2016年5月30日月曜日

プレーンソング

最近は中々くたくたで、毎週のようにパフォーマンスを行ったり、他の企画を進め考えたり、または他の企画が入りその打ち合わせなどを行っている。
今日話した誰かにも言っていたのだけど、やっと今、企画を試せるような考えや人との関係や、誰かと関係が出来つつある状況になってきたので、いまこれはやった方がいい。本当はあらゆることがもっと早い段階で行われたら良かったのにそうもいかなかったんだ。


今、多摩川を電車の窓越しに見る。
横の川を縦の移動で大胆に切る感じ。
電灯が向こうにずっと続く光景を見て、それを河川敷で見なきゃ、そろそろと思っていた。

こないだ友達を誘って海に行った。
プレーンソングという本を読んだのだ。
この行為にも名前を付けていいだろうか、みんなで海に行ったことをプレーンソングと呼んだ。
過去形にしていく。
現在形に留めておく、で意味は変わっていきそうだ。

今日また良かったのは、それってロマンチックだってことだよね、とその友人と確認出来たことだ。当たり前だと思っていこう。

2016年5月21日土曜日

昨日の夢はすごくて結構疲れた。大きな距離を移動したのだけど、そのまま感じるように疲れるのだった。夢は見るものによって随分感じる大きさが重さが変わってくるなぁと考えてしまうのだった。
もうちょっと今夜は適当な夢を見て眠りにつきたいものだ。

2016年5月19日木曜日

jump

多くの人がスマホを持つようになり、その画面を今日もずっと見てるという光景は世界中にあり、その姿勢こそとても現代を映すかもしれない。
スマホを見てしまうことについてなされる見解の多くは的外れだという印象を受ける。
機械に飼い慣らされてはダメだと言うかもしれないが、そんなに能動的な人間は歴史を持っていないかもしれない。何かがそうさせる、踊らされることで歴史が紡がれて来た感じはあるだろう。
だから考えるなら、それはいったいどういうことなのか、ということだ。

とびっきりの人に出逢いたいなぁ。

2016年5月13日金曜日

闘い方とか、

WTF!もっとダイナミックな闘い方をしたいなぁ、、うーん。
ちみちみじゃダメなんだ。しかし嘘はダメだ、やれると思ってたやつが大して中身がないということはおおいにあってそのせいもあり全然地球が回ってないと感じる。
だからちゃんとモヤモヤした中でしっかりとエネルギーを蓄えるのは必要で、だからきっとこのストレスからも解放されないだろう。
にしても、もっと戦い方について考えねばダメだ、なー。

2016年5月11日水曜日

五月

19歳くらいの頃、大学の図書館で横尾忠則さんの本に出会って、やばい自伝書かなきゃと思ったの当時20歳までにと。原稿用紙に少し書いたけど、最初しか書けないままにしてしまった。
あの頃に色んな火がつきかけていたけど、火が消えたりもして、そんなにうまくいろんなことは行かなかった。
けど、じゃあ失敗は多くしてきたのかと言えば失敗といえる失敗の見た目のものはあんまひしてこなかったのかもしんない。
と考えると結構やばい、焦る。
失敗のサンプルを欲しくなったりしてる。

大学の図書館でたくさんのことに出会ったな。そんなに本に埋もれてってほどではないけど、だってそんなに本読むの早くないし。それでも色んなことのきっかけをそこで出会った本たちが与えてくれた。あんまり映画専攻では学べないことを本から、他の分野の人が授業で受けるようなことを羨ましいなぁとか思いながら僕はこっそり図書館で出会っていたのでした。

多くの先輩は丁寧に明かしたりはしないけど、学校生活もう一回出来るならもうちょっとどう改善しようかとかは頭をよぎるもんなんだ。

2016年5月8日日曜日

せいいっぱい

あーくそぉ、365日ってなんて短いんだろうと思って。
情報が増えたからなのか、その分やらなきゃって思うことも増えてしまったのか。
自分は確かに溢れる情報の中を生きてる、サボってる方面もいっぱいあるけど。
通過するものが多いと、その分のすれ違いや行き違いも多くて消耗もする。
捉えられなくて。
かなしい。

明日は、というか今日ですが三軒茶屋の32106ってbarで視野ってイベントです。
パフォーマンスをします、猫道さんと、福原冠さんと。
今日は代々木公園で打合せでした。大きい木と広がる夜空の中に、3人の青春が混ざり素晴らしかったです。
青春を持ってる僕らは素晴らしいし、ちゃんとどこかに行けてその環境がまたすばらしいと、照らされて素敵になる。誰もそんなことに評価をくれるわけでもないけど、自分たちでわかる素敵さ、とかすがすがしさとかは生きてて重要じゃん。こっそり。

手に入れたかったものは手に入れらなくて、適当に触ってしまって傷つけてしまうかもしれない、すれ違い。
それでも日々は過ぎていって否応なく、またその時間の暴力的なでも自然な経過に傷ついて大人になっていく人々。
とか言っちゃってるけど、全部笑いにも出来るだろう、きっと。
だから何したって大丈夫なんだ。
生きてしまったんだから。