映画なんて、記号と記号で積み重なって出来ているようなものなのに、その記号が積み重なる時に、自分の中の何かがパズルのように組み替えられて閉じこもっていた感情なのか、それとも閉じこもってなんかいやしなくてただ自身の中にもパズルみたいなパーツが動き繋がることで生まれてくる感情の起伏がある。その時に、自分がそうだった、こうだったとか、そういうことを強く思う人生だったと思う。これからもそうだろうか、それとももうそうじゃないのだろうか。

2024年9月4日水曜日

九月

 案の定、体調を崩してしまい、ぜひ今度会ったらやんわりと注意を促したい。だってこれで結構色んな仕事にも影響が出ている。

そして明日の朝からの勤務。明日は肉体労働で少し緊張。体力が万全でないとその分辛いのが目に見えているから。でもここ数日は早く寝ているおかげでなんだか夜の苛まれは減っている気がして、今夜も気持ちがどこかメルヘン。眠れないのに、眠れない=回復遅いのにも関わらずどこか気持ちはメルヘン。携帯を取り出さないでどこかメルヘンのままがベターかも知れなかったけどこの気持ちもあった、ということを。

2024年8月31日土曜日

滅入る

 ここ連日、バイトも続いて疲れが溜まる日が続いてこの数日はちょっと体調を壊しそうって感じで、なんとか昨日少し取り戻せるような睡眠を得たけども十分ではなくて、とうとう今日の夜で、それで眠いしこれで明日はゆっくり起きて本番に備えよう、などと思うが、こういう日に限って上の階から呑気な重低音が聞こえてくるのがわかる。気にしてしまって眠れない。音楽をやるくせに重低音が下に行くことなどわかってないうセンスの悪いやつなんだろうな、とかどうでもいいことが巡り巡って眠れなくなる。今日に限ったことではないのでそろそろ管理会社に連絡しようか、などと思う。というより、本当は自分で注意しに行くべきだと思い外まで出るがそこまでの勇気と気力が足りない。管理会社なんかに頼るから、人のコミュニーションをしようという気がどんどん落ちていくんだろう、大体管理会社って何も仕事してなさそう、あの配管が詰まったと伝えたのにそれから何も言ってこない。色んなことがブラックボックスのようで相手のことがわからない。隣の部屋の人は最近見ないが生きているんだろうか。

どんどん生きるに値しない社会みたいに感じる方が楽な気がする。滅入る、滅入る。


2024年8月24日土曜日

せんたく

考えてみればコロナが始まってからずっと想像力が元気なかったんじゃないだろうか。スランプとか言ってると坂口恭平的には調子乗るな、ということになるわけだけど自分的にはよく人生の何かを指してスランプだとかその時期ごとさえ比較したがるのか、そういう風に指してしまう。 もう少し前は見ていたことがいっぱいあって、それだから出てくることや面白いことがあったような。 最近は本当にどうだろうね?

ふと自転車でプールから秋に向けて立ち止まる交差点で、自分がいつの間にかひどい顔をしていることに気づいた。息も上がってる。何か大きいことがあるわけでもないのに日々に疲れている。くたびれている。

秋田にいた時はこんな顔をしていたっけ?と思った。それは全て用意されていたからそんな顔にならなかっただけ??なんでかこんな風に緊張していて、でも東京で楽しい〜!が正義になるなんてことはありえないんだろうか。 ちょっと抽象的で検証できないかもな。

インスタにたくさんの踊りの映像が出てきてうんざりしてしまう。自分が踊らないなら観にこなかった友達のような子がいて、それはある意味で正解だと思ったし、青木さんの舞台のソロダンスの舞台に上がってきちゃった子がいた、面白い話だ。ダンスを見て実際にどうとか、そんなことは本当はどうでもいいかもしれない。それよりこの話が面白くないだろうか。人間なんて見たくないなぁと、ぼんやり思う事は色んな人にあると思う。

最近はランニングと公園とプールを行き来してミックスする時期を楽しんでる。本当はこれにもっと歩くやつともう少し室内での踊りとリズムトレーニングとかも入れたい。

最近嬉しかった事は洗濯機を買い替えたこと。まだ届いてないけど、ジャンク回収品とかじゃないとなんか自分で選んで買った嬉しさがあるし、家電が良くなるのも嬉しいんだね。あとは掃除機も良くなると嬉しいな。ささやかだけど。

生活も大変だけど。

いい言葉を聞いて、まぁいいじゃんという気持ち。

2024年8月17日土曜日

お腹

 今日は在宅で6時間パソコンに初めて向かった。通勤すると大体、他の業務も入るのでずっとパソコンということがないからだ。なので最初は不安だったが、最初の山を越えると少し違う気分になってそのまま行けた。次回あったらどうなるかわからないけど。台風もあり変な日だった。 ようやくひと通りの時間をこの街の付近で過ごすことになってやっとここに住んでいるような気がしてきた。 秋田市にいた頃はそこから別の街に行くのも時間的に余裕がないこともあり、とにかく街の中で済ませようとして結果として街と生活が結び付いていく、コンテクストとともに。そういう感覚があった。

たくさんの嵐があった日だったから街には人が少ないし、みんな翻弄されていて街や人に向けての意識は二の次で身を守ろうと動いている姿ばかりが散見された。

また、最近は再び意識的に映画でも見ていこうかな、なんて思っている。そういえばある時期までは同じ映画はなるべく見ないでなるべく新しいものを見るようにしていたことがあったが、ある時期にもうそれなりに見たはずだから好きなものはもう一度見てよし、というふうにしてから夏になるとこれ、とか冬はこれ、とかして毎年見たい映画シリーズみたいのが生まれていった。

なんか改めてどんどん映像が流れゆく時代だけども悪あがきとしてリソースとして再び意識的に映画を観ていこうかな。今夜はビューティフルドリーマーを観る。映画専攻にいたおかげで色んな映画や本やバンドを友達に教えてもらったな。

今夜、眠ろうとすると鈴虫みたいなある高さの虫の音がずっと鳴っている。電線の高さとはまた違って風流だ。あっちは冷房の音かな?

隣の引っ越してきた人と偶然鉢合わせして軽く会釈すると後ろから再び声をかけられて少し話す。珍しいね、このご時世で。嬉しかった。

今日は結構、絵も進んだ。複数の絵に取り掛かっている。そしてそれは夜のランニングとも地続きだ。互いをサポートする。

夢を見よう、今日も知ってるようで知らない街の夢を見たいな。微妙に現実と設定がいつもズレている。

100歳まで生きようとか言ってたけど、それはあくまで目標くらいに思ってたけど2024年と数え出したうちの100年でも見ることが出来たらそれなりに何かを会得した感じってするんじゃないか、と具体的なことを思った。

それにしてもあの検査を再び9月にしてみるけど、嫌な結果じゃないといいな、。

ご飯をまた遅い時間に食べてしまって胃腸をこれじゃ休められないと反省。明日も14時間くらい空けるつもり。

2024年8月15日木曜日

帰、

 秋田の幸せな日々から東京に帰ってきた。昨年と比べてもう一回り小さなチームでの連携で、今回の目的はそれはそれで昨年とはまた違う困難さを伴っているものでもあったけど身に起きた災難以外は穏やかな中でちゃんと意志を強く持って進めることが出来たと思う。 もっと余裕があればあんなことやこんなこともやれたかもしれない。それでもたとえばワークショップを終えてみんなで話して、そこに新しく来た人もいてワークを共有し、昼ごはんを食べようと安いスイカを買ってスイカ割りしたり、率直にこの仕事ばかりに目を向けて、ここで、やるんだ、と動け続けていたのはなんというか本当に幸せだ。東京に帰ってくると改めて大義名分が立て難くなっているのを感じる。なぜ、ここでこんな状況の中でまで何か特筆して表現する必要があるのか、と。誰が表現を必要としているのか?みんな結構表現する人は表現する人でたくさんいてやっているわけだから、次はどうするべきなのか、そもそも東京はどうすべきなのか、そもそも考えるべきじゃないのか。東京とはたとえば今言うなれば色んな情報のデータアーカイブがあるデスクトップくらいな感じ?ここでは表現ってよりアーカイブのオルタナティブを示は形にデスクトップだから結果的になっちゃうみたいな?、

お寿司もスイカも向こうは安くて、泊まった場所もなんだか昔おばあちゃんの家に泊まった時のことを思い出した。少し潮の匂いもしたと思う。


ただそれはやる事があったからの話かもしれない。無為の時間が増えていったらどうだろう。

新幹線で帰るのはいつも以上に何か、わたし、帰るって感じがあった。でも旅はもっともっと続けなければならないし、今住んでいる場所をもっと住む必要もきっともっとある。全然生きている理由はわからなくなったままなんだから。焦っている。

東京に帰ってくる、渋谷駅で降りるとこの喧騒はまるで東京じゃないみたいだった。どこかの東南アジアの繁華街みたいな異文化の流れ込みをノリ自体への影響として感じた。



2024年7月26日金曜日

20年前

20年も前の映画になってしまった。ずっと見てなくてDVDも持っていたけどやはり後半の部分に腰が上がらなくてそのまま時間が過ぎ、でも見た記憶や画面の美しさはずっと残ったままでいた。

まだ途中までしか見返していないのだけど、なんと美しいことだろう。2人の俳優のその世界にいる、ということがずっとまだ美しいままであった。

そしてこの映画が過去と現在を行き来することが、今の自分と過ぎていった過去と比較して見ることが出来るようになっていた。あの高校生の時だったらそんな風に見れなかった。

たとえそれがフィクションの映画であったとしても、その有名なシーンはリアルなのか?と問われれば、それにしたって強くメタファーとしても機能していると感じた。前途多難であろうと、誰かを最後に届けるために全力を捧げるということが、美してくて。若い時は僕は未来を明るく見ようと思っていたのかもしれない、だから余計にそこからいなくなる、ということに対してなんでだろうとか疑問とかがあった。けど大人になっていくと、どうだろう、未来の大きさや見えていることが変わったんだろうか、そういうことへの反発も少なくなっている気がする。

映画の人たちは反抗していた。

そしてヒロインの子はずっとそれまで甘えたりしなかったのに最後のチャンスが奪われた時にやっとそのパートナーに甘える。どこにも行くことの出来ないパートナーは空に叫ぶしかない。


色んな記憶とともに20年前のことが少し思い出されて、少し悔しい気持ちになる。でも、まだ思い出せるということが大事だと思う。たぶんもっと色んな記憶と生きる事が出来る、、し、、そんなに簡単に折り合いをつけることが出来ない。過去や未来を行き来するし、あの人とこの人の間も行き来する、複雑にしか生きられない、

そしてこれを書くのは映画を見ている時だけにこの想いが存在していたことをしたくない、書く時にまた思い出したりして気持ちを延命させたい。

2024年7月21日日曜日

どどめる

 今の気持ちを消えてしまう前に留めようと文章にしてみるのと、面白い文章というかテキストをさて書こうというのは違う試みで、夜に書くのは前者の方だ。それは昼間に良いテキストを書こうとかとにかく書くをしたくて書くをするのとは別のことのように思う。

そして何が書きたかったかの気持ちも忘れる。昔はこんなふうに文章を扱わなかった。mixiがあってそこから人に向けての媒体で何か書くようになった。その時はいい文章も書いていたと思うし、いい文章じゃないなら書くべきじゃないとも同時に思った。何かエネルギーになるようなことのアベレージを目指そうとしたがうまくはいかなかったけど、たまに機能もしていたように思う。でもいつからかどうにもならなさ、とかテキストに書いたところでうまく描写することも難しいのに何かその時のことを留めようと、なのか、表現においてクソの部分もやれる場所が必要と思った。どうでもいい、とか。応えたくない、とか、

最近は相変わらずちょっと変な夢を見るし、久しぶりに会うやつが夢の中にいる。みんなありがとな、

2024年7月19日金曜日

休憩

 ベランダからたっぷりの雲を見る。向こう側では月が浮かんでいる。 昨日は友達と電話をする。随分久しぶりに話した。 今日は別の人とタイミングが合わなくてまた今度となった。 30分でも横浜のみなとみらいの景色の中を歩くと、この人工的に再配分された木とコンクリートが作る情景とかってなんだかアジアでも見たことがあると思ったし、案外日本の都市をモデルにしていたりして。

夏だからこの景色を歩くのも面白くて。たとえば橋の下では変なおじさんが独特の間でその辺をうろちょろしてるとか、信号を反対側で待つ人のやけに暑そうな顔を見せてくることとか。

そういえば何年振りかに500日のサマーを観た。この映画も忘れられない映画の一つになった。それにしてもサマーはひどいなぁ、なんて言っても結局のところみんな自分の人生や運命に進んでいくのでそうなるんだろう。

再びアメリカの以前の映画が面白くなってきてる。


それにしてもさっき、雲を見る時間を作ることが出来て良かった。全く空の雲を見ていたら今も昔もずっとその空は知っているままだなぁ、って思った。



2024年7月11日木曜日

I LOVE YOU DANCE CITY

 僕は嘘つきだと思う。
ストリートでパレスチナの国旗を掲げながら帰り道のスターバックスに立ち寄ってこれを書いている。なくてはならない時間になっている。本当は場所は変更可能なはずなのに。
だけど今夜ストリートで踊っている中で、パレスチナの国旗を見かけて明らかにバツの悪そうな顔をする西洋風の人の顔があった。
TOKYOという異国に観光でやってきて、ここに来て色んなことが諸外国よりフラットな観光を楽しんでいるような場所で不意にパレスチナに連帯するような国旗を見つけてバツが悪かったのかもしれない。でも、その僕は徹底されたボイコットしているわけでもない。
あのストリートでやっていることも2週続けて終わり頃のタイミングを見計らうようにして警察の人が来てくれた。たぶんもっと早い段階でクレームが来ているはずだ、だから感謝。目をつむってくれているんだと思う。
一方で都知事選。僕の周りではやっぱり石丸さんはだいぶ嫌われている。
でも僕はそうでもない。でも僕は蓮舫さんに投票した。だって長く政治の中にいる人ということで。
複雑。
でも分断もある。
こういうことさえ言いにくい。しかし話す、やるしかない。
僕は僕で表現する、乗るところでは乗る。乗らないところでは乗らない。
村上さんがストリートが終わった後ビールの中で言っていた。言葉にしてしまったり、言葉が強いから嫌われたきたこともあるという。
僕は言葉が欲しい時にもらえなかったというのが自分の中で珍しい感情として生まれたというのがあった。
向こうはまた違う感情かもしれない。
複雑。

しかし来週も踊るよ!
今日はいいダンスしてたと思う。ありがとう、

2024年7月7日日曜日

休日の水族館の移動のクラゲ

 色んな人に今日は遭遇する日だった。セイハローの日みたいな。でもそれだけじゃない、午前中に公園で身体を動かすところから始まってその時はあんなに暑かったのに。

でもいつもいい挨拶ができるわけじゃ全然ないんだけど、少なくとも今セイハローと言える友人や知り合いがいるということは低く見積もって幸福なことなんじゃないかと思った。都現美からバスに乗ると次第にうとうとして眠ってしまう。イヤホンからはフィッシュマンズで、たぶん初期の頃の音源が流れていてその時はまだいわゆるフィッシュマンズじゃないみたいだ。そういえば20代と30代で明らかに顔の筋肉が違うのを感じる、硬いと感じる。朝起きて歌い始める時、まず顔の筋肉をほぐすところから始める。

三茶に着いて雨がすごい中を投票所まで足を運ぶ。僕は蓮舫さんは落ちてしまうんじゃないかと思う、結局のところ。でもなぜ、そういうふうに周りの人は蓮舫さんしかいないみたいになってしまうんだろう。確かにわかるけど、そのやり方で見る人は限られていてあと他は別のやり方を探すしかないのでは、と。色んなことがポピュリズムみたいなようにも感じられる。

ロマンスたちの響宴も見た。最後、すっと深呼吸みたいのをするので終わるのがよかった。劇場という構造の中でとても戦い抜いたクリエーションだったと語られていたし、色んなことが舞台でもクリアーされているようにも感じられた。しかし自分はマジョリティー男性で、しかもこの劇場という機構とどう付き合いえるのか、難しい気持ちにもなった。

帰りに頭BARまで自転車で行って、ポンちゃんのライブを見にいけてなんか帰りはノリで1人で博多天神食べて帰ってきて最高だった。今日は結構一生懸命生きた。というのも高校の友達とこないだ会った時に、高校を振り返ってやり残したことあったか?という問いが出て、僕は一つだけ他人のこととしてあったこと。それ以外は確かあの時はマジで毎日全力を使っていたから、それ以上のことは出来ないってところまで高校の時はやって生きていたんだと話しながら思い出した。あれをもう一回やれないかな、とかじゃあ大学のどの辺から挫折したりそのことを認めて受け入れて生きるようになったのか、とか考えたり。

明日は山への準備。

孤独死する男たちという本を読んでいて、、、そこでは人間関係の構築や友情に努力をしてこなかった男性たちについて書かれていて、このことで色んなことが説明できると思う。

でももうちょい、というか自分のやり方はその手前しっかりやろう。今一度少しは前向きになれているのだから。


ここ数年の世界の変化はあまりにもすごい。

2024年7月1日月曜日

とさ

 ずいぶんくたびれて帰ってくる。強い風は木や林を揺らし踊らせていて、緑と黒の踊りに見えるよ。自転車を止めて上に登っていくとたぶんきっとベランダからの風景も見たいんだろうなぁと思ってベランダから向こうに広がる住んでいる街を見渡した。向こうの方で微妙に煙が上がっているのも見えるし何より灰色の空が風に揺られていて台風まではいかない強い風が今吹いていることが目でわかってそのことが嬉しい。天気が違うことや風の音を聴けるくらいの静けさを自分の中に持てたら、また四季を十分に感じられるのであればきっとそれだけでもかなり生きたいとか思えるんじゃないだろうか。久しぶりにそういう気分の風が吹きましたとさ。

ゴミ捨てに行くと信じられない光景があり、セミの死骸が落ちていた。耳で聞くよりも早く。どこかから流れ着いたのかな、物理的に。

2024年6月25日火曜日

覚えて

 今日は働き先で頑張って乗り切ったと思う。ので、たくさん疲れた。けどなぜかその前後の時間も充実して過ごしきったような気がして気持ちがよかった。最近は結構、この先どうしようとか、夜とか朝起きてすぐとかよく思う日も多かったけど現実を見てそれを否定するんじゃなくて、そうすると他の存在も否定しまうような感じとかどうしたってあるじゃない?(とか言ってよく否定しがちなんだけども、、)肯定しようと、ほれは動詞としてなんとかしようとした、みたいな。形容詞だったら変えられない状態を指すけどこれ自体が動詞なら、肯定するという動詞で動詞を全うするという選択肢が生まれる、そんなような理屈が動いていたのかも。

もう少し思い返すと、先日先生からもらっていた10年前の高校を振り返ったテキストを読んでいて、そういえば高校生の時、とにかく毎日全力で生きていた、ということがあった。毎日全エネルギーを使って生きていたことがあったと思う。胸張って言えていた気がする。それが一度大学に入って負けてしまう、そこから個人のオルタナティブな戦いに変わっていった。集団に負けたという経験。そこから社会や集団にちょっとずつ負ける時間が増えて、ここでは負けていていいんだ、みたいな時間が生まれていった気がする。特にバイトとか。これほ一時的なんだ、と。

でもそれはむしろ一時的にならずに、ぶらぶらと自分の生活の一部分に蝕んでしまった。あと少しでその時間を生活の中で追い出せそうとか思ったり、物理的には追い出せそうになったけど結局追い出せなかったし、そういう意味では今年になってそれがまた結構あともどりした気もする。でもそれは物理的というよりも自分にそういうクセがついてしまったということかもしれない。そっちの方が問題だよね、高校のその生活と比べたらと、やっと言語化レベルで今日ゴミ捨ての時に思えた。それを追い出せそう??もう一回高校の時みたいに生きれないかな。本当に毎日、学校に行くのが楽しかった。ありがとうみんな。

覚えているだろうか、

2024年6月23日日曜日

ブルーの街

 相変わらず寝るの下手な日が続いてるけど、寝不足でもそれでもそれなりに1日を乗り切れる日が出てきたのはどうしてかな。 腎臓の数値が高いと言われスナック菓子を寝る前に食べるのを控えたからかな?

今日はワークショップの帰り、お酒を飲んで1時間くらい日比谷まで歩いた。映画を見ようかと思ってたけどブルーの色が変化していく街を眺め歩くだけで映画みたいだった。歩いていて色が変化していく中に自分がいて、これだけで本当は生きていたいという理由になりそうなくらい色のお手本なわけだ。絵を描いたって勝てっこない。

そして10年前に先生から受け取っていたテキストをようやく読み終えた。多摩川の描写があり、久しぶりにそこの記憶へ戻っていく。いつまでも高校の頃の話を肴にするなんてとか、そんなことを思いそうになるけど、そういうのはあればあるほどいいし、そして今を抱きしめていくように生きるのが良いんじゃないか、っていう気分になった。

結構人生難しいな、とか思ったり何様だよ、って思ったりしていて、弱音と張り切りを行き来したり。

でもテキストを読めて良かった。

たぶん、よし頑張ろうとか、行こうとか思えて姿勢もそこに向いたようになっていることこそが何かを連れていくきっかけにもなる。もちろんそうじゃないとか、そうじゃないことをやる、っていうのもありなんだろうけど。






2024年6月16日日曜日

目がいたフラ

 仕事を終えて新宿へ向かう。ビルの1.2階を覗いたがいない。調べたら地下だとわかりそこで数年ぶりの顔を見つけ緊張する。数年振りに会うのは緊張する。人に多く会ううちに会う人の顔も刷新され続けていて久しぶりに会った時にその過去が引き出しの奥底にしまわれてしまうかのように取り出しにくくなったりする。

でも高校の友達は自分のことをなおすけと呼んでくれることで思い出されることがたくさんある。刷新され続けているそれぞれの人生の匂いを嗅ごうとするには2、3時間では足りない。でもなんかもう少し知りたいって思い続ける時間だった。

今日の幹事はつるくんがしてくれた。彼は友情を保つための努力をし続けていると思う。ウォーターボーイズの時もそうだった。とにかく何かを友人たちと出発させたい動機は作っても、それを維持する意識が乏しかったのかもしれない。先生に10年前に渡されたテキストを読み始めている。少なからず芸術に携わる身としては、何か形にできるんじゃないかという気持ちが起こる、またそれを見据えている部分がどこかあるからこそ先生は僕に狙ってテキストを渡したのではないか。

お酒をちゃんぽんし頭がフラフラだ、


こないだのライブも結果的にうまくいったみたいだ、と思う。ただこのままだと音楽系にも歓迎されないだろうなと想像がつく、もうちょい具体的にプランを練る必要があるな。

2024年6月15日土曜日

ここじゃないところ、

 おーい、そこじゃないぞ、と向こうのほうから聞こえてくる。違う気がしていたけどそれは自分が変になったか、歳を取ったせいか、とかそんな風に思っていたんだけど。根本的にそうじゃなかったじゃん、違和感が湧いてきているのはずっとあって、それに気付くしかなく、そこからいつもまた始まっていたんだったと思う。旅をするみたいに。だからその声が向こうに僅かにでも聞こえた気がしてそれは渇いてうれしい。

山の向こうのほうから。という言葉があるけど、そこで具体的に山が指されるのが嬉しい。言葉を知って使うということが私やあなたが生きている環境とかを再び照らす、その中に生きていることを遠くから間接的に知らせようともしてる、そんな風にも感じられないだろうか。


2024年6月12日水曜日

東、北の方

 仲間外れ、というワードは確かに驚いた。ネガティブ過ぎて憚られるように置いておかれるものでありながら、確かに根強くある概念みたいなところはある。

ゴイステが出てきた時も、そんな人たちのやる音楽とどこが思うところがあったからそこに寄りついたんだと思う。それは言うなればもしかしたら国際的な位置としても二重の意味を持つような気もする。

ミスチルには創作の初期衝動を覚えてゴイステはどこか自分の心境との親近感みたいなのを覚えていたんだと思う。その後、人気になったバンドはやはりそれはそれで別のこじれをファンとともに伴っているというように見受けられる現場もあった。

でももっと若い頃、自分がどこに所属し何をするかよりも、仲間外れみたいな状況こそを見るのも嫌がっていたような時期もあることを覚えている。言い当てそれだったかは微妙だけど。


2024年6月8日土曜日

裸のパンク

 インスタに流れてきたザコシの芸を見て竹内結子さんが笑いながら涙をこぼしている動画が流れてきた。コメントには綺麗だ、とかザコシのなにが面白いかわからないとか書いてある。それに真っ直ぐにこのコメントはおかしいとか、その通りだとか、何せよコメントをさらにつけようとすること自体が、推し量ること自体があまりにも野暮だけど、少し考えることがあった。

竹内さんといえば僕にとっては中学生くらいの時に映画やドラマで見ていた人で、いま会いに行きます、とかを見てとてもあの当時はあの映画が雨の物語であるというセンチメンタルな空気とかにも感じ入るものがあり好きだったと記憶している。

でも竹内さんのことをいい俳優だとか、はあんまり思ったことはない。むしろ何か違和感さえあるような。違和感?というか、なにか。


ザコシの芸を今まで見て面白いとか思ったことはなくでもとにかく激しく振り切っていて、そこに疲れとかを見せるセンチメンタルも排除し、ただあるのは躍動だけ。限られた身体や声の金切り声、お膳立てなし。そういう感じ。

番組でそれを見た竹内さんの涙が笑い泣きではなくて、何か本当に泣いてるように見えてしまった。何かこんなこをする人間がずいぶんいなくなってしまったような、勝手な憶測だけど。

とにかく全力で有限の身体で何かしている、お笑いなのか、ダンスなのか、歌なのか、アートなのか、コミュニケーションなのか、知らないがその体が何か強いエネルギーでやってしかもそこに感傷もくそも持ち込まない。前後さえ感じさせない。多くの人が通り過ぎる。でもそこで発散されるパワーは自分の身体に炸裂しそうだ。自分のことをやっている、そんなことを彼を見て思った。そしてそういう人がよく自分のことを励ましていたような気がする、なぜそういうことを思い出さなくなったんだろう。そんな風に竹内さんの涙から勝手に妄想が自分のことに返ってきたんだと思う。どんどん世の中が難しく技巧的であらねば生きていけないような気もしているけど、あの炸裂。

そうか、そう考えると久しぶりになんていうか、アライブなかんじ、生きていていい感じ。まじめにやんなよ、と。届くなんて思うな、みたいな。パンクだった。

2024年6月7日金曜日

瞼を過ぎて光が届く

 自転車でイメージフォーラムに向かうと入り口で地べたに座る大木さんと見にきた観客や知り合いの顔。この感じ。映画が始まるなり最後列に荷物を地べたに置き、相変わらず彼の身体がそこにある。映画を撮る時も見る時も人に会う時にもカメラや身体がそこにはあって、身体の記憶とカメラの記憶が作品の中で混ざり込む。久しぶりに見たそれのうちの一つはやはり想像していたように手ブレも含んだ映像が多くて、三半規管の弱い私はそそくさと映像酔いを始める。目を閉じてもダメなことに気付く。瞼を閉じたくらいじゃ光は目に像を追え、と侵入してくる。段々と酔った身体が強い硬直を強いる、久しく強張ったことのない状態に身体が変化していく。風が吸いたいと思う。思い返せば映画を勉強していた大学の頃もこんなことがたくさんあったような気がする。そのこととダンスの身体の解放、決して酔わせるようなことはほとんどなかったような。映画の教室に通っていたということ、大木さんの20年前の映像には昔の知り合いの顔も出てくる。青春をどんな体温で生きていたのか、思い出させるような瞬間だった。再び夜が明けようとしている。眠れない体はまだ酔った目をしていて、瞼の裏が気持ち悪い。

2024年6月2日日曜日

やふぃ、は、

 もう本当に疲れたし、本も読んで寝れると思ったら、なんか仮眠をとったような状態でむくむくと頭が布団の中で起き始めてしまった。ここの和室もあと2回しか眠れない。和室で縦文字の並んだ本を読んでいるのは似つかわしい気がする。そして絵画やダンスが西洋からの輸入物としてあって、依然として和室には普通にやっては浮くかのような状態で本は日本語や感じに合わせて装丁されていることもあるこのデザインは和室に合うような気がする。これは結構、力技のくそ理由かもしれないので撤回をすでにしそうだけど、それくらい和室のもとで読むのにしっくりくる時間がそこにあった。

こういううまく寝れないのはいつまで続くんだろう。もう癖みたいになっているのか。まるで赤ちゃんを寝かしつけるのにリズムが必要なみたいに。しかし、今日はうまいリズムで滑らせたはずなのにこけるようにして眠れなくなってしまった。

最近は2歳以下とかの子供とやりとりする時間がある。これまでの4歳とかとは全く違う。

彼にとって自宅の廊下の中にさえ近さと遠さが存在しているように思える。遠い部分は誘おうとしてしまっては泣いてしまうのを繰り返した。それが一体全体的にどういうことなのか知りたくなる。

または子供同士が互いに泣いてしまったのを見て大人たちは可愛くて笑う。その光景は牧歌的でとにかくかわいい。だけどこれと同じようなことを大人も引き続きしているわけだ、なんてことだろう。人は歳をとって俯瞰で子供を見れるのに大人自身のことはこうも難しいままだ。


2024年5月29日水曜日

イヤな夢、

 和室が良いとか書いていたのに昨日はとても悪い夢を見た。現実のように感じられて眠った気がしないで起きた。それはとても悲しかった。悲しくて悲しい嫌だった。どうしても嫌、どうしてもいやな夢だった。どうか違ってほしいとしか思えなくて、でもそうもいかない、そんなのやめてほしかった。起きるとそうだった。

まだ眠る夢に期待してしまうところがある。


クリエーションで遅ればせながらも井上ひさし特集のように本を読んでいる。段々と井上ひさしのことが好きになっている時期、そしてそこの周りに関わる人も人生も見えてくる読者のターン。人が楽しそうに生きていたんだな。いま生きていることを忘れそう。

2024年5月28日火曜日

和室

 ひひゃうー、こっちでは思ったよりも(いつも思ったよりも、だ)忙しくて中々手をつけられていないことが多々ある。寝るのはでもはやい。大体この12時くらい。和室に泊まっていて、木の板の廊下を歩くのはなんとも気持ちいい。多少寒い日もあるが、なんとか乗り切る。和室で寝れるのは気持ちいい。何か安心の記憶と結びついているみたいだ、自分が何者かを少しだけイメージできる何かと結びつけてくれるみたいだ。田舎のおばあちゃん家に泊まった時は田舎だったけど、そういうこと?小さい時に田舎に行くと畳の部屋で数人で布団をひいて同じ天井を向いて寝た。向こうにいったらやることはほとんどなくて、だから遊んだりすることしかない。

連日、小さな幼児に会う日が続いている。彼らは起きて遊んでいる時、ぼーっとする時間はほとんどないことに気付く。どういうこっちゃ。まるで人は疲れたりしないみたいに、ずっと動いている。親は改めて大変だと思う。

帰れる場所があったり、それを作ろうとしたりするのはいいことだなぁ。

2024年5月23日木曜日

遠く、けど近い、寝る

 信じられないくらい早い時間にベットにいる。ここ数日のうちに別の寝床で寝ることが並ぶ、横須賀、家、実家、大石田。起きる時どんな気持ちだろう。少しだけでも元気で起きれるといいな。 何を書くとき、それはネットに書く限り知っている誰かが見るかもしれないし、会ったことのない誰かが見るかもしれないし、いつまでも会うことのない人や、ちがう時代を生きた遠い人かもしれない、ということも思うことがある。大学に入ってからパソコンとかで書いたりするようになったのかな、高校生の時は掲示板とか。

ともかくおやすみなさい。


2024年5月22日水曜日

ことば、

 本当に寝るのが下手になってしまった。上の階のくそ重低音がかすかに聞こえるのも耳障りだったけど、ここ数日いくつかの場所で寝たけどどれもうまくいかない、ぎりぎり風邪をひいてなくてよかった。

テレビの録画で見た昔、井上ひさしが子供達に対して話す番組がよかった。言葉と友達になろう、というタイトルだった。言葉に可能性はあるはずだが、それを感じるのはどういう場面か人によって違うと思うが、その一つは僕は形とかかな、組み合わせとかも含めての。また文字を書くことのラインにも凄い可能性があると思っている。たとえば文字を読むだけで身体が変容させられてしまう感覚。しかし演劇とかを見ていて、言葉に向かう演劇は少ないのだろうか、ドラマに向かっているように思う。ドラマは人と人とのやりとりだけど、なんか個人のその前の人と形とのやりとりの部分とかもあるような気がする。

今日はストリートで足を止めた3人のOLの人たちに話したときにそこでやられるダンスについて話すと、関心を持って聞いてくれているようだった。まぁそれは説明みたいなこと?でもたぶんそれだけじゃない。初めて会った人が身振りを交わしながら話すことや、自転車をこいでいると前からスマホを見てこっちを見てなかった人にあぶないーと声をかけること、声を出し、かける、他人だけど頼ろうと出来る時はする。上の階の人の音に関しては言えなかったわけだけど。

大木さんの映像を展覧会で見た時に映像に関して、だけじゃなくて見えてる聞こえてる世界に関して話したくなったけど、あんまりそういう感想を見ない、まったく何をみんな見てるんだろう、と状況にちょっとイライラ。絵とかについてやっぱ話すの?

小学校四年の時の班で回されていた日記が出てきて。僕の文章はひどかった。ユーモアはあった。文章や伝えるとはどういうことか、へのアイディアがあった。誠実とはまた別の。でもそれを読んで随分それでも遠くまで来たじゃないかと思った。つまり今本を読んだらテキストや言葉を面白がっているし、論文は書かなくても長い文章への期待がある。片付けで色んなノートが出てくるけど、本当に勉強をほんのりしかやってなかったとわかる。でもそれは完全な拒否とかではなく、いくらかやっていて、それでバカみたいな感じ。他に熱心というか楽しいことがあるんだろうな、という。

連日、赤ちゃんに会っていてかわいかった。向こうからハイハイでやってくる、食べたら噛んだり握ったり、なんでもする。アクションの選び方が自由なインプロみたいだ。それはつまり子供だけに切り離されたことなんかじゃない、紛れもないそれ以降の人の生にも繋がる。

自分の場合は元気と想像力はセットで向上するはずなので、そこに持っていくとどういうことが出来るかな。

これは公開だけどなんかすぐにわかって着地に向かう文体なんかにはしたくない。してはいけない、本当は。伝えるな。文字を書け、読め、全ての人に対して。それくらいの可能性を基本的に持たなければ。文字は面白くなっていかない。赤ちゃんはすべてをそのままでやる。それに合うと嬉しい。ずっとママみたいに付き合っていたら疲れるとかもあるかもしれないけど。

明日は元気に起きられるとい

伝わる止め、だと日本語を考え切れないのでは、と思う。ギリギリを攻めたりもしないと一語や一単語の性質が見えてこない可能性がある、そういうことを考えれるようになったのはいくつかの作家や数人の友人のおかげでもある、


2024年5月21日火曜日

取り壊し

 昨日、公演を終えた。古民家でそれなりに場所と対峙。もっと伸び代あるかもな。 にしても古民家やりながら自分の中では"日本語"をやる、に少しだけ足をかけれたかも。ちょっと映像見てみないとわからないけど。

今日は子ども食堂とそれのダンスワークショップ。やっぱり公演という単位をやると明らかに身体の火照りとかが違う。翌日の。疲れているし、緊張もある、あんまりすぐ仕事はよっぽどじゃない限りやるべきじゃないと今日思った。自分を労らねば。自分でまぁ大丈夫だろう、は少し身体や今後のスケジュール、仕事に対しても失礼になる可能性がある、、、今更思った。

明日は実家の片付け。もう5月に取り壊し、大石田に行くのでもう家に会えないのは悲しい。そこに新しく家が建つわけだけど。触ることの出来る景色がなくなるということだけど、それはつまり記憶を呼び起こすための装置が消えてしまうということ?なぜ、このことを悲しいと具体的に思えるのか、それらをむしろ記憶を繋ぎ止めるその装置は一体どのようにして作られるのか、それを作れるというのは、、生きているというのは何かを作っていくことが出来るということなんだと思うけど。


2024年5月15日水曜日

くもり

いつのまにか色々行き詰まってしまっていて、あんまり先を想像しづらいのでそれで他のことも考える時に、劇場とかをどうポジティブに考えれるかと思うとそこに集まった人たちで相談をすることが出来ることが可能性だと応えるのが最適解だった。だけど、なんというか劇場の客席は他の人ともいるというのが厳しいという場合もある時にそこにいるのは一度難しいことに変わってしまう。月日も経てば色んな人との関係もできていく中でそこにいたいというのは難しくなってくることもある。かなり政治の場だ。
最近あんまりいい情報も受け取れていないんだと思う。だけどまず受け取ろうと少しチェックするようになって習慣づいている部分は悪くない、そして次の段階としてなんかちょっと鎖国みたいで、どうなの?自分?面白いの?みたいなツッコミが入ってくるようになったのは次の段階だったかもしれない。そして色んなことをつまらない、そして理由も明確になってくると、それは重要なサインで、じゃあどうすればいいのかの段階になっていくかも。

久しぶりに真っ暗になる前に駆け込むようにして公園で身体を動かした。裸足にもなる。裸足が足りない。


2024年5月9日木曜日

小4

 moon riverではない曲がエンディングで流れていたのにギターが爪弾かれるのを聴いて"その部屋"を知っているとなった。クラシックギターの音階がわかるから、それは慣れ親しんだ部屋の間取りを曲によって球が気まぐれに行き交うだけの違い、だけどそこでたくさんの時間を過ごしかのように安心する。きっと昔に演奏された曲を今聴いているのに、懐かしくて知っている。

ソフィアコッポラの作品はいつも少しさみしいままに終わるのを思い出した。somewhereが見たい。

電車の中で向かいの席の人に顔を見られたくないと伏せて自分の手元への集中力をたぐり寄せようとする。印象としては女性の方が車内でそういう身振りをする気がする。自分が集中したり、心ここにあらずならそういう気がわかるな。

前に住んでいた家の引越しの準備をする。倉庫のように作品とか資料とか無駄なものまで置いてしまってる。たくさんの時間を過ごした。

高校入学したてのクラスみんなが自分を紹介していくページを見る。家族について書く欄がある、書き方はバラバラだけど、そうか、当時そんなことを思いとどめもしなかったかもしれない。文化祭の資料が捨てられない。もしかしたら青春映画を取るかもだからとっとこうなんて引き延ばして。

そういう無邪気な夢はサボってるうちにずいぶん遠のいて見えるようになってしまって、そういうことが毎朝何よりも早く自分に突き刺さってきつい。

ひゃひゃひゃ

小学四年生のころに班の交換日記がひどくて驚いてしまった。こんなにも言語から遠い人だったんだ。そこから中1になって千と千尋をよく1人で観に行くようになったんだから。子供は尊いなぁ。最近よく会うたびに眩しい、というか面白い、ぐにゃぐにゃしていて形が変形し続けている状態そのものみたいで。私は錆びてしまったみたいだ。サックスのいい感じのメロディーが90s風に流れてきて、それが油だったらいいのに。またそれが私を滑らかにしてくれたらいいのに。

帰る際、家のドアがさみしい。さみしい、をまたこれから増やせるように生きれたらな。ずっといつも抱きすぎて泣いているみたいな。そういえばそんな友達がいたような。

中高の卒業式間近、よく壊れかけのradioを歌っていた。登戸のあのカラオケ。高校の制服を着て、私服で一生懸命そこで歌えば、それはカラオケを越えて何か自分の身体になる、と強く思っていた。色んな場所ごとが自分のライブだった。

向こうを眺める、見つめる、目の半分は水に浸かってる目をして、川に船が浮かんでいる、月が浮かんでいる、その目でどこまでも遠くだったり近くだったりをすっと見つける。見つける、こと。私はそれを見ることができる。私はそれを見つけることができる。

笑われてもいい。

2024年5月4日土曜日

いい日にす

 気付くと部屋がすごいことになっている。全然公園にも行けていない。積み重なっていかない。前はどんな風に生きていたんだっけ、と慌てて置いてけぼりにしていた反省を取り繕うとする。またずーんとする時間がやってくる。

自分が楽しくないとどこに楽しいと思ってる人なんているんだろうか、という思いがやってくる。 健康に作り続けれる環境をいかに用意出来るかということが重要なんだろう、とわかってくる。

映画、異人たちを観た。かつて大林監督の偉人たちとの夏を見た時とは違うものになっていたが、これは勝手な想像だけど死んだ人と生きる、会えるという感覚ってやはり日本は慣れているところがあるのでは。だから映画を見て一緒にご飯を食べるシーンは衝撃的でありながらどこかすでに知っていることのようにも思えないだろうか。

もう今年が4ヶ月進んだのに、ずっと何もわからないままだと半分の自分が思っていて。でも正気になってたまに思うのはそれでも習慣づいた身体がなんとか思考は追いついてなくても身体を前に進めているおかげでの部分は大きいのでは?自分を評したり、あるいは反省したりするバランスは難しい。

明日はいい日にするぞ、と実家のトイレでペンで書いてあった。泣ける。

2024年4月23日火曜日

海の底

 デビットリンチのブルーベルベットを学生の時以来に見て、あの時は良さがわからなかったけど今はとてもいい映画の作りだとわかった。それで次何みようかなと思って見ているとタイタニックがあって、適当に見始めた、、、


見ていたらポロポロと涙が出てきた。数10年ぶりにこれも見たんだと思う。あの有名な船の先頭に2人で立つシーンは半ば強引な繋ぎに感じられるけど、そうじゃない、あれはもう開発で映画に従属していなくてあそこが独立して、つまりその"曲"を効果的に聞かせるため、あるいは人間の何か美しいそれの条件を見つけてそれを実現するための事が整った、みたいに肯定したい気持ちが押し寄せた。

ディカプリオがどんなプライベートの人であっても、僕は彼が映画の中にいてそうあってくれてとても励まされてしまった。ケイトウィンスレットもそう。まんまとどこまでも騙されてしまった。何かをそこに見てしまった。ずっと泣いていた。

生き延びたおばあさんがみんなに話す。

それを見ていたら、誰かのバトンを引き受けて生きている、ということを想像した。タイタニックには色んな国の人が乗っていたように、今もニュースで見るようにたくさんの人が戦争で死んで、あるいは身近に死んでいる。おばあさんは最後、再び海と再会し、眺め目を向けアイコンタクトをし、いたずらにダイヤを投げ入れる。そして眠りについたエンディングでは、ふたたび船の中で今度はなんとみんなに祝福されるその先に彼がいる。

これは愛というか恋の話なんだろうか。船を駆け回った記憶、あの場所でこんな事、あの場所ではあんな事、そんな記憶が海の上で積み上がっていき、それが全部沈んでいった。まるで人の一生みたいに積み上がったものが沈んでいく。

でもとにかくなんといってもこの映画の中のきらめきだ。人を見る時のきらめき。おばあさんの記憶へのきらめき。海底に沈んできらめくことはないものと、それでも思い出すことできらめいていくこと。

2024年4月20日土曜日

 夢でも、現実でもの永遠のような長さがあると思えれば、その距離やその長さを使って頼りにして走ろうとか行こうとか思うことが出来る。

でもなければ、ないと思ってしまえば、くじけてしまうと、そもそも走ろうとかは次第に思わなくなって、走ろうとした時の雲のスピードとか春を駆け抜けていく感じとか、汗をかいて疲れて飲む水のきらめきさえ、ずっと掴むことさえ忘れてしまう。

でももう一回始めることは出来る。

2024年4月6日土曜日

落ちない星

今日は高円寺のライブに出るということでどうしようと思いながら電車に揺られていた。以前までならライブというのはまさに今生きているということでそれをなんとかして感じとり立ち上げるために精いっぱいにその場で、とかそういう生き方だったけど、何かが変わってしまった気がして理由もわからないけど、でも習慣で動いている身体がなんとか運んでいく場所があるし、むしろその方が無心に近い可能性もあるとか、なんて思いながら。

GEZANのこないだの映像を思い出してエンドロールを聴き出した。この曲を寺尾さんが歌っているのを聞いたことがある、その日にソケリッサが踊っていて、そこにいる人たちたくさん泣いた。そこでGEZANを聴こうと思った。

GEZANといえば光くんで、光くんと出会ってそのくらいかな?彼らのMVを撮るとかいうんで張り切っていたのを覚えている。光くんは人に協力を惜しまない人で、結局その話はなしになったけどマヒトさんとよださんと僕のスリーマンを企画しようとしていた。別のメンバーでスリーマンが実現されてそこで音楽を僕なりにライブ、演奏できたことはとても嬉しくて覚えている。

会場に着いて本番前、体を動かそうと公園に立ち寄る。木と土がないかな?って探す最近の習慣が出てきてそれで体を動かし、踊り出す。夜の公演だからみんながパラパラと自分のスペースで何かしていて、僕はダンスをしていて、そのことを強く感じていた。それでその後にライブが始まった。

ライブで他の人の曲を聴いていて泣きそうになってしまった。それは音源で聴いてもそうは思わなかっただろう。その人の風貌と歌の説得力がセットで感じられた。たくさんの時間がそこにかけられているということが強く感じられた。


2024年4月3日水曜日

ほんの少し

 体調を騙し騙しなんとかやり過ごす日々が3週間くらい続いている。 寒い日に限ってストリートの予定を立ててそれで案の定、その日の夜に悪寒に襲われて体調を崩して少し回復して朝早くから仕事をする、そして少し回復してもう完璧まであと少しで変な形でまた風邪をひく、を繰り返していて全然日課を作るどころじゃなくかなしい。 公園にも全然行けてないし身体の準備も出来ていない。そうするとなんか頭の想像もちょっとサボってしまうのか、弱気になるのか、そんな感じ。困った。

いくつかの事柄が数日内に連続して起きた日にはバチにでもあたったかと思ったけど。今日、午前中からのやつはなんだかうーんって気がしていたけど午後良くなって結果オーライになった時に、ほんの少し幸せで。木漏れ日みたいだと思った。大きな太陽でなくても木漏れ日で喜んだり嬉しくなること、があったことをほんの少し思い出す。

2024年3月31日日曜日

2日いい日が続くと太陽が2つあるみたいな気がする

今から寝るのが楽しみで、でも朝は大抵起きた瞬間がちょっと絶望みたいなことを感じる。
まぁ、そういうこともある。
 新しい仕事が始まった。2日続けていいことがあった。木曜日は雨で少し不安だったし、体調も崩している中での外仕事だったんだけど金曜になったら体調も少し良くなってしかも晴れで屋外上映イベントがいい雰囲気で運んだ。僕は思わず仕事だったのに裸足でビーチで仕事させてもらえてそのことがとにかく楽しい。逆立ちなんかもしちゃって。
屋外上映の手伝いをそれなりにやっていたらその方から感謝されたり、上映後子供たちはその見ていた場所からすぐ走り出してビーチの夜を楽しんでいた。全部を休まずに彼らはくっつけてしまう。僕だってもし小さい頃にこうしてビーチで映画見ていたら忘れないんじゃないかな。
ストリートによくくる羽鳥さんも友情を描いた演劇で泣いてしまったのはもう強く親しい友人を持たなくなったことにあると言っていて、数年前、ままごとを見た時にぼろぼろ泣いてしまったのは僕もやはり小さい時は友達こそが全てだったからで、あの頃の自分と今の自分は他人を見るような目で僕を見るんだろうか。それでも一方で小さい頃の自分が一緒に自分の中を生きているのも事実だ。
今日のいいことは君島さんと西田さんのライブを見れたこと。のびやかに音楽に取り組んでいて楽しそうだったし、そののびやかさを十分に受け取る。自分たちで準備している様もよかった。うん、音楽が良かった。
かつて、自分がなんでも良かったのを最近よく思い出す。言い切ることとやることにその都度集中すること。誰かがなんと言おうと、あるいは議論のテーブルに乗らなくても今、ここにいる人たちと関係を結べるかもしれないことや、過去や未来にもつながりうるかもしれない、この瞬間というかぐっと長い時間の中に互いにいることこそが重要だ。
ここにいる時はどこにも行ったりしないのだから。約束よりも前。

誰に何を言えばいいのかわからないけど、明日の午前中は公園に行こうと思っているのが楽しみ。

2024年3月7日木曜日

砂漠

 ショーンペンが主演する映画で、邦題は、ここが私の帰る場所、みたいなタイトルだった。するとそのCMではかの有名なthis must be the placeが流れてくる。まさにこの曲の両面みたいな感じがする映画なんじゃないの?と観たい欲求に駆り立てられる。

そもそも彼らがこのthis must be the placeを歌う時、日本語に翻訳されると、家のことを歌っていることが強く感じられる。僕の家や、行くべき場所、あるいはここではなかった場所というのがどこだったか。そういうことが流れる。

ここは私のいる場所じゃないと風が教えるように吹くとさみしい。そう感じることも多かった気がするけど。きっとそのことをたくさん感じている人がいるんだろうと想像する。

それはさみしい。風が吹くようにさみしい。しかし風が吹くような、に還元してしまうのだけど、きっお言い表せなく、そしてほとんど全ての人からそのことは消えていく。

2024年2月26日月曜日

オマケ

 フリーオプンデーが終わった。12月のオマケくらいな、仲間達との許された時間だとか思っていたけどしかもみんなで稽古は一日と数日の秋田勢でのリハーサルだったけど、とても特別なものになった。実感的で他で見た事のない、再現も難しいかもしれない。それはメンバーや、やはりここに集った人たちの身体によって可能になった。これまでの習慣とか考えとかそういうのの総動員の出した今日の答えみたいな感じ。

劇場なのにあまり劇場と感じない作品。

僕は舞台の上で回すのに精一杯だったけど色んな人が色んなところで起きている、観客も演者も含めて。そんな景色を見たと書いた感想があった。自分がなぜ街とかに惹かれるのか、を思い出した。そこには色んな人がいる、誰かが出てくる、その行為や景色にいつも感動したり優しくなったり強くさせられたりする。思い出す。


一方でバイトの連絡が来る。やはりフリーランスで安定して入ってなかったから仕事がないからといれてもらえない。昨年、色んな場所で頑張ったけども、それをしたって東京での評価や仕事には繋がらないんだ。それは別に地方だって同じことだね。だから文句は言えないけど、難しい。

忙しくとも地道な活動を続けないと信用してもらえない。まぁo.kという感じで、頑張ろう。今年、大吉をひいたということだけが自分をジョークのように今年連れ沿ってくれそうなんだ。なんて頼もしいんだろう。

2024年2月23日金曜日

もしかしたら

昨日は朝早くてそれで今日は寝れるかと思ったら眠れない。色々悩んで頭で考えて、こんなことを思った。幸せになりたい、という言葉だった。以前、幸せにどうか届けと思って声をあげようとしていたんだった。最近はこの声の届け先を、奥行きを、何をもって発すべきか、遠近感をつかめなくなっていたような気がする。 言葉ではわかったけど実際にその感覚に戻るのか、あるいは別のところへ行くのかはわからない。色んなことに落ち込んでいたけども、幸せになりたい、という気持ちを素直に言えたらなんか自分を再び押せる気がする。 その気持ちもなく、ただなんとなく手癖とかでギリギリやってた感じがする。調子が戻るかもしれない。

2024年2月21日水曜日

起き、

 夕方に家を出てドタバタしてテンパりつつ、歩きながら整えようとしているとおばさんに呼び止められ、彼女の載ってる自転車のサドルを下げるのを手伝った。あんまりない頼まれごと。

夜は渋谷で踊った。友達と話したり笑ったり動いたりする、それらが渇いて気持ち良くて。

それで実家に帰った。遅かったから少し一緒に両親と動くやつをやって、それで引越しの話を具体的に聞きたりした。この小6の時に引っ越してきた家ともさよならだ。自分は実家を出るのが非常に遅かったので、思い入れも出来てしまった。そういう意味でももっと早く出ていれば悲しみは少なかったのか。色んなことに対して最近は思う人生のターンに来ているのか。色んなことが遅かったために愛着が出来て。

悲しいことがいくつか。もうダメなんじゃないかと思う。無限に広がる世界を見ようとしていたのに世界の壁や限界が近づいて来たり、色んなことが疲弊してしまって頼り合えないような予感。今週頑張らなきゃいけないのに。

渇いた、っていうのをポジティブに捉えるのって湿ってるのの逆ということでなんだろうか?

とりあえず明日よく起きよう。

2024年2月20日火曜日

高円寺

 今日はなんとかBARで池田さん涼ちゃん、村上くんが店主をするというのでこれは行かねば、と夜に狙いを定めつつ高円寺だし路上ライブでもやっていっちょビール代くらいは稼いでと少し早めに着く。

最初はこないだの中目黒のような緊張があるが段々と色々恥ずかしくなくなって少し無敵みたいになる。この状態の路上ミュージシャンは見ないので結構面白いかもしれないとか思いつつも、中々足を止める人やましてや投げ銭をしてくれる人はいない。もちろん演奏技術もないので、展開も作れない。最後、向こうの方から若い三人組がやってくる。のタイミングで苦情を受けた警察官の方がそれを伝えにきてくれる。

解散でお店に向かおうかと思いつつ若い子たちと話す。その流れでギターを弾きながらなんとかバーを目指して練り歩く。途中で思い付きの歌を歌っていると拍手をもらったり、あるいはおばさん達が合流、若い他の子達も合流みたいな感じで10人くらいになって街を少し歩いた。なんか奇跡みたいな瞬間で嬉しい高揚感のままお店に辿り着く。その時には最初の3人にしか残ってないけど、彼らに少しビールを奢りつつ楽しい夜を過ごした。最近、貧乏だからお金を稼ごうと思ったら稼げず、この状況でそりゃあ少しは奢らなきゃと奢って、なんかまた何かに繋がればいいな、とかは思ってもいいよ? 久しぶりに瞬間が時間にダメージを与えるくらいに嬉しい時間だった。

2024年2月8日木曜日

夜の部屋

 部屋のいいところは少しだけカーテンを締め切らないと外の灯りが少し中に入ってきてしまって、それを真っ暗な部屋の壁に見つけ見るときにいいなぁと思ってしまう。外の世界と真っ暗の部屋の世界ともう一つ夢の深い中の世界に入ろうとする手前。

今日は初めて(正確には違うけど)路上ライブをした。少し終えた後に見る街は違って見えた。

明日こそ早く起きたい。

2024年2月4日日曜日

楽しませる自分を太陽で

 学生の頃。活動を見ていた周囲の人によく考えない方がいいよ、どんどんやれと、言われていたけど考えないでやろうとしてはうまくいかない感じがずっと続いてそういった人や意見からも離れて、とにかく考えるしそれでやる。にしたら少しずつ状態を脱していく感じがして。今になって思うのは今ひとつアドバイスの具体性に欠けていたんだと思う。結局その思考しつつ何かするというのがパフォーマンスにも出てきているわけだし。とは言え、今は本当に眠れない日とかは意味に押しつぶされそうになる。坂口恭平が言ってたけど深夜になると良くないことを考えてしまうから早く寝てしまう、みたいなことを、言っていて最近はちょっと良くないことばかり考えるようになっていると思う。喜びに出会した時は楽しさを感じる。友達とふざけてラップしたり他愛もないことをなんとなく他人と話している時に喜びは感じるけど、普段、幸せや喜びをイメージすることが難しいと思うことも増えている。困った。生活に置いて幸せをイメージしたり憧れるということも1つの自分のエネルギーだったと思うが、今はそれが難しい。他人への想像力も落ちてきた。自分の周りもあるいは戦争をしている世界や支配があって、考えを展開するのがクソむずかしい、、けど明日はやはり太陽でも浴びてそれでも出来るところから想像して自分を楽しませなきゃ。

2024年1月30日火曜日

なんでも

 2024年が始まった。今年は辰年だから年男だ。大吉だったし、いいことがありそう。 昨年は本当に忙しくて数えたら合計で100日は東京にいなかったことになる。ひぇー。後半はあまりに忙しかったため、バイトにもほとんど入れなかったから1つの目安でもあったバイトなしでの活動タームに4月までには入れるのでは、と勘ぐっていたものの12月いっぱいで仕事が入らなくなってしまい、いきなりここ数年で最もピンチというか焦りの時期に入った。

昨年は忙しかったけど精神的にも色々としんどいと感じる時間も長かったり、人に助けてもらいながらも自分の時間を十分に確保することも一方で難しいというバランスの中でなんとか乗り切ったという気でいた。甘かった。色々甘かった。ということで白紙で始まる2024年だからこそ大吉だと思おう。

なんでもない自分から始めるような気持ちで、、

友達にリスクヘッジくそやろうと言われるくらいに色々先回りして考えていつもやっていたのがここ数年の隙をそのままにしてたツケが回ってきている感じしてとても焦るし、悲しいところもある。

幸せになんだかんだ自分はずっとなりたいと思って生きていたんだと思う。でも知り合いのアーティストの話で、幸せなんてとっくの昔にどこか、って聞いて確かに幸せを放棄する生き方もあるだろう、と思った。それに今日帰ってくるとなんかキツイなぁとか思って、でもこの感じからどうしたって解放されることも自分はないんじゃないだろうか、と思った。何か素晴らしく幸せでずっと自分を安定の幸せの中に置いてくれる何かなんてイメージとしてそもそも現れそうになくないかい?ということが頭に出ていた。

とりあえずドラゴンだ。なんでもやろう。

2024年1月6日土曜日

色々

 昨年は絶不調だったかもしれない。何かをするモチベーションのありかが迷子になってしまっていた。だから何かをするにせよ、深いところから水を汲んで来れないような、そういうガシッとした感じがなかった。なんとかこれまでの経験とかで応答していたような気がする。だから何かこれをしなきゃ、と夜中とかに思い立つ、その根拠のないかのように見えたそのとっかかりの切実さみたいのがほとんど感じられず別のことに悩まされていたんだと思う。

たとえば自分は踊るために踊りをしていない、とりあえず踊っておくし、とりあえず走っておく、とりあえずとにかく書いていって、描いていって、歩きに出かける、見る、読むをとりあえずやって、人にもとりあえず話しかける、とりあえず知らない世界をもう少し覗こうとする、とかしていくと互いに反応し合ったりしてヒントみたいなものに出会える。これをやりきることでこれを達成するではなくて、全てが緩やかにつながっていく気がする、というささやかな感じを頼りに始まる。だからこれだけだとうまくいかない。世界が開いていないとうまくいかない。世界が広いことに対して適当な想像力をあてることで始めようとすることで風穴が開くとか、とりあえずその風穴から風は通っていることを考えたりだとかしていく。 すごく今多分年齢に焦っている。身体も動かなくなってきているのを感じたり。でもその事実は動かせない、そ!でも動く時間を作ったりじゃあそれに応じて別のことをする、もしかしたら互いにそれが引っ張り合うかも、を想像し取り組む。それくらいしかできることがない。悲しまない、楽しむ。明日も色々やろう。

2024年1月1日月曜日

ランニング

 東京タワーまでランニングと思ったけど出発も遅く、途中で折り返してしまった。10kmちょっと。久しぶりの年越しランニング。 都会の真ん中ではなくその周辺を走っていた感じ。みんなが幸せそうに見える、とか思った瞬間、じゃあパレスチナやウクライナの状況を想像してみる。そうも言っていられない。

走ることである程度体を動かせば払拭されるものがあると思う。コスパは悪いのか、良いのかわからないけど今年はこういうのが大事になってくるかも。

帰ってたくさんのアイスやシュークリームやビールを飲んで食べた。ミスタービーンの映像を見ながら。

なんというか東京に帰ってきて疲れるなぁ。こんな想いはほとんど持ったことないけど。疲れている。うまく話せる自信がない。

中学の同窓会で20年ぶりくらいに集まったんだと思う。みんな少し年取ったかなと思ったけど時間を過ごすと昔のことが思い出される。みんなに許されていたんだなぁとも思ったし、やっぱりそこにずっとはいられなかったから別のところへ行ったんだと思う。

大人になってもそういう感じが出てくる。

にしたってみんな結婚したり家買ったり子供もいたり、そういう人が多くてすごい。

ずいぶん色々疲れたけど、走っている中で都会の方とか回ってもやっぱり都会が踊っている、みたいな感じは全然しなかったかも。都市によって違うだろうけど。そのことについての考察を走りながら出来たら面白そう。