2015年9月11日金曜日

散文、

写真をどうまとめれば、と思い、hiromixの写真集を眺める。川内倫子さんの写真集を眺める。プリントアウトした写真を眺める。 はっとする、今執拗になぜか写真に惹かれるのは、写真とは映り込んでしまう"今"を必ず切り取ってしまうからだ。 もしかしたら今、自分はどうしようもなく今を失いたくない、並走したいのかもしれない。どこにいたのか、とか、何を人が見ていたのか、ただそのことが気になるのかもしれない。一方でフィクションを生もうとしていくのだけど、フィクションを生ませるこの世界や状況もとても大事で、大切なのかもしれない。 写真に映り込む、現実へのまなざしを求めているんだ。言葉にならない、どんな風にその時、世界を見つめていたのか。 ダンスは見ることができない、、、ならもしかしてやっぱり勇気と楽しいとかがそのまま大事なのかもしれないね。 ディビットフィンチャーのドラマ。ドラマってこんなだったけ?という感じがあって、それは彼のだから特別であるのかもしれない。けど、こんなにも何か政治をするにあたって何重にも複雑に方法をとっていかなければいけなかったこと。なんか昔を思い出す、そうそうそんなことがあった気がする。すべてのことがそこを、それを左右してしまう、という政治の本来。 そのことがわかるのであれば、少しは自分にもチャンスがあるかもしれない、、

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