2016年4月28日木曜日

こんな今夜

そんなつもりじゃないのにまたこんな時間に寝てしまっている。
ほんとに?そんなつもりじゃないだなんて、いくらか、いやいくらもそんなつもりでしょ?って感じもする。要するに2人の自分を演じてしまっている、、みたいだ。
こんなことを書いたりするのってなんだか、昔の携帯日記みたい魔法のあいらんどだっけ?そんなようなの。懐かしい。眠れない夜日記ガラケーをベッドの中で光らせて読んだり、あるいは書いてもいたような気がする。
懐かしいなー懐かしさには涙するな、今一度さぁ。
生きてて色んな可能性があって、今はメディアを持つことが誰でも出来るからそのぶんいつでも痛い感じになってしまえるし、痛い感じをこわがってもいれるよね。
痛いことはいつも痛いのに、消えていくのも早い。しかし痛さにはなれないから、ただいつもひやひやしているしかなくなってきたりしてさ。

さっき見た映画、駆け出しの作家が最近ヒット作を生み出した作家について記事を書こうと接近する話。
ジャーナリズムとは戦う人がいて初めてそれを報道しようと立ち上がれるものなのかもしれない。今もしジャーナリズムが弱いのならそれは戦ってる景色がなくなってしまっているからだろうか、いや、戦ってる人は常にいつも絶対にいるし、報道を必要とするものごともいつもある。ただ僕らだってもっと戦わねばと、そのことに思い巡らして思ったのである。
報道に値する戦いをしなければ。

全然違う場に着地してしまったこんな今夜。

2016年4月20日水曜日

ふふぅーひぃーふぅー。
夏前に海にいきたい。いこう。

2016年4月17日日曜日

一瞬

にして焦るのだ、やばい、あぁもう、時間が、とかおもって、鏡見てる時に、お風呂上がった時に縦に長いかがみに映る白い蛍光灯に照らされた濡れた髪に渇いた肌の自分の顔と体を見たときに。はっと、一瞬にしておそいかかってくる
そのときに、そのつぎのときに、そのまたつぎのときに、そのタイミングに少しズレやラグがあってもふさわしい自分を間に合わせれないか、やばい間に合わないかも、と焦って、ズレて生きてきてしまったのかもしんない、、

2016年4月14日木曜日

砂のよう、

今がどんどん砂のように掴んでは溢れ落ちてしまう。
何回つかんでもすべて溢れてしまう、それでも掴もうとしようと思う。

次回の展示が決まりそう。
今度は絵に重点が置かれそう。
しかし個展が終わってから今、自分が主に重点を置いてきたのは場所や時間を作っていくということで、今年は結構それをやっていきそうな感じもしていた。
どこかそれが実感として身体や思考の拡張感があって、割とすんなりと出来るようになったのが昨年からの準備と今年始まってからだ。
もちろんこれは周りの協力があって出来ることで、なんか今実感としてあるのは本当に自分の頭と身体しか使えないわけはなくて、なんかみんなでみんなの頭と身体を使っていくことがなんか出来そうだって可能性。
こういうのも一部の人しかわかっていただけないかもしれないのだけど、評価や経済を気にもしていられない。時間と空間があるならば使うべきだ。
出来る人がそれぞれの出来る部分から取り組んでいかないと、世界は待ってはくれないので取り返しのつかないことになっちゃうという持論。
ということでスペースへの展開を続けつつ、現実的にいよいよ、もっと絵とも向き合うという次の段階だ。
本当は今年一回くらいダンス公演、ダンス作品を作りたいモチベーションもある。
なんか面白いの作れると思うので、で、たぶん来年になると提案が変わるので、まだ未熟でありつつ面白いアイデアを入れたものをひよっこり出す機会も作りたいな。

2016年4月10日日曜日

華麗なる短歌

短歌の友人がかなり良くて、いくつかの短歌にノックアウト、翻弄され、俵万智のサラダ記念日をブックオフで購入。ブックオフの系列のお店で久しぶりに古着を買った。
どうして女の子はいい古着を買えちゃうんだろう、まるで晩ごはんのおかずを揃えるように軽やかに馴染んで古着を買われていく。
素朴な短歌に通じる世界観。
完全に何パーセントかその世界観に持って行かれたまま、ここ最近の自分の状態がある。一方で相変わらずいそがしく考えたり計画したいことにも注いでいつつ。

グレートギャツビーを久しぶりに見た。
まぶしい煌びやかな画面を、クリスタルだけで構成するかのような美しい画面を作り時間を作っていく、それがまるで映画のストーリーと重なるようで、すべてはその恋のために注ぐように。
しかし戻そうとして戻すことの出来なかったそれが、最後に遠くに離れていく光として投射され離れていく。深海に落とし永遠に拾われない指輪、物語、のようだとも思った。
そしてエンディングにthe xxが流れる。
この上なくセクシーな曲。深海にさみしく響くサウンドトラック。
だから、ただそれは美しい、美しさしか残らなかった。
何かのために積み上げたはずの美しさだったが、美しさは積み上げられたという事実が悲しい。

2016年4月4日月曜日

クラブが楽しかった話

あーやっぱりiPhoneはプラスにしておくべきだったのかも、というのはやはりボタンというかタッチパネルが小さく、打てないことによるロス。便利の中の不便ですね。

昨日は久しぶりにクラブに行ったんだけど、それがずいぶんずいぶん楽しかったわけ。色んなシチュエーションが重なったというのはある。メンツのおかげというか。
にしても楽しかった。自分の中でも結構、お酒飲んで普段なら吐いちゃうくらい飲んだけどむしろそれで頭がちょっとズレてる感じで一方で踊れてというのは状態が続いてあの状態が楽しいんだ、っていうとこの発見。えーこんなに楽しいってくらい楽しかった、、かも。もっと楽しいのかもしんないけど。びっくりしたぁ。
結構、僕らこんな風に過ごせんのかも、そしたら結構素敵じゃんとか思った。
働いてるとこ以外の面白いを作っていきたいのかもしんない、人と自分が過ごせる時間を自分が人と遊んだり過ごしながらその事を試そうとしてる段階かも。世の中でビジネスとしてやられてて面白いとか言ってるはったりも多くあると思うからそういうのを少しづつ減らしていきましょうよ、と。中には面白いのもあると思うけど。
今、そういうとこにも関心やリアリティが向かってしまっている。そこはどこなんだよ、って突っ込みがありつつ、でも、たぶん大丈夫だろう。