2017年9月22日金曜日

19blues

小さい頃、よく泣いて次の日は目が腫れてるから学校に行きたくなかった。もちろんほとんど休むことがない少年だったから行ったのだけど。

"歌が美しすぎて、人生ってこんなに美しかったっけ、と五分の中で思うのだ。"
ポップスが発達し過ぎて、そのメロディーがこんなにも人をその気にさせているんじゃないか、この感情が芽生えてしまったんじゃないか。

全部が同時に起きているし、先回りされる時代だから、いつ泣いていいかわからなくて、それさえも知らないで過ぎていくんだ。一瞬、全部が一緒にやってきて、1人で受け止めているんだろうけど、全てが同時に起こるからそれぞれが1人で、やっぱり全体では何も起きてなく見えて、遠回りで伝わった。その時には空白しかない。

sweet19bluesの中に、今日は私が誰かの、明日は誰かが私の傷をいやす、なんて既にガタガタな状態で、安室ちゃんがわたしは本当はすごくない、と歌うところで歌えなくなってる。生きて伝えることがむずかしくて、よし、とか思っていつもいつもいつもやってるつもりで、でもどうやら全部つもりであったことが目の前に立ちはだかって。

誰かの恋がどうしてもうまくいかなくて、もしかしたらすごいそこに涙があったかもしれない。昨日は子供のように楽しかった。夢を考えるほど違う部分ではてしなく広がるのがわかって。
19歳の歌を29歳になって聴いて、安室ちゃん観てたらピナバウシュの若い頃の写真の顔を思い出して。天使みたいで。

歌が美し過ぎたんだろうか。
だったら、僕はやっぱりそこの中をおどるでも出ていくでもして、手を出していけ、天使が泣かないように。笑わせなきゃ。
若かった日はもっと上手くやれただろうか、よし、

2017年9月14日木曜日

新しい人

夜明けの街まで歩いていったらこんなにもきれいなんだね、で始まるのはフィッシュマンズの曲。気付いたらもうその時にはフィッシュマンズは活動してなかったんだけも、聴くと一緒に昔を思い出しちゃうね、そんな空間を歩いていたわけでも実際は僕の身にはなかったことなのに、まるで聴いてると記憶を思い出す。記憶とはそういうものらしい。そういう風にしてどんどん人の話が入って蓄積していくって保坂和志の本で書いてあった。
歌の中の歌詞はどうしても歌の中で最大限に力を発揮する素晴らしい歌詞であればあるほど。だからこれはやっぱり詩ではなく歌詞なのだ、歌う時のからだを持ってして歌詞として十分に活躍出来る。

ロマンチックな友達を思い出す。大学に入って出来た友達。そういう人に会ってだんだん自分も変わっていったんだろう。新しい人に会ってだんだん、その人にとってありなことが自分にもだんだんありになったりしてって。まだまだそうやってありな部分増やせれないかな。新しい人にまだまだ会いたいですね。
人生は一回しかないのに、無限ということを教えてよ、有限をとことん確かめるべく動くことによって、やっぱり追いつかないから、その状態が無限の夢をまだまだ強くするんだろう。というのが最近の持論。

芸術家であるということは、遠い星の誰かに、自分の輝きを伝えることだ。こっちも光ったらきっとどこかの星で見える。そういうレターを信じる。
時空も超える。


新しい人へ


2017年9月10日日曜日

9月。

単独公演終わって、この1週間。
すぐにイベントに呼ばれたり、何か聞きに行って思わず作家と話し込んだり、何か観に行って興奮して言葉が頭に溢れたり、予定を決めていかなきゃのプレッシャーの到来と絵を描き始める喜び、絵を描くことでそれ自体がこれからの地図でもあるわけでもあって。
で、段々と秋になっていこうとしてるのがわかるよ、空気さん。
1番好きなアルバムをふと聴き始めたんだ、イギリスのロックバンドの。
10年前に買った。映画とかバンドとか街とか、そういうのを浴びて、それになりたかったbut I am japanese,so I choose dance、ダンスを選んだ。自分なりのダンスが踊ることが出来れば、世界中に居場所を作れるような気がした。日本人として。強い個性として。強い個性がもしかしたら偏見を和らげたり、新しいコミュニケーションを生んだりすると信じていた、そして今も強く信じている。まだ試せていないんだ、あんまり。

そう、アルバム聴いてやっぱり焦ったんだ。まだそんなに試せていないことに。
青春とは何かをもっと知りたい。
まだ大丈夫かな?
ヒリヒリしているのは、だから、まだ、かけがえのない時間だ。

I ALL YOU WORLD PLAY、この作品がもし秋に作られていたならまた違ったと思う。冬に作られていたなら。とか既にそんなことを思い始めていたんだ。
やっぱり映画とかについてのこと、ロックとか、若者について、ロマンチストについて、考えている。

いわゆるダンスの系譜じゃなかったかもしれない。ダンスで満たされたい要素がもしかしたら入っていなかったと思われるかもしれない。
しかし、踊ることで映画に、スーパーに、近付きたいと考えて来ていた、ずっと。
もっと色々展開するのも考えている。
そのことが既に歯がゆい、がんばれ、自分。もっともっと、やりたい。

2017年9月3日日曜日

最終日〜

あっという間の9月の風、気温が吹いて、自分と同じくらい年を重ねた人とかがやはり感じつつある9月のさみしさとかについてぼそぼそと言っている。僕も思っている、代わりをして言ってもらってるのだけど、自分からも言って言うことで確かめたい、ね。

明日というか今日で単独公演終わり。
早い。ね、それはそうだ、そう言う日だ、今日は。

なんか言おうと思ったけど何も言えない。よし、寝よう