2022年4月19日火曜日

久しぶりの誰でもダンスバトルの企画

ダンスバトルを久しぶりに企画した。個人的な反省はあるけど、参加した人たち同士が話したり知り合いになっていく過程を見ることがまだずっと嬉しいことであり続けてるみたいだ。でも、うまく切り取った言い方かもな。

色んな人が来てたのにバタバタで話し切ることが出来なかった。

でも思い返せばそれぞれがまさに道で出会った人で、それぞれに濃淡はあるけど。

知らない人同士が知り合って何かを話したりお互いに興味を持ったり。もちろんそのことが形に結局ならないことの方が多いわけだけども。 なんかその一瞬が起きる日が少しでも増えることを見ていたい、少しだけ寂しくない時間かもしんない、少しだけ違う未来や生活の風通しを想像する時間かもしれない。

みんなたくさん体を足を手をアイディアをさしだしていて感謝しかなかったな。で、フィードバックというのは互いの仕事への評価だ、生きていることへの評価だ。

ありがたかった。

えっと、もう少ししっかり人に負けないようにっていうかなんだろう。人とやろう、なるべく、と思いました。出来るかな、、

今はそういう気分なのだ、よし、


2022年4月12日火曜日

船を漕いで

 映画館でハリーポッターシリーズの新作を観た。ファンタスティックビースト、このシリーズは好き。ボリューム1での記憶を失わせる魔法をかけるとこなんかとてもロマンチックで泣けてしまう。今回の中にもとてもロマンチックなシーンがあった。最後、ダンブルドアだけは結婚パーティーが行われているお店には入らず微笑んでその場を立ち去る、そういう美学を久しぶりに見た気がした。少し楽しいけどやっぱり寂しい方に属している人たちというのがいる、彼らは何を教えてくれているのだろう。

主人公のあり方も好きでどこまでも謙虚で、そういうヒーローを見たかったのだと思った。しかし何度もこう思うのだけどたくさん映画に感動して泣いたってなんて現実をなすことの難しさよ、いかに自分が逃げてきたかを痛感する。この涙って一体なんだよ、と思う。

そんな風に映画を観てどこか何かを記憶を辿って思い出したり、もっと広い世界やアイディアがあるんじゃないかって思えたり出来る。たくさんの魔法のアイディアが描かれていたのも子供のように嬉しかった。


子どもの頃は知らない世界が広がっていて、たとえば夜ベットで寝る時、寝ている時の世界があることをほとんど知らない。話したことのない人もたくさん世界にいる。大人の世界だってそうじゃなかったから息苦しくなってしまう、そうも思った。完結された周りの友達との世界。空想の知らない世界はまだあるんじゃないかと思い船を漕ぎ出すような気持ちや期待。

きっとあるから大丈夫だ。

2022年4月2日土曜日

うまくいくのか

 久しぶりに書く。書いちゃおうって書いちゃいそうになったけど書くっていう言葉の切り方がふさわしい気がしたんだ、この瞬間。人に伝えるためにはうまく言葉をハメていく必要があるが自分を面白がらせるためだったら言葉を入れ替えて使ったって構わない、構わない、とかをたとえば言葉を入れ替えたってカモンナイトとか、言葉を入れ替えたって山へ入れない、とかでさえいいかもしれない。

4月になって急に忙しいスケジュールも決まっていよいよドキドキしている。うまくいけるかな。さっき、今度の作品について言葉を書こうと言葉を探したり、発することを考えていたらそのためのインプットが足りていない気がしてそわそわしてきた。 でもクリエーションの中でちゃんと出来ているところもあるはずだ、、そのアベレージをあげていかなきゃ、と思っている。

明日どうしようかな?