2024年2月20日火曜日

高円寺

 今日はなんとかBARで池田さん涼ちゃん、村上くんが店主をするというのでこれは行かねば、と夜に狙いを定めつつ高円寺だし路上ライブでもやっていっちょビール代くらいは稼いでと少し早めに着く。

最初はこないだの中目黒のような緊張があるが段々と色々恥ずかしくなくなって少し無敵みたいになる。この状態の路上ミュージシャンは見ないので結構面白いかもしれないとか思いつつも、中々足を止める人やましてや投げ銭をしてくれる人はいない。もちろん演奏技術もないので、展開も作れない。最後、向こうの方から若い三人組がやってくる。のタイミングで苦情を受けた警察官の方がそれを伝えにきてくれる。

解散でお店に向かおうかと思いつつ若い子たちと話す。その流れでギターを弾きながらなんとかバーを目指して練り歩く。途中で思い付きの歌を歌っていると拍手をもらったり、あるいはおばさん達が合流、若い他の子達も合流みたいな感じで10人くらいになって街を少し歩いた。なんか奇跡みたいな瞬間で嬉しい高揚感のままお店に辿り着く。その時には最初の3人にしか残ってないけど、彼らに少しビールを奢りつつ楽しい夜を過ごした。最近、貧乏だからお金を稼ごうと思ったら稼げず、この状況でそりゃあ少しは奢らなきゃと奢って、なんかまた何かに繋がればいいな、とかは思ってもいいよ? 久しぶりに瞬間が時間にダメージを与えるくらいに嬉しい時間だった。

2024年2月8日木曜日

夜の部屋

 部屋のいいところは少しだけカーテンを締め切らないと外の灯りが少し中に入ってきてしまって、それを真っ暗な部屋の壁に見つけ見るときにいいなぁと思ってしまう。外の世界と真っ暗の部屋の世界ともう一つ夢の深い中の世界に入ろうとする手前。

今日は初めて(正確には違うけど)路上ライブをした。少し終えた後に見る街は違って見えた。

明日こそ早く起きたい。

2024年2月4日日曜日

楽しませる自分を太陽で

 学生の頃。活動を見ていた周囲の人によく考えない方がいいよ、どんどんやれと、言われていたけど考えないでやろうとしてはうまくいかない感じがずっと続いてそういった人や意見からも離れて、とにかく考えるしそれでやる。にしたら少しずつ状態を脱していく感じがして。今になって思うのは今ひとつアドバイスの具体性に欠けていたんだと思う。結局その思考しつつ何かするというのがパフォーマンスにも出てきているわけだし。とは言え、今は本当に眠れない日とかは意味に押しつぶされそうになる。坂口恭平が言ってたけど深夜になると良くないことを考えてしまうから早く寝てしまう、みたいなことを、言っていて最近はちょっと良くないことばかり考えるようになっていると思う。喜びに出会した時は楽しさを感じる。友達とふざけてラップしたり他愛もないことをなんとなく他人と話している時に喜びは感じるけど、普段、幸せや喜びをイメージすることが難しいと思うことも増えている。困った。生活に置いて幸せをイメージしたり憧れるということも1つの自分のエネルギーだったと思うが、今はそれが難しい。他人への想像力も落ちてきた。自分の周りもあるいは戦争をしている世界や支配があって、考えを展開するのがクソむずかしい、、けど明日はやはり太陽でも浴びてそれでも出来るところから想像して自分を楽しませなきゃ。

2024年1月30日火曜日

なんでも

 2024年が始まった。今年は辰年だから年男だ。大吉だったし、いいことがありそう。 昨年は本当に忙しくて数えたら合計で100日は東京にいなかったことになる。ひぇー。後半はあまりに忙しかったため、バイトにもほとんど入れなかったから1つの目安でもあったバイトなしでの活動タームに4月までには入れるのでは、と勘ぐっていたものの12月いっぱいで仕事が入らなくなってしまい、いきなりここ数年で最もピンチというか焦りの時期に入った。

昨年は忙しかったけど精神的にも色々としんどいと感じる時間も長かったり、人に助けてもらいながらも自分の時間を十分に確保することも一方で難しいというバランスの中でなんとか乗り切ったという気でいた。甘かった。色々甘かった。ということで白紙で始まる2024年だからこそ大吉だと思おう。

なんでもない自分から始めるような気持ちで、、

友達にリスクヘッジくそやろうと言われるくらいに色々先回りして考えていつもやっていたのがここ数年の隙をそのままにしてたツケが回ってきている感じしてとても焦るし、悲しいところもある。

幸せになんだかんだ自分はずっとなりたいと思って生きていたんだと思う。でも知り合いのアーティストの話で、幸せなんてとっくの昔にどこか、って聞いて確かに幸せを放棄する生き方もあるだろう、と思った。それに今日帰ってくるとなんかキツイなぁとか思って、でもこの感じからどうしたって解放されることも自分はないんじゃないだろうか、と思った。何か素晴らしく幸せでずっと自分を安定の幸せの中に置いてくれる何かなんてイメージとしてそもそも現れそうになくないかい?ということが頭に出ていた。

とりあえずドラゴンだ。なんでもやろう。

2024年1月6日土曜日

色々

 昨年は絶不調だったかもしれない。何かをするモチベーションのありかが迷子になってしまっていた。だから何かをするにせよ、深いところから水を汲んで来れないような、そういうガシッとした感じがなかった。なんとかこれまでの経験とかで応答していたような気がする。だから何かこれをしなきゃ、と夜中とかに思い立つ、その根拠のないかのように見えたそのとっかかりの切実さみたいのがほとんど感じられず別のことに悩まされていたんだと思う。

たとえば自分は踊るために踊りをしていない、とりあえず踊っておくし、とりあえず走っておく、とりあえずとにかく書いていって、描いていって、歩きに出かける、見る、読むをとりあえずやって、人にもとりあえず話しかける、とりあえず知らない世界をもう少し覗こうとする、とかしていくと互いに反応し合ったりしてヒントみたいなものに出会える。これをやりきることでこれを達成するではなくて、全てが緩やかにつながっていく気がする、というささやかな感じを頼りに始まる。だからこれだけだとうまくいかない。世界が開いていないとうまくいかない。世界が広いことに対して適当な想像力をあてることで始めようとすることで風穴が開くとか、とりあえずその風穴から風は通っていることを考えたりだとかしていく。 すごく今多分年齢に焦っている。身体も動かなくなってきているのを感じたり。でもその事実は動かせない、そ!でも動く時間を作ったりじゃあそれに応じて別のことをする、もしかしたら互いにそれが引っ張り合うかも、を想像し取り組む。それくらいしかできることがない。悲しまない、楽しむ。明日も色々やろう。

2024年1月1日月曜日

ランニング

 東京タワーまでランニングと思ったけど出発も遅く、途中で折り返してしまった。10kmちょっと。久しぶりの年越しランニング。 都会の真ん中ではなくその周辺を走っていた感じ。みんなが幸せそうに見える、とか思った瞬間、じゃあパレスチナやウクライナの状況を想像してみる。そうも言っていられない。

走ることである程度体を動かせば払拭されるものがあると思う。コスパは悪いのか、良いのかわからないけど今年はこういうのが大事になってくるかも。

帰ってたくさんのアイスやシュークリームやビールを飲んで食べた。ミスタービーンの映像を見ながら。

なんというか東京に帰ってきて疲れるなぁ。こんな想いはほとんど持ったことないけど。疲れている。うまく話せる自信がない。

中学の同窓会で20年ぶりくらいに集まったんだと思う。みんな少し年取ったかなと思ったけど時間を過ごすと昔のことが思い出される。みんなに許されていたんだなぁとも思ったし、やっぱりそこにずっとはいられなかったから別のところへ行ったんだと思う。

大人になってもそういう感じが出てくる。

にしたってみんな結婚したり家買ったり子供もいたり、そういう人が多くてすごい。

ずいぶん色々疲れたけど、走っている中で都会の方とか回ってもやっぱり都会が踊っている、みたいな感じは全然しなかったかも。都市によって違うだろうけど。そのことについての考察を走りながら出来たら面白そう。

2023年12月3日日曜日

書く壁

 また眠れない。本当に困った。寝る前に頭が活発になると眠れないのか、随分今日だって体いっぱい動かして疲れたのだけど。

ひどい。村上春樹くらい生産性のない話だ。いつからかネガティブな意味での村上春樹を言うことの方が多くなった。そんな悪いところだけじゃないし。たくさん読んだし今も読みたくなる。こないだは舞台を見た、隣の観客は品の良い涙を流していたけどその理由は知る由もない。 しかしこれを今ここでやる理由はなんだろう、とか考えちゃうけど、そんなことを言ったらパレスチナを攻撃する現在のイスラエルの世界的状況に対してなんと言えるだろう。正義とかこの方が良い、やるべきだ、みたいな方向性でめっきり世界は動いたりしないと示しているような世界に生きるようになってしまった。もう少し若かったら直感が動いて行動が動いて言葉が動いて、どこかへなにかをどういう風にしてかできる自分がそこにいるんだろうか。

振り返るといつもやめたり追い出されたりし続けてきた感じがする。途中まではそこにいていなくなるということ、初めから知ってるわけじゃないけども、それでもなんかスパイみたいな居心地。

もう結構生きてきたけど35年、でも本当に100年生きるなら半分も行ってないけど、こういうことをそもそも75歳になったら言わなくなるかも。身体も思考も変わって。こういうのを書くようになったのもたぶんまだ20年くらいだし、。結構生きてきて、中々そうも言ってられないとか続きを書こうとしたけどその75年の変化を想像すると全然惨めとかそういうんじゃない気分が作れるかも。文字を書き進めたためにそういうことが起きていく。

全然なんでも大丈夫かもしれない。

自分の惨めさを文章にして書く時、そこに文字の壁が現れてその壁に寄りかかれるという時間が生じるみたいだ。

なんというか、ここには誰もいないのかもしれない。