2017年12月7日木曜日

海に投げること

12月になっていて、また時間を追われるようにして社会と並行して進んでいるように思える。その社会ってのも一側面の一部の社会だから、ちょっと布団に入れば全然安心出来ない不安の想像がおそってくる。
ドライブで流したノーサイドは忘れないんじゃないかと思う、実は初めて聴いた曲だったのだけどなぜそんなにも寂しそうなんだろうというくらい。
たくさんSNSとかで直に自分だって社会と擦り合わせながら時間を送らせて人生を送らせているのだけど、一方で何かを失ってるような気はしていて、いつもその何かは知っていてつかもうとしたいのだけどやっぱり逃げる方に自分は進んでしまっているんじゃないだろうか。
結局、何回も同じようなことを書いて、年をとって。
しかし、現実に立ち向かうのが怖すぎて。たくさん映画を見たはずなのに。
もう一回思うよね、自分の気持ちが先なのか、その音楽が先なのか。
そのようにして自分で生きてるようにして随分翻弄され踊らされ、ずいぶんと自分なんかじゃ踊れていきていないんだ。

軽いものを海や川、流れている中に投げ込む。手応えの反応が帰って来なくて、思いっきり投げたストロークとそれに比して投げた物体には強さが伝わっていなくて、流れている海も川もそれ自体に何かささやかな亀裂さえ入れることが出来ないでその流れの音がすぐにやっぱり周りをサラウンドを支配していく、僕を支配していく。
海に向かって叫んだのはそういうことかもしれない。

景色を作りたくてダンスをし始めたのに、人の中に溜まっていく景色はどんどんつかめなかったものでたまっていきそう。

2017年11月28日火曜日

バイバイ

京都にさよならをして、東京に帰って来た。
いつの間にか風邪は治っていた。

京都から東京に帰って来た日、というのは明日になるともう違う日になっていくので、この感じは今日だけの、特別のものだ。
故郷に帰ってくる、は大げさだけれどそういう今思考で、海外から帰って来た時のまたイメージを被せて考えて始めたんだけど、帰郷の映画といえばニューシネマパラダイスで、どうもあのことを思い浮かべてしまうと、自分の人生のあれに比べての切実さのなさに、うわぁという重力を喰らって、それが布団の中でのことだからなんとなくそれで眠りにつくんだけど。

でも今書きたいなぁって気分があってさ。
自分を分断したり、人生を扱いたくて、書いたり考えたり思ったりしようとして。こうして。

京都の街。
は学生の頃にたぶん恋をするようにして通うようになっていたんだ、だよね。
もう30歳になってしまう。
早いもんで。学生の頃はまだb-boyで関西にもたくさん遠征して、そのことがそのままその時期の僕を形成する大事なパーツにもなっているわけで。

なぜ、あの時踏み出せなかったのか。

とかを今考えてもしょうがない、のを何度も繰り返してスライドして、そんな風にしてはなるつもりのなかった30歳にもうすぐ至ろうとしているんだ。

自分の事なのに、知らなかったよ。

知らなかったことを終わりにしたい、とか言うんだけど、やっぱりいつの間にかスライドしてて。いやいつの間にか、じゃないんだよね、たぶんそれらしき手応えを前にしてこれじゃあ出来ないって感じて、それで、やらない、、なんだよ。ね。

京都にどれくらい手を振ったのか、わからない。

2017年11月11日土曜日

明日!も!

stスポット30周年に出てる。2日目!おわった。
なんか個人の発表がSNSやblogが増えて多く溢れていて、やっぱり使える道具があるとそこに自分をのせていく。のっかっている状態の人は街に増えている。増えすぎたのに、今日もとても個人的なことをあいかわらずやっちゃう。
髪の毛を青く染めたのだけど、少しとれかけている兆し見えて、ちょっとグレーっぽくなってるのを確認する際、なんか髪の毛をそんな風に染めたからこそそんなことする動作になんか他の人のことを重ねて、少しきゃっきゃする自分がいる。悪くない。
明日には丈夫になってビール飲みたいな。
公演について何も書いてないのだけど、明日走る道の景色をどんな風に辿りたいかあるいはその道の中で何が見えるか、なんか通学路のようなイメージを持って取り組むつもり。
悪くない。

2017年10月21日土曜日

体の中の湿度

眠れなくて、そうなると昔の夜を思い出したりしてそことなんか繋がって考えるようなことを始める。眠れない夜同士が繋がっているような。
なんか眠れないと明日が不安で、だんだん崖の方に追いやられるような気持ちに感じられることがある。布団ごと崖の淵側に追いやられるような。

たくさんがんばってるつもりでも中々生計を立て切ることがまだまだ難しくて、厳しい。
ずっとそのことばかり考えてやってきたはずだけど想像以上にこれは難しい。いや想像以上なんかじゃない、想像以上には物理的に頑張ることが出来なかったのだ。想像上では物理的にどれくらい大変なのかまでをイメージすることができなかったとも言える。
生きるか死ぬかみたいだ。死んでしまった友達はこういう理由だろうか。違うかもしれない。

小学生の時によくケンカをしている時期があったと記憶している。ある時期、ケンカの中で泣いても食い下がらずに物理的に応戦していれば負けないんじゃないかという考えがあって、それを実践している時があった。泣きながらだと周りの視線を感じると恥ずかしいんだけど、とりあえず目の前の奴に負けなければなんかたぶんこいつ狂っていると思われて、何かを示せるという考えがあった。そして実際そのようになっていた時期を思い出した。あの理屈が今の自分の状態と繋がっているんじゃないかと眠れない頭で考えている。
泣きながらでも物理的に手を動かすことで、負けない状態でいることができるみたいな。
大人だから泣かないけど自分の中に涙がたまっているような湿度は感じる。そういう戦いになるつもりはなかったのに、実感として。
これで合っているんだろうか?

2017年10月17日火曜日

大きい翼

もっと大きな翼で空を飛びたい、と言葉にする夜。
クタクタで疲れて寝る前はいつもそんな風にグラグラで、未来が憂鬱だ、これ以上にきっと体力とか落ちていくんだろう、、なんとか出来るとすれば食事を気にするとかだろうか。最近、毎日アイスもお菓子も食べてしまってる。そんなんで100歳まで生きたら汚ない骨になりそうとか、内臓が汚れそうとか思ってしまう、たくさん、めちゃくちゃ水飲んで汗出して、外に汚ない部分出さなきゃみたいなイメージを安易に持ってしまうが、それで頑張れちゃうこともあるなぁ。

雨が降っている期間突入して、僕はこの中に今いるの結構好きだなぁ。洗濯物は乾かないけど、それにブルーシートも洗ってないの溜まっちゃったけど。

なんというか雨だと、傘さしたり、避難するように走ったり、水が靴に入らないように気を付けたりして、雨を見ているんだよね、窓の中から外の景色を雨の景色を覗くみたいにさ。本当にその通りで、雨を見ている状態なんだよね、この見ているっていうのはなんか愛おしくもあるよね、人の無意識の部分かもしれないけど。虫みたいになってる部分みたいな。

大きな翼で空を飛びたい、っていうのは活躍したいということなんだ。
今、焦っていて、世界はこうなってほしいMAPを作成しようとか思っていて、VISION持つのやっぱ大事で、誰かしらがやれる人がやらなきゃいけないし、すでに始めてる人もいるわけで、本当に世界がいっぱいいっぱいで回っているのにギリギリアウトかセーフかで、、、自分から積極的に動くことも全然不十分ではある。

2017年10月7日土曜日

グループ展

TokyoCanalLinksでのグループ展に参加している。先週の鉄工島FESに引き続き。
あっという間に違う現場に立っている、それは先月の単独劇場公演から展示という体制でのフォームの変化。
違いへの戸惑いと試行錯誤を含んでいるのが今取り組んでいる形です。
実際、展示とパフォーマンスという形で取り組んだりすることになっていてこの形態さえも不安で臨んだのだけど、先週に引き続き、今日もまたいくつかの対話がこの場所で生まれたことが嬉しいと手応えとして確かにあった。
劇場公演とはまた違うことを来た人と共有したり、出来なかったりを今している。
こっちがハッとすることがこんなにもあるなんて、マジで侮れないな、って。
今、ダンスやアート、あるいはそれにとどまらずやっていることは出来ればまだ出会ったりしていない人と、出会った時に披露したい用意した手品みないなもので、いや手品ではないかなwでもまぁ、新しく橋を渡せるかどうかみたいな、工事で。
そんな手応えが少しあったから、頑張れそうだ。
負けてはらんない、ちょっと感動しちゃったりするけど、どんどんいってドアを開く、ノックを続ける。

2017年9月22日金曜日

19blues

小さい頃、よく泣いて次の日は目が腫れてるから学校に行きたくなかった。もちろんほとんど休むことがない少年だったから行ったのだけど。

"歌が美しすぎて、人生ってこんなに美しかったっけ、と五分の中で思うのだ。"
ポップスが発達し過ぎて、そのメロディーがこんなにも人をその気にさせているんじゃないか、この感情が芽生えてしまったんじゃないか。

全部が同時に起きているし、先回りされる時代だから、いつ泣いていいかわからなくて、それさえも知らないで過ぎていくんだ。一瞬、全部が一緒にやってきて、1人で受け止めているんだろうけど、全てが同時に起こるからそれぞれが1人で、やっぱり全体では何も起きてなく見えて、遠回りで伝わった。その時には空白しかない。

sweet19bluesの中に、今日は私が誰かの、明日は誰かが私の傷をいやす、なんて既にガタガタな状態で、安室ちゃんがわたしは本当はすごくない、と歌うところで歌えなくなってる。生きて伝えることがむずかしくて、よし、とか思っていつもいつもいつもやってるつもりで、でもどうやら全部つもりであったことが目の前に立ちはだかって。

誰かの恋がどうしてもうまくいかなくて、もしかしたらすごいそこに涙があったかもしれない。昨日は子供のように楽しかった。夢を考えるほど違う部分ではてしなく広がるのがわかって。
19歳の歌を29歳になって聴いて、安室ちゃん観てたらピナバウシュの若い頃の写真の顔を思い出して。天使みたいで。

歌が美し過ぎたんだろうか。
だったら、僕はやっぱりそこの中をおどるでも出ていくでもして、手を出していけ、天使が泣かないように。笑わせなきゃ。
若かった日はもっと上手くやれただろうか、よし、