2024年4月23日火曜日

海の底

 デビットリンチのブルーベルベットを学生の時以来に見て、あの時は良さがわからなかったけど今はとてもいい映画の作りだとわかった。それで次何みようかなと思って見ているとタイタニックがあって、適当に見始めた、、、


見ていたらポロポロと涙が出てきた。数10年ぶりにこれも見たんだと思う。あの有名な船の先頭に2人で立つシーンは半ば強引な繋ぎに感じられるけど、そうじゃない、あれはもう開発で映画に従属していなくてあそこが独立して、つまりその"曲"を効果的に聞かせるため、あるいは人間の何か美しいそれの条件を見つけてそれを実現するための事が整った、みたいに肯定したい気持ちが押し寄せた。

ディカプリオがどんなプライベートの人であっても、僕は彼が映画の中にいてそうあってくれてとても励まされてしまった。ケイトウィンスレットもそう。まんまとどこまでも騙されてしまった。何かをそこに見てしまった。ずっと泣いていた。

生き延びたおばあさんがみんなに話す。

それを見ていたら、誰かのバトンを引き受けて生きている、ということを想像した。タイタニックには色んな国の人が乗っていたように、今もニュースで見るようにたくさんの人が戦争で死んで、あるいは身近に死んでいる。おばあさんは最後、再び海と再会し、眺め目を向けアイコンタクトをし、いたずらにダイヤを投げ入れる。そして眠りについたエンディングでは、ふたたび船の中で今度はなんとみんなに祝福されるその先に彼がいる。

これは愛というか恋の話なんだろうか。船を駆け回った記憶、あの場所でこんな事、あの場所ではあんな事、そんな記憶が海の上で積み上がっていき、それが全部沈んでいった。まるで人の一生みたいに積み上がったものが沈んでいく。

でもとにかくなんといってもこの映画の中のきらめきだ。人を見る時のきらめき。おばあさんの記憶へのきらめき。海底に沈んできらめくことはないものと、それでも思い出すことできらめいていくこと。

2024年4月20日土曜日

 夢でも、現実でもの永遠のような長さがあると思えれば、その距離やその長さを使って頼りにして走ろうとか行こうとか思うことが出来る。

でもなければ、ないと思ってしまえば、くじけてしまうと、そもそも走ろうとかは次第に思わなくなって、走ろうとした時の雲のスピードとか春を駆け抜けていく感じとか、汗をかいて疲れて飲む水のきらめきさえ、ずっと掴むことさえ忘れてしまう。

でももう一回始めることは出来る。

2024年4月6日土曜日

落ちない星

今日は高円寺のライブに出るということでどうしようと思いながら電車に揺られていた。以前までならライブというのはまさに今生きているということでそれをなんとかして感じとり立ち上げるために精いっぱいにその場で、とかそういう生き方だったけど、何かが変わってしまった気がして理由もわからないけど、でも習慣で動いている身体がなんとか運んでいく場所があるし、むしろその方が無心に近い可能性もあるとか、なんて思いながら。

GEZANのこないだの映像を思い出してエンドロールを聴き出した。この曲を寺尾さんが歌っているのを聞いたことがある、その日にソケリッサが踊っていて、そこにいる人たちたくさん泣いた。そこでGEZANを聴こうと思った。

GEZANといえば光くんで、光くんと出会ってそのくらいかな?彼らのMVを撮るとかいうんで張り切っていたのを覚えている。光くんは人に協力を惜しまない人で、結局その話はなしになったけどマヒトさんとよださんと僕のスリーマンを企画しようとしていた。別のメンバーでスリーマンが実現されてそこで音楽を僕なりにライブ、演奏できたことはとても嬉しくて覚えている。

会場に着いて本番前、体を動かそうと公園に立ち寄る。木と土がないかな?って探す最近の習慣が出てきてそれで体を動かし、踊り出す。夜の公演だからみんながパラパラと自分のスペースで何かしていて、僕はダンスをしていて、そのことを強く感じていた。それでその後にライブが始まった。

ライブで他の人の曲を聴いていて泣きそうになってしまった。それは音源で聴いてもそうは思わなかっただろう。その人の風貌と歌の説得力がセットで感じられた。たくさんの時間がそこにかけられているということが強く感じられた。


2024年4月3日水曜日

ほんの少し

 体調を騙し騙しなんとかやり過ごす日々が3週間くらい続いている。 寒い日に限ってストリートの予定を立ててそれで案の定、その日の夜に悪寒に襲われて体調を崩して少し回復して朝早くから仕事をする、そして少し回復してもう完璧まであと少しで変な形でまた風邪をひく、を繰り返していて全然日課を作るどころじゃなくかなしい。 公園にも全然行けてないし身体の準備も出来ていない。そうするとなんか頭の想像もちょっとサボってしまうのか、弱気になるのか、そんな感じ。困った。

いくつかの事柄が数日内に連続して起きた日にはバチにでもあたったかと思ったけど。今日、午前中からのやつはなんだかうーんって気がしていたけど午後良くなって結果オーライになった時に、ほんの少し幸せで。木漏れ日みたいだと思った。大きな太陽でなくても木漏れ日で喜んだり嬉しくなること、があったことをほんの少し思い出す。

2024年3月31日日曜日

2日いい日が続くと太陽が2つあるみたいな気がする

今から寝るのが楽しみで、でも朝は大抵起きた瞬間がちょっと絶望みたいなことを感じる。
まぁ、そういうこともある。
 新しい仕事が始まった。2日続けていいことがあった。木曜日は雨で少し不安だったし、体調も崩している中での外仕事だったんだけど金曜になったら体調も少し良くなってしかも晴れで屋外上映イベントがいい雰囲気で運んだ。僕は思わず仕事だったのに裸足でビーチで仕事させてもらえてそのことがとにかく楽しい。逆立ちなんかもしちゃって。
屋外上映の手伝いをそれなりにやっていたらその方から感謝されたり、上映後子供たちはその見ていた場所からすぐ走り出してビーチの夜を楽しんでいた。全部を休まずに彼らはくっつけてしまう。僕だってもし小さい頃にこうしてビーチで映画見ていたら忘れないんじゃないかな。
ストリートによくくる羽鳥さんも友情を描いた演劇で泣いてしまったのはもう強く親しい友人を持たなくなったことにあると言っていて、数年前、ままごとを見た時にぼろぼろ泣いてしまったのは僕もやはり小さい時は友達こそが全てだったからで、あの頃の自分と今の自分は他人を見るような目で僕を見るんだろうか。それでも一方で小さい頃の自分が一緒に自分の中を生きているのも事実だ。
今日のいいことは君島さんと西田さんのライブを見れたこと。のびやかに音楽に取り組んでいて楽しそうだったし、そののびやかさを十分に受け取る。自分たちで準備している様もよかった。うん、音楽が良かった。
かつて、自分がなんでも良かったのを最近よく思い出す。言い切ることとやることにその都度集中すること。誰かがなんと言おうと、あるいは議論のテーブルに乗らなくても今、ここにいる人たちと関係を結べるかもしれないことや、過去や未来にもつながりうるかもしれない、この瞬間というかぐっと長い時間の中に互いにいることこそが重要だ。
ここにいる時はどこにも行ったりしないのだから。約束よりも前。

誰に何を言えばいいのかわからないけど、明日の午前中は公園に行こうと思っているのが楽しみ。

2024年3月7日木曜日

砂漠

 ショーンペンが主演する映画で、邦題は、ここが私の帰る場所、みたいなタイトルだった。するとそのCMではかの有名なthis must be the placeが流れてくる。まさにこの曲の両面みたいな感じがする映画なんじゃないの?と観たい欲求に駆り立てられる。

そもそも彼らがこのthis must be the placeを歌う時、日本語に翻訳されると、家のことを歌っていることが強く感じられる。僕の家や、行くべき場所、あるいはここではなかった場所というのがどこだったか。そういうことが流れる。

ここは私のいる場所じゃないと風が教えるように吹くとさみしい。そう感じることも多かった気がするけど。きっとそのことをたくさん感じている人がいるんだろうと想像する。

それはさみしい。風が吹くようにさみしい。しかし風が吹くような、に還元してしまうのだけど、きっお言い表せなく、そしてほとんど全ての人からそのことは消えていく。

2024年2月26日月曜日

オマケ

 フリーオプンデーが終わった。12月のオマケくらいな、仲間達との許された時間だとか思っていたけどしかもみんなで稽古は一日と数日の秋田勢でのリハーサルだったけど、とても特別なものになった。実感的で他で見た事のない、再現も難しいかもしれない。それはメンバーや、やはりここに集った人たちの身体によって可能になった。これまでの習慣とか考えとかそういうのの総動員の出した今日の答えみたいな感じ。

劇場なのにあまり劇場と感じない作品。

僕は舞台の上で回すのに精一杯だったけど色んな人が色んなところで起きている、観客も演者も含めて。そんな景色を見たと書いた感想があった。自分がなぜ街とかに惹かれるのか、を思い出した。そこには色んな人がいる、誰かが出てくる、その行為や景色にいつも感動したり優しくなったり強くさせられたりする。思い出す。


一方でバイトの連絡が来る。やはりフリーランスで安定して入ってなかったから仕事がないからといれてもらえない。昨年、色んな場所で頑張ったけども、それをしたって東京での評価や仕事には繋がらないんだ。それは別に地方だって同じことだね。だから文句は言えないけど、難しい。

忙しくとも地道な活動を続けないと信用してもらえない。まぁo.kという感じで、頑張ろう。今年、大吉をひいたということだけが自分をジョークのように今年連れ沿ってくれそうなんだ。なんて頼もしいんだろう。

2024年2月23日金曜日

もしかしたら

昨日は朝早くてそれで今日は寝れるかと思ったら眠れない。色々悩んで頭で考えて、こんなことを思った。幸せになりたい、という言葉だった。以前、幸せにどうか届けと思って声をあげようとしていたんだった。最近はこの声の届け先を、奥行きを、何をもって発すべきか、遠近感をつかめなくなっていたような気がする。 言葉ではわかったけど実際にその感覚に戻るのか、あるいは別のところへ行くのかはわからない。色んなことに落ち込んでいたけども、幸せになりたい、という気持ちを素直に言えたらなんか自分を再び押せる気がする。 その気持ちもなく、ただなんとなく手癖とかでギリギリやってた感じがする。調子が戻るかもしれない。

2024年2月21日水曜日

起き、

 夕方に家を出てドタバタしてテンパりつつ、歩きながら整えようとしているとおばさんに呼び止められ、彼女の載ってる自転車のサドルを下げるのを手伝った。あんまりない頼まれごと。

夜は渋谷で踊った。友達と話したり笑ったり動いたりする、それらが渇いて気持ち良くて。

それで実家に帰った。遅かったから少し一緒に両親と動くやつをやって、それで引越しの話を具体的に聞きたりした。この小6の時に引っ越してきた家ともさよならだ。自分は実家を出るのが非常に遅かったので、思い入れも出来てしまった。そういう意味でももっと早く出ていれば悲しみは少なかったのか。色んなことに対して最近は思う人生のターンに来ているのか。色んなことが遅かったために愛着が出来て。

悲しいことがいくつか。もうダメなんじゃないかと思う。無限に広がる世界を見ようとしていたのに世界の壁や限界が近づいて来たり、色んなことが疲弊してしまって頼り合えないような予感。今週頑張らなきゃいけないのに。

渇いた、っていうのをポジティブに捉えるのって湿ってるのの逆ということでなんだろうか?

とりあえず明日よく起きよう。

2024年2月20日火曜日

高円寺

 今日はなんとかBARで池田さん涼ちゃん、村上くんが店主をするというのでこれは行かねば、と夜に狙いを定めつつ高円寺だし路上ライブでもやっていっちょビール代くらいは稼いでと少し早めに着く。

最初はこないだの中目黒のような緊張があるが段々と色々恥ずかしくなくなって少し無敵みたいになる。この状態の路上ミュージシャンは見ないので結構面白いかもしれないとか思いつつも、中々足を止める人やましてや投げ銭をしてくれる人はいない。もちろん演奏技術もないので、展開も作れない。最後、向こうの方から若い三人組がやってくる。のタイミングで苦情を受けた警察官の方がそれを伝えにきてくれる。

解散でお店に向かおうかと思いつつ若い子たちと話す。その流れでギターを弾きながらなんとかバーを目指して練り歩く。途中で思い付きの歌を歌っていると拍手をもらったり、あるいはおばさん達が合流、若い他の子達も合流みたいな感じで10人くらいになって街を少し歩いた。なんか奇跡みたいな瞬間で嬉しい高揚感のままお店に辿り着く。その時には最初の3人にしか残ってないけど、彼らに少しビールを奢りつつ楽しい夜を過ごした。最近、貧乏だからお金を稼ごうと思ったら稼げず、この状況でそりゃあ少しは奢らなきゃと奢って、なんかまた何かに繋がればいいな、とかは思ってもいいよ? 久しぶりに瞬間が時間にダメージを与えるくらいに嬉しい時間だった。

2024年2月8日木曜日

夜の部屋

 部屋のいいところは少しだけカーテンを締め切らないと外の灯りが少し中に入ってきてしまって、それを真っ暗な部屋の壁に見つけ見るときにいいなぁと思ってしまう。外の世界と真っ暗の部屋の世界ともう一つ夢の深い中の世界に入ろうとする手前。

今日は初めて(正確には違うけど)路上ライブをした。少し終えた後に見る街は違って見えた。

明日こそ早く起きたい。

2024年2月4日日曜日

楽しませる自分を太陽で

 学生の頃。活動を見ていた周囲の人によく考えない方がいいよ、どんどんやれと、言われていたけど考えないでやろうとしてはうまくいかない感じがずっと続いてそういった人や意見からも離れて、とにかく考えるしそれでやる。にしたら少しずつ状態を脱していく感じがして。今になって思うのは今ひとつアドバイスの具体性に欠けていたんだと思う。結局その思考しつつ何かするというのがパフォーマンスにも出てきているわけだし。とは言え、今は本当に眠れない日とかは意味に押しつぶされそうになる。坂口恭平が言ってたけど深夜になると良くないことを考えてしまうから早く寝てしまう、みたいなことを、言っていて最近はちょっと良くないことばかり考えるようになっていると思う。喜びに出会した時は楽しさを感じる。友達とふざけてラップしたり他愛もないことをなんとなく他人と話している時に喜びは感じるけど、普段、幸せや喜びをイメージすることが難しいと思うことも増えている。困った。生活に置いて幸せをイメージしたり憧れるということも1つの自分のエネルギーだったと思うが、今はそれが難しい。他人への想像力も落ちてきた。自分の周りもあるいは戦争をしている世界や支配があって、考えを展開するのがクソむずかしい、、けど明日はやはり太陽でも浴びてそれでも出来るところから想像して自分を楽しませなきゃ。

2024年1月30日火曜日

なんでも

 2024年が始まった。今年は辰年だから年男だ。大吉だったし、いいことがありそう。 昨年は本当に忙しくて数えたら合計で100日は東京にいなかったことになる。ひぇー。後半はあまりに忙しかったため、バイトにもほとんど入れなかったから1つの目安でもあったバイトなしでの活動タームに4月までには入れるのでは、と勘ぐっていたものの12月いっぱいで仕事が入らなくなってしまい、いきなりここ数年で最もピンチというか焦りの時期に入った。

昨年は忙しかったけど精神的にも色々としんどいと感じる時間も長かったり、人に助けてもらいながらも自分の時間を十分に確保することも一方で難しいというバランスの中でなんとか乗り切ったという気でいた。甘かった。色々甘かった。ということで白紙で始まる2024年だからこそ大吉だと思おう。

なんでもない自分から始めるような気持ちで、、

友達にリスクヘッジくそやろうと言われるくらいに色々先回りして考えていつもやっていたのがここ数年の隙をそのままにしてたツケが回ってきている感じしてとても焦るし、悲しいところもある。

幸せになんだかんだ自分はずっとなりたいと思って生きていたんだと思う。でも知り合いのアーティストの話で、幸せなんてとっくの昔にどこか、って聞いて確かに幸せを放棄する生き方もあるだろう、と思った。それに今日帰ってくるとなんかキツイなぁとか思って、でもこの感じからどうしたって解放されることも自分はないんじゃないだろうか、と思った。何か素晴らしく幸せでずっと自分を安定の幸せの中に置いてくれる何かなんてイメージとしてそもそも現れそうになくないかい?ということが頭に出ていた。

とりあえずドラゴンだ。なんでもやろう。

2024年1月6日土曜日

色々

 昨年は絶不調だったかもしれない。何かをするモチベーションのありかが迷子になってしまっていた。だから何かをするにせよ、深いところから水を汲んで来れないような、そういうガシッとした感じがなかった。なんとかこれまでの経験とかで応答していたような気がする。だから何かこれをしなきゃ、と夜中とかに思い立つ、その根拠のないかのように見えたそのとっかかりの切実さみたいのがほとんど感じられず別のことに悩まされていたんだと思う。

たとえば自分は踊るために踊りをしていない、とりあえず踊っておくし、とりあえず走っておく、とりあえずとにかく書いていって、描いていって、歩きに出かける、見る、読むをとりあえずやって、人にもとりあえず話しかける、とりあえず知らない世界をもう少し覗こうとする、とかしていくと互いに反応し合ったりしてヒントみたいなものに出会える。これをやりきることでこれを達成するではなくて、全てが緩やかにつながっていく気がする、というささやかな感じを頼りに始まる。だからこれだけだとうまくいかない。世界が開いていないとうまくいかない。世界が広いことに対して適当な想像力をあてることで始めようとすることで風穴が開くとか、とりあえずその風穴から風は通っていることを考えたりだとかしていく。 すごく今多分年齢に焦っている。身体も動かなくなってきているのを感じたり。でもその事実は動かせない、そ!でも動く時間を作ったりじゃあそれに応じて別のことをする、もしかしたら互いにそれが引っ張り合うかも、を想像し取り組む。それくらいしかできることがない。悲しまない、楽しむ。明日も色々やろう。

2024年1月1日月曜日

ランニング

 東京タワーまでランニングと思ったけど出発も遅く、途中で折り返してしまった。10kmちょっと。久しぶりの年越しランニング。 都会の真ん中ではなくその周辺を走っていた感じ。みんなが幸せそうに見える、とか思った瞬間、じゃあパレスチナやウクライナの状況を想像してみる。そうも言っていられない。

走ることである程度体を動かせば払拭されるものがあると思う。コスパは悪いのか、良いのかわからないけど今年はこういうのが大事になってくるかも。

帰ってたくさんのアイスやシュークリームやビールを飲んで食べた。ミスタービーンの映像を見ながら。

なんというか東京に帰ってきて疲れるなぁ。こんな想いはほとんど持ったことないけど。疲れている。うまく話せる自信がない。

中学の同窓会で20年ぶりくらいに集まったんだと思う。みんな少し年取ったかなと思ったけど時間を過ごすと昔のことが思い出される。みんなに許されていたんだなぁとも思ったし、やっぱりそこにずっとはいられなかったから別のところへ行ったんだと思う。

大人になってもそういう感じが出てくる。

にしたってみんな結婚したり家買ったり子供もいたり、そういう人が多くてすごい。

ずいぶん色々疲れたけど、走っている中で都会の方とか回ってもやっぱり都会が踊っている、みたいな感じは全然しなかったかも。都市によって違うだろうけど。そのことについての考察を走りながら出来たら面白そう。