2018年6月8日金曜日

猫登場

一年ほど前から保坂和志さんの本の影響やら、年齢の影響やらなのか猫が段々と気になり始めていて、もう少し向き合ってみようという気分でずっと来ていて、先ほどランニングをしていると猫に遭遇。川沿いだから時間も12時を過ぎた頃だから人の通りもほとんどなく、そしてこの猫がどうやら絡んでったら遊んでくれる気配で、いつもならランニング優先だけど今夜は猫と時間をつぶしてみる。するとこいつが可愛くて、猫とこんな風に遊ぶのも初めてだから試行錯誤してるうちに段々距離感つかめてきて色々とじゃれあっていた。猫が自分で身体をくしくしとかきはじめたので川沿いから空を見上げると小さな星、東京の空サイズ。下に視線を落とすとまだいる猫。もうひと遊びして、そして置いていくようにして走り帰った。
また会ったら遊びたいなぁ。

2018年5月25日金曜日

夜を迷子になっても泳いでいる、いるか

今夜は頭の中をフィッシュマンズが泳いでいる。
最近、文章や詩みたいなことが頭の中から離れちゃって中々書き綴れない。
僕にとっていい状態とは絵の進行と共に文章が書けていってしまう状態なんだけど、今は筆先で起こる言葉とかの意味じゃない先端部分の持つ抽象が先を進め集中してあるということなのか、と思い過ごそうと思ってたけど、こないだ横浜の奥の方を目的もなく足を伸ばしてみたら少し迷いそうになって怖くなって、そして目的のルートから外れた道、そしてその道に付随する時間を手にしたのは久しぶりでした。怖くなったのは、こんなにも知らない世界にまだ出会っていけることがわかって怖くなったのだ。わかった気で、これくらいでしょうという前提で立っていた最近の僕がそこに露出されて、反省すると同時にそこに来て言葉が自分の中に出現していくのがわかった。その関係性がどうやらあるのかもしれない。
フィッシュマンズかぁ、久しぶりにそうして書いてみると孤高を改めて感じる。
孤高であることは非常にロマンチックで大事なことだね。忘れちゃいそうにならないでね、

2018年5月16日水曜日

CAR

Mr.ChildrenがApple Music配信となり、CDは持ってるけどデータとして持ってないために中々聴くのが億劫になっていて聴いてないまま随分時が経ったアルバムの曲などを聴いてみる。
車の中でキスをしよう、この曲はポップサウルスというライブDVDで中学生の時に家にDVDが導入された時に初めて観たDVD画面の美しさとフラットさ、そして音も違うというその時の感覚が強く残って覚えている曲。
しかしこうして聴いてみると、本当にこの時点では全然どこの誰でも歌っていそうな、しかも良くも悪くもいいなって思いやすい線をいったような曲として今回聴いてしまった。
若いバンドマンが作ってしまいそうな楽曲。
いかにしてミスチルは違う曲を獲得していくことになったのたろう、、

2018年5月6日日曜日

SZok!

静岡に来ています、で、she is ok!とかScene is overとか歌ってます、いや、大体踊っています。
今夜はマハバーラタを観劇。
野外の中に組まれた円形劇場の中から見上げる形での観劇。
木の葉や、どこまでも伸びていく夜の空や、照明、美しい役者の方たち、その場で演奏される音楽。
本当に美しい姿で演じる女優さんの所作と外の景色との一緒が本当にロマンチックな距離を生んでいて、外で人がこうして何か物語を改めて見せることで自分の過去や人の人生について思いをめぐらしてしまったし、昔、すごく好きだった人のことを思い出していた。
木の葉とか野外の空とか夜とかの中にいると、昔の人の生活とかのことまでもイメージを巡らしてしまって生きていることが尊くて、それでそういったそういえばとてつもなく好きだった人がそういったことたちの距離をもっと遠くに置いてくれていたことを思い出した。ロダンの接吻を横浜美術館で見て、それは不倫での恋だったとあるけど、とにかくそんな風に距離を引き延ばしてくれる、どこまでもどこまでも美しいと思わせてくれるものが世界にもしあるのなら、そのことは誰にも止められないし、やっぱりそのことがあなたにとっての果てしないものであるのかもしれない、って今夜は思うのであった。

2018年4月15日日曜日

めまぐるしい

今日はどんな夢を見るのか?最近はめまぐるしい毎日で、たくさんの締切にも間に合わなかったり十分に仕事が出来てなかったりなんとか乗り切っていたりという感じだと思う。迷惑をかけつつあったり、もう少しできたかもしれない仕事。にしても色々違う工夫や考えをまた新たにこしらえ直しながらやっているのも中々一回一回違うからコストパフォーマンスが悪い気がする。今はそういう時期ということかな、頑張りどころだよね、むしろ一回一回を変えるだけの抽象性をそこに生んでるとしたらむしろ時代的に大正解じゃん、仕事のやり方としては。
昨日はあいうコンビで会って色々話聞いてもらっちゃった。前にも聞いたかもなんて態度を持たれてしまって、我ながら呆れてしまう。し、そういった態度をとってくれる友人というのは愛おしいなぁ、な瞬間。でもやっぱり昨日のことは残っている今日なのでなんとかしたい。
久しぶりに好きな映画ディナーラッシュを観ようとしている。借りた。
今日はその足でクラブに久しぶりに行った。音楽や光の光線の中、身体の部位の線がそれらとまた交差し合う。jorgenの写真、また新しくなってる。今度は対象へのフォーカスがはっきりとしてて、いよいよ、ポップさに接近して、多くのファンを生みそう。だけどそれまでの過程がやっぱりあるからで。いやでもそのポップさを持つということはつまり逆にそういった眼差しをカメラ越しに向けているということなのかな。彼の写真がよかったから僕も頑張りたい。いい絵を描きたいと思った。いつか隣に並んだりしたいな。

明日は10年ぶりに会うカナダの友人セブ。
完全に色んなことに身体が追いついてない、少し頭痛もするけど。
めまぐるしいことに悲しくならない。

2018年4月11日水曜日

夜道路がアドベンチャー

こないだのライブでは高校の先輩のバンドどついたるねんの舞台にて踊らせてもらった。
高校の友達も来てくれた。夢ちゃん、ありがとう!
終わっあとの感想がやっぱり夢ちゃんで、なんというか感慨深いね、僕の作った現場でもなくただ僕は招待してもらっただけなのだけど。ラグビー部の人たちとかもすっかり、歳を重ねられていて。しかも赤坂ブリッツってなんか赤坂あんまり踏み込んだことなかったから。
そういえば青沼の結婚パーティーもこの辺でそれで帰りに都留と吉田先生と珈琲飲んだんだんだよね、確か。
やっぱり高校の頃のこととかもこんな風に今でも生きてくるからモーメント、瞬間を生きる事は後ほどの人生の中でも再び生きてくることなのかもしんないね。

打ち上げが終わってまた歩いて40分コースは山登って大きな車道沿いを歩いたりそれなりのアドベンチャーで。これがまた小さい頃のことを思い出すんだよね。小さい頃はたくさん歩いてどこか行くことも多くてアドベンチャー感も身体が小さい上に知識も少ないからあってさ。
それを思い出しつつ電池切れそうなアイファンでナイトクルージングなんか聴くのは大学生の頃の気分かもね。
もっと夜にどこか連れてってくれ〜みたいな感じで途中でやっばし電池が切れて。

打ち上げでは同い年くらいの子たちが結構、大変そうなことを言うから自分は少しそれに喰らってしまって、なんというか、大きすぎる敵を放置してしまいまくった時代なのかな、なんて。ヒーローが欲しいけど、描くのだって放棄されつつある。
そういうことと高校の頃に想いを巡らすことも繋がるし、また、また、、なんだよ、、、って言ってうまく言えない。

そして女の子にそんなじっとされると、ねぇ、そりゃあ。

夜に流星群を聴いて絵を少し進めた時間があったさっき。

2018年4月3日火曜日

久しぶりに日記を書く。この間にも演劇の公演に出たらあれしたりこれしたりしていたんだよね。
30歳になったので、なんかもう少ししっかりしたことを書いた方がいいような気もするんだよね、何かに寄りかかったような文章に何か大丈夫かなという不安がやってくるみたいなさ。
先日、谷川俊太郎展行って、段々と展示を見るに連れそこにある言葉、詩を読んでいくんだよね、最初は文字より他の情報どうしても展示では追ってしまうから。でも割合として当然ながら多いその会場で段々と時間が経つにつれ言葉を読むようになって、地面に段々と着陸していくようにして詩を体験していくと、ほら昔読んでその詩があって、段々とエモい気持ちにもなっていく。時空を超える瞬間がやがて来る。

また谷川俊太郎さんはいつも散文であり続けた、圧倒的散文、散りに散って散りまくってそしたらそれでの芯のあり方ってどういう風に出来たんだろう?それでもあり続けたというのは、逃げ切った身体みたいな感じして、ただただその偉業を前に立ち尽くすしか出来ない。

最近、言葉を説明とかにばかり使い過ぎだけど、もっと人を宇宙に飛ばせるような言葉や詩を生むべきでもある。