2022年12月28日水曜日

上向き

眠れない。昨日は2回寝たからか。朝が早かったのでしかもそれで寝付けなかったので風邪を心配して帰って長めに眠った。身体が布団の中で火照り過ぎると、外に体を出して冷やすときゅーっと血行が変わるように感じるのは冬ならではと。

眠れずに目をあけると、外交がカーテン越しに部屋に漏れてぼんやり薄く広がる色は青。北野ブルーとか言われる武映画の青のことをぼんやり思い出す。

眠れない今日だけども、今日はいいことがあった。
それは考え方をいい方向に持ち直せたということ。自分にとっては考え方がいい方向に持ち直せたりその手応えさえあれば幸せ、というか生きていることを実感できる。これは人によることなのだろうか? そう、そういう持ち直した考え方に久々に至ろうとさしかかっていてこれが続けばうまく来年に入っていけそうだ。そこからのうまくいく、いかない、がいよいよ現実的な困難ではあるのだけど。
さっきこんなことを思った。
海外の音楽や映画や本は自分にとってコミュニティを介さず外側と接続し想像を広げることの出来るチャンスだと思った。これとダンスというのはもう展開してしまえばコミュニティが発生するメディアのようにも考えられて、絶妙なバランスの中でスパークすること。それがうまくいくと良かった気がする。最近は本や音楽、映画とまた付き合う時間が増え、英語が入ってくる感じがある。これがまた健康にいいというかエンジンになる。 そういえば今年はやっぱりうまく外のことを想像することが難しかった。戦争だってずっと起きていたりするのに。身の周りのいろんな意味での困窮に振り回されてしまっていたんじゃないか。それで目標の低い想像力しか持てなくなって。この際というか、いつだって実力の有無とは関係なしに目標の低い想像力よりは自身を楽しませてくれる想像力が出現した方がいいに決まっている。
こう書く間にも気持ちが上がっていくのだから、書くことは必ずしも過去の描写や未来のイメージに限らない。現在系のパフォーマンスだ。

さてうまく寝れるだろうか。

2022年12月22日木曜日

もういっかい、

 最近ほんの少しずつだけど世界の広がりをほんの少しだけどまた再び見る時間が出来てる気がする。それはうれしいことだよ。ひっそりとうれしがってる、かみしめてる。今日も久しぶりにibisくんの会いに踊ってるというので行ったら随分訪れていなかった空間が広がっていた。生きていた。僕は僕で生きていた。だから再会して嬉しかった。こういう時に生きてて良かった、と言うのかな?実際に随分久しぶりに会ったダンサーの人にそう言っていた。生きてて良かった、って。

2022年12月16日金曜日

他人の光を受ける

 先日、歌舞伎町の展示を見た際に友人の友人であるアーティストに出会し互いを英語で少し話した。その時に久しぶりに英語を話す自分にも再会し嬉しかった。

コロナになってこれが恒常化してからというもの諦められるコミュニケーションそのものやコミュニケーションインフラがたくさん起きている気もする。

知らない場所や人と出会い、自分のことをプレゼンテーションすることもあれぼ別に通じる話題を話すこともあったり。そうすることで違う部分に光があたったり。自分が観客として組み替えられていく。

同じ人やコミュニティと話していると自分が固定化されていくような。でもその中での複雑性も多分にあるのだけど。

なんとなく様々な別の光に照らされるような状態を欲してはいるんだ。

今日も設営中の美術チームに出会して中々ぽつぽつと話すのが面白かった。

2022年12月14日水曜日

いきなり

 いつの間にか気付いたら詰んでいるみたいな感じ。

思ったより自分は出来ていなかったり、思ったよりも頭が良くなかったりするという感じを痛感。落ち着いて少しずつ。現実的にしっかりやること。やってなかったことをやるしかない。 身に起きていることをあたかも起きてないフリをして歩いてしまっているんだ。あぁもう。