2021年4月19日月曜日

山あり谷あり

 今日は本当に久しぶりに疲れた。25knほどの距離を自転車で12kgほどの荷物を背負って移動した。

田園都市線沿いというのは山あり谷ありじゃなく、山と谷しかないってくらいに下っては上がるを繰り返す。これが多摩川を越えて世田谷に来たあたりからほとんど平地になっていく、これは本当に驚いた。自転車だと歩き以上に上り下りというのを意識することにも気付いた。自動車だとどうだろう?

なので前半とかは何がスーパーフラットだ、どこが平坦だとか訳のわからない怒りがずっとこみ上げながら走っていた。自分で把握してなかったためにこうして怒っているのか、そもそも人としてのレベルが低いから怒っているのか、それともこの怒るみたいなことはどういうことなのか、何かの源泉なのかとかも少し考える。2時間10分の予想時間を大幅に越えてほぼ3時間半ほどで到着。その後、休んで少し整理して練習に出かけた。

この自転車で走っている時もなぜ、今日予約してしまったんだ、と練習のことについて考えていた。キャンセルをする選択肢もあったけど、何か嫌だった。この嫌だった、がよくある。 今日の場合はなんだろう?と考えてみるとこんな言葉が浮かんできた。1日の身体を動かす習慣や目安は優に越えているから家で休むなり、他の片付けなり整理なりしてもう今日はどこかに行かないでいいんじゃない?という問いに対して出てきた言葉は、今日という日を長く感じる日にしたいから、というのが浮かんだ。

この言葉が十分に自分を説得させた。たとえ練習先で全然疲れて動けなくても、練習場所にさらに自転車を使って向かうことが非常にキツくても予定していた家での整理の作業が到着が遅れてしまったため十分に出来ていなくても、ともかく今日一日を長い日だったと感じるためにはもう一回どこか別の場所や空気に触れることがそうさせる気がして、そうしたのだった。

言葉が面白いと思った。また、今日のイライラはSNSとかに書き込みたくないとも思っていた。言葉にして整理させたくなかった、この怒りなり過ごした時間なりを言葉で説明、整理してしまうのでなく、誰かにはなしたり、ぷんぷん怒った顔してジョークを伝えるなりして過ごせたらどんなに素敵もしれない。SNSをやらないあの人はそんな風に生きているのかもしれない、とかそんなことを思った。文章というやり方が大事な人もいるかもしれないけど、別のやり方が実は無限にあって生き物だった。

憧れるね!

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