2016年6月25日土曜日

6/24 friday

久しぶりに終電を逃し近い駅から歩く。今夜は湿ってはいるけど風が涼しい。C。
ビタミンCも少し含まれてたらEのに、なんて。

この駅からだと森を通り大きな道路を通る。
車が横に大きく過ぎていく、先端にライトをつけてかわいい。

50分近く余裕を持って歩くのだってこの歳になれば、結婚し子供を持った友人から見たら中々の贅沢かもしれない。もっと歩きたい場所もあれば時間もあるし、やりたい事もやらなきゃいけない事もある。しかし時間は進んでいく。刻一刻と。なんか一方では刻むという文字にイメージに、傷をつけていく感じがある。拭えない。

前よりも、何か刻一刻と傷を負ってしまって取り返しのつかない1分1分を生きてる感じがじ、常にいつもさみしさがある。選ばなかっことに対して。

でも全ては相対性だと知ってる。
立つ位置や見る位置によって一瞬にして変わるものだ。
ただ今、自分の立ってる場所からはそう感じられるということだけで、一瞬にして残酷なるどに砂漠の真ん中に宇宙の真ん中に放り出される可能性があるという気分はいつもこのポケットに入っている。

グレイとか、茶色とか、緑とか、葉っぱのいろをした、新しい、さすがにそれはないでしょうというような、抹茶の味をした、おいしい、いとしい、その他もろもろの、かたちをした、かたちをもたない、あれこれへ、、手紙を書かない。待っていないでいい、そのままでいい、そういう、そういう、そういう、そう、言おう。


2016年6月18日土曜日

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頭を一瞬ぶるっと振って、違う景色にすぐあえたらいのに。

2016年6月12日日曜日

陶器

NHKの12時少し前にやっていたドキュメンタリーの番組で、国宝を作ろうと取り組む陶器の職人のある男性についてやっていた。
途中、中々お金のために個展を開くことはしない夫のためにパートをして負担をになう奥さんが出てくる。
制作というかその仕事についての話は奥さんには一切しないらしく、それは、人にはそれぞれ器があり、そこに入るものの適切な大きさがあって、その夫の仕事の話でもしてしまえばその奥さんの器には入らないことを知っているからだ、と奥さんが話しながら、途中泣きそうになっていた。そういう話は、その夫の師匠であるその夫のお父さんとするべき話で。
夫婦であっても、それぞれの戦いのフィールドがあって、ちょっとその愛のあり方が胸を打つというか、痛く、でも美しいと思った。

2人だけど、独りずつで、一人ずつでの2人。

2016年6月10日金曜日

6/9

365日がはやすぎて。
ほんとに毎日くたくたになってしまう。けどそのスピードに負けてもいらんない。
したいことをし、そのスピードにちゃんと抗い勝ちを得たいし。

代々木公園の真ん中にすぽーんと抜けた広場があり、こないだ撮影でそこに夜訪れたのだけど、ほんとうに中々ロマンチックな空間で。前の日に観終わった映画のせいもあるだろうけど、ずっとそのことについて考えていた。

今をやりとりしてる人たちとしっかり今のやりとりをして現実を乗り越えてよりよくしていきたいし、一方で言葉のやりとりじゃないところでそういう景色の中にもまた身を置いていきてみたい。

2016年6月4日土曜日

2016 6/4

大学の後輩の結婚パーティーで踊ってきた。
水着で到着し、乱入していく感じで。原っぱから走っていく感じでやった。
いいパーティーで銀杏boyzかかってて、みんなと踊ったり、僕はちょっと結構踊っちゃった。新郎新婦などの巻き込みながら。新郎新婦が踊っちゃう感じが素敵だった。
踊れちゃう2人なら永遠かもしんないって思わせれられた、素敵だった。ダンスが喜んでいたかも。

銀杏boyz聴いたりして思い出して、引き戻される高校生くらい。
ね、みんな結婚したり、しなかったり、あるいはすることが出来なかったりしてさ。
当時はそんな未来に至ると思いもしなくて。
(これだって小さな世界の話かもしんないのだけど。)
まぁそうして時間の幅を感じてしまった。

自分には好きな人がいたけど、その人は結婚してしまうこと。を通して少し見渡せる景色のこと。
面白い具合に色々ドライブががっていて。
すばらしい。宇宙が。伸び縮みするんですね、各々のドラマで。
無視したり、無視されたり、当事者になってみたりする中で。
世界は伸縮していく。
I've gotta merried you.
素晴らしい。

愛が溢れるのにだって時間は必要で、それは相対性理論のもと伸び、縮みしてる。
we are infinite.
この言葉をある映画より抜粋して捧げたいと思う。

2016年6月1日水曜日

we are infinite

wall flower.アメリカの家庭の壁際には花瓶が置いてあり、全体がそこから見えることから、そのような人をwall flowerのようと形容するのかどうかはたしてわからないが、そのような意味で映画の主人公のことを形容していたと思う。
昔、二子玉川の野外上映に選ばれていた作品ということで友達に聞いていた作品でその後色んな劇場でやるようになり観に行った。

この映画では、エマワトソンが神がかっているのか全体的にぼんやりとしてただただ音楽を聴いているみたいな感じになる。入り込んでしまうと、覚めないでほしい夢の中にいるように、エマワトソンが自分にとっての、誰かにとっての憧れのその人で、夢なら覚めないでほしい、というように段々映画を見るうちになっていき、気付けばもう自分は生きてきた中の半分も変わらない自分の部分に気付いてしまったりするのだ。そして未だに手にすることが出来ないことにも改めて直面させられる。

自分にとっての映画とは何であるかがこの映画には含まれてる。
と見ながら確認した。
こんなセリフがある、「世界で最も愛する人たちとあの曲を聴いている」
そして、夜を走っていく車とトンネルの光。光の中を車が走り僕はそこに立って光を浴び、愛する人たちと、曲はかかっている。
そういう青春を確かに僕は愛していたなぁと思い出して、涙が出る。
もう一回走ることは可能なのか、
自分にとっての大事な問題を少し思い出した。
明日からは現実と戦うけど、夢を見る準備はいつもしておこう。