2015年3月26日木曜日

はじまりのうた

今日はホリデーで、友達と待ち合わせぶらぶらするところから始まった。天気が良く、このオフ感はほんとに久しぶりの休日って感じで悪くないって感じで。 寒かったけど太陽は照っていたよ。 映画を観た、二回目のはじまりのうた、映画館の中でもやっぱりグッと来続けていて、あぁこの素敵な空気感たまんないって感じで、憧れの空気感に包まれた。あー。 それを観た後に会話なんかがその勢いも借りて少しづつ変化していくのがわかった一日のライブ感。 人生は生ものでこんな風に映画やなにかの力も人と人の関係や、勢いの力が加わっていく、感じると人と人だけでなく色んな要素が存在しかろうじて宇宙出来上がってる感、、、というのは脱線し過ぎというものか。 ともかく素敵な映画で胸がいっぱいで、もちろん音楽の印象の支配も大きかったけど、さ!

2015年3月23日月曜日

展示が始まった。

今日から銀座のリクルートが運営しているギャラリー”ガーディアンガーデン”にて、第12回1_WALLグラフィック展が始まった。3回目の挑戦。いっそのことあともう3回入選すればそれで僕の作品だけで6つ分の壁を埋めれるなぁとか冗談みたいなこと考えたり。 とにもかくにも展示が始まりました。日曜日をのぞく日の11時から19時まで入場無料でやっています。 『KREUZBERG』というタイトルをつけました。 2月で、20歳の頃にBerlinに行ったことを思い出しました。 BlocPartyのweekend in the cityというアルバムの中のkreuzbergという曲が美しくて、色んな要素が重なって僕は導かれるようにして当時のBerlinへ向かった。 あの2週間僕が出会ったものたちについて、、僕はそこでビールを好きになり、憧れのダンサーのホームパーティーにお邪魔し、ユースホステルで出会った仲間と小さな映画を撮り、ベルリンの壁でラストシーンと気持ちよくなることを教わり、クラブで踊り、朝はホステルのカフェで鼻歌をうたう金髪の女の子を眺め、若いパリジェンヌたちとパンクバーへ行き、別れ際にかわいい手紙をもらい、ケバブを食べ、キャスパーデビットフリードリッヒを教わり、そして壁に貼ってある何枚も重なったポスターをお土産に持ち帰った。 20歳の頃、僕は若く世界も若かった。まだまだやれるけど、もう一回そんな希望が頭に浮かんだからそれをタイトルにした。言葉は言葉で宇宙をつくっていく。 絵は絵で宇宙をつくっていき、ダンスもそうやって宇宙を作っていく。 またがんばれば出会えると思ってる。

2015年3月13日金曜日

美術館と寒さ

やれやれいつになったらもう少しあったかくなるんだろう。寒くて体調に関して油断ならない。 でも今日寒い中夜走っていると星がよく見えて、そういえば昨年よりもこの星を見ていないなぁと思ったので、なんとか寒いうちにじゃあもうちょっと星を見ておきたいところ。 今日は戸栗美術館という渋谷Bunkamura裏側を回って少し歩いたところにある陶器専門の美術館に初めて行った。先週は松濤美術館に初めて行った。今日見たのは伊万里焼という江戸時代に日本で初めてオリジナルな陶器ということで作られた陶器を集めた展示で、陶器どれくらい楽しめるか不安だったけどかなり楽しめた。解説を読むと実際に料理なんかで使われていたということで、当時の生活を想像しながら見ていく作業や、描かれた絵の詳細なんかも、いわゆる絵画を見るのとは違う情報が頭に入って来て、よりそれが歴史的に入ってくるのが面白かった。あと器のグラフィックも陶器が立方体であるためにそれぞれの側面にあるのが、関係し合って面白い展開をしていた。個人的にも気になってるその辺のことだったので。 今年は行ったことのない美術館にどんどん行こうと思ってる。

2015年3月6日金曜日

不器用

僕は不器用だろう。小さい頃から何かを人よりもうまくやる、という面は他人に見せてこれなかったと思う。でもめでたい楽観主義者なのか、自分の中であれさっきよりうまい、とかこのポイントのこの感じってうまいやつじゃねぇ?みたいなところを見つけてはひっそりと喜び快感を感じてもいたんだと思う。 なぜこの話をするかと言うと、、、 こないだある人にあって、その人は僕に身体についてのことをもっとやるように勧めていて、それは自分でもわかっててでもやれていない、そして僕は不器用なのに色んなことに浮気に手を染め始めるということに至った。その旨も伝えた。 「でも、あれもこれもやりたいんだ。(一方でこれはやっぱり本当にやりたいと思ってるものは必要を感じたものがほとんどでこれを信じて進めなきゃいけない)」というのがいつも僕にまとわりついている。もしかしたらただの一匹も何も得られないかもしれない、でも僕はやっぱりやってしまう、当分は。いつかダンスか何かだけに辿り着けるのかはわからない、でも辿り着けるんじゃないか?とも考えたり。 でも思い返せばずっとあれもこれもやりたくなったという、それがなかったら今の自分には辿り着けなかったとも思っている。 高校生になって本当はバンドがやりたかったのにダンスを続けていて、高校3年生の時にブレイクダンスのチームがいよいよ本格始動するという時にどうしてもやりたかったウォーターボーイズを学校で行い、チームはその後で一度クビにもなっている。映画か俳優か舞台パフォーマンスを学ぼうかと大学を考える際に、美大である造形大学が頭に浮かんだこと。そこに入学して現代アートなんかに出会ったことなんかも。 だからやっぱりこれからも遠回りするか、よっぽど現実的な会心のパンチがやってこない限りやっぱりこの方法論で僕は進んでいくのかもしんない。 結局なにもつかめないとかいやだなぁ、とか思いながら、でも途中で出会えるものは何物にも変え難いよ。

2015年3月5日木曜日

アメリカン

風邪をひいて寝込んで3日になる。月曜の朝、寝坊して起きてバイト先に行くもどこかお腹が痛くてそれはきっと昨晩のお酒のせいかなと思っていたんだけど、バイト先で少しトイレに駆け込むものの調子が回復するどころか結構きつくてこれはダメだと思ったら、なんとかバイト先で回してくれて帰れることになった。 風邪というより熱かな、風邪は多いけど熱から来る風邪はあんまりなかったから思いがけなかった。にしても今年に入って三回目かも。これはひどい。タイムロス。 三日間そうして寝込んでいる。ベッドの上にこんなにいることは風邪でもひかない限りやってこないし、体の節々が菌によって支配されてうまく動かすことが出来ない、ほんとに寝てるしかなくなる。 あるいは考えるかで、この今生きてる現実を抜けてもう少し知らない世界を生きたいとかそんなこと考えてしまう。 さすがに3日目で少しは回復もあったのでちょっと無理して近くの映画館に映画を見に行く。ポイント溜まっていたのでポイント分で無料で観れた。アメリカンスナイパー。今話題の。隣の席は監督と同じ年くらいだろうかおじいさんに挟まれておじいさんたちからは何か意識的な呼吸をしてるような音が聞こえてきていた。 アメリカンスナイパーを見ながら涙が出てくるんだけど、この涙がどこから来るのかは最後までわからない。たぶんこういった?問題に対して、僕やあるいは他の人にもたぶんかなり複雑に入り組んだところでリンクする部分が反応しているんだろう。僕は日本人だけど、弁明のしようがなくこの社会世界の中に否応なく関係していることを突き付けられるというよりもかなり変化球的に僕の身体にそれが影響して来たんだよな。たぶん。わかんないけど。 一方で羨ましくもあったんだ、それは映画の中のシールズの訓練をする際の厳しさとその訓練の中にも入ってくるアメリカンジョークとかが全てそれらがアメリカを作る要素だ、っていうメッセージのことやあるいはこういった話を映画に還元してしまうアメリカに。 映画館から出て風邪をひいた自分はまっすぐ家に戻っていくのだけど、戦争映画にさえアメリカンドリームを一方で見ずにはいられなかった。それは今に始まったことじゃなくて昔からずっと。