2022年11月15日火曜日

人と

 三日間くらい寝付きが悪くて心底、身体や精神が変わりつつあるんだなぁということを思いながら朝を迎えていた。 今日は搬入があって浅草の方まで、実家で作品をまず取りに行ってから電車で向かった。そこからはバスも徒歩もそんなに変わらなかったので徒歩を選んだ。道のりがまっすぐだったので雨が降っていても頑張って直線を通し切るような形だった。 文学界を2ヶ月連続で買ってそこに載ってる小説を読む。するとこんなにも当たり前ながら文体が似ていたり、そこでの文体がどのように景色を扱っていくのかをある種の傾向のように感じとってしまった。けど一体どうだろう?もう少し読んで確認した方が良いかもしれない。

搬入の帰り道に思い出深い浅草の公園で少し身体を動かしてから渋谷に向かうことにした。色んな人が行き交っていて自分は誰でもない感じがした。ひとりでいることが長いと自分は誰でもないと感じられる時間が多かった気がする。人と一緒にいるとその人との信頼関係がずっとあってささやかな事でさえその関係に影響を及ぼしてしまったりとか、及ぼしてしまうんじゃないかということを慣れないとすごく感じ続ける。だからと言って自分を続けるためにしないわけにはいかなかったり。一方で一緒にいるという関係は単位そのものを変えてしまうことだってあるのかもしれない。

電車の中で外国風の女性がベビーカーと赤ちゃんを胸のリュックに抱えて乗り込んできてここを代ろうかと尋ねると大丈夫です、と遠慮された。結局彼女たちは次の駅くらいで降りたのだけど、なんか関係は断られたからと言ってすぐに閉じるわけではなく電車を降りて見えなくなるか、時間が経つか過ぎるかまではそこに生じ続ける気がした。ということはつまり声をかけるとかそういうのは関係を作るとか、その後の時間にも響いてくる、ということがもしかして言えるんじゃないかという兆しを感じた。 そのことと人と誰かと長くいるということとかもきっと関係がしてきそうだと思いつつある。 

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