2026年5月23日土曜日

より、

最近はよく友達と遊んでいる。かもしれない。そうか、こないだ話していて確かに昔であれば飲み会の時間をもったいないと思っていた。だからなるべく飲み会とかもしなかった、全てを作ることみたいなものに注ごうとしていた、だから時間の管理とか生きている理由とかもそこにあったかもしれない。

なし崩し的な部分と意識的な部分がそれとは違う自分をだんだんと形成していったように思う。社会も変化していったのもあると思う。以前であれば飲み会で話されることは無駄のように思っていたが、そうではなくてそこにも人の何かがなだれこんでくると思うようになった。それも含めての“生きている"みたいに思うようになっていった、と思う。前までは友達はいなくても何か向かう際に仲間のように走れること、その瞬間や時間こそが開かれているべきで、その瞬間ばかりを求めていた。他の経営者の人のインタビューなどで最近そのような意見をいまだに言っている人がいて驚いてしまった、今の考えとしてはもっと色んな時間が友達とかとの間にも流れているはずなのだから。でもそれにしては、友達を頼りとしたようなプライベートのことを話したり聞いたりというのは多くあるだろうか、といえば全然まだまだかもしれない。もっと人に話してもいいのかもしれない。弱いところを見せる、とはそういうことかもしれない。 何か時代が以前とは違って、強く見せても結局のところいよいよどうしようもなく難しいところまで来ているのかもしれない。

一方ででも最近の自分のバランスとしては、その時の生きようとしていたモチベーションを再び取り戻せないか、と思っている。過去と現在進行形のブレンドで古いようなでも何か刷新されたような考えを自分の中での進み具合として手に入れられないかなぁ、人生において、と思うのだ。これに関しては周りは関係ない。

生きていればいいのだから、色々周りに比べて出来ていなかろうが、そんなことは関係ないどころか、そんな何かは存在しないんじゃないだろうか?もっともっと複雑に全体を見渡すべきだ。そうしていくと明日や今日や昨日はより全体的に総合的にいつも広がっていると感じられる、というところに辿り着いた。


日本語や言葉を遊ぶこと。

伝えるためだけにそれらがあるわけでもない、今書いている自分がどこかへ行くために使って構わないんだきゃら。

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