今はなんでもかんでもSNSになって、それできっと色んなことがシェア出来るように思えて、でもその人ごとに言えないこととかが一方で強くあって、という状況も多いのじゃないかな。
30代の後半になって生きていて並走する感情のうち、さみしいというかどこへもいけない感じの感情が付き纏ってしまっている。嬉しいことの種類もだんだんと変わっていった。本当に生きてこなかったらわからなかった。感情を生むこの身体も運動の力学も違うことを若い時に想定することが出来ない。
だからこそ同じなのに同じじゃないという考察が出来る、人生が続く面白さなんだろう。
ワイズマンも死んでしまった。新作を見るのが楽しみな監督だった。大木さんは令和という時代を楽しんでいただろうか。でも別にそんなことについての寂しさとかを持ったりするのとはまた別の次元を生きていたはず。 最近、昭和や平成が遠のいていくのがひどく寂しい。心の拠り所にしているのかもしれない。なんかそれは弱くてダメだなぁとも思う。これまでに好きだったことが失われていくことに焦っている、でもそれはやっとその好きに対しての愛とかを示せるやり方なりをやっと理解したり近付いたり出来てきたから、とも言えるのだろうけど、そうなれるのにも時間がかかった。
さみしいのが癒えていく自信がなくなってきた。(ここからが勝負!)
ずっとキラキラした90年代のアメリカとかの映画を観ている。
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