2018年12月24日月曜日

クリスマス前日、

またこんな時間になっている。早く寝るようにしたい、せめて2時前には寝るようにって思って長らく。困ったな。
200本のタバコをツタヤで借りて来た。大学生の時に年末系の映画を観ようキャンペーンみたいな時期があってその時見て以来だから10年振りくらい。NYでの年越しをどう過ごすかって、いや誰と過ごすかみたいなことをキャラクターたちがやっていくやつ。
それを見て、年始に年末はNYで過ごそうなんてことをそういえば何年か前によく思っていたことがあったな。お金貯めて、とりあえずNY行くみたいな。23〜26くらいかな、でもいつの間にかそういう気持ちが少なくなっていることに気付いて、驚く。その正体がなんかそういうわけのわかんない可能性に賭けるみたいなこと?なのかそれともどこにでもいけちゃう軽やかさなのか、そういうものが減っているのはなんか寂しいと思った。そういう風にしてこの30代というのが寂しいって思うものになるのは嫌だな。でも30代になって何か20代とは違う価値観を持ち始めた時、たぶんそこだけが変わったわけじゃなくて、接続していることが身体を通して変わっていくことと一緒に影響し合っているからなんだと思う。たとえば自然とか、日常生活における太陽とか建物とか生活圏の温度とか湿度とか生き物のリズムとかそういうこととの接続がもしかしたら身体に影響して、そうなっていくみたいなことあるんじゃないかな、なんて。でもなんか、やっぱり僕はどうなんだろう、もっとわからないも試してみたいと風に傾けれないかなぁ、、

関係ないけど父親が今日、天皇の誕生日ということで彼のことすごい推してて尊敬もしているから行くことにしたみたいで、夜中の2時とかに起きて11時くらいの到着を目指して歩いったという。しかもリュックには米軍はアメリカから出ていけ、という手書きのポスターを貼ってそれをしょって家から35kmの距離を歩いていった。途中、同じように真夜中を目の前を長く歩いている人がいて、ついに近付いた時に声をかけたら早稲田の学生で中央林間から二子玉川まで歩いているという、そこで歩きながら色々談笑して、その手書きポスター見て右翼ですか、なんて聞かれたらしい。右翼じゃないし、今は本当の右翼なんていなくてアメリカに追従してる感じなんじゃないですか、という風に答えたそう。
それにしてもさらっとそういう風にやろうと思ったことを自分で決めてやっちゃうところがあって、これじゃあパフォーマンスだし、なんというか自然だし、すごいなぁと負けた感じがした。すがすがしい。

クリスマスパーティーだ、、!よし、

2018年12月9日日曜日

公演中、

3ステージだから明日で公演が終わる。こうしてキムさんと一緒に舞台に立ったりとダンスのここ何十年かの歴史について少しだけでもと想像を巡らすことがある、思わず今までどれくらい舞台に立ったんですか?と聞いてしまった。もちろん数えていないということでわからなかったのだけど。なんとなく、1000回くらい立ちたいなぁなんて思ってしまった。しかし一方で公演中に、果たして人前に立つということをこういう大げさにやることにたいしての疑問も生まれるからうーんどうしようかな、、とか思うくせにこうして数にしちゃうとなんとなく目指せちゃえる感じもあって。試しに今年を数えたら本番みたいなものが60以上あって。つまり6日に一回は人前に立ってるみたいな、、今年はたくさん出たなぁ。そうするとこれを10年で600回だ、、すると1000なんてもっといけるような気もしてくる。いずれにせよ、面白くある必要があるので、なんとも先が読めないけども。
その話はその話でそのままにして、ハリーポッターの新しいの見た。ファンタスティックビーストシリーズはすばらしいな、ロードオブザリングを観た時のような感動がある。は、少し違うかもしれない、でもすごい素敵。泣きそうになる美しさに。そういうところから始まったことを思い出させる。またエマワトソンも好きなんだよね、なんか童心に変えれるよな、見ていると。美女と野獣は彼女のために作られたんじゃないかとさえ思ったよね。

2018年11月27日火曜日

早さ

最近よく夢を見る。で、夢を見るのが眠る前の楽しみだったりした。
今はその最近がまた更新される頃でそんなにじゃないけど、でも昨日見た夢を思い返せばやはり少し楽しみだ。どんな光景の中にいれるのか、と。
今日は演劇を観に行った。しかし舞台で描かれた方が取り扱った問題は社会的だけど、ストーリーは描かれるけどそれに対して他の想像力を持ちにくい作りになっていると感じた。カンパニーが大きくなりすぎたからなのか、難しさを感じる。隣の人は泣いていたのだけど。感想としては、最初から最後まで態度がはっきりしているということで言えばパフォーマンスだと思ったけど、それは個人で行われるものであるべきだと思った。みんなでそれをやってしまうのはコストパフォーマンスがまさに悪いというように思った。
面白いことしてる人もちょくちょくいるけどその面白さに関しての言及、いやそれらを集めるようなキュレーションが少なく、演劇に関してはうーんと首をひねることの方がずっと多いかもしれないな。芸能と近いということが大きいのかもしれない。

そんなことばかり書きたかったわけじゃない。

えっと、最近は稽古がずっと続いてるサラリーマンのように出社し働く。が一か月以上続いての本番という状況です。
僕にはサラリーマンに憧れた時期があって、それは小学生の時で会社帰りに居酒屋で秋刀魚の塩焼きなんかを食べたいと思っていた。

こないだ友人の結婚パーティーに参加した。
みんなで久しぶりに会って、じょじょに高校の時のように絡んで話した笑った。
カラオケに行って昔の曲なんか歌ったりした。
居酒屋では結婚して旦那さんの良くない面について話をしていた。
30歳だと思った。しかし100歳まで生きるならまだ何にもわからないじゃないかと思うのだった。
大学生の時もこの年齢になる時もまだ自分だってそのくらいしか生きてないのにわかったように話す人が多々いるけども、やっぱりそれはその場限りのフレーズとして捉えてしまうよ。

最近、気を付けたいのは時間が過ぎるのが早いということに対しての切実さや悔しさが少なくなっていくことが感じられ怖いと思うところだ。
見た目をよく若く見られるが、そういうことよりも若い時よりももっと動くにはどうすればいいか、そのことが重要だ。

2018年11月16日金曜日

ポップコーンよそ見

今日はたまたま出来た休日でした。夜に少し土曜のリハはあったものの。
にしてもなんか休日についてもっと考えなきゃいけない、休日ってのは前からずっと経験しているはずなのに一向に使い方がうまくなった気がしないよ。
ヴェノムを観に行ってきた。
お昼からポップコーン食べたら朝食べていただけあってすぐにお腹膨れてしまった。
来年以降の進め方どうしようとか映画観ながら考えたらしていた、横道運転。
冬の洋服というのも未だにわからないことが多い、何か素材も色々増えるし何枚も着たり肌はほとんど出せないしでチューニングが難しいしどこを目指していくべきなのかもわからない、そして片付けをそもそもしてそこからな気がする。何を買うべきかもそうしたら少し見えるんじゃないかな。

こないだずっと会ってない友人が夢に出て来たり、少し前は遊んでいた友人が出てきたりして、それを通して彼らのことを懐かしむ。今日は誰を懐かしむだろうと布団の中へ入る。

30歳という年齢で次第に現実に目を向けてなんというか目標もそれっぽく周りとの調合を持ってして、みたいな感じに形成しようとする自分が出てくる一方、まだピュアな誰に必要とされなくても自分が見てみたい景色というか手を伸ばしたいとか想いを持ち続けたい世界みたいのもどうやらあるようでそれを少しふいに思い出される瞬間があって、迷う。

明日からまた週6で稽古が始まる。

2018年11月9日金曜日

もう一回広げて

今度は頭痛。というかくるっと一周あるいは半周向きを変えるだけで頭が痛くなるみまいなことに今日の稽古中になった。帰ってきてすぐ横になって2時間半後に起きたけど、多少落ち着いたものの残っていて。一体これはなんだろう?風の名残?
なんか忙しくて色々な時間を過ごしたのだけど、書こうと思って中々夜も遅くなり書くことが出来ずにいた。
またそんな風にさっき眠ってしまったから寝れない頭でぼんやり布団にくるまって目を閉じて考えてしまっている。
11月はみっちり稽古だけど夜だけはいつもその分決まった時間のあきスペースが多くあるから人と会ったりしたいなぁなんて思っているんだけど、片付けたいけど書類などの申請とか12月の準備も始めなきゃで、結局忙しくなりそう。それでつまり忙しいってことは来年の4月まで忙しいということで、なんか泣きそう。
それを目指してたじゃんと一方で言う自分。どっちもで。
いつもそういう問いが浮上すると、現れてくる人生の2文字。
そして本当に人生が一回しかないのに何も試せてないということがわかってその瞬間に可能性と世界が途方もなく広がり自由になる。
誰も知らないんだから。
今まであった人やまだ会ってない人やものや世界のイメージが広がって僕は生きている。
僕は生きている。

2018年10月12日金曜日

six truth tree

今日は12時に起きた、、いや布団の中にいて実際に起き上がったのは12時50分くらい。さささっと朝食をすませる。最中にはテレビで手話講座をやっていたので、少し見る、司会の男性は口ではしゃべらないがひじょうに新鮮だ。
食器を片付ける、洗うのは早いと思う。
の後、ギターの練習をするのはバイトがない日のルーティーンだ。これでいくらか時間をつぶせたらやっと外に出れるということにしている。
電車に乗って中原佑介の評論集のNo.6を読んでいると車内に2名違う女性が入り込んできてどちらも香水をつけているようだ、1人はドアの側に立ち、僕はそのドアに最も近いというか裏側にあたる席に座っていて、もう一人は隣の空いているスペースに座った。この場合は匂いはどうなるんだろう、と鼻をこらしてみたが、わからなくなってしまった。匂いは空気中で混ざって中間の匂いとして嗅ぐことは出来るのだろうか。AとBがあり、それらが混ざって中間を出すだろうという推測はどんな条件のもと立ち上がるのか。電車にゆらながら次の駅へ向かうようにそのことを忘れ、ボナールの展示を観に行った。
今回は壁が広くとられているからオーディエンス導線主義じゃないため1つ1つと対峙しやすい作りだ。
美術館に入るまえ、憂鬱な雲が六本木界隈を上空でまとっていて、今日はなぜこんなに遅く起きてしまったのかという後悔と今までのそんな日のレパートリーについて大学生くらいの頃からのことが思い出されてしまって、そこで思ったのはそういう日の色というのはとても覚えているし、そのこととたとえば楽しいことがあった時の長い飛距離を感じて、いいなぁって思う絵があることを思った。
暗いと感じた時の色と、良かったと感じた時の色のAとBの混じることのことを言っているのか。
美術館をあとにし、六本木駅を目指す。ストレートの小道が出来ており、PIZZAやブルーボトルなどの店がある、おまけに神社まで。街に染められるようにして、歩いているなぁと思った。どこにいても、絵の中にも街を探してしまう。


2018年10月9日火曜日

道路

音楽は流してないのにイヤホンだけはついたままってことをたまにやる。
耳に入ってくる音が少し遮断される代わりに何かつまったようなぼんやりした感じになる。
イヤホンをつけながら買い物をする人は店員の人に対して失礼だと思う、だったら店員さんも相手のことは聞いてないような振りするの全然okだと思う。しかし、僕がこうして無礼に対して無礼を、でいい態度にはいい態度で答えるのもokみたいにしてたらむしろいちいちいったりきたりで目指すような社会は程遠くなってしまうだろうか。
この三連休、いわゆるバイトを入れることも出来たけど入れずに自分が何を出来るかを自分に投げかけてみたのだけど思ったよりいいパフォーマンスが出来なかった自分に残念だ。30年も東京に住んでると結構飽きてくる、掘り下げるみたいなことをしていかないと限界を感じる。生活を作っていくとかがきっと面白いフェーズなのかもしんないけど、もう少し世界と遊びたい、やっぱり海外に行って他の道具を使ってplayしたいとかそんなことをノートにまた書き綴った。
最近はなるべくとにかく、練習を続けるようにしている。結構毎日空けずに練習出来ている。素朴なんだけど今の自分に必要なのは色んなことを練習する時間を作れるかどうかだ。これは生活を作っていくにも繋がっていくだろう。
この毎日続けられていることをもう少し一日ごとの練習の時間も増やしたいな。

2018年9月30日日曜日

フジファブリックのteenagerって曲がいいね、
って電車の中で思う、走っている、走ることは電車がやってくれているから僕は思うをやる。そうしてフジファブリックをしている。
大学の卒業ライブで踊ったんだよね、後輩や友達を誘って。
振付はぜんぜん覚えていないんだけど。
今思うとやっぱりそのことは否定出来ない、あれは一体なんなだったのか。
一緒にいる、というのを今になって思えばやっていたんだよ、と。
みんな元気かな?と当時の年齢の人たちへ。

あぁでもこうして聞いているとやっぱり演奏の中で急いでいる、今焦ってやってしまっていることみたいに。
急いでいる最中の音楽が、みんなが駅のホームで待っている電車みたいにして、みんな乗り込む んでいくみたいな。
エレベーターの横に沿って向こう側の景色を見ている、雨が少しづつ乾いていくのが始まっていく。
髪をくるくる回してミントのガムを噛んで、か。
歌にのせたときにきらめくメロディーというのがあって、その時すごい飛び上がるみたいにつばさをはやす。今日飛んでいたタカたちのように、ただ空がありバックの緑を武器にゆらめく。

あ、この曲でも踊ったんだと次の曲が流れてくる。
人生の中でそれぞれの出会いをしていく、誰にも邪魔されないような隠れた場所で。
その日は踊ってると星が出てくるみたいになれ、カービィーみたいに。と思っていたのかもしれない、その当時は。
迷っているとだんだん歌と知り合う。
今日はそれに歌と名付ける。

2018年9月25日火曜日

色んな人

今日は色々な書類や企画の進めなきゃいけないことに手をつけながらも代官山UNITの方にだいすけさんに誘われるがまま、遊びに行って来た。フランス月間みたいなのをやってて日本とフランスのミュージシャンをそれぞれ紹介し合うようなラインナップ。今日のパーティーは以前の盛り上がりのあったムンパレのパーティーを少し思い出させるような感じもあった。世代も近いからかな、シチュエーションも良かったんだと思う。音楽のライブ、ただ誠実にずっと聞けていたかと言うとどうだろう?ゲストで入っておきながら外に出たりもして。
でもいつも同じ振る舞いであるのが良いとも限らないとも思っている。色んな温度が存在すると思うしそこを行き来しながら息をしてはいている、とも。それはなんかうまく言った、みたいな感じでもう少しきっと工夫して言うべきなのだけど。
レオ今井が良くて彼の歌い方は本当にのめり込んでいた、向井秀徳のダンディズムを何かが越えてずっとそこにあった。これだ、と思った。最近の僕にかけていたやつかもしんない。むさ苦しいまでの表現がそこにあった。
強くいたし、強くやっていた、そこにある音楽がそこまでやられることをokしているのをわかっているみたいに。

最近、赤瀬川原平の本読み終わって50年も前の本だけどそこに描かれていたのは青春だった。振り返れば青春なのかもしれないとか、久しぶりにまたそんなこと思った。だから今をいっぱい生きているともしかしたら未来に振り返ったらなんかそんな風に映ることもあるからって意識でやっぱりもう少しいやもっと走れと、10年前の僕ならもっとストレートに言ってるはずだ。
今日のパーティーだって、いったいなんだったのか、日々のぼこぼこを生きていく。
帰り道、関川くんにとても本質的なことを投げかけられて現在の位置から自分なりのラリーを返すもその弱さは自分でも知っているから、そのもやもやと一緒に帰宅した。
3人ともメガネをかけていた。村上くんも入れたら4人か。
そんなことを思っていた。
いや、違う。
最後のライブの中でフランス人のバンドの歌詞が映写されてて美しいと思った。
歌われる詩ではなく、文章が投影されてそれを音楽で持って聴きながら目で流していく。話が観客を最後は連れていくみたいで、ライブの強さではなく、物語のような歌詞に導かれて思いがけない場所に、やさしさに辿り着くような感じで会場をあとにした。

ライブを見ていながら色んな人のことを自分の視点から眺めていた、考えていた、見てはいなかったけど想像して色んな人が一緒に頭の中で生きていた。
その時はそんなこと思わないけど、最高でもあったんじゃないか、色んな人が今いた。

2018年9月21日金曜日

練習と稽古

本番が終わって毎日練習が出来ている。いい感じ、これが続いてさらにこれに音楽と絵の時間も加わっていくといいんだけど、他にやっぱり仕事や締め切りが迫ってきてすぐにこのリズムは崩れていくのだろう。しかしここ半年くらいはやっぱりそういった内容の充実を生活の中で目指したいな。
僕はやっぱりストリートダンス出身だから稽古って言うより練習って言う。作品に向けての創作時間は稽古になるかもしれないんだけど。
明日の朝早くからバイト。あんまり寝れないとその日のパフォーマンスが下がるから、明日はカフェとか入ったら10分くらい机にうつぶして寝ちゃおうかな。スケッチブックも新しいの買おうかな、アイディアを思いついたら書き出していて昔のアイディアもいつでも振り返れるようなノートかスケッチブックの作り方があればいいんだけど、いつもその時期のもの、ごとになってしまってる。それも編集力かね、難しいね、自分での区切りかた、やりやすさ含めて。
そう明日も練習着持って行こう、だけど夜映画もありだな。今度、フレデリックワイズマンの特集楽しみだな。明日はポップコーンの似合う映画館行こうかな。
映画館はいいよね、外国の映画観てなんか窓みたいでさ、夢があってさ。違う空気感流れていてさ。
日本でやれることなんてせいぜい日本の建て直しじゃないかと思ってしまうよ、どうしても。希望がないなんて言葉はもう20年くらい前から村上龍とかがよく言っていたけど、あの頃はありそうで希望はなかったのかもしれないけど、今は明らかにないから自分たちであとは作るしかなくて、ある意味でポジティブかもしれない、地獄から這いずり出てくるしかないみたいな。ってそういうようなこと僕よく言っているな。

寝よう、

2018年9月19日水曜日

遠いパンチ

あぁベイビー、この信じられないラブ!が終わってすっかり秋になりそう。
今日練習先で突然、痙攣をし始めた人がいて最初はどこかに頭をぶつけて痛みを抑えるために動き出したのかと思ったらどうやらそうではなく痙攣していて、もう1人の人が近くで見ている、僕以外の人もその痙攣に気付き近寄って何かやはり頭を強打したのか何かか心配で僕も心配でとにかく病院に電話しようかと、聞いたところどうやらそうではなく、てんかんだということで、とにかく目の前で人が痙攣して心配だが1人は見てくれているのでてんかんを調べてみると、少しおさまるまで待つようにある、ということで待つ事にした。途中で気付いた他の人も病院に電話しようとしたけど、とにかく少し様子を見ることを共有した。そのあと発作は落ち着いていった。しかし目の前でてんかんの発作を見るということがあまりなかったので、中々驚いてしまったが、あんまり驚いてずっとその人を見ているのも何か本人だって痙攣していようと意識はあるだろうから気になるだろうというのがわかり1人見ている人がいるのだから僕は自分の練習に戻ることにした。案の定落ち着いてきたところで、ここにいるのが嫌という感じでどこかに逃げようとするが他の2人がここで落ち着くように言うがやはり聞いてもらえず、引っ張ってでも抜けようとする。彼はやっぱりどこかそういうところを見られたのがショックだったんしゃないかと考えた。何も前提を共有してない人を前に無防備な姿を晒したくなかったし、間違った受け取られ方をしてほしくなかったんだと思う。だけどそれはしょうがないし、起きてしまったし、僕も最初わからなかったし、なんというかこの流れ自体のことがあって中々にすぐに切り替える事は出来なくてなんてナイーブなんだろうと思いながらタイにいた時のことを思い出した。タイだったらもっと多様な状態が常にあるから、ショックにならないことだって多いと思った。だから日本は隠す傾向にあるかもしんないけどやっぱどんどん見せて知っていかなきゃ、成熟していかないと思った。大人のやり方じゃないなぁと思った。大人になるためのやり方が日本では習えないかのようにしてある、こどもでわかっていくこととそのままとしを重ねていくことがちゃんと連動してあるべきだと思うんだけど、辿った道を回収していくべきだ、と。
と、宿題の終わっていない状態のような自分が今思っている。
もっと僕も変なことをしなきゃ、(遠くでそれらも繋がっていく)

2018年9月10日月曜日

現実的な不安と、でもいつもジャンプ出来る気分と

いよいよ本番を週末に控えたTalkingKidsHi5のチケット売行きが良くなくて焦っている。
このグループは自分なりの現状への突破方法としての面白い提案と思って始めたが中々周りには共有されていないんじゃないか、という風に思ってしまいそうになる。
新しい客層を開拓すべく始めたプロジェクトでもあったが、、はたしてどうなるだろう。
今日は映画館で映画を観た。気分転換にと。
外国のマーブルの映画でテンションは上がったし、何かこういった外国映画を観ると考え
の奥行きが広がっていくことが映画を観てる最中に起きてくる。
夜にBSで哲学者が日本に来た番組をやっていて知り合いのサバが通訳として映っていた。
この番組を見ながらやはり英語を話すとか他の言葉も使って日本人以外の人と考えていることについてやりとりすることに希望を感じた。バンコクで篠田さんといる時にもそう感じた。まして自分のやっていることを翻訳してくれるようなトランスレーターなんてましてやいないわけだし。いや、むしろやっぱりポジティブな意見のが強くて、つまりそうやって試行するのを持ってお互いの思考を見せ合いそれにより、もう一つ先へと試行、思考出来ることこそが共有した未来を作れるのだから他の道具の開発を待つか、それとも隣人と話していくか、だと思った。
スノーデンの映画も昨日見たし、色んなことに映像を通して励まされた。
自分は間違ってないと信じて取り組もう、みんなに迷惑をかけてでもいい、失敗してるように見えてもいい、その自由さえ奪われてしまいそうな世界であるとも思うから。正義としては共有していける明日がある、ということを結構信じてるぜ、って姿勢。

2018年8月20日月曜日

バンコク

今、バンコクのカフェにいてこれを書いている。10時半くらいに来た。9時50分くらいに起きた。バンコクの滞在は16日からで篠田千明さんとの新作の制作できている。昨日は5×5の最終日で3日間で合計90人くらいの人が見に来たんじゃないかな?
バンコクに来ていながらいくつかの日本の仕事を一緒に持ってきていることに改めて気づかされる。おっとっと、油断大敵だ。

来週の25、26日と発表するTiger tigerのために、とにかく自分なりのバンコクを吸収しコミュニケーションしていく。ここの人は全体的にやさしい印象がある、怖そうに見えてもおだやかだったり。でも一方で、おだやかな状態が何か行動を限定していくわけでもないんだけど。

今日はリサーチがある、昨晩福留さんのショーのあとに予告編と題し踊った。宇多田ヒカルで踊るという中々日本ではできない感じ。もう少し良く踊れたかなぁと思ったのだけど、少しビールが入っていたせいか、とにかく。少しすでに足が筋肉痛で痛い、動いておいてよかった。今日もどこかタイミングを見つけ疲れておきたい。


2018年8月8日水曜日

最近

最近バタバタしている。大学は夏休みに入ったのでいったんCSLABでの業務についてはお休みになったけど、一方でフリーの色んなワークが入ってきたり、いよいよつめていく時間だったりが重なっていて、そのどれもがやった分の成果だったりするのでバランスが難しい。変な追われ方をしている。
来週からタイに行くんだけど、本当は英語の勉強をしたりして余裕持っていきたかったがまだ買い物も出来ていない。だけど夏は遊びたい。しかし毎年そんなに遊べていないんだけど。
今、部屋の片付けをしていてなぜなら絵を企業の事務所に飾る仕事が出来そうで、その絵をとりあえず現段階で見にくるということで慌てて片付けている。掃除は苦手なのでひどいことになって何年もいるが、きれいな部屋は好きなので、なんかいつかはうまいバランスの部屋の状態があった上で仕事ができるといいよね。
こういう理想は何かクリーンなイメージとともに未来へのワクワクがある感じがする、このワクワクさは雑誌みたいな作られた輝きというかシャイニーなのかどうなのか。
8月にやる関川くんの展示見たいな、今年も鉄工島FESやるらしい。昨年、もたもたと参加していったけど結果として素晴らしい時間になったのでなんか懐かしい気持ちすでに。


2018年7月24日火曜日

花火

昨年ロンドンでとても世話になった大学からの友人が半年くらい前に日本に帰って来ていて東京に来るということで、その友人周りの知り合いで集まった。大学の映画の同期なんかも揃ってとても楽しい時間を過ごしたし、懐かしさもあったし、ロンドン帰りのフランクさなんかもあったからノスタルジックでもあったし、ふざけた感じで楽しかった。10年生きてきてよかったとささやかに雑に思う、またもう少し10年で変われよ、とも。
いやしかし細胞レベルで変わってるかもしんないね。しかし描写するのが難しいけどいい景色の中にいたんじゃないかな〜。

2018年7月6日金曜日

ナイトメア

めっちゃ雨が降る瞬間があって窓を少しだけ開けての網戸から聞こえる音で想像する。近くの川のことも想像する。雨少しだったから今夜は走った。猫には出会わなかった。
たまに強く風が吹く音が良いんだよね、なんかがふわっとするんだろうなって思える強さを音からわかるからさ。

have a nice dayのあさみさんは村上裕さんから話を聞いて知ったんだけど、村上さんがラップするようになったのは彼、あさみかんがラップしてみた村上さんを褒めたからって言うのを聞いたよ。大森靖子さんと一緒に歌うファンタスティックドラッグは久しぶりにいいなって思う、同世代の"うた"だったかもしんないね。強く立っている感じがした。ステージに対して。二足でしっかり立っていることがわかるような曲。
この曲を聴いていると踊れる気がするんだよね、かっこよく。しっかり。堂々と。
そんな時、僕は強くやれる気がして、正面に立ってしっかりと見せれると思うんだよね、そういうことを聴いていて思うんだよ。
そういうことがあるから、やっぱりやってみた時に出来たって感触があるとそんなに驚きはしない、だってその時より前になんかそんな予感はあるからなんで。

僕はそういう風な気分になるのも悪くないと思う。実際に優先されるべきはやっぱり世界を少しづつ変えていけるならそれが一番最高と思うけど。だけど戯曲を読んで演じるみたいに、色んなアイテムは戯曲みたいにそれぞれの人生に左右するんだよ、生きていくことはその手にしたテキストたちをいくらかなぞったりしているんだと思う。
すこい、そういう風にして生きている。

2018年7月2日月曜日

眠りたい気配

最近また、夜走っていると猫に遭遇してしまって、遊んでしまった。その時に結構色々遊んだから相手が手加減しつつも切り傷がいくつか手に出来たけど、相手が明らかに手加減しながら戯れてるのが顔でわかるから可愛くてしょうがなかった。それでももう2週間くらい前の話になるか。夜走ってて遊び相手が見つかってしかもかなり大人の友達とはしないような猫ならではのコミュニケーションの仕方でこちらは遊ぶんだから、もし相手が1〜3歳くらいでランニング中に遭遇して遊ぶなんてことはまずないだろうから猫ならではの時間だ。そしてその時に猫と遊んでると途中でたぬきみたいのがやってきておっと、これはまさかの3人じゃないかと思ったけど案の定現れてすぐ走り去ってしまった。夢の共演ならず。

世界の中心で愛を叫ぶ、の映画の記憶を使うっていうのがあってその中でオレンジの蛍光灯の下でベットでラジオを聴くシーンの色味が、こうしてブログに文書を書くこととなんか今リンクするようにして、そんな気持ちがやってきたから今書いている。
SNSに書くことと違ってブログに書くことはなんだか人が見えないから、海に向かって手紙を書くみたいで、忘れられてしまうかもしれない、いやボトルを沈めるみたいな感じもあるのかもな。この今のやり方、スペースというのは。

眠気が襲ってきたから寝よう、

2018年6月26日火曜日

本屋さん

プロフェッショナルの録画を観た。書店員岩田さん。先日、他のTVでも冤罪を積極的に扱い無罪をなんとか勝ち取っていった弁護士のドキュメントもやっていて、僕は書店員でも弁護士でもないけど、そうして近くそれを感じることが出来て、TVの起こしたこれは仕事でもあることを思うと使い方次第だ、と今はなっている。

書店員、岩田さんは1万円選書というキャンペーンをやっていて、1万円で応募したその人に会う本を選んでもらうキャンペーンだそう。それで3000人も待ち客が出るそうです。
すごい仕事だと思った。乃木坂46かなにかの女の子が出てきて、その子も岩田さんに選書をしてもらった。その選書にあたって応募者は岩田さんからのアンケート、カルテに答える必要がありそれもヒントにし岩田さんが選書するが、そのカルテ自体が解答者にとって少し自分と向き合う時間になったりして、そしたらその女の子が書いてる途中に泣き出してしまった。なんというかそれがわかって僕も泣いてしまった。この番組を見ながら何回か泣いてしまった。普段見えない何かが可視化されるようでした。何かというより、それは人の悲しさとか苦しさみたいなことかもしんない。普段、僕は知らない人たちに対して提案ばかり考えてしまいがちだ。
自分の話にズレたけど、その女の子は人前に立って話すことが仕事上増えたけどうまく話せないし自分が前よりつまらない人になっていったように思う、なんてことを言ってたけど、きっとそうじゃないと思う。人前に立って話すことは難しいし、間違って思ってもないことをたくさん喋って取り返しがつかないくらい自分に嘘を重ねることだってありうるし、彼女が話せないことはもしかしたら彼女自身を守るすべかもしれないなんてことを思いながら見ていた、、そしたら岩田さんがいい本を紹介してくれてそれを彼女は読んで少し解放に向かっているそう。

いつも僕は電車の中で自己啓発本なんかを読んだり退屈そうな本を読んでいる人達に対して皮肉みたいなジョークを浴びせてしまう。岩田さんに本を選書してください、と訪ねにくる人は普段自分の読書を面白がっていないことの方がむしろ多いんじゃないだろうかと考えるとそんなにも多くの人が読む本にさえ出会う事が難しいという状況があって、その事実を考えると少し打ちのめされる。

帰り道にいい言葉を思いついた。
かなしいけど、かなしさに追いつかれちゃいけない。
かなしさにつかまらずにその存在を感じながらも出来ればつかまらずにずっと走れたらいいかもしれない。少し走ってる最中に出てくる我慢の涙もあるかもしれないくらいのレベルで、と思った。

2018年6月8日金曜日

猫登場

一年ほど前から保坂和志さんの本の影響やら、年齢の影響やらなのか猫が段々と気になり始めていて、もう少し向き合ってみようという気分でずっと来ていて、先ほどランニングをしていると猫に遭遇。川沿いだから時間も12時を過ぎた頃だから人の通りもほとんどなく、そしてこの猫がどうやら絡んでったら遊んでくれる気配で、いつもならランニング優先だけど今夜は猫と時間をつぶしてみる。するとこいつが可愛くて、猫とこんな風に遊ぶのも初めてだから試行錯誤してるうちに段々距離感つかめてきて色々とじゃれあっていた。猫が自分で身体をくしくしとかきはじめたので川沿いから空を見上げると小さな星、東京の空サイズ。下に視線を落とすとまだいる猫。もうひと遊びして、そして置いていくようにして走り帰った。
また会ったら遊びたいなぁ。

2018年5月25日金曜日

夜を迷子になっても泳いでいる、いるか

今夜は頭の中をフィッシュマンズが泳いでいる。
最近、文章や詩みたいなことが頭の中から離れちゃって中々書き綴れない。
僕にとっていい状態とは絵の進行と共に文章が書けていってしまう状態なんだけど、今は筆先で起こる言葉とかの意味じゃない先端部分の持つ抽象が先を進め集中してあるということなのか、と思い過ごそうと思ってたけど、こないだ横浜の奥の方を目的もなく足を伸ばしてみたら少し迷いそうになって怖くなって、そして目的のルートから外れた道、そしてその道に付随する時間を手にしたのは久しぶりでした。怖くなったのは、こんなにも知らない世界にまだ出会っていけることがわかって怖くなったのだ。わかった気で、これくらいでしょうという前提で立っていた最近の僕がそこに露出されて、反省すると同時にそこに来て言葉が自分の中に出現していくのがわかった。その関係性がどうやらあるのかもしれない。
フィッシュマンズかぁ、久しぶりにそうして書いてみると孤高を改めて感じる。
孤高であることは非常にロマンチックで大事なことだね。忘れちゃいそうにならないでね、

2018年5月16日水曜日

CAR

Mr.ChildrenがApple Music配信となり、CDは持ってるけどデータとして持ってないために中々聴くのが億劫になっていて聴いてないまま随分時が経ったアルバムの曲などを聴いてみる。
車の中でキスをしよう、この曲はポップサウルスというライブDVDで中学生の時に家にDVDが導入された時に初めて観たDVD画面の美しさとフラットさ、そして音も違うというその時の感覚が強く残って覚えている曲。
しかしこうして聴いてみると、本当にこの時点では全然どこの誰でも歌っていそうな、しかも良くも悪くもいいなって思いやすい線をいったような曲として今回聴いてしまった。
若いバンドマンが作ってしまいそうな楽曲。
いかにしてミスチルは違う曲を獲得していくことになったのたろう、、

2018年5月6日日曜日

SZok!

静岡に来ています、で、she is ok!とかScene is overとか歌ってます、いや、大体踊っています。
今夜はマハバーラタを観劇。
野外の中に組まれた円形劇場の中から見上げる形での観劇。
木の葉や、どこまでも伸びていく夜の空や、照明、美しい役者の方たち、その場で演奏される音楽。
本当に美しい姿で演じる女優さんの所作と外の景色との一緒が本当にロマンチックな距離を生んでいて、外で人がこうして何か物語を改めて見せることで自分の過去や人の人生について思いをめぐらしてしまったし、昔、すごく好きだった人のことを思い出していた。
木の葉とか野外の空とか夜とかの中にいると、昔の人の生活とかのことまでもイメージを巡らしてしまって生きていることが尊くて、それでそういったそういえばとてつもなく好きだった人がそういったことたちの距離をもっと遠くに置いてくれていたことを思い出した。ロダンの接吻を横浜美術館で見て、それは不倫での恋だったとあるけど、とにかくそんな風に距離を引き延ばしてくれる、どこまでもどこまでも美しいと思わせてくれるものが世界にもしあるのなら、そのことは誰にも止められないし、やっぱりそのことがあなたにとっての果てしないものであるのかもしれない、って今夜は思うのであった。

2018年4月15日日曜日

めまぐるしい

今日はどんな夢を見るのか?最近はめまぐるしい毎日で、たくさんの締切にも間に合わなかったり十分に仕事が出来てなかったりなんとか乗り切っていたりという感じだと思う。迷惑をかけつつあったり、もう少しできたかもしれない仕事。にしても色々違う工夫や考えをまた新たにこしらえ直しながらやっているのも中々一回一回違うからコストパフォーマンスが悪い気がする。今はそういう時期ということかな、頑張りどころだよね、むしろ一回一回を変えるだけの抽象性をそこに生んでるとしたらむしろ時代的に大正解じゃん、仕事のやり方としては。
昨日はあいうコンビで会って色々話聞いてもらっちゃった。前にも聞いたかもなんて態度を持たれてしまって、我ながら呆れてしまう。し、そういった態度をとってくれる友人というのは愛おしいなぁ、な瞬間。でもやっぱり昨日のことは残っている今日なのでなんとかしたい。
久しぶりに好きな映画ディナーラッシュを観ようとしている。借りた。
今日はその足でクラブに久しぶりに行った。音楽や光の光線の中、身体の部位の線がそれらとまた交差し合う。jorgenの写真、また新しくなってる。今度は対象へのフォーカスがはっきりとしてて、いよいよ、ポップさに接近して、多くのファンを生みそう。だけどそれまでの過程がやっぱりあるからで。いやでもそのポップさを持つということはつまり逆にそういった眼差しをカメラ越しに向けているということなのかな。彼の写真がよかったから僕も頑張りたい。いい絵を描きたいと思った。いつか隣に並んだりしたいな。

明日は10年ぶりに会うカナダの友人セブ。
完全に色んなことに身体が追いついてない、少し頭痛もするけど。
めまぐるしいことに悲しくならない。

2018年4月11日水曜日

夜道路がアドベンチャー

こないだのライブでは高校の先輩のバンドどついたるねんの舞台にて踊らせてもらった。
高校の友達も来てくれた。夢ちゃん、ありがとう!
終わっあとの感想がやっぱり夢ちゃんで、なんというか感慨深いね、僕の作った現場でもなくただ僕は招待してもらっただけなのだけど。ラグビー部の人たちとかもすっかり、歳を重ねられていて。しかも赤坂ブリッツってなんか赤坂あんまり踏み込んだことなかったから。
そういえば青沼の結婚パーティーもこの辺でそれで帰りに都留と吉田先生と珈琲飲んだんだんだよね、確か。
やっぱり高校の頃のこととかもこんな風に今でも生きてくるからモーメント、瞬間を生きる事は後ほどの人生の中でも再び生きてくることなのかもしんないね。

打ち上げが終わってまた歩いて40分コースは山登って大きな車道沿いを歩いたりそれなりのアドベンチャーで。これがまた小さい頃のことを思い出すんだよね。小さい頃はたくさん歩いてどこか行くことも多くてアドベンチャー感も身体が小さい上に知識も少ないからあってさ。
それを思い出しつつ電池切れそうなアイファンでナイトクルージングなんか聴くのは大学生の頃の気分かもね。
もっと夜にどこか連れてってくれ〜みたいな感じで途中でやっばし電池が切れて。

打ち上げでは同い年くらいの子たちが結構、大変そうなことを言うから自分は少しそれに喰らってしまって、なんというか、大きすぎる敵を放置してしまいまくった時代なのかな、なんて。ヒーローが欲しいけど、描くのだって放棄されつつある。
そういうことと高校の頃に想いを巡らすことも繋がるし、また、また、、なんだよ、、、って言ってうまく言えない。

そして女の子にそんなじっとされると、ねぇ、そりゃあ。

夜に流星群を聴いて絵を少し進めた時間があったさっき。

2018年4月3日火曜日

久しぶりに日記を書く。この間にも演劇の公演に出たらあれしたりこれしたりしていたんだよね。
30歳になったので、なんかもう少ししっかりしたことを書いた方がいいような気もするんだよね、何かに寄りかかったような文章に何か大丈夫かなという不安がやってくるみたいなさ。
先日、谷川俊太郎展行って、段々と展示を見るに連れそこにある言葉、詩を読んでいくんだよね、最初は文字より他の情報どうしても展示では追ってしまうから。でも割合として当然ながら多いその会場で段々と時間が経つにつれ言葉を読むようになって、地面に段々と着陸していくようにして詩を体験していくと、ほら昔読んでその詩があって、段々とエモい気持ちにもなっていく。時空を超える瞬間がやがて来る。

また谷川俊太郎さんはいつも散文であり続けた、圧倒的散文、散りに散って散りまくってそしたらそれでの芯のあり方ってどういう風に出来たんだろう?それでもあり続けたというのは、逃げ切った身体みたいな感じして、ただただその偉業を前に立ち尽くすしか出来ない。

最近、言葉を説明とかにばかり使い過ぎだけど、もっと人を宇宙に飛ばせるような言葉や詩を生むべきでもある。

2018年3月7日水曜日

保育園

保育園で明日は踊る。パフォーマンスをする。町田の保育園。
もちろん初めて。やっぱし子供だと子供のチューニングになる。しかし子供のグラデーションは大人より多様そうで、難しい。
考えてしまうと底がないのだが、自分なりの現在の考えたところと体での調整でライブしよう。
大事にしよう。
もっと色々と考えられたのになと、前日になり思ってしまう。
しかしまだ明日まで時間があるし、その先にも果てしなく時間はあるが、明日会える人は明日限り。
4月から小学生に上がる子もいる。
学校のことだけじゃなく、色んな環境が変化していく人もいるだろう、家庭も含めて。
自分が保育園から小学生になる時に覚えていることって結構ある、まだそのリアリティは今の自分と関係しながらにある。
思い出す、5歳から30歳になるまでの道のり。その道のりを明日会う人たちはこれからそれが始まる。長い道のり。そして自分にもう一度焦点が帰ってくる、これからの25年。彼らとの25年に比べても十分に充実な重なっていく時間を生きる勇気があるだろうか?
そこをしっかりするためのヒントが明日あるかもしんない。
がんばろう。

2018年3月4日日曜日

グランドスラム

東京塩麹のライブで、渋谷のwwwで一曲踊ってきた。
この日は色んなバンドがそれぞれ良くて、それで客席でノッてる時に思った。いい言葉だと思ったから何回も自分の中でリフレインしている。
この今踊ってる自由は僕のものだ、演奏者は音を空気に放してしまったらそれはもうその人のものではない。これは受け取る人のもので、僕は今日はこれを放さないって瞬間がライティングを受けながらにあると思った。そして同時に、こんの時間をあと何回過ごせるのか、あるいはもっと違う角度の楽しさがあと何回あるのか、数えられるほどしかないんじゃないかとも思ったんだ強烈に。だから余計にそう思ったのかもしれない。音楽なんてそんないつでもあるのに、切実に思ってしまった、真面目過ぎるのか、それとも東京が忙し過ぎるからなのか。
イチローがいきなり浮かぶ。
イチローはアメリカでも真面目だった、突き抜けて。誰も追いつけない。
あの真面目さは日本が作ったものだろうか、わからない。


2018年2月28日水曜日

考え過ぎて眠れない夜、

国立西洋美術館に思い立って行って来たのは、小さくならないため対策。小さな。
昔の絵、油ペインティングで描かれた絵を通して過去にフォーカスして眺めようとしていくそのことに、自分はとても魅力されまたドリーミン、夢みる気分に浸かるのだ。
過去や未来、あるいは誰も知らない世界に向かって何か交信するようなこと、考えら、でもいいかもしんない。そのことと頭や体が、集中を飛ばして繋がれる、線を引いて。そういう感覚はある時にはある。僕もそういうことを飛ばして秘密の交信を誰かも知らない、地球人かはわからない人にまで届くようにと思ってやっている。

モンゴル800の"あなたに"って本当にいい歌。
最近、合唱団によるポップスを聴いていてあなたにも入っている。
この曲はまだ当時高校生とかの彼らが作ったラブソングであり、世界との戦いの曲だ。
彼らにとっての世界がそのまんま描かれているから、大人になって聴くとこの曲で描かれているような世界を作ってしまうのも大人なことにかつて子供だったから泣けてしまうんだと思う。
大人の涙と子供の涙はまた違って、思わず流してしまった子供の涙は、どこへ行くんだろうか、

2018年2月16日金曜日

さてさて

ということで公演が終わって、作品についてはまたどこか別のとこに書くなりするとして橋本匠くんとの3部作がkentaro!!さんのとこから始まってここまで来てしまった。ここまでまさか来れるとは。こっからが大変なのだけど、口から出まかせのようにここまで来てしまった。言い方悪く言うなら。でも作ることには誠実だったし、色々大丈夫なんだけど。

最近はドラえもんの映画をお勧めしてもらって観ている。
んだけど、なんか夜が静まった中にドラえもんとのび太くんの部屋だけ光ってまだ何かしている夜があるということをTV越しに羨ましく観ていた小さい頃を、思い出す。
そんな風にして、そんな場所への憧れとかが実は育てられていて、それは実はずっと大人まで続いてるんじゃないかと思う。そう考えるならもっと、そんな場所を大人になってからも守ろうって人にも言っていれそうな気がするね、ドラえもん。

そうだからやっぱり子供の時にたくさんのことを受け取ってるんだよね、僕ら大人になってからはまた違う視点で受け取ることが多いから。でも安心して。それは子供を経由して大人になっているから。

さてさて。


2018年2月14日水曜日

初日

ということで初日を終えて明日で2日目。
amazon clubに誘われて行くとたくさんの舞台関係者が多くいて、hiとかheyとか少し挨拶したり一年ぶりの友達にあったり数ヶ月ぶりの友達に会ったり楽しい。
そうフェスティバルはそうじゃなくっちゃ。
少ないフェスティバルの自らの経験のフレッシュなところ思い出してもう一回みんなで作っていくと良いと思う。

最近見たイーグルジャンプって、知ってる?その映画を観てスキージャンプの飛んでる時の景色に思いを寄せた。結構その飛んでる時の景色は孤独そう。その瞬間は自分の体ばかり他の人と比して浮いているわけだから。
人を応援することの楽しさみたいなの。

小学生の時、ちょうど冬季オリンピックがあってクラスの友達とオリンピックごっこをしたのを思い出した。学校の階段にダンボール敷き詰めて、ジャンプもなんか工夫してやってたんだよ。あの時は非常に良くて、その良さは手で作ることと、こうしたらいいと頭を使って工夫することと、みんなで盛り上がる感じの三拍子揃ったあ素敵な時間だった。で、それは子供の頃の体験だけど自分自身の人生の中での立派な経験であるから、その経験を自分の中で下に見たりなんかすべきじゃないし、そこから引っ張り出して来れることもあるのが人生だ。

怒っても怒らせてもかまわないのは明日があるからだ。
忘れてしまうくせあるから、言える時にも言う。
今年は明日を大事にしたいね、

2018年2月3日土曜日

ライオンが何回も吠えているとしたら

いい映画とは、人生の中でなんでもやっぱり出来るって思わせてくれるやつなんじゃないかとこないだ観たライオンは今夜死ぬ、の最中に思っていたんだよね。
人生は一回しかない。 最近読んでいる保坂和志の未明の闘争の中で出て来るのは、何回生きても同じ人生を同じ瞬間を同じ場所で生きるを繰り返すみたいなカツーンとくるところがあったけど、果たしてそれは本当かどうかしらないけどじゃあなるべくその何回も生きる部分をなんとかしたいとか思うよりも早い感覚がそこにあっただけだ。
そんなことより早い感覚がそこにあるんだよね、いつも。ってこの感じがちょっと保坂さんっぽいけどw
ニブロールを観に行った。コーヒーっていう17年前のやつ。
とても今じゃないと思った、だから昔のことを思い出しながら見るという稀な時間だった。目の前の役者やダンサーの身体によって再現されてるのに当時そこに立っていたであろう人たちを、そしてその人たちが生きていた社会や世界のことを僕は考えていたんだよね。
そこで初めてその人たちのことを想う事が出来たとしたら、なんか不思議で。
じゃあ目の前に立っている人たちのことはたぶん想ったりなんかしないのかもしんない。
ただ彼らは、目の前に立って代表するんだと思う。
やっぱり目の前で人が話すことの延長を求めるんだよ、目の前で話してる人については想ったりなんかしない、考えはするけど、ってカフェとかで目の前の人に対して接するのとやっぱ同じかもしんない。
だから今目の前に映ってないから、想う事ができるんじゃないか。
そんな風に、想うってことについては考えた。

だから今日、会場に来てたあの人やこの人たちのことを日記に書いたりして、やはり何十年か後に想うのかもしんない。
だから、それだから今をもっと生きたいと思えるのかもしんない。
あと15.20年後に想えるかもしんない今を。
未来は現在に繋がってる、過去になることがあるから。

映画を観て人生をもっと近くに引き寄せたいという気持ちになったり好きだけど、自分の人生をもっとなんとかしたい。
100回生きるかもしれない可能性もあるし。
そんな風にして、たくさんが重なって今が起きているのか、
わからないんだけどさ、わからなくても思ったり、考えようとしたりさえすでに同時に起きているし踊ろうと走ろうとしようとすれば少し動くからまたさらに重なる瞬間ばかりを生きている。

2018年1月28日日曜日

誰かとのいかた

今日は友人のイベントに展示ということで参加してきた。
自分は主にダンスを活動の中心にやってきたのでダンスやライブでの発表の手応えが、結構その時の空間をどうできたかということの評価軸になっていたりするので、展示とかは大体いつもそわそわする。今回はカジュアルな場だったからリラックスしまくってやったけど。
普段の展示の際は、ダンスの手応えの延長線上として感覚できる部分を頼りにしようかとさえ思ってしまっている。

イベントには普段出会わない人、高円寺の人とかも結構いる様子でそんな中、彼がどういう風に振る舞うかを見ているとやっぱり関心するんだよね。
そうだ、昔から彼の友達とのあり方が僕はいいなぁといつも思って見ていたんだ。
そう考えるとそういう人って周りにいないか?あの人の友達とのあり方に憧れるケース。
そんなのは小さい頃からあった気がする。
僕は途中でやっぱり自分には難しいなぁなんて思ったのを覚えている。
でもそのあともいい友達とか、今までないタイプの人と友達になると、それはそれでいい関係だったりすることもあるから素敵なんだけど。
だけど、そう彼の友達とのいかたはやっぱり良くて、なんか今日最後に歌っているのはそこと結実するみたいで、胸いっぱいだった。


2018年1月17日水曜日

城崎にて2日目

城崎に来ています。初めてのレジデンス、滞在制作というやつ。人のカンパニーではなく、自分たちの作品のためのクリエイションで城崎にいます。
幾つかの仕事を持ち込んで制作と並行して進めていくつもりだったけど2日間を過ごしてなかなかうまくいっていません。寝坊、稽古、買い出し、稽古、温泉、という感じで終わっています。難しいね。街も見れていない。ちょっと寒いから気軽には外に出づらいというのもある。
しかし、純平くんもいるし、これはこれでな時間を今は過ごしているんだと思います。
明日はちゃんと起きて、朝から動いていきたい。

2018年1月13日土曜日

パンチングシカゴ

最近、クラムボン聴いていて久しぶりに。学生の一時期はたくさん聴いていた。出会ったのは大学1年の時にNYのムンパレでだいすけさんがよく流していたのだった。フィッシュマンズもその辺かな?あるいは映画専攻の友達か。懐かしいね。
でも今、大学で学生たちに会っていて彼らのその時間もやがては僕の現在の距離感ようなものを持つ。今見えてる景色と学生の時に見えていた景色が全然当たり前に違うから、何かしていても前の窓の景色が違う状態で運転もしているんだ。
シカゴって、曲が凄くて、この山あり谷ありの登ったり降りたりの楽器のリズムに原田さんの声がそこを歩きながらジャンプしたら小さくなったり、歌というものにしてしまう凄さがあるね。

明日は横浜で稽古だけど橋本くんはあざみひらに行くそうなので個人稽古だ。
僕が20代でいれるのもあとわずかだ。