2012年1月31日火曜日

ジムキャリー

たとえば、街で感じが合いそうだって人に出会って、店員でもいいんだけど、もしこの人と仲良くなれて、さらに趣味も似てて、ロバートアルトマンの映画や、ウディアレンの話や好きな建物について、ルールについて、美術館に行ってアートのことや、どんなことを考えているのか、とか世界の理想像とかについて話したり、どんなYouTubeで面白い動画があったとかどんなミュージックが好きでどうして好きなのかとか、お互いがどんなことを今後やっていくのか、とかそんなことについて話して連絡し合えたらどんなにいいか、ってことまで妄想があって、でも結果、出会ったところでそんなに仲良くならなかったり趣味がちがったりして、そんな話はなかったりするんだけど。でもいつだって、そんな出会いを期待していたい。だから趣味はなるべく、的確に示して公表していきたい。

最後にジムキャリー。
笑わせてくれてありがとう。
君の映画を何本も観たけど、君は最高だよ。ぶっとんでいて、型破りで、モンスターみたいで。最高の映画スター、あるいはコメディアン、あるいはアイドルの1人だ!!
あんなに笑ったの久しぶりで、涙が出て来た、1人でDVD観て。
笑わせてるのに、涙が出た、君の姿勢に感動したんだと思う、戦う君に感動したんだと思う。
僕も、中学生の頃、人を笑わせるのに必死だったのを思い出した。今後の人生、チャンスあれば人を笑わせたいね。君の笑わせ方が好きだな、とっても下品なんだけど、伝わる人には伝わっているし。
君の作品で、最近観たのはMr.ダマーはジムキャリー。これは本当に笑ったな!カンフーシーンなんか最高で、真似しているよ。
マンオンザムーンは、本当に傑作だと思う。大好きな映画に、殿堂入りです。悲しいけど。
とにかく君は最高だよ、なんと言われようと。

ではまた!

2012年1月30日月曜日

tonight


今夜はいい風に考えられたのでよしとする。
「good」 say to me.

ちなみに、beatlesの初期の曲はとてもシンプルな歌だった。
hello,goodbyeとかI want to hold your handとか、She loves youとか。
それが答えだと思う。
"I think that's right"

2012年1月24日火曜日

真夜中の投球モーション

真夜中がいつもより明るくて、それは雪の降ったせいかもしれない。
真夜中がいつもより明るくて、それは雪の降ったせいかもしれない。
こんな夜は、こんな夜は、うまくいかなかったテスト用紙を丸めてどこかへ投げるのです。
外の窓に向かって。
あるいは外の窓に向かって。
やがて、それはどこか遠くの方まで行ったかと思うと、やはり次の日家の前で見つけるのです。
雪の日はこんな風にほら日本語で朗読をしたくなるような、そんな気分で、そんな気分だ。
外れてもいい、外れてもいいから、このボールを投げるんです、どんな審判にさえもストライクをとってもらえなくとも、あの子がこの試合を見ていなかったとしても、それでも投げることこそが大事な時だってあるのかもしれない。
そんな真夜中に、僕は渾身の思いで、いや、適当な思いでボールを投げるかのようでした。

2012年1月20日金曜日

the gameboy advance!




おっしゃー!!
誕生したぁー!
reborn!リボーン!
今日は、過去に誕生した日だったので、いわおうと思い、海に向かった!
つまり、I wanna see sea.とでも言うべきか、海に呼ばれに言ったのだ。
なにしろ元々が生き物だから、海はマザーみたいなもので、改めてお腹の中の音を聞きにいったわけだ。

家から、およそ海までは25kmあって、ことあるごとに海に行ってるのですが、今回は走って辿り着けないか、と思い立って向かった訳です。
装備はなるべく軽く、お金は帰りの交通費含めの1000円札。
あとはiPhoneにイヤフォンにタオルと着替えを軽すぎるリュックにつめた。

25kmを走りきることは出来ず、21km地点で歩いてしまった。もう走れない状態に甘んじてしまった。
敗北である。こうしてmy 24 years oldは初戦黒星スタートになったわけだ。
自分が結構動けないことにさらに気づくきっかけにはなった。およそ2時間走っていたのだから、42,195kmを2時間で走るマラソン選手は早いものだ。
たとえば最近こんな風に考えることがある。
長い時間、自分の世界を作るじゃないけど一心不乱に躍り続けることの出来る人は、きっと遠くに行ってるんじゃないか、という妄想があって。その場所が動かずとも同じ部屋で躍ってるにしても、体を動かし続けるということ自体が、旅、のような感じがするんだ。見ていると、この人は今どこへ行ってるんだろうか、と感じることがある。
『遠くに行く』というのは結構自分の中で、妄想として膨らんでいて、妄想以上に重要であるような気もしているんだ、しがらみから抜け出すという意味でも。
遠くにを重ねて、どこか知らない場所、わからない場所まで辿りつきたい。

 海が見えて来た、階段を降りていく。車道の車が走っていく音達が遠くなるにつれて、海からやってくる波の音達がかぶさってくる。
 やがて海の波の音だけになる。夜の海はこわく、もし波にさらわれたら真っ暗な海と真っ暗な空の中で宇宙的迷子になるに決まってる。
 二度と帰って来れないだろうな。。。
  海には誰もいなかった。自分と海だけ。あとは車道を車が飛び交ってる。誕生日に、いい贈り物が出来たと思う。ナイスなプレゼント。
  これ以上ない贅沢だと思うよ。あとは、じゃあ進むだけだね。advance
I am 24 years old.
1day is 24hours.
to 25 years old,last364days.
just started!

2012年1月11日水曜日

who am i

どこかへ行き、どこまでも行き、どこにでも行って、今いる場所をわからなくしてい。
ここがどこかわからなくて、自分がだれかわからなくて、あなたがだれかわからなくて、ここがあそこで、ここはここじゃなくて、でもここっぽくて、どこまでもどこまでも、そんなのでいたい、ぼくはだれで、who am I? and who are you?でもとにかく、ともかく、なにか追いかけていて、どこまでもどこまでも、どこかわからくなっていきたい、だれ何だ、だれなの、映画なのか現実なのか、それでもとにかく、とにかく、明日にでも昨日にでも、過去にでも未来にでも、今はなんで、なんなのか、なんでもなくて、とにかくともかく、でも会いたい、その途中でであいたい、であえたらいいな、ほんとに、そううまくはいかないかもしれないけど、ほとんどであえなくとも、それでもきっとそうでしょう?そうじゃないの?そうじゃなかったっけ?だれか、なにか、つまり、だけど、それでも、なんとかして、だからそれに向かうんだ、うん、よし、あと少し、いや、長くたって、そこへ

2012年1月7日土曜日

東京でベルリン。

今日は、東京都現代美術館へベルリン2000〜2011という展示を観にいった。
まとめて、東京でベルリンの作家が観れるなんてという思いで楽しみにしていた。
中身も良く、ビデオ作品が多い印象。絵画とかもう少し観たかったが、会場にはなかった。
くるくるまわる彫刻の作品が結構気に入った、音楽や詩がそれについていて、マルチメディアアートといった感じ。
ベルリンで僕が知る作家さんなども、ベルリンではジャンルを越えて一緒に作品など活動など行っている印象。
それを楽しんでいる印象がある。そして、それを受け入れる体制がある印象。柔軟な感じで、面白いものには面白いと言える印象。
ただ、こないだドイツで会ったアーティストというかダンサーの人にうかがかったのだけど、それに甘んじてしまうようなところもあるらしい。やる人はやる、しかしやらない人はそれなりで満足しつつやれる環境なのかもしれない。
なんだか、大学の環境に少し似ていると思った。大学には美術をやる人でしか構成されていないからね。
あ、でも何人かの職員や清掃員などは違うかもしれない。

美術大学に対して一言。
美術大学は、年間何千人もの卒業生を送り出すわけだが、そのほとんどが美術とは無関係の仕事についたり、その後の人生で美術なんかに興味をなくす人も多いだろう。
美術にはファンが必要だ、このままの美術会じゃだめだ思う。
だから、在学中に、美術大学は美術を学生たちに、根付かせるよう取り組むべきだ。

あ、どうも。



その後、今日は清澄白河から東京へ向かって歩いた。夜。
途中、オノヨーコの展示も観る。オノヨーコさんの作品は、詩のようで、いつも社会や個人に向かって発信されている。
だからその辺のアートとはちょっと違う。これはなんなんだろう?要するに素敵な行為だし、とてもアナーキーだと思う。
誰かこういう人がいないといけないと思う、世界のバランスを保つために。
アートをやりながら、ただアート業界に向かってるわけじゃない。ほとんどの人は生きるために、アートを仕事として頑張るんだけど、オノヨーコさんのモチベーションはそれにとどまらない。なんなんだ!!


で、東京に出て来た。
もっと東京を見て歩きたいと思う。
東京を体で覚えていたい、というかなんというか。

その後、新宿でダンスの練習をした。
一月に入ってから、ダンスの練習は練習というよりただダンスを楽しんでいてしまう。
これじゃうまくなるのが、遅くなるかもしれない。
でも、考えてみれば楽しいのをいつも優先してきてしまったかもしれない。そのせいで、中途半端なテクニックしか持ち合わせてないのかもしれない。今年はもう少しうまくなりたいのだけど。
あと、今年はランニングを増やそうと思う。

明日も朝からバイトで、東京でフリーターで、やりたいことだけやるにはまだまだ時間がかかるかもしれない。
やらなければならないことが多くある。昨年よりは、うまくやりたい。

また、美術館をゆっくり過ごした今日だけど、海外でのことを思い出した。
ゆっくり見れるというのは、なんとも贅沢だと思うが、そういう豊かさが必要なんだと思う。
時間を作ること、がポイントかもしれない。
今、工場でぐるぐるまわる機械のように生かされている状況はなんとかどうにかならないものだろうか?
そこをなんとかできれば、今ある場所や、これから作るすてきな場所も、いきてくると思う。
時間が、なければその場所も、使うことができないからだ。

2012年1月1日日曜日

farewell kyoto

farewell kyoto.
I back to tokyo.
年越しは京都で越えました。

年末年始もお寺は機能していたので、いくつかのお寺を参りました。
中でも31日の朝に着いて、東本願寺でお経を聞いたのが、今回の旅のポイントになったかもしれなく、忘れられない印象です。
寺巡りでも完璧な京都芸術に打ちのめされてしまいました。

今年は、前半戦は東京と戦いつつ自分自身が出来るだけ東京に近付いて、表現出来ればと考えます。
後半戦は、他にワープしようかと考え中です。

自分のBlogさえどこまで信じれるかわからなくなってきているのか、問題を間違った捉え方しているのかわかりませんが、ともかく2012 just started

また今年は、自分のダンスの新しい可能性にも期待しています。
visiual art、視覚芸術?の面でも、掘り下げたく思っています。
言葉でのドキュメンタリーが中々嘘くさくなっていくのか、今は多くを語り過ぎず一枚の絵が語る何か、に惹かれています。
また絵によって構成されたものとか。