2024年7月26日金曜日

20年前

20年も前の映画になってしまった。ずっと見てなくてDVDも持っていたけどやはり後半の部分に腰が上がらなくてそのまま時間が過ぎ、でも見た記憶や画面の美しさはずっと残ったままでいた。

まだ途中までしか見返していないのだけど、なんと美しいことだろう。2人の俳優のその世界にいる、ということがずっとまだ美しいままであった。

そしてこの映画が過去と現在を行き来することが、今の自分と過ぎていった過去と比較して見ることが出来るようになっていた。あの高校生の時だったらそんな風に見れなかった。

たとえそれがフィクションの映画であったとしても、その有名なシーンはリアルなのか?と問われれば、それにしたって強くメタファーとしても機能していると感じた。前途多難であろうと、誰かを最後に届けるために全力を捧げるということが、美してくて。若い時は僕は未来を明るく見ようと思っていたのかもしれない、だから余計にそこからいなくなる、ということに対してなんでだろうとか疑問とかがあった。けど大人になっていくと、どうだろう、未来の大きさや見えていることが変わったんだろうか、そういうことへの反発も少なくなっている気がする。

映画の人たちは反抗していた。

そしてヒロインの子はずっとそれまで甘えたりしなかったのに最後のチャンスが奪われた時にやっとそのパートナーに甘える。どこにも行くことの出来ないパートナーは空に叫ぶしかない。


色んな記憶とともに20年前のことが少し思い出されて、少し悔しい気持ちになる。でも、まだ思い出せるということが大事だと思う。たぶんもっと色んな記憶と生きる事が出来る、、し、、そんなに簡単に折り合いをつけることが出来ない。過去や未来を行き来するし、あの人とこの人の間も行き来する、複雑にしか生きられない、

そしてこれを書くのは映画を見ている時だけにこの想いが存在していたことをしたくない、書く時にまた思い出したりして気持ちを延命させたい。

2024年7月21日日曜日

どどめる

 今の気持ちを消えてしまう前に留めようと文章にしてみるのと、面白い文章というかテキストをさて書こうというのは違う試みで、夜に書くのは前者の方だ。それは昼間に良いテキストを書こうとかとにかく書くをしたくて書くをするのとは別のことのように思う。

そして何が書きたかったかの気持ちも忘れる。昔はこんなふうに文章を扱わなかった。mixiがあってそこから人に向けての媒体で何か書くようになった。その時はいい文章も書いていたと思うし、いい文章じゃないなら書くべきじゃないとも同時に思った。何かエネルギーになるようなことのアベレージを目指そうとしたがうまくはいかなかったけど、たまに機能もしていたように思う。でもいつからかどうにもならなさ、とかテキストに書いたところでうまく描写することも難しいのに何かその時のことを留めようと、なのか、表現においてクソの部分もやれる場所が必要と思った。どうでもいい、とか。応えたくない、とか、

最近は相変わらずちょっと変な夢を見るし、久しぶりに会うやつが夢の中にいる。みんなありがとな、

2024年7月19日金曜日

休憩

 ベランダからたっぷりの雲を見る。向こう側では月が浮かんでいる。 昨日は友達と電話をする。随分久しぶりに話した。 今日は別の人とタイミングが合わなくてまた今度となった。 30分でも横浜のみなとみらいの景色の中を歩くと、この人工的に再配分された木とコンクリートが作る情景とかってなんだかアジアでも見たことがあると思ったし、案外日本の都市をモデルにしていたりして。

夏だからこの景色を歩くのも面白くて。たとえば橋の下では変なおじさんが独特の間でその辺をうろちょろしてるとか、信号を反対側で待つ人のやけに暑そうな顔を見せてくることとか。

そういえば何年振りかに500日のサマーを観た。この映画も忘れられない映画の一つになった。それにしてもサマーはひどいなぁ、なんて言っても結局のところみんな自分の人生や運命に進んでいくのでそうなるんだろう。

再びアメリカの以前の映画が面白くなってきてる。


それにしてもさっき、雲を見る時間を作ることが出来て良かった。全く空の雲を見ていたら今も昔もずっとその空は知っているままだなぁ、って思った。



2024年7月11日木曜日

I LOVE YOU DANCE CITY

 僕は嘘つきだと思う。
ストリートでパレスチナの国旗を掲げながら帰り道のスターバックスに立ち寄ってこれを書いている。なくてはならない時間になっている。本当は場所は変更可能なはずなのに。
だけど今夜ストリートで踊っている中で、パレスチナの国旗を見かけて明らかにバツの悪そうな顔をする西洋風の人の顔があった。
TOKYOという異国に観光でやってきて、ここに来て色んなことが諸外国よりフラットな観光を楽しんでいるような場所で不意にパレスチナに連帯するような国旗を見つけてバツが悪かったのかもしれない。でも、その僕は徹底されたボイコットしているわけでもない。
あのストリートでやっていることも2週続けて終わり頃のタイミングを見計らうようにして警察の人が来てくれた。たぶんもっと早い段階でクレームが来ているはずだ、だから感謝。目をつむってくれているんだと思う。
一方で都知事選。僕の周りではやっぱり石丸さんはだいぶ嫌われている。
でも僕はそうでもない。でも僕は蓮舫さんに投票した。だって長く政治の中にいる人ということで。
複雑。
でも分断もある。
こういうことさえ言いにくい。しかし話す、やるしかない。
僕は僕で表現する、乗るところでは乗る。乗らないところでは乗らない。
村上さんがストリートが終わった後ビールの中で言っていた。言葉にしてしまったり、言葉が強いから嫌われたきたこともあるという。
僕は言葉が欲しい時にもらえなかったというのが自分の中で珍しい感情として生まれたというのがあった。
向こうはまた違う感情かもしれない。
複雑。

しかし来週も踊るよ!
今日はいいダンスしてたと思う。ありがとう、

2024年7月7日日曜日

休日の水族館の移動のクラゲ

 色んな人に今日は遭遇する日だった。セイハローの日みたいな。でもそれだけじゃない、午前中に公園で身体を動かすところから始まってその時はあんなに暑かったのに。

でもいつもいい挨拶ができるわけじゃ全然ないんだけど、少なくとも今セイハローと言える友人や知り合いがいるということは低く見積もって幸福なことなんじゃないかと思った。都現美からバスに乗ると次第にうとうとして眠ってしまう。イヤホンからはフィッシュマンズで、たぶん初期の頃の音源が流れていてその時はまだいわゆるフィッシュマンズじゃないみたいだ。そういえば20代と30代で明らかに顔の筋肉が違うのを感じる、硬いと感じる。朝起きて歌い始める時、まず顔の筋肉をほぐすところから始める。

三茶に着いて雨がすごい中を投票所まで足を運ぶ。僕は蓮舫さんは落ちてしまうんじゃないかと思う、結局のところ。でもなぜ、そういうふうに周りの人は蓮舫さんしかいないみたいになってしまうんだろう。確かにわかるけど、そのやり方で見る人は限られていてあと他は別のやり方を探すしかないのでは、と。色んなことがポピュリズムみたいなようにも感じられる。

ロマンスたちの響宴も見た。最後、すっと深呼吸みたいのをするので終わるのがよかった。劇場という構造の中でとても戦い抜いたクリエーションだったと語られていたし、色んなことが舞台でもクリアーされているようにも感じられた。しかし自分はマジョリティー男性で、しかもこの劇場という機構とどう付き合いえるのか、難しい気持ちにもなった。

帰りに頭BARまで自転車で行って、ポンちゃんのライブを見にいけてなんか帰りはノリで1人で博多天神食べて帰ってきて最高だった。今日は結構一生懸命生きた。というのも高校の友達とこないだ会った時に、高校を振り返ってやり残したことあったか?という問いが出て、僕は一つだけ他人のこととしてあったこと。それ以外は確かあの時はマジで毎日全力を使っていたから、それ以上のことは出来ないってところまで高校の時はやって生きていたんだと話しながら思い出した。あれをもう一回やれないかな、とかじゃあ大学のどの辺から挫折したりそのことを認めて受け入れて生きるようになったのか、とか考えたり。

明日は山への準備。

孤独死する男たちという本を読んでいて、、、そこでは人間関係の構築や友情に努力をしてこなかった男性たちについて書かれていて、このことで色んなことが説明できると思う。

でももうちょい、というか自分のやり方はその手前しっかりやろう。今一度少しは前向きになれているのだから。


ここ数年の世界の変化はあまりにもすごい。

2024年7月1日月曜日

とさ

 ずいぶんくたびれて帰ってくる。強い風は木や林を揺らし踊らせていて、緑と黒の踊りに見えるよ。自転車を止めて上に登っていくとたぶんきっとベランダからの風景も見たいんだろうなぁと思ってベランダから向こうに広がる住んでいる街を見渡した。向こうの方で微妙に煙が上がっているのも見えるし何より灰色の空が風に揺られていて台風まではいかない強い風が今吹いていることが目でわかってそのことが嬉しい。天気が違うことや風の音を聴けるくらいの静けさを自分の中に持てたら、また四季を十分に感じられるのであればきっとそれだけでもかなり生きたいとか思えるんじゃないだろうか。久しぶりにそういう気分の風が吹きましたとさ。

ゴミ捨てに行くと信じられない光景があり、セミの死骸が落ちていた。耳で聞くよりも早く。どこかから流れ着いたのかな、物理的に。

2024年6月25日火曜日

覚えて

 今日は働き先で頑張って乗り切ったと思う。ので、たくさん疲れた。けどなぜかその前後の時間も充実して過ごしきったような気がして気持ちがよかった。最近は結構、この先どうしようとか、夜とか朝起きてすぐとかよく思う日も多かったけど現実を見てそれを否定するんじゃなくて、そうすると他の存在も否定しまうような感じとかどうしたってあるじゃない?(とか言ってよく否定しがちなんだけども、、)肯定しようと、ほれは動詞としてなんとかしようとした、みたいな。形容詞だったら変えられない状態を指すけどこれ自体が動詞なら、肯定するという動詞で動詞を全うするという選択肢が生まれる、そんなような理屈が動いていたのかも。

もう少し思い返すと、先日先生からもらっていた10年前の高校を振り返ったテキストを読んでいて、そういえば高校生の時、とにかく毎日全力で生きていた、ということがあった。毎日全エネルギーを使って生きていたことがあったと思う。胸張って言えていた気がする。それが一度大学に入って負けてしまう、そこから個人のオルタナティブな戦いに変わっていった。集団に負けたという経験。そこから社会や集団にちょっとずつ負ける時間が増えて、ここでは負けていていいんだ、みたいな時間が生まれていった気がする。特にバイトとか。これほ一時的なんだ、と。

でもそれはむしろ一時的にならずに、ぶらぶらと自分の生活の一部分に蝕んでしまった。あと少しでその時間を生活の中で追い出せそうとか思ったり、物理的には追い出せそうになったけど結局追い出せなかったし、そういう意味では今年になってそれがまた結構あともどりした気もする。でもそれは物理的というよりも自分にそういうクセがついてしまったということかもしれない。そっちの方が問題だよね、高校のその生活と比べたらと、やっと言語化レベルで今日ゴミ捨ての時に思えた。それを追い出せそう??もう一回高校の時みたいに生きれないかな。本当に毎日、学校に行くのが楽しかった。ありがとうみんな。

覚えているだろうか、