2022年10月30日日曜日

今日はでも少し嬉しい、眠る前に少し嬉しいので、それでなんか小さな絵文字くらいの月がぷっとどこかの夜空にたぶん浮かんで、そんなことが頭の中で事象として起きたから。 その起きたことが自分はもっと美しいものを作れるということをふいに思い出させてくれてそのことがまた嬉しい。たぶん人生はもう少しきっと続いていくからそれが出来るよ大丈夫よ、と息を吹きかけられるような元気が起きた。

一方で僕はダンスが好きではないかもということをよく考える。これは考えてみればずっとそれについて考えていないことはないのに、そういうことを思う。お世話になった人に対してもどこが良くなかったとか考えるとこもあるようだ。数人の好きだったダンサー達はほとんどはもう踊っていない。けど好きだったのもある一面をある側から見たということで、逆に言えば嫌だとか思いつつも別の視点から見る事を普段から使っているのだから勝手が悪い。うまく整理がずっとつかない。

だから"ダンス"じゃなく何かとダンスの間へ逃げ込む。

2022年10月29日土曜日

身体が集合場所

気付くと絵を描く時間が消えている。

あれ、12〜2時くらいの間に描くつもりで帰って来たのに。ランニングにも行ってない。でもリズムトレーニングは出来た。少しずつ取り戻して行くんだ。身体がその色んなものの集合場所になるみたいなイメージで。

2022年10月22日土曜日

よぎる

 今日は公演初日。終わって少しだけビールを飲んだ。静かに。東京タワーを眺めながら、赤く染まっていっていつもはどこかから見えているのが今日は近くで。それだけでもこの時間をくれただけでも感謝が大きい。

帰り道、中目黒の駅のホームでぼんやりと向こう側の車の下の車線を見ていると、赤い光は向こうへ白い光はこっち側へと流れてくる、そのことがさっき見上げたタワーとつながって感じられた。

早く寝なきゃなのにこういう日に限って少し書き残したいことが出てくる。むしろこういう夜眠る前に書くのはmixiとかだったら後悔しがちな文章を書きがちだった。でもそうは思わないところもあって、何かを狭めたりするのかもしれないけど、そう思ったとか、そう書かせたこと自体のことだって同じように存在するから。と。

こないだ久しぶりに会った友達にこないだの公演を見ていたと告げて感想を聞かれたので率直に伝えるとすっといなくなってしまった。難しい。

頑張る、ということはそれぞれにやっていて目の前のことに取り組んでいる時の必死さは平等にあるのか?だって自分の身にだって今日の取り組みについては出来るところでやったんだ、という感じがあって。以前なら必死に取り組もうが微妙だったら違うなら違うということで良いと思っていたけど、果たしてそれの頑張りの部分だけをニアイコールみたいにしていける可能性っていうのもありえるのかとか逆にそんなことが頭をよぎったりした。

2022年10月16日日曜日

 でも言葉、自分であてる言葉をあてるよりも早く、あるいは複雑に色んな気持ちや考えや形がずっと変化してしまって捉えることが難しくて、ただただその動きを前に翻弄され、気持ちが乱れ揺さぶられ揺れ動き続けているだけの状態が続くということが人といるということでもあって、きっと。何も気にしなかったらどんなにいいだろう、いやそうだろうか、気にすることがあるということがどんなに人であるということであろうか、とも。

もちろん言葉が人を残すのでなく、態度が人を残す、いや、言葉は嘘も残すかもしれない、態度だって強い嘘を作っているかもしれない、それでも。

2022年10月13日木曜日

日記

 遠くに行くことが難しくなったように、遠くを指すことは本当に遠くになってしまうというか。だけどたとえば今ではない昔のこと、自分にとっての昔のこと、昔のあの時のあのスペースにいたことをほんのり思い出すこと、思い出しそこに集中を向けることを通してその遠くに少し近付くことが出来るような気が今これを書いていてしていて。それなら良かったと思って好きな曲の歌詞を思い出している、ギターがポロポロとならされるあの曲だ。


今日見た作品の中で日記についてが描かれていたけど、日記はそのままで何か別の形にしたって作品にしたってもありなんだけどそのままで見たりそれを受け取ることも出来る。ゴミとかだってそうだ。提示の仕方はそれに含まれるけど。日記は日記のままで十分に人の間で機能するよ、と僕は思った。

2022年10月7日金曜日

秋よ

 久しぶりに絵というか、ビジュアルアートの仕事、、といってもチャリティーなので。に、出展するということで納品をしてきた。これはたぶん売れるはず、一点ものだけど、、という感じと納品先の人と少し会話ん交わせたことが嬉しかった。

午前の新橋や銀座で、雨が降っていて秋の少し寒さがあって、再び秋を風の中で感じれることが嬉しかった。

途中、自分のクソっぷりに気付いて本当にだめだめだった。

秋はずっといつもさみしいのを今年もそういう気持ちに振り回されるのかもな。

2022年10月3日月曜日

別の話にしないように

 最近は全然海に向かって歩いたりしてなくて。

最近はでも再び短くなったランニングコースで空を見上げる時間が少しずつ戻ってきた。前は川沿いをずっと走っていたからとにかく空や月を見ていた。海を見に行ったり、月を見たり、様々な風に吹かれていればそれでずっと過ぎていくんでもどこかいいと思っていた時があって、それは今も変わらず一側面としてある気がする。

最近はゴミを夜中に捨てに少しだけ外に出る時間が好きでこの時間のために毎日があるくらいに、涼しい風が吹く。

今日見たブラッドピットの新作は普通の映画だったけど楽しかったんだ、良かったよ。普通だなぁとかは顔のアップでたくさんセリフが喋られてどうしたって相変わらずその方法はとられるんだよなぁとかぶつくさ言いながらもなんかちょくちょく面白さとくだらなさがあって、ずっと日本は勘違いして描かれることとか含め、それでもなんか映画見たって感じがある。

久しぶりの友人たちが様々な形で近況や近況未満のことを伝えに来るようにして流れ込む水のような時を感じて、少し嬉しくて、それで悩みは消えたりしないけど、少しだけ出会い直す、少しだけ出会い直すことがあることがあってうれしい。

お祭りが終わって疲れて帰るんだけどもうよく働いたとも思っていて、でも他の仕事進めなきゃがあって。それはそれでいい。あんまり仕事は捗らなかったけど、コロナ前とかだったらこのお祭りがまた起こるには、とか、少しだけでも幸福というか面白いがそこに起きたのならばどうのようにして、もうすぐ次の段階において、それを維持したら発展させるために自分に何が出来るのか、そのことを考えることしかないくらいだった気持ちを少し思い出した。そういう気持ちがあるならなんかいつまでも面白がれそう、そのことも含めて、思い出した。出来るかはまた別の話だけどさ、