2020年4月16日木曜日

CHAYAさん、

エイリー舞踊団で47年間務めたCHAYAさんのドキュメンタリーを少し追う形で見た。
こないだのクリスタルパイトでも思ったけど、そう"ダンサー"が指すダンサーの枠は広く、何かだけを特化してダンサーと呼ぶべきなのか、考えてしまうけど。
僕は追いかけようとあまりしてこなかったかもしれない1つのダンスの形であり、もっともクラシカルで世界的に親しまれているかもしれないその形を持って取り組むダンサーたちの姿、その中でも彼らはNYでそれまで活躍の場のなかった黒人ダンサーたちが踊る場所を自身たちで開拓していったカンパニー。
振付を教えているシーンではその魂の引き継ぎみたいなことがされていて、そう言えば、そうだ、ダンスにはとことんそういう面もある、そういうことをあてがうことが出来たんだった、とか思いながら見ていた。とうとう僕はまだこのダンスの引き継ぎというのから、遠くにずっといる気がする。
自分の話はさておき、それでも熱心に踊るダンサーが映されていく。
CHAYAさんは随分仕事の出来る人で、本当にこのカンパニーをしっかりマネージメントしていく。
話によるとそれはダンサーとして黄色人種でありながら受け入れてくれたこのカンパニーやNYという場所が自身を歓迎してくれたことに感謝していると言っていて、ついに多大な愛を注いだそのカンパニーに向けた半年前の引退発表をカンパニーメンバーに打ち明ける際には見ていて泣けてしまった。
この涙は懐かしくもあって、そういえば10年も前、よくNYに憧れRENTだとか様々な映画やドラマ、本などを見ていた。その時に受けたNYという場所の愛、みたいなことが蘇るようだった。
これはTwitterで友人がリツイートしていて見た発言だけど、人間には大きいことは出来ないが小さなことは大きい愛を持って取り組むことが出来る、とマザーテレサが言っていたこととその両方のことをCHAYAさんを通して思った。

誰かを人種や境界を越えて受け入れることや、その歓迎への返答だとか、より大きな愛を作るために必要な営みなんだと思った。
もし僕や僕らがより大きな愛に出会うならばそれらは乗り越えるべきで、もし今その愛を感じることが出来ていなかったとしたらそれはやっぱりあまりにももったいないのかもしれない。そんなことを思った。

すごいね、

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