2011年11月27日日曜日

作品

I am 23☆years OLD.
OLDって、大文字にすると、右目鼻左目に見えるな。
僕は今、23歳です。
2011は僕の中で終わっていて、今は2011と2012をつないでる名前もつけていない期間で、不思議な感じで捉えています。これはいささか変な話だけど、現実にそんな変な感覚を連れてくるのも、個人の勝手で自由に楽しむなり面白がるなりすればいいかなと思っていて。しかも、こうした方が僕には向いてる気がする。向いてるってのは、そう考える方が僕自身楽しめて、未来が少しは良くなりそうなんだ、これは不思議なことにきっとそうだと思う。文句はなしだ。君にもまた考える自由はあるでしょ?じゃあ僕はこれでいこう。
さて前置きが長くなってしまった。

僕はまだ作品をがつーんと発表出来ていない。作品はない。それは信用も出来ないし、非社会的な状態でしょう。すまないが。
周りの強力で強敵な友人たちは作品を発表していく。
僕は形にするのが苦手だ。
逃げているのかもしれないし、そこまでの人間が足りてないのかもしれない。
後者を、最近よくこれが原因かもしれないと思っている。

作品をがんがん作る人もいる。作品を作ることが、生きること、または食べることになる人。
または、作品をたまにがつんと作る人。量は多くなくとも定期的に割と発表する人、その一回一回の強さでやっていく人。

僕は作品を作ること、考え抜いてそして実物、イメージを作り上げるという作業のための根気と集中から逃げている、あるいはそういう力が欠いているのか。
または、僕の貧弱な人生をなんとか作り上げることで、作品はやっといつか偶然的にばんっ!と生まれるんじゃないか、もしかしたらその可能性もあると考える。
だから、今は人生の予定を建てることが、大事なんじゃないかと考える。
また生きているなら、用意されたものの100倍くらいを生きてみたい、という欲張りな欲望が実はあって、それを軸に考え出すと楽しいので、それが正解なんじゃないか、自分の気分に正直ストレートなんじゃないかと思う、感じ。

いずれにせよ。
今、作品が出来ていないということ。
僕は逃げているのかもしれない。
あるいは、
ただ助走が足りていないのかもしれない。
その点に関しては始まってもいないんだ、と思った。それはある意味絶望的でもあるでしょうし、ある意味、nothing、vacantか。

ただ、こう思おう、という瞬間が少なくともある。
大丈夫、自分の中で、物語はまたゆっくりとだけどちゃんと始まりだしたから。という人には恥ずかしくて言えない秘密的な段階で、それが大事に存在しているからだ。

なるべくテンション高い状態で書きたい、伝えたい、とか書くべきかもしれない、という状態で取り組んでみること。それが普通な状態から見たらcrazyだとしても、テンションが高い時に意外と世界は動いてるんじゃないか、意識と共に。そう考える。

ok!

2011年11月23日水曜日

kreuzberg

海外の音楽を聴いて救われた。
ここじゃだめだとか思った。
この都会じゃわかってもらえないと。出会えないと。出会え切れないと。
じゃあ向こうで受け入れられるのだろうか。
思った世界は存在しているのか。
こんな身なりの自分だ、言語も通じない、、、
それでも行くしかなかった。
行って出会えたんだろうか。
通じない世界はもっと孤独で、ひとりぼっちになった。
でも気が付いたら誰かが横にいてくれた。
この感じだって瞬間も味わった。
帰りの飛行機、涙が出た。それがのぞんでいた世界だったのかどうかわからない。でも。
それがベルリンでした。

今もまだその音楽を聴いている。なんにも変わっちゃいないかもしれない。

2011年11月22日火曜日

crazy boy

東京にいて、東京に少し飽きてしまったので、これはいかんと、他の行動に出た。少し昔の本を読む。なんとなく人間としてひきつけられる人、夏目漱石を読むことにする。
夏目漱石の小説には、時代の変わり目においての、全体ががざがさしていた中での1人の人間が考えていた、振る舞いについてが描かれていると思う。
僕は、今、ちょっと戸惑っているのかもしれない、どうすればいいのか、がすぐわからなくなってしまうのだ。
個人のこと。全体のことに対して。
全体のことが本当に見えにくく、自然には上手くいかないので、個人のことから考え直すことにした。
個人のことを考えて、これだ、と思うまで考えて、イメージを出す。なんでそうなるのか?というのは自分で決めたようで、全体との相対関係から意外に決まってきたりしてる。それプラス、僕個人の能力、びびったりとか、これはやれるんじゃないかとか、不安とか、勘違いした自信とか、諸々がそれで決定される。

世の中はあまりにも複雑で、わかった上で、それから行動するにはとてもエネルギーがいる。

僕は最近、昔のことも思い返しつつ、今出来てること考えると、思ったよりも達成したかったことにはエネルギーと思考が必要だったのかもしれない。自ら自覚するのが、足りなかったが、敗戦しまくっていたんだ。しかも自覚がない敗北で、いつの間にか負けていたんだ。痛くも痒くもない。なんとなく時がたった時に気付く、何も得れていなかったことに。

でも、最近はそれでも、昔に建てた理想に向かって、エネルギーを増やして、複雑であろうと、この現代に対して、自分なりの感覚を持って立ち向かいたいという気分である。
なぜか?というと、人生は一回きりだからである。どんなにくだらない瞬間、時間ばかりで構成されようと、理不尽な罵倒を浴びてる時間であろうと、掴みようがない退屈な時間が目の前に残ってだだ流れていようと、人生は一回きりで、終わり。次はないんだ、次はもらえないんだ。

それで、ずっと田舎にいて、一つの価値観を教え込まれるなんて嫌だし、それもそれで一つの人生の使い方だけど、僕はあれもこれもみたいし知りたいんだ。いつか映画か、絵本で見たように小さな子供が主人公で、家を飛び出た子供にある日道でなにか人々におじさんがなんだか楽しそうにあれやこれや見せている、紙芝居で楽しそな面白そうなことを見せている。少年は色んなことをおじさんにそのショーが終わった後も尋ねた。おじさんは自分が見た世界や、想像した世界やおもちゃを教えてあげた、次の日も待てずに少年は走り出す。なんだろう?この胸と目の周りが落ち着かない感じ、冷めないぞ、これから起こることが楽しみだ。

そういう世界を用意したい。
このテンションって異常だろうか?そんなテンションなんてどうでもいいだろうか?でも、こういう考えにその日、辿り着けたりすると、僕は熱くなります。こういうことを考えれた時に、僕は凄いなんかとにかく体温が上がるのを感じるし、意思を確認する、こうしたいんだ!ってことの正体はこいつのことかも、って。
こういう状態でなるべく生きれることが、今の目先の目標かもしれない。僕は弱く、意思なんてすぐ吹かれたら消えてしまいそうなくらいなので、体の中で水をやって、火をやって、外からの風に吹かれて消えないように、また水をやらずに枯れてしまわないように、注意しながら、育てなければ、と思うのです。

2011年11月12日土曜日

レイニディー

今日は冴えない一日になりそうだった。
バイトから始まって、咳が止まらなくて、帰ってから少し寝る。あんまり良くならなくて、外へ出た。
雨の中、車のライトが過ぎる。ぶーん。

ちょっとほんを読もう。
ドイツ単語練習までは辿り着けず。まったくなにしてんだか。
今後の作戦をたてる、、、
僕の中では、2011は既に終わってしまって、今は2012が始まるまではなんとなく2011と2012の間なんだっていうイメージが湧いて来て、そんな感じでいる。
2011は終わって、今は気持ちを切り替えて、その間、に取り組みたいと思ってね。
ここをどうやれるかがすごく大事な気がして、何しろ2012の一月になれば僕も24になる。(あと、69日。)
その前に、その前に、なんとか滑り込みたいんだ。なにを?って、とにかくなんか滑り込みたくて、滑り込みたい、

町田の外は寒くて、練習していると、あと来週から東京ELECTROCKSTAIRSの稽古も始まる、、ドイツツアー、、届けてかいぶつくん。個人パワーアップして乗り込みたい、、
あ、練習していると、耳でイヤホンして乗り出して踊り出すと、中はがんがんなのに、外すと外は静かでまるで世界が違う。
がんがんの世界で乗って来るとまさか自分がすごいいい感じに踊れてる気がして、、あぁこのダンスを誰かに観て欲しい、絶対つかめるからとかいう風になってすごいいけそうな感じ。でも、イヤホンとるとしずかで勘違いだったかもしれない、と思ったりします。
それにしても練習時間短くて、昔はただブレイクダンスばかりやれば良かったのでそのやり方で集中して長時間練習していたのですが、今はどこに向かうのか感覚とイメージの試行錯誤で、また立ち踊りのメソッドが足りなく、いくつもないステップに、不定期な練習日時のためもあって、中々ものにできていない。。
なので、なんとなく最近なんだか黒田育世さんのことが頭に浮かんで考えたりもしててiPhoneで打ったらなんか出て来ないかなぁって思って、そしたらインタビューがちょうど出て来て、それが結構しっかりずっしりストレートに載っていたもので、練習へのモチベーションが上がってバーンって逆立ちに入ったりしたのと、うわぁ!じゃあ自分どうしよう??的な感覚に陥って、練習終えて帰っているところ。

そういえば、こないだ帰り道に、改めて口に出してみたこと。
自分の才能にとにかく素直になって、ひたすらただ追いかけてまっすぐにジャスト!自分の力を信じて進んでいくこと。それこそ世界が待っている。自分が諦める姿、よりも、ただその人が生まれて、信じてかっこよくその人をまっとう!すれば、それこそ世界が笑って楽しみにしてるし、みんながよろこぶんだ。だれかが喜んぶんだ。
そのことを忘れちゃいけないよ、あるいは忘れたら思い出すんだ、そうして笑って走り出すこと。よっしゃ!行けるはずだぜ、

2011年11月5日土曜日

2011の気分、漠然と!

どうも、ご無沙汰してます。
えっと、今ひとつのバイトを終え、もう一つのバイトの前の時間です。

歩調を合わせることなんかなくて、それについて、I don't careだと思えば、僕はそれについてわざわざ付き合う必要もなく、そういう問題は検討した上ですっ飛ばして、もっと考えたいことについて考えればいいんだと思った。
つまり、昨日隣の女の子たちが話していた内容について、本当にどうでもいい話!と思って、なんだかげんなりしてしまった。別に他人のストレスを感じる必要なんてないのに。



絵をたくさん書いた、
もし物語も付け加えて、書物を増やして、いつか!
図書館なりを作って、誰かがその内容について、何時間も時間を費やしてくれたらこれほどの幸運はないと思っている、どこか。
僕は本ってやっぱり好きだな。特にたくさん読むというわけじゃないけど、人間が静かにそれに向かって自分から話を目に入れていくことが、静かなのって好きだ。それは個人的行為で、時間もかかるんだけど、誰かのために時間をかけること、しかも自分のペースにて。

最近、観た新しい映画のほとんどはもしかしたらエンターテイメントの部分では楽しめていない。social networkとか、派手に楽しむとかいうより、自分の精神の持ちようとか、こういう状況でどんな心持ちで戦うのかとか、そういうストイックな部分などで感じれてるものだという気がする。
エンターテイメントならひと昔前のもの、ホームアローンとかレントとか。
今は、もしかしてお金で買えるエンターテイメントがある程度見えた上、なんかもう楽しめにくくなってきてる感じ。
それが生きることとかに関わってきてる、というのを感じれないと心底楽しめない、ような感じ?がしている。
たぶん世の中が変わったせいじゃないだろうか、色んなことが昔のようにはいかなくなってきている、漠然とだけど。