2023年1月26日木曜日

目を開いても瞑っていても回っているよ

 数日ぶりにメモが復活した!あきらめないで良かった。

京都に来て眠れない夜、初めて。
これは移ったホテルの部屋が暑すぎるためだ。まったく部屋にエアコンがついてあるのを大まかに三段階しか調節出来ずそれでこうなってる。

相変わらずずっとネガティブなことの方ばかり考えていて、でもなんとか引っ張ってこようとして、今日は少しだけ光が差し込む回答を言葉として得たと思う。
それはやっぱり"全部"なんだ。苦しくてもなところと、自分の中に見つけれる楽しいところ、両方ともについて取り出して考えること。時間はないじゃなくて時間なんてない、でいけないか。
踊ることは踊ることで身体の記憶として刻まれることとしてあるし、人といるということもそうあるし、言葉だって後退させちゃいけない。言葉にも失礼があるかもしれない。みんなそれぞれに個性的にあるのがひしめいている。
I canだしI can'tだ。
身体や気持ちよ弱くても持ってくれ、太陽が出たら嬉しいかもしれない。もう一度人の悲しみが自分を器に流れ込んで悲しくなったら悲しくなって。私は変身しよう。私は変身しよう。
言葉かもしれないし、態度かもしれないし、ダンスかもしれないし、音や空気、物かもしれなくなるのだ。生きている。

2023年1月23日月曜日

誰にも

 明日から京都。相変わらず荷造りがうまくならない。相変わらず、で思い出すけど相変わらず人は変わらないのかもしれない。ずっと同じとこにいてそれが濃くなったり薄くなったりする程度で人はそっちにはいけないし、こっちにもいけないのか。とかそう書く、少し諦めも込めて、というか書くに任せるとそう言っている。諦めないとしたらそれはすごく大変なことだからだ。誰もそうやったりしない。悲しいことに。いや、やる人はいるんだろう。

昨日もほとんど眠れなかった。帰り道の電車では駅員さんに起こされるくらいに寝てたのに。こないだ担当していた写真学校の授業が終わった。毎年何人かの引っかかる生徒がいてくれるおかげで毎年いつも良いんだけど、今年は人数が少なかったから割合たくさん話せた。皆は人によってはもう大人の留学生だけど、身体表現を前にしたとき、僕の見立てが甘いせいか、子供のようにそれぞれの態度で取り組んでいく、少しずついい片鱗が見れる時があって、そのことが結構1年の中でも美しい表現を見た時間として記憶に残っている。

急に自分の言葉でしゃべる時間が奪われてしまうこともある。僕は手応えを使って話そうとしがちなんだろうか。

ドタバタしながら時が過ぎていく。なんと正月からもうひと月が経つなんて。



2023年1月19日木曜日

知らない

 走り出すとドアが閉まり始めて私は全然入れない。後ろからやってくる人。周りを見渡すと全然人はいない。スーパーからの帰り道。気にしないでほしい。声で出来た塊。ネックレス。ワッペン。ボールペン。少しだけ急な坂になっている途中で拾った10年以上前のメガネ。野球ボールは投げると青色に変色。そんなもんだから今日はお味噌汁だけの夜ご飯。帰ったらサザエさん。変な噂がたって近所がざわついた。グリーン。ゴルフ場のベンチにそっと腰を下ろして半分コーヒーで半分ビールの飲み物を本の上にこぼしてしまった。一体どこにいるんだろう?

夜の銀座を歩いていたら以前の感覚を思い出していた。10年は経ってないのに変わってないみたいでいたたまれなくなる。お店の中でずっと一点だけ見つめる時間が訪れた。変だったかな?気にしない。逆にそれでこそ生きているんだと少し思えるのかも。

雪が降ってきそうだから空を見上げても雪は降ってこなかった。それでも見上げてしまう。降りそうな感じがずっとしていた。銀座の通りから見える空がそうだからなのか。

2023年1月10日火曜日

眠れない

 2023年になった。昨日は本番で、本番が終わった後にもまた練習をしに行った。結構身体は動けたし、本番もたくさん動く作品ではなかったので十分に疲れて帰ってきたにも関わらずやはり眠れない。眠れない今日に関してはネガティブなことを考えてぐるぐるしてしまった。以前、眠れないにも関わらずポジティブなことを考えれたので良しとする、みたいな時もあったのは良かったな。

今日はそうじゃない。最近は結構、現実に対してオルタナティブな夢を見ることが多かったので今日もそれが楽しみだったんだけど。やれやれって感じだ。

2022年12月28日水曜日

上向き

眠れない。昨日は2回寝たからか。朝が早かったのでしかもそれで寝付けなかったので風邪を心配して帰って長めに眠った。身体が布団の中で火照り過ぎると、外に体を出して冷やすときゅーっと血行が変わるように感じるのは冬ならではと。

眠れずに目をあけると、外交がカーテン越しに部屋に漏れてぼんやり薄く広がる色は青。北野ブルーとか言われる武映画の青のことをぼんやり思い出す。

眠れない今日だけども、今日はいいことがあった。
それは考え方をいい方向に持ち直せたということ。自分にとっては考え方がいい方向に持ち直せたりその手応えさえあれば幸せ、というか生きていることを実感できる。これは人によることなのだろうか? そう、そういう持ち直した考え方に久々に至ろうとさしかかっていてこれが続けばうまく来年に入っていけそうだ。そこからのうまくいく、いかない、がいよいよ現実的な困難ではあるのだけど。
さっきこんなことを思った。
海外の音楽や映画や本は自分にとってコミュニティを介さず外側と接続し想像を広げることの出来るチャンスだと思った。これとダンスというのはもう展開してしまえばコミュニティが発生するメディアのようにも考えられて、絶妙なバランスの中でスパークすること。それがうまくいくと良かった気がする。最近は本や音楽、映画とまた付き合う時間が増え、英語が入ってくる感じがある。これがまた健康にいいというかエンジンになる。 そういえば今年はやっぱりうまく外のことを想像することが難しかった。戦争だってずっと起きていたりするのに。身の周りのいろんな意味での困窮に振り回されてしまっていたんじゃないか。それで目標の低い想像力しか持てなくなって。この際というか、いつだって実力の有無とは関係なしに目標の低い想像力よりは自身を楽しませてくれる想像力が出現した方がいいに決まっている。
こう書く間にも気持ちが上がっていくのだから、書くことは必ずしも過去の描写や未来のイメージに限らない。現在系のパフォーマンスだ。

さてうまく寝れるだろうか。

2022年12月22日木曜日

もういっかい、

 最近ほんの少しずつだけど世界の広がりをほんの少しだけどまた再び見る時間が出来てる気がする。それはうれしいことだよ。ひっそりとうれしがってる、かみしめてる。今日も久しぶりにibisくんの会いに踊ってるというので行ったら随分訪れていなかった空間が広がっていた。生きていた。僕は僕で生きていた。だから再会して嬉しかった。こういう時に生きてて良かった、と言うのかな?実際に随分久しぶりに会ったダンサーの人にそう言っていた。生きてて良かった、って。

2022年12月16日金曜日

他人の光を受ける

 先日、歌舞伎町の展示を見た際に友人の友人であるアーティストに出会し互いを英語で少し話した。その時に久しぶりに英語を話す自分にも再会し嬉しかった。

コロナになってこれが恒常化してからというもの諦められるコミュニケーションそのものやコミュニケーションインフラがたくさん起きている気もする。

知らない場所や人と出会い、自分のことをプレゼンテーションすることもあれぼ別に通じる話題を話すこともあったり。そうすることで違う部分に光があたったり。自分が観客として組み替えられていく。

同じ人やコミュニティと話していると自分が固定化されていくような。でもその中での複雑性も多分にあるのだけど。

なんとなく様々な別の光に照らされるような状態を欲してはいるんだ。

今日も設営中の美術チームに出会して中々ぽつぽつと話すのが面白かった。