2016年1月28日木曜日

あまりにも毎日が早すぎる。なぜって気持ちが変わり続けてるからで、これをすべき時に必要な気持ちはもう他に行ってて、という風にタイミングが合ってやっと発動しその連続であるのだけど、思うようには進んでいかなくて。そしてたくさんものを開発した分、人の仕事は増えていく。iPhoneを持ったことで人の仕事はやっぱり増えてる、いわゆる仕事ではなくても人と人の関係の中で消化すべきコミュニケーションの量とかが。

個展が始まりもう中間地点で。考えと身体が追いつかなかったり、個展に向けて走った後で出てくるのは小さな火のかすみたいだったり。

新聞の中で、昭和は輝いていた、みたいなフレーズのテレビ番組の一覧にのってて、ずいぶんさっきそれに対して怒りが込みあげて来た。僕は最も新しい未来の希望を見ようと出掛けることにします。

2016年1月17日日曜日

映画の話

インサイドルーウィンデイビスという映画をご飯食べながらmacで観てた。コーエン兄弟の作品だ。売れないミュージシャンを描いた作品、で、作品中主人公はついに売れない、という絶望的なクライマックス。喰らう。きつい。

しかしロードムービーは、好きだ。ただ旅の途中を描くこと、そこには風景しかない、風景の中にいる自分しかない。退屈っちゃ退屈だ。しかし人生に他に何があるだろうか?何かありそうでつかんできたものたちは結局は何もなかったじゃないか、そうして風景しかないことに気付く。ただ何回も疑って、仕掛けて壊して何もなくてを繰り返す、それしかでも出来ないじゃないかと。

    映画は基本的に1人で観るものだけど、"特別な誰かと観たかったなぁこの映画"リストは果たせずに溜まっていくものだね。つまり後悔というか。達成できなかった夢。

2016年1月16日土曜日

ETERNAL NINJA

子供の頃の自分の話を聞くと驚くことがある。まるでへぇーそんな奴がいたんだ!っていう反応をするくらい。今の自分とかするような、いやでも全然違うような、そんなもんだからなんだか自分が2人いた(いる)みたいで、そいつに会いたくなる。しかし過去の自分に会えるわけはない。過去の自分に出会ってしまう映画ってあるよね、そんな夢を叶えてしまったやつか。 映画にしちゃう気持ちもうなずけるよ。もう会えないってのは、too muchなストレスってよりも、悲しいとか喪失感だよなぁ。

マイファッキンNINJA!ってくらいに左足の親指が痛い。ばい菌が入ったのかな?バイキンマンのおかげでずいぶん日本人はばい菌って言葉にちょっと可愛さも混じって覚えてるに違いないよ、無意識下でさ。
なぜFBは、文学感を詰め込める絶好の機会なのに、かっこよさはファッショナブルさは後回しでちゃんと皆プレゼンしたがるんだろう。いや、なぜ、なんて言うのは意地悪な言い方で、解決策を全然含んでない、と自己批判。

あと2日で搬入だ。
昨日の夜、改めてエターナルサンシャインが本当にワンダフルな映画だったのかどうか確認するためにDVDを借りて来た。ミシェルゴンドリーはやはり変わった映画監督のタイプだと思うし、皆が彼の作品を大好きなのも、ほんとにラッキーなことかもしれないと思う。ささやかなプレゼントのようにこっそりと素敵なことなのかもしんない。気付かれないうちに、置かれるプレゼントのように。


2016年1月8日金曜日

再びイエスマン

イエスマンはやっぱりいいバランスのポップな映画だなぁ。こう深入りするようなものじゃない、誰かと映画館行って美味しいコーラを飲むように、だけどその飲み方をちょっとおもろしおかしくやって飲んでなおさらいい時間、みたいな感じのやつです。ジムキャリーみたいにこうして大事な時にいつもファニーであれたらいいのになぁ、でも彼だってそれは編集された映画の中ばっかりかもしれない。でも元気もらうよー。

展示が近付いてて思い浮かべちゃうのは、昔から今にかけても一つ夢があって、NYのギャラリーでたとえば展示のオープニングパーティーですごいダンスをばんっ!て決めて、その会場をわーって盛り上げて驚かしちゃうこと。きっとこれは村上隆だって達成してないと思うんだ。w 夢として悪くないと思うんだよなぁー、

2016年1月5日火曜日

2016

2016年、年が明けましたね。
僕は年越し第二希望である、いやどこか第一希望であった、、それは必要から。の年越しランニングをしました。
家から江ノ島までのおよそ25kmを走るというもの。
今までに年越しでは3回くらい挑戦していて、一昨年は12km地点くらいでリタイアに終わっていましたが、今年はなんとかクリアしたくて、、でも正直歩いちゃったりもして3時間かかりました。
でもここまで走ってくるとイメージのその先にいきます。普段5kmくらいのランニングはするのですがそれは割とイメージの範囲内ですぐ終わります。身体の中の空気の入れ替えみたいな。しかし25kmだと結構それは劇的なものになってきます、きついから顔つきも変わってくるし。もし僕が活動に全然目がでなくてかろうじて就職した先でアイディアも枯渇したなら、これくらいの距離をよく走るような習慣をもって生きるのも希望かもしれないと思いました。結構きついですけど、アイディアとしてはシンプルで、でも発見や確認が多くあって。
しかしよく信号は赤でつかまりました。7.5割くらいかな、、、今年の運勢悪いかもしんないとか思いました。昨年はよすぎたかもしれない。これはもう完全な僕にとっての主観でしかないのだけど。

個展に向かって制作したり、沈黙したり、考えたりしてます。
展示はうまくいくかわからない。
この宇宙なんとかしたいな。シュタイナー。