2015年9月25日金曜日

秋cks

バイト先のギターリストがおすすめしていたコトリンゴを聴いています。 いいですね。bonobosの音源も最近よく聴いてる。ライブがよかったんだ、まっすぐでしっかりバンドしていて。当たり前に見えて達成しにくいバンドは一つの音楽の形態としてありでしょ、って思わせるようなライブ感だったんだ。 必ずしもオーケストラじゃなくても構わない、こういったバンドという同時代的な形式でも確かに、強いものを感じました。 東京に戻ってくるなり毎日に同じように追われいます、するといかに南会津の原っぱの上で見上げればきれいな星の下という環境がすてきで自然だったか思い出しました。 僕は 雨を 食べて お腹に 木を植えて 

2015年9月23日水曜日

ふと、

ふと油断するととたんに寂しく、悲しく見える 光 そそぎこまれてちまうじゃあないか、この人生。 ずいぶんと淵、に、いつのまにか、立たされてるみたいに。 あぁなんで不可解なんだ、カンタンにはいかせない、シンプルになろうとしたり、それをすぐ三日坊主の精神でおおってしまったり。

2015年9月22日火曜日

林から見た星

大宴会から帰って来た。今回は大きな雨とかもなく、準備も片付けも早く終わり、前夜祭も後夜祭も含め存分に時間を過ごしました。ただ少し肌寒い山の天候でした。 2年ぶりのスタッフボランティアで参加して、久しぶりに会う人たちに懐かしさなんかもこみ上げてたけど、すぐに準備してなじんでいく。 でも皆結構、白髪増えてたり苦労しているのかなぁ、と思った。 あいかわらず、一回り上の世代の男性陣のスタッフなんかに東京では見られないかっこよさを見たりして、身になる思いがしたり、おいしいご飯をとにかく食べまくったりした。 夜は星が近くて、一瞬、プラネタリウムかよなんて思ったりもした。 南会津に来ると人が人に接する感触がちがったりして戸惑う。なんていえばいいのか、優しいというか。 ハッとして、少し自分を省みる。 年齢の離れた友人、コーヒー屋さんのたんじさんや写真家の赤間さん。と色んな話をすることが、特別で、好きだ。20歳も離れた1人ともう1人はもう10歳くらい違うかもしれないけど、良いんだ。ただ共有出来る何か、が今はあることが素敵だ。 やり方を見て勉強になる南会津や福島、あるいは他の地方から来た人たちと、何人かの面白くて近況やヒントを聞きたくて話したい人たち。 そしてあわよくばダンスもして話せることが増えたり。 そういう風にして過ごす。 帰りはちょっとそれでさみしい。 でも、離れた友人というのもすばらしいですね。

2015年9月18日金曜日

clearest blue

chvrchesのアルバムの中に"clearest blue"というタイトルを発見。発見!って感じだ。 あまりにも瞬間がはかないことに矛盾して、情報量は増えていくのに身動きはとりづらく、そのこの現状に対して多くの複雑な重層的な感情や反応を実は示しているぼくたちわたしたち。と言ったところ。 そしてこれさえ記述する術や技術を習得する間もなく時間は流れていく。 それにあらがい手に入れたいのは、”間”で”スペース”だ。 もっと”間””スペース”にいることを感じて生きることがしたい、これがコンセプトかのように最近は出てくるワードだ。 ディビットフィンチャーのドラマは、ドラマになってより重層的に複雑になっていく、どこにディビットは力を置くの?と思い見ていくことになる、普通のドラマなんかこえてほしい、と。僕らが生きる中で本当に選んでいってるものは、全然ドラマなんかと違ってもっと政治的な選択をしていることに気付く。だからこれを見ていて、これはドラマではなく、建築だとも思った。重層的で複雑な構造を描くことがドラマを越えて、存在している現代の選択肢をまるで映していくみたいだ。(最後は筆に任せて書いてしまった、言葉への集中力を切らした。) スペースの話に戻れば、これからの戦いはやっぱり長引くような気がする。いわゆるちょっと前の時代に光ってた光なんてなくて、ちがう色をした光になってると思う。しかし、でもそれも悪くない、そしてそれはある意味”代案”である。用意するのは大変だがもし描けるならばこれほど楽しいことはないかもしれない、未来という未知を描くのあれば、、、それには体力や集中力がいる。と思っている。体力や集中力ってすばらしい。そこには種も仕掛けもない。

2015年9月16日水曜日

チャンネル、

もうこんな時間だ。いつも眠いまま、仕事が始まる。なんとか終えて移動時間に仮眠し、目的に向かう、の繰り返し。 バイト先の新しい業務は、ぼんやりとショッピングモールの通りを眺めるのがある。色んな人が橋を行き交う。川のように結構とめどなく。 見てる人によって、情報がだいぶ入れ替わり立ち替わりするんだ、ほんとに。 だから結構見てて面白いけど、チャンネルは切り替わってるから疲れてもいるんだろうな。ちょっとあまりにも人が人に与える情報量の、これは多さ?にびっくりしている。 明日は個展の打ち合わせがあるため色々と準備。

2015年9月14日月曜日

RENとも

今年から使い始めた手帳。毎年使っていたのよりも1.5倍くらいの大きさの。ドイツのかな? 手帳から攻めようって始めて8ヶ月。悪くないと思う、より詳細に。大きく広く、出来れば細かく。 あとはmacもほぼ毎日のように持ち歩き、外でネットするようになった。にしてもこのmacは思いなぁ。どうしよう。 いつからだっけかな?昨年あたりからだっけ?ほぼネットのとんでるスタバばっかいってる。日本のネット、もっと張り巡らしてほしい。 さてさて、今日はNYから友人が一時帰国ということで大学の映画専攻の友達と3人でご飯を食べた。 やばいこのメンツは大学入って間もない頃に大学終わって待ち合わせて文化村にRENTを観に行った仲だった。そしてその一年生の終わりにNYに行ったのだ。帰りに日高屋行ってラーメン食べたなぁ。とか懐かしい。あの頃。色が残ってんのかなぁ?ならば、この今もそういったように今の色をなんとかしてこのキャンバスに塗りたくってやるくらいでいこうと思う、年を取ったら余計にやりにくくなる部分があるだろうし。って今日この人たちと話してるときに思ったんだ。忘れないで実行出来るといいのだけど。 そして帰りにふらっと新宿を歩く中で友達の話になって、そういえば僕にはふらっと立ち寄って朝まで過ごせる友人がこんなにもFacebookに友人がいるのにいないことに触れられた。それで、6月にままごとの”わが星”で小学生の2人が約束をするシーンがあって。また思い出した。そのことも確か母親になんか言われたのがきっかけで。確か昔は友達が君にとって、すべてだったよね、みたいなことを言われて。それは前にも書いたかもしれない、結びも確かやっぱり何かしらは子供頃の何かを失って大人になっていくんだ、みたいな。

2015年9月11日金曜日

散文、

写真をどうまとめれば、と思い、hiromixの写真集を眺める。川内倫子さんの写真集を眺める。プリントアウトした写真を眺める。 はっとする、今執拗になぜか写真に惹かれるのは、写真とは映り込んでしまう"今"を必ず切り取ってしまうからだ。 もしかしたら今、自分はどうしようもなく今を失いたくない、並走したいのかもしれない。どこにいたのか、とか、何を人が見ていたのか、ただそのことが気になるのかもしれない。一方でフィクションを生もうとしていくのだけど、フィクションを生ませるこの世界や状況もとても大事で、大切なのかもしれない。 写真に映り込む、現実へのまなざしを求めているんだ。言葉にならない、どんな風にその時、世界を見つめていたのか。 ダンスは見ることができない、、、ならもしかしてやっぱり勇気と楽しいとかがそのまま大事なのかもしれないね。 ディビットフィンチャーのドラマ。ドラマってこんなだったけ?という感じがあって、それは彼のだから特別であるのかもしれない。けど、こんなにも何か政治をするにあたって何重にも複雑に方法をとっていかなければいけなかったこと。なんか昔を思い出す、そうそうそんなことがあった気がする。すべてのことがそこを、それを左右してしまう、という政治の本来。 そのことがわかるのであれば、少しは自分にもチャンスがあるかもしれない、、

2015年9月10日木曜日

imaなど、

今日は本当に一日中に雨の中にいるような天気だった。 ちょっと遅く起きてしまって、それでも台風だからってこの貴重な休日を家で過ごすわけにはいかない、と。 何があっても決めた過ごし方を全うせねばどんどん目指してるとこから遠くなってしまうぞ、と傲慢な心がいつものように働いて、都内に出て行った。六本木はいつもより断然人が歩いていなくて、走る車が水しぶきを飛ばす、ズボンはばしゃって水を被ったりしながら長靴でひたすらに歩いた。新国立美術館に来ると、いつもこの景観に感心してしまう建築の内部。こんな都心の中で、こんなに贅沢な空間を使った建物体験中々出来ないよなって。さすが国立だ。そういった体験って身体ですぐに気付くと思うんだ。それだけでもこの中にあるカフェっていいなぁと思う。ちょっと違う時間と空間を過ごせそう。 アーティストファイル日本と韓国の作家展を見て、ima concept storeまで歩く。大雨の中。 水谷さんというこないだ知った写真家の新作展を見に。とてもお洒落な空間。ここにもカフェが併設のギャラリーと本屋。 写真を中心にvisual artの本いくつか。五木田さんや田中功起さんの海外の出版本など。 室内建築も思わずかっこ良く、みとれるものがあるのでまた来よう。身体でまずは都会の地図を覚えていく、頭でもイメージを作る。それからはてそれをどうするか、だ。編集が最近気になる。いや、もとから気になってるんだけど、改めて物を多く見ていこう、現状をみんなで良くしていくには自分はどうすればいい?どう動けばいい?今持ってるものを使えるであろうものをどうすればいい?って考えるとおのずと出てくる編集というワード。日本が中々絶望的なのは編集がうまくなされてない、またはバランスが悪いのが原因でもあるでしょう、もちろん。そういうことを思った。 また写真集買う予定だったのに買わなかった。なんか印象が違ってしまった。 でも今は写真について知りたい。写真とは世界のこと、僕も写真が撮りたい、つまりどういう風に世界が見えてるのか見えるのかをもっと良くしたい、それを共有したい。絵でも世界について描くのだけど、写真では現実の風景を見る人にまるで一緒に見えてるかのようにして映す、そのやり取りを出来ればしたいんだ。そのことが必要な気がする。

2015年9月8日火曜日

song

友人が曲をsound cloudにアップした。久しぶりに。 彼の曲と最近は離れていた。新しい曲にクリックを伸ばし、再生、始まった。 すばらしかった。またこう映画の中に引き込まれるようにして感動していた。 https://soundcloud.com/miki-delos-santos/let-me-down 世界のことなんか知らないけど、自分が立ってるこの位置に誇りが持ててくる。 ぜひ聴いてみて。

2015年9月7日月曜日

today

6時間くらい働いて渋谷の文化村にヴィムベンダースの新作映画を観に行く。まずチケットを買って、近くのベローチェで映画の時間まで過ごす。 今日も雨で、傘をさして人々は行き交う。傘だなんて。もう2015年だというのに、なんてアナログな方法を未だに僕たちは採用していることよ。 もちろんこの傘というのが、この2015年を迎えてもアナログな人のこの僕にとってはとても美しく見えるんだけどさ。 映画がすばらしくて、それを観終わって電車で町田へ向かう。びしょびしょになりながらも練習はする。最近は良い。踊りを少しづつ広げようという意識と、動かないけど導かれたい身体がなんとか一緒にある感じ、するし。続くといいな。そして続いてるうちにちょっとでも発見をし、身体が成長したらいいな。 雨の中家へ帰る。びしょる。途中でデビットフィンチャーのドラマの続きを借りていく。 諸々終えて、大きい絵を描く。といっても画用紙サイズ。明日は、範宙遊泳見つつ、友人と話す。有意義な時間にしたいな。 そして今深夜、より朝に近いか。上野くんのアップした曲を聴きながら書く。 https://soundcloud.com/miki-delos-santos/let-me-down  あぁ僕らの青春は誰にも奪えないはずじゃないか。世界の中心に立ちたいじゃないか。 その権利が青春にはあるような気がする。それにさえ気付かずに年を取り死んでしまったらあまりにも惨めじゃないか。 明日の朝こういったことを書いたりして後悔したりもするかもしんないけど、恥ずかしさとか、冷めた感じとか、もったいないじゃないか、って。 好きな絵をかこう、そして自分はどんな絵が好きだったのか?これからそれも一緒に探しにいこう。 やることしかない。反転するとやることに溢れてしかいないんだ。 today is for you

2015年9月6日日曜日

秋へ。

じょじょに秋に移行して行く季節。時期。 夏を振り返ってみるくらいの道路に、立っているような、感じ、するなぁ。 夏、悪くなかったと思うな、振り返ってみて。十分ではないのだけどさ。 って言っても、毎月やることは変わらず、ただ淡々と毎日がある。目標に向かって進んでいない時間はない、みたいな。 この姿勢と取り組む仕事とあとはフィジカルな時間を、自転車を漕ぐようにして、漕いだ分だけ進むような感じでやっているだけだ。 再来週、もう一度、福島の大宴会に行ってみようと思う。 夏はビールかコーラをよく飲んでいた。

2015年9月3日木曜日

雨9月3日

今日は休みになったので、都心へ向かう。国立新美術館とこないだ出会った写真集の良かった写真家の個展を観に六本木方面へ向かう、がやっぱり新橋へ。ガーディアンガーデンで行われている白黒写真が気になったため、今日は銀座らへんのギャラリーを攻める。 雨が今日も降っていて、出来れば夜はやんでほしい。外で新宿で練習がしたい。 これからBONUSのチラシを描きに木村さんと会う。 いくつもギャラリーを今年は回っている、意識的に。僕はあまりうまく勉強する方法が思い付かないので、この方法になっているとも言える。いくつも回って行くうちにほんのちょっぴりわかることもあれば、わからない宇宙も膨大にある。しかし、一方で何が十分でないのかは確実に浮かび上がってくる。この感じってもしかして、ダンスにだけ打ち込みまくっていた頃に感じつつあったことと同じかもしれない。好きだから見ていたはずが、だんだんボロが見えて来てそ業界を嫌いになっていくあの感じ。しかしそこでやっと改めてその業界に対して反発するように面白いものが生まれてくるのも事実。ちょっと、待ってました!感。 ぐるぐる色々回ってみて行くのに、どれも本当に僕の心を満たしてくれないばかりか、かすりもしないことのが多い。どういうことだろう。大きく見てみると、やっぱりその方向性がまだやられていないということなのか。 感じてるだけではだめで、力をつけて、その方向性に形を持たせ、可視化させる必要があるよな。 ただただあまりにも出来てないことが多すぎるのだ。それでも身体はもっと前を見せてよ、とこの柵を越えようと前にのめり込んでいる、ところ。 それと、最近思うのは、僕らがもっと率先して舵をとりたいよなってこと。 歴史を踏まえながらも、やはり若い者が世界を更新していくのがいい。 未来の形はこのままじゃなく、率先し、手を出し、作りかえて行くこと。

2015年9月1日火曜日

編集の本なんかに今は改めてビビット。

最近の話。絵が描けないとか、ダンスについてやる時間がないとか、本を読む映画を観る何か展示を観に行くことが出来ない、いくらかの時間をかけて歩けないっていうのは今の僕にとっては致命的だ。 出来れば、毎日どれも損ないたくない。あとはギターをやる時間とかも。 なるべく走り続けたい。ダッシュは苦手だけど、このランニングを一定のリズムで走り続けたい。 この運動の中でじょじょに見つけたい。プラスアルファー。そういう感じ。 いずれにせよ、not enoughだ。 最近、横尾忠則の本に、岡本仁さん松浦弥太郎さん、そしてニッポンの音楽という佐々木敦さんが書いた三者の本。いずれも、編集とかに関わることや日本の戦後のカルチャーについての資料を読んで、それらがつながったりしてて、改めて今日、日本のこれからとかを考える上で、また僕たちなり、僕なりの方法を模索するにあたって何か手がかりに自然になっているなぁと思って。 なんか昔の方がコミュニケーションうまくいってたのかなぁ?とか、今と比べて状況どうだろう、とか考えたりするのです。