2017年6月30日金曜日

I can't get over the film.

信じられない時間にいる。タイミングを逃し眠れない。夏のせいか。こういうの本当いやだな。でもこういうの文学的だとか思う自分もいて。。。
昨日は大物ダンサーと、対談をした。雑誌の企画だったけど、
その話をもらった四月のその日は中目黒でCDジャケットの撮影をしていて、メールが届いてその名前を読んでびっくりした。
僕がコンテンポラリーダンスを知った当時に活躍されていたまさに今をときめく人であったから。そういうのを頼りにその世界を知っていったから。
その人の話を聞く中で、愕然としてしまった。十分、その人の経歴や仕事っぷりに圧倒されていたつもりだったが、なんと色んなことをしてでもお客さんを増やそうと努力していたことか、そう考えると本当に今は全然始めれてない感じがした。頑張りどころ、、、落ち込む暇は微塵もない、やれるかやれないかで勝敗が決まる。
負けたとか勝ったは、本当の意味では重要だな、つまり人生をかけて、あるいは今若いこの時間をかけて、あるいはいくらか年を重ねたこの時間をかけて、あるいは年老いたこの時間をかけての戦いなのだ。短いその時だけとかのじゃなくて、長いプレッシャーと長いスパンでの目標と視野が必要なのだ。それには科学的な努力が必要になる、また何よりも勇気。そういうことの意味でパンチをもらった。

一方で、他の話に戻るけど、そう、今日まさかそんな風に会えるとはコンテンポラリーダンスとか意識し始めた時はあんまり思ってなかったかもなぁいや、そうなりたいとは思っていたかも。しかも自信もあったかも、、、うん。(何かイメージを逆算しようとしていたかもしれない)
しかし、だからそのようにして自分が目標とかをクリアしていくんだからこれからもしっかり目標をたてクリアしていけるようにするんだ、と思った。

誰かのブログを読んで、踊る理由がわからなくなった、と仮に書いてあったとする。
自分の踊りを、あるいは自分以外の踊りを、あるいは人を、世界をもっと見つめればいいんじゃないかと思ってる。それに関しては生活と並行して必死に探すべきで、自分のオリジナルの強さは持っていかないといけないと思う。そうじゃない人とは僕はやれないかな、そういう人に関してはたぶん傷つけてしまうと思う。それが僕の一線かも、今のところ。それはしょうがない。
深い井戸から水を汲んでくるように、モチベーションをいかに深い井戸から汲んでこれるかだと思う。僕は結構、深い井戸を見つけたので、あんまり負けない、だけどまだ不十分だからもっと深い井戸を探している。でもその井戸に関しては嫉妬するものでもない、だって世界がかなりピンチだからだ。猫の手も借りたいくらい世界がピンチで、ちょっとでも人の手を借りたいんだから、そしてしかもその人が出来れば自分で指示出し出来るようであってほしい、ほら何かに似ている、、政治と同じだ。
時間も空間も有限で、今次の瞬間にはたくさんの可能性も死んでく中ででもしかもBBQとか花火とかもやりながら楽しんで味わなきゃならないとも思っている。本当のところ。

映画がいつもすごいから僕の人生は負けてばかりだ。
敗北に満ちている。
恋愛映画を星の数ほど見ても明日にも何も達成出来ていない。
あらゆる方法を手にしたはずなのに、日本語に僕とあなたとの関係に縛られて、世間を気にして何も手が打てない。そのようにして映画に負けて、絶望の雨が降り注ぐ、決定的な負けだ。上の方に書いた多少のダンスの達成だって、映画への敗北を前にして、何も力を持たないみたいに、、、いや、ちょっとはあるかな、 、、。そうちょっとなのだ。
もっと圧倒的でなかったせいなのだ。
もうすぐ30歳を迎える。人生が手強い。しかしチャンスはいつも無限にある。
ストレス社会だ、なんて言うなよ、全部君1人でクリアできる。世界を変えられる。
僕は君のことなんて知らない。君は僕のことなんて知らない。
君は世界を前にしている。

2017年6月23日金曜日

今日

今日のこと。昨日は、二回目の美女と野獣を観に行った。昨日は1人でポップコーンとコーラを用意して、凄い乗り気ってわけじゃなかったけど時間が空いて迷ったあげくのベストの選択肢としての二回目でした。美女と野獣、この映画には全てが入っているから。そんな映画が公開中に二回も行くことは大事な気がして。過去になった時に、二回確認したことを思い出して少し励まされるかな、なんて思って。

そういえば最近、フリースタイルのラップを繰り出す時に少しやりながらあちゃーって思うのはこれに関しては、唯一無二性を出せない感が強い。何事においても割とその葛藤に勝って自分オリジナルを配置可能にしてきたつもりがラップだとそうはいかない、だから最近人の前でのれてないんだということに今日やっと至って気付いた。OMG。先は長いね。

美女と野獣の話、すっぽかした。
全てがつまってる映画。男子も見たらいいと思う。1人でもいいじゃない。
映画の光が君にあたり、君を照らす。


それは昨日のこと。
今日はずっと豊田議員と痴漢のことをずっと考えていて、それがぐるぐるして、それらが内包するも問題たちが立ち上がってたたみかけておそってきて、嘆きそうになった。ツイッターに嘆きそうになった。
その時、自分にやってきた言葉は、嘆くな!作れ!、だった。
一個ずつ世界をかえていこう。って言葉もあとからやってきた。
それで少し歩きながら笑えた。
言うまでもなく、SNSでの言葉がこんなに放り投げられるのに、僕らは現実世界でこんなにも言葉を放つことに怖がり、動けずにいる。
現実の中で動けるようにするために何が必要かを、一つずつ作っていく。明日も出来るところから。やろう。
嘆いている暇はない。

2017年6月10日土曜日

matsumoto

長野県松本市に来ている。あそびなおす、というイベントに参加するため。awai art centreが素晴らしいレジデンス場所のようにして機能していて、今眠ろうとしている。
松本の街は思ったよりこじんまりとしていて、ストレスもない。
そういう街を歩いていたり自転車に乗ったりしていると、東京とは違って自分のリアクションがすぐには起こらない状態で、段々自分の声が増えてくるようだ。
だけど、もしかしたら人が少ない分、つるむ人というのも決まってくるんじゃないかとか考えるとソワソワしてくる。東京は人が多い分、その多さに隠れて色々切り抜けて好きにやれるが、そもそも人がいなければ隠れたりも出来ないかもなぁなんて考えたり。
京都のこともこれに合わせて考えた。 果たしてじゃあ京都にずっと住むことは可能なのか?京都にさえ飽きてしまうんじゃないかとも思ってしまっている。
しかし東京の限界だって感じる、場所というより人の。
一方で自分がまだ直面出来てない人生の世界のパートもだいぶあって、非常に先が思いやられるなぁ、なんて思いよぎりながらも明日の本番。
先が思いやられまくりだけど、先は見てみたい、知らないところに。

だけど、なんかこうして別の地にふわっと一瞬来ているのはやっぱりいい。
松本に来てるよー、と長野の色んな友達に言いたい感じ。