2017年6月23日金曜日

今日

今日のこと。昨日は、二回目の美女と野獣を観に行った。昨日は1人でポップコーンとコーラを用意して、凄い乗り気ってわけじゃなかったけど時間が空いて迷ったあげくのベストの選択肢としての二回目でした。美女と野獣、この映画には全てが入っているから。そんな映画が公開中に二回も行くことは大事な気がして。過去になった時に、二回確認したことを思い出して少し励まされるかな、なんて思って。

そういえば最近、フリースタイルのラップを繰り出す時に少しやりながらあちゃーって思うのはこれに関しては、唯一無二性を出せない感が強い。何事においても割とその葛藤に勝って自分オリジナルを配置可能にしてきたつもりがラップだとそうはいかない、だから最近人の前でのれてないんだということに今日やっと至って気付いた。OMG。先は長いね。

美女と野獣の話、すっぽかした。
全てがつまってる映画。男子も見たらいいと思う。1人でもいいじゃない。
映画の光が君にあたり、君を照らす。


それは昨日のこと。
今日はずっと豊田議員と痴漢のことをずっと考えていて、それがぐるぐるして、それらが内包するも問題たちが立ち上がってたたみかけておそってきて、嘆きそうになった。ツイッターに嘆きそうになった。
その時、自分にやってきた言葉は、嘆くな!作れ!、だった。
一個ずつ世界をかえていこう。って言葉もあとからやってきた。
それで少し歩きながら笑えた。
言うまでもなく、SNSでの言葉がこんなに放り投げられるのに、僕らは現実世界でこんなにも言葉を放つことに怖がり、動けずにいる。
現実の中で動けるようにするために何が必要かを、一つずつ作っていく。明日も出来るところから。やろう。
嘆いている暇はない。

2017年6月10日土曜日

matsumoto

長野県松本市に来ている。あそびなおす、というイベントに参加するため。awai art centreが素晴らしいレジデンス場所のようにして機能していて、今眠ろうとしている。
松本の街は思ったよりこじんまりとしていて、ストレスもない。
そういう街を歩いていたり自転車に乗ったりしていると、東京とは違って自分のリアクションがすぐには起こらない状態で、段々自分の声が増えてくるようだ。
だけど、もしかしたら人が少ない分、つるむ人というのも決まってくるんじゃないかとか考えるとソワソワしてくる。東京は人が多い分、その多さに隠れて色々切り抜けて好きにやれるが、そもそも人がいなければ隠れたりも出来ないかもなぁなんて考えたり。
京都のこともこれに合わせて考えた。 果たしてじゃあ京都にずっと住むことは可能なのか?京都にさえ飽きてしまうんじゃないかとも思ってしまっている。
しかし東京の限界だって感じる、場所というより人の。
一方で自分がまだ直面出来てない人生の世界のパートもだいぶあって、非常に先が思いやられるなぁ、なんて思いよぎりながらも明日の本番。
先が思いやられまくりだけど、先は見てみたい、知らないところに。

だけど、なんかこうして別の地にふわっと一瞬来ているのはやっぱりいい。
松本に来てるよー、と長野の色んな友達に言いたい感じ。

2017年5月19日金曜日

太陽の季節、

煩悩の遅さ、と思った。今日は5月19日だろうか。
昼前に起き、今日は英語の勉強はせず、美女と野獣のジャンコクトーの方を見て、
ギターを手に取り音楽の練習。
ののち、絵を描いていて、明日が途中経過を見せるタイミングで6月納期のもの。
天気が良くて、青いシャツの汚れがついたのもまぁ見て見ぬふりで出てきた。

電車があいかわらず僕を運ぶなぁ〜。

じゃなくて、東京に帰ってきて物事のシンプルに行かなさっぷりに、どんどん複雑になっていくように見える事物に、自分にいらいらしている。
ふっきれると思う。
自分に固執せずに、その動きそのものになるんだ。目的を考え、それに走っている状態にする。
人生を生きたいでは遅く、人生そのものになる、くらいに。
失うものはなにもない、ここに生きていることがある、おい、生きている、太陽が照らすことによってそれが明らかになるんじゃないだろうか。


2017年5月14日日曜日

散文

帰国後、ポエムに頼ろうとしてしまう部分も強く出て来る。それは日々を抽象的にしておくためだろうか。自分がいる場所を詩的に装うことでの抽象化を図るみたいに。
ほとんど怒っているのは、日本語で生きるこの身体のせいだろうか。

なんておさない社会なんだろう!

山田かまちを思い出した。

あたたかくなり夏のことが少し近付いてくると自分がお寺とかで踊る姿を想像してる。
達成のされてない夢。
いい風通れと思いながら。

夏は思い出す。
ほら、またポエムをしようとしている。
気をつけねば

2017年5月12日金曜日

子供全部

生きているときは全部使って生きたいって思ったじゃない?あの時。

そうして、またその言葉が僕に降ってきた。

生きることは有限で。

僕が今ひとつラテン系になれない理由はここにあるよね、ダメっちゃダメで、文学にしちゃえばどこか美しいかもなんて思っちゃったりして。
でも生きることは有限で、

こないだの旅でも、全然その有限を乗り越えることが出来なかったのだ。どこまで行かなきゃ行けないんだろう?

ミスチルを聴いて中3の頃を思い出す。
僕はその時に大きな崖の上に立っていた。
そこからは世界を見渡すことが出来た。
興奮して恐竜みたいだった。
僕はまだそこに立つことが出来るか?
きっと出来るさ。
僕はそう言いたい。

2017年5月5日金曜日

冷静と情熱のあいだ、また

Twitterもfbもいつも窓というよりも気を付けないと大体壁となる。こないだの旅の中、ずっと歩きながら、その壁を越えることがどれくらい難しいことなのかというのが日に日に自分を追い詰めていたのに。日本に帰ってきてそのことを忘れてしまいそうでこわい。いや、ぎりぎりいつも踏みとどまるとは思う、だってその先の目標の杭だけはゆるがずに打たれたのだから。そのことを考えるといつもこわい。それがもし達成をされなかったら、僕は自分にひどくがっかりするだろう、それだけは本当にこわい。でも挑戦の前の準備の段階であるから、イメージが難しいけど、すでに始まってるちゃ始まってるのだ。


関係ないけど、もう一回、冷静と情熱のあいだ観る。
確かに映画のクオリティとしてどうだろうってとこもあるだろうけど、間違いのない味の素材の大木が縦や横に張り巡らせされてるので、大雑把にやっぱり観れてしまうのだ。
色んなことを観ながら考えさせる要素があって。
エンヤも流れちゃってさ。
大学の頃の友人で江國香織さんが好きだった子のことを、思い出して、それで彼女の小説を久しぶりに読んでみたい気持ちにもなったのだ。

達成したい壁のことばかり考えていた方が嫌なことからは逃げられるかもしれない。

2017年4月21日金曜日

ある種のターザン的な

えっと東京に帰ってきて、今、もうすでに始まりつつある、もまれつつある。
今日の感じは、まるで高速道路の上でたくさんの車が早いスピードで行き交う中にいきなり立たされた感じ。直接はひかれないけど、目の前を早い車が次々と通って行く怖さ。
もちろんそのあとで現実に引き戻され、よし頑張るぞ、となるやつ。
にしても今年度すでに新しいことは新しくなりそうで、海外行って立てた方向性と決意だけを純度高めで保ち走り切る一年っていう風にはならないで、そのたてたマストを張りつつも海面の流れを汲みながら辿り着け!みたいになるんだよね、I knowだよ!
うるさいジャングルの中に入って来た感じ。
ターザンとして、やっつけていきたい。
結局、決意みたいのしか書けてない!