2020年8月4日火曜日

新しい

ふぅー、コロナ前より忙しくなってしまって作る仕事がいくつか同時並行で進んでいる。
今体調を壊してしまうとやばいので気をつけないと。
絶妙なバランスで、というかうまくやれては全くいなくて誰かに頼りながらという感じになってしまっているのだけど。
難しい。
その日のその時間いける気がしても、何時間後、どっと疲れて休まなきゃとなったり。
ふひふぇ。
やれるときにブーストする感じで、無理はしないこと。
あの人やその人は元気にしているだろうか。
新しくなるならいっそ何事も新しくやれないかな。

2020年7月29日水曜日

今夜は眠れない

今夜は眠れない。
今夜が次の日を跨ぐと今夜はコインみたいに布団みたいに裏返るのか。な。
ここ最近あっという間に忙しくなって全然公園にも行けてない。
4月、5月の生活は遠い過去のようだ。とすると2ヶ月走り抜けたのか。
6.7月を思い出すのはむしろ少し時間がかかるくらいかも。
たぶんマネージメントが1人で出来ていないと思う。
コロナで色々組み変わってしまったのはどこだろう?
自分?周り?システム?
わからないから、得体が知れないとしか形容出来ない。
何が変わったかもわからないのに感覚は以前と違うとするなら、変わったとか変わらないとか自体を言いにくい。
その話がしたいのは山々だけど。

もうすぐ夏だけど昨年の6月の楽しかったことを思い出している。
時は戻らない窓の向こうの景色か。

2020年7月22日水曜日

水面の下

あっという間にいっぱいいっぱいになってしまった。
今まで通りとはいかないのに、今まで通りのように通さなきゃクリア出来ないようなそんな感じが迫ってきちゃった。
できっこないとどこかで思っていて、でもこれをちゃんとやるってことやらなきゃ、ある意味で批判しているものとまるで同じで何も言えないんじゃない?という感じもしてきちゃう。
簡単にいっぱいいっぱいになってしまう。
難しいね。
難しい。
一瞬にして生きることは難しいじゃんって思っちゃうじゃん。
一瞬にして楽勝にもなるんだけど。
そう考えるとほんとにあれもそれもわかんないよ。
そうなっちゃうことがあるんだからさ、と。
少し悲しくなる。
逆から見たら笑えてくる。

ともかくいっぱいいっぱいの時というのはまるで海面に顔を出さずに長めにブレストを入れて泳いでる時のような感じで息がつまりそうになる。

2020年7月10日金曜日

眠れる獅子

とにかくずっと踊ってばかりの国の曲ばかり聴いているここ何日かだ。無駄にSNSを指でスライドして過ごす時間が増えている。内容としては5月くらいの方がもう少し方向性があったのだけど、今はみんなバラバラなことが出始めている。
今日もストリートでやっていた。
SNSでストリートライブのことを検索してもほとんど出てこない。それが全てではないので気にしなくていいのだけど、一つ見つけた中で昨年のたぶん人が増えた際に通った人でストリートダンスをしている人からの意見が書いてあった。そしてそこには安田ビルのことを知らないのだろうか、というのも添付されていた。
なるほどそこが引き合いに出されるとは思わなかった。

でも考えてみれば、ダンスを人に影響を物理的に変えてしまうための手段として用いるみたいなことは普通にダンサーになる中で考えたりもしないことだろう。

今日も電車で現地に向かうまでの間、何を自分は信用しようとしているんだよ、と思っていた。
まるで魔法を信じてるみたいな形にさえ見えてしまうんじゃないだろうか。
あまりにも世間と逆を行っているのか。
しかし、通った道の上ではこう考えていくのが段階としてむしろ出てくるものなので。

明日も聴いちゃいそうだ。
そして上手くスケジュールを組み立てられなくても、どこかロックな気持ちが起こってる部分は伸ばしてあげよう、眠れるドラゴンを撫でるみたいに。

2020年7月9日木曜日

ふぅと風を吹かせて

夜はグレイ
ぼんやりした頭で書き出してみる
やがてすぐに今までのような忙しさがやってきて隠れられなくなっていって、近くのモールの植物たちの名前を覚えようとしていたことも引っ込んでしまった。

周りの慌てている人たちも、それはそれで別の人にお叱りを受けている。
いやいや、日常生活を丁寧に歩き通すことの困難さ、がある。

伝わるように書くのをたまに放棄してしまう。
自分なりの道を立てたいと思ってるのかもしれない。
それだって届く範囲は限られてくるというのに。
それは結局のところ、自分にかかってくるね。

いくつかの自主イベントを再開した。
それはなるべく自分のために行われるべきだ。
自分の制作として、自分を確保してみる、やりたいことを許してみる。
他の人がそこに参加するかどうかは置いておく。みんなそれぞれに見たいものがあるんだから。それが素晴らしいことじゃないかと思う。
でも少しこっそりここで集まれそうな人とひそひそと集まるのもいい。
闇の方から引っ張られ連れ去られてしまうまでは、この声で話そう。少し適当に。

ふぅそしてまた起きると明日が始まる。

2020年6月24日水曜日

砂丘

一昨日かな?3331でやっていた90年代のアーティストによるゲリラ活動をまとめた展覧会。そこには会田誠さんや小沢剛さん、宇治野さんに、曽根裕さん、そして村上隆もいた。それらはどちらかというとおまけ的に紹介されることのが多いのだけど、当時の資料を見る事が出来る貴重な機会。
自分らの現在の活動と比べるとどうだろう?比べられるかな?
この日は久しぶりに友達の展示を見に行こうという目的を持っての久々の外出だった。
途中、村上隆のラジオがあるというのでなんてタイミングだ、なんて思いながら聴いてみる。
懐かしい、学生の頃はよく村上さんの声を今より聴くことが多かった。
安直な夢もあった。安直だなんて、当時の自分に向けて言うなんて。
なんか色々思い出されるな。

今日はヒアリングというか、今後のプロジェクトの打ち合わせがzoomであった。
その際に周りの舞台の人たちの状態を聞かれて、僕が答えたのはみんなが各々に少し変わった事だと伝えていた。
自分でも話しながらそれを確かめていくんだけど、この遠隔での連絡しかとれない間にそれぞれが自分の身の回りや自分と向き合ったのか、別々のベクトルで変わったような印象を受ける事が多いと思った。
だから向こうが聞きたかったのはそれぞれの経済的だったり、気持ちの部分だったかもしんないけど別のことを結果的に話してしまった。
でも悪くないと思うし、その描写はむしろ新しい感じもした。まだ読んだりしてないかも。

あの自粛期間が少しづつ渦中にいなくなると同時に去っていく感じがある。
そう言ったからと言っていわゆるコロナ状況下にいることを忘れてる、と指差される感じは違くて。
というか忘れるということはなくて、変わってないことは一つもないかもしれない。
そんな中でいくつか人と会って話したり、それは意外な場所からの連絡だったりそういうのがいくつかあった。
こないだも10年ぶりくらいに旅先であった年上の音楽家の方からの連絡、出会ったことはうる覚え的に覚えてるけど顔が思い出せない。
だけどその連絡とともに出会った時の海の波の音が寄せてくる感じがある。

アントニオーニの砂丘をたまたま見ていて砂丘で出会ったばかりの少しづつお互いを話す時間は、旅先の感じに似ている。結構、真っ白で自分たちしかいない、みたいな。
少し自粛期間中は砂丘のようだったかもしれない。

またコロナ前までは見た映画を書き留めていたのに自粛期間に入ってから書き留めるのをやめていて、でも今思ってることはその時間の中で見た映画のことを忘れたくない気持ちだった。

明日こそは映画館に行けるかな。

2020年6月5日金曜日

うたと踊りのこの手を伸ばして

‪メロディーに言葉をつける。‬
‪すると時間が生まれる。‬
‪時間があるとそこに踊りをつけれる。‬
‪するとどうなるだろう?‬
‪見方につけれる?‬
‪手を振るとその時間が自分になる。‬
‪自分のパワーになる、そんな感じがした。‬