2026年1月15日木曜日

さみしさをつきやぶる石

 京都から帰ってきてもうすぐに東京に染まってしまう。京都では体調を途中崩して、パフォーマンス以外の時間は休息にあてる感じで他の人ともっと交流をしたかったのに残念。だけどそれを上回るくらいに短い時間でも本当にみなさんからの素敵なエネルギーをもらえて充実したものになっていた。

たくさん電動自転車を使って京都市内を移動し、少ないながらもまわった神社や展示などでもらった光とか。体力ある時にすぐにケーキとお茶でも取っておけばよかったと思うし、栄養も意識的に取っておくべきだった。初日に前入りして入ったホテルのテレビで船越桂特集を昔の再放送でやっていて、その時に撮影が捉えた光というのも素晴らしかった。

テレビの流す時間というもの自体の、もの性が、その性格ごと浮き上がって見えた。

そんなんで後半はほとんどホテルのベッドに横になっていて、あんなにもホテルと仲良くなるのも中々ない経験だった。

ずっと体が横になって眺めている景色はなんだか横に流れている海や連なる山のイメージみたいにぐったりと置かれて感じられたままだ。

そしてずいぶん、昔の憧れていた時の京都の記憶がそこにはあった。もう戻らない京都や大阪のそれぞれの記憶の中での京都の憧れみたいな、キラキラした光と風の吹く京都の記憶。

どこかにも書いたけど、その時みたいには感じれないのだけど、今の自分はその時の自分やその時を思い出すことと一緒にいれるということが出来るんだ人生は、と思った。そういう風なことも積み重なっていく。死ぬまではそれらを連れて行ったり、もしかしたら忘れたりするんだろう。

最近、どんどん自分の中での昭和が消えていく、少しずつ色んなことが手を振ってさようなら、といなくなってしまう。小さい時に親しんだものや、作品だとか音楽だとか人だとか。昭和をギリギリ生きていたし、平成はその後だったからそのながらの中を生きていた。世界は大変な一方だけど、これはこれで寂しい、すーっと少しずつ色んなものがここから去っていく。人間は勝手なもので、人が死んだり、何かがなくなったりも、単線で繋がっているわけじゃないみたいにして、変な回路でのそれの気もする。全く勝手な寂しがりがやってきてるわけだけど。

僕もしっかり本当に宇宙にまで届くような電報を打って、せめて寂しさを突き破れないかな。

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