2022年7月3日日曜日

夏が来る

 好きな友達に久しぶりに会った。好きなのにずいぶん会っていなかった。辛そうな時にそばにいるでもない。人でなしだ。それでも好きな友人に会って、その人がいるということが嬉しかった。そういえば数年前に何人かの友達を誘って海に行った。友達と何かするのに昔はアイディアをよく働かせたものだけど、今はそういうのを仕事ばかりに使ってしまっているのかもしれない。

今、友達と会う理由は少し変わってきている、あるいは友達と会ってする内容が変わっているだけか。

その時はそこにその人たちといるというだけで嬉しかった。その日があるだけで、それだけで嬉しい、100点。

今日はそういう意味で嬉しかった。

この気持ちだけあれば死んでもいいくらい、死なないけど。

夏がやってくる。反省もなくずっと昔のままでそれを新鮮な驚きを持って迎えようじゃないか。波を毎年待つサーファーのように。

2022年6月27日月曜日

朝の公園や、

 最近はとても暑くなってきて一気に夏を思い出していく。街にも人が溢れているからそれが一層思い出しに拍車をかける。 

公園で練習するのが楽しい。2時間くらい歌とダンス。これを夏の日課にしていけたらと思う。

自転車でゲーテインスティテュートへ。自転車でいけるなんて快適だ。たくさんの人が来ていてダンスの人やアートの人、間の人、パフォーマンスの人、様々な人。演劇の人は少なかった。

60年台からの日本の前衛の話がまとまってされていて、それと現代の接続の話になったけども表現のことだけ扱うと話せても、状況の変化の話も同時にしないと現代で応用するには難しいところもあると思う。かつてそのアクションが時代に対して有効に働いたかどうかは問題ではないのか、現在、何かアクションで時代に働きかけてそれが有効かどうかは検証されないのか、など聞きながら考えていた。

途中、色んな人と喋ったり出来たり出来なかったり懐かしい感じがあった。だけど、僕が変なだけかもしれないな。 もう30の中盤だというのに折り合いがつかない部分もある。そういう知り合いのアーティストたちはやっぱり社会的には成功してない人のが圧倒的に多いイメージだ。

でも今日の朝、公園で体を動かすのはとても気持ちよかった。



2022年6月24日金曜日

もうすぐ

 今日は夕方から自転車で近くのギャラリーへ行ってツタヤに寄ってそして劇場へ到着してトークをすまして帰り道スーパーに寄った。業務用スーパーで久しぶりに小松菜などを買った。そして店の外に止めていた自転車に跨って中目黒に沿った道路で夏の暑さがもうすぐそこまで来ていることと一緒に寂しさも含めて感じて頭の中をフジファブリックが流れていた。寂しい、から何か探しにいくようなあの眩しい姿勢のことを思い出した。

2022年6月11日土曜日

うまくいくかな

 最近は眠れない日が続いている。あるいはへんな時間に起きてしまう。 今日はうまく眠れるといいな。 明日は午前中から取り組まないといけない書類がある。でも今回もうまくいかなそうだ。やれやれだ。


2022年6月7日火曜日

鮮やかな、事

 雨が降っていてスタバでアイディア出しをしていた。今日は結構調子良くて、めどなんか立ってないけど前から考えていたミュージカルではなくライブでもない音楽と都市を題材にしたアイディアをスケッチ含め走り書きさせた。そうそう、好き勝手やらせてよ、なぜみんな同じようなものを作るのか。もっと色々なものを見て別の形式を探すべきだと思った。改めてそういうことが思えたのも久しぶりでよかった。

整骨院で少し肩を調整してもらい自宅へ。

早めの夕食を作るべく準備にとりかかる。ふとフジファブリックを流してみる。なんか一回聞きながらこないだのwsでなぜ、普通に音楽をかけて踊るをしなかったのか、と思い始めた。なぜ最も自分が最初に出会ったことを紹介せずにダンスの抽象性とか、ダンスはこんなことも出来るよ、とかそういうのは二の次だろ。今ここにいるということ。気持ちの高揚や、音楽と関係を作ること、なぜそういうことを小さい受講者たちと共有する選択を忘れていたことが悔しくて泣けてきた。遠くまで行ってもう2度と会えるかわからない人と会うというのにあまりにぼんやりしていた。なんというか大人側になっていた。 こないだのプレゼンだって大人向けのトークのために青春を低く見積もって話した。僕は馬鹿だ。 大人との仕事のために動くな、若い人の鮮やかな時間を少しでも作る手立てとしてとにかく接する、率直に向かう術の方を忘れていてはどうしようもない。世間や世界に笑われることを恐がってる人たちに、笑われてもいいじゃないかと、笑笑に行くようなことでいいじゃないか、丸腰で。何かを履き違えてる。そこではもうダンスだってどうでもいいじゃないか、生きていることの方がよっぽど大事だ。子供に向き合えるように生きていれてるだろうか、今日描いた絵は少し良くなっていた。子供に戻るために絵を描いていたんだ。絵を売って仕事にしていくために、よりも前にさ。 人に笑われたり、置いてけぼりにされることを恐れるなよ、子供でいようとすることを恥じるなよ。あの時の事たちに失礼な気がする、人じゃなくて事が自分にとっては大事なんだ。きっと。

ほんの少しだけ、戻ったかもしれない。明日も明後日も思い出せ、そして今を生きろ、

2022年5月26日木曜日

眠るのかどうか

 飲み会!して昔の友達に会う喜び。そこに少し前からの友達もいる喜び。新しい人と話す楽しみ。3つ近いテーブルで交わされる営み。人が集まってできる事は少なくてもずっとそれも続けていける。

少し酔いの回った電車で帰る時間も楽しい。音楽を聴いて膝を叩いて周りの人の迷惑を気にしつつ、でも夜なんて誰も他人の振る舞いに気を配ったりをしない。ある行為をのぞいて。

夜布団をひく、前に外にゴミを出す涼しい時間が幸福だ。私には生活があると思わせてくれる。

夜改めて布団に入る。夜のワクワク、何かこの想像力はたぶん眠ってしまうとなくなってしまう。朝になると別のものになってしまう。別の何かに新しく出会う。しばしのお別れ。それだから眠りたくない。それだから眠りたい。


2022年5月22日日曜日

動ける

 困ったな、眠れない。 さっきも眠れなくてSNSに投稿してしまった。まるで何軒か飲みに深夜の道路ほっつき歩いてる夢みたいだ。薄暗がりで。

東京に戻ってきてからうまくタイミングをのせれないと眠れないやつがやってきた。赤ちゃんがひとりで眠りに入るのが難しいみたいに。うまくその時にその波にのって睡眠をすべきなんだけど、その波の時に見送ってしまうことが起きている。やれやれ、だ。

こないだ小さな小説コンクールを開いているんですよ、と言ってブックバーで応募作品の集められた冊子を手にとって読んでみた。ラジオに関するというのがテーマで、割とさっと流し読みした感じはどれも退屈な印象。ラジオは舞台美術としか登場していない、話のだしに使われるような、それこそ小説にするまでもなくラジオで話すような内容として向いているものだと思った。絵画でいうところの絵画教室の人のデッサン発表みたいな。まぁでもコンクールなわけで、ここは文学賞を決める場でもない。 ただそれがちゃんとつまらないという手応えがあったと知れた。まとまってそのような小説を読む機会がなかったんだ。

今日は雨が降っていてギャラリーなどをいくつか回った。そうしているとこうしてよく1人の時間を過ごしていたことを思い出してきた。途方もない時間。発表も待ってなければ何かを見る側に回るしかない時間がたくさんあった。作品を見て怒ったり、もっとこうならないのだろうか、とか。 今日は良作が並ぶ前で思わず声を漏らしながら体力を消耗しながら鼻息荒く展示を見て回った。 

そして今後のことやこれまでのことを少し新しい視点で考えれるような感覚があって、そこを起点にしてまた新たにゼロから考えたいと思った。周りとかを気にせずに。何もないところから。最初立った時、何もとっかかりがないところから架空の想像力を使って透明のとってを出現させてあたかもそれが掴めるかのようにして、握ることで初歩を踏み出すようなそういう感覚をもう一度。 もういい年で焦ってしまう。 しかし大丈夫だよ。 世界なんて。 ただあって、他にも人がいて互いに動けば影響を与え合うことが出来る。 以上。 だから。 大丈夫だよ。

そう聞こえてくるようだった。


死ななければ身体を動作を信じよう。