2025年1月27日月曜日

頭と体

 久しぶりに派遣バイトに入った。ここまでの道のりも遠かったけど通りたかった道を使ってそのことと帰り道のバイトを終えた感じが何か暗い感じで繋がっていて、その感じを欲していたのでその選択をして良かった。

派遣バイトは昨年のはじめに仕事がなく始めたことの1つ。結果的に10回くらいしか1年で入れていなかった。100回は最低でもやろうとか思ったけどわからない。

しかしこのバイトをすると自分が全くのゼロの無知の、誰も知らない人という感じがする。しかしたまに知り合いに遭遇したりもする。ちょっと恥ずかしい。本当だったら数年前だったらこんな恥ずかしい思いはあと何年かで卒業だと強く思っていたのに、やっぱりここ数年変だ。気持ちがなんか弱くなっている。

でも状況は少しよくなったような気がしていたけど、油断してたらこうなったわけだし、状況が少しよくなった気がしたことと気持ちがそれでも弱くなっているとしたら、気持ちが弱くなっていることはマイナスだと思う。

一体どこをほっつき回っているんだろう、って気持ちが強くなって、姿勢を押し出してほしい。それでまた夢でも出てきてくれよ、と自分に思うのだった。


でのバイトで良いのは、ふとした時に色んな人間を観察する瞬間だ。普段会わないような人がたくさんいる。友達がここ以外にいるということを考える。

よし、よく働こう。人生を棒に振ってもいいじゃないか。広く広義で制作をしよう。一回きりなんだ。無い物ねだりしても仕方ない。この身体とこの頭でやるしかないのだ。

2025年1月26日日曜日

チャン

 このベッドは魔法のベッドで、ふかふかとだんだん下の方から暖かくなってくる。だから油断すると暖かくなりすぎて寝にくくなってくる。夜うまく寝れなくなったのはいつからだろう。大学生くらいから?朝にぎりぎりちょうどよく起きて朝ごはんをモリモリ食べるのが好きだった時期があった。あれはやっぱり高校生の頃だろうか?高校3年の夏にやはりシンクロをしていた時はドラマのドキュメンタリーを真似して牛乳にきな粉を入れて飲んでいた。

文章を書く時、なんか順序立てて書くのがめんどくさくなってくる時がある。というかずーっとたぶんそれに納得できてないから、文章も読めないし、順序立てて書くのも苦手なままなんだ。

また文章を書き始めると文章も一人歩きし始めてさっき書こうと留まっていた色んな思考もどこにも行けない。

絵を描いたり今のように制作を始めるようになって、子供の頃の記憶にもう一回触りにいこうとするようになって、徐々にそれまでは目の敵だった子供たちも可愛いと思えるようになった。もう子供じゃなくなったという意識があったこともあるだろう。

そこから少しずつ時間の経過とともにその昔に接続したり考えることが出来ていくことが嬉しいと感じていた。

でもこれから"いい年齢"になっていて、そのことはまだ続けて接続したりしていけるのだろうか。

数年ほどぐるぐるとした自分がいて、そこからまた何か出来るのかずっとわからないでいて頼りない。

明日こそは、とここ最近はずだと思い始めている。最後のチャンスとか、なんとかいって。

2025年1月14日火曜日

年前の

風邪ひいてしまった。あと少しで治りそう。今回はひょこっとしたやつ。お風呂で洗いながら、それだって風邪をひいたことは人生で100回もあるだろうか、と考えた。人によっては一桁か。人によってはほんの数回しか風邪をひかずに死んでしまう人もいるだろう。長生きすれば何回か風邪にかかって、かかるうちに治し方を覚えていくというのもあるかも。
人生の中できっと長く生きて良いことの一つにたとえば夏とか季節を100回迎えられるとか、があると思う。これだって温暖化や住む国によってどうかわからないし、日本に住んでいてそれでこの国の色んな部分が結構好きになってきてるからそういう風に僕がなってきているのもあるかもしれないけど。


中学生くらいからアブリルラビーンやエミネム、エアロスミスとかグリーンデイとか音楽を聴いたり、映画もスナッチとか8mileとかオーシャンズ11やロードオブザリングを観るようになって、それで高校は音楽はやはりブラックアイドピースやオアシスとかボブディランとかセックスピストルズとか聴くようになって映画もドキュメンタリーとかも観るようになって、それで大学に入るとRENTとかミュージカルも観るようになって、ブロックパーティー聴いたりそれだけじゃなくアートもアンディウォーホルとかバスキアとか観るようになってもちろん映画もスパイクジョーンズとかヴィムベンダースとか見たり、してさ。本とかもポールオースターとかからミランダジュライとか。ウディアレンとか。そんな中でキラキラしていた好きな映画や音楽群の傾向というのがあって、それらに魅せられるともう胸から掴まれて、ここじゃない気が強くしてくる。誰もわかり合えないような感じ。きっと今ここで誰も友達でないなら海の向こうでわかり合える人がいるかもしれない。それはブレイクダンスの対外的には絶頂の時期でそんな中、絵や言葉を強くかくようになっていた。だから絵はどうしてもただ描かれた絵じゃなくて、自分にとっては逃げ出した先にあることであってほしかったんだと思う。だからそういう絵になっていったかも、少なくとも自分にとっては、という絵がいくつか描けるようになった時嬉しかった。みんなが美大でうまかったので教育を受けてこなかった自分は恥ずかしかったけど仲の良い友人にはスケッチブックを見せた。そうすると意見や喜んでくれて、それが今の自分を作っている。
大学2年まで一緒だった全く厳しくも相棒のような友人が先にワーホリでイギリスへ渡り、大学3年の春休みに合流しヨーロッパを回った。
それから帰って大学のインカレの飲み会に参加した時に退屈でしょうがなかった。
大学1年の時のニューヨークでは右も左もわからず浴びるだけ浴びるという感じで大学2年で行ったベルリンでは全てがそこにあったと思った。それで大学3年の秋に今度は世界大会でハノーファーに行った。ベルリンに行った時、なんとなく世界大会でまたドイツに来る気がしていた。世界大会は自分にとっては最悪で、ブレイクダンスの祭典なのだから全世界のブレイクダンサーが集まる夢の場所なのにここではきっと誰とも何も共有出来ないだろう、という思いで過ごした。それは全体的に失礼過ぎた。
コンテンポラリーダンスやアートを選んだ理由はどことなく海外と近い文脈上で話せる分野と思ったからだった。統一されていないやり方で説明できる事があるかもしれない、という希望があった。
大学を卒業後も色んな活動があって、海外のことを気にしていた。そういえば高校生の頃に見たスパイダーマンシリーズも強烈で、きっといつか自分もスパイダーマンになるんじゃないか、と高校生にして想像していたんだ。
いつのまにかアベンジャーズが始まりご覧の通り内輪ノリみたいにした映画を続けていて、夢を見る事が、新しく何かを描く事が難しくなっているように感じられる。僕が歳をとっただけで若い人が見たらそんなことを思わないのか、それともやっぱりアメリカが、社会が描く力を失ったのか、わからない。
テクノロジーやSNSが発達してみんなそれを使って表現をするようになった。しかしそれらの表現は自己承認との関係性が近すぎて、何か作る発表とコミュニーケーションが結びつき過ぎていて、創作の部分での夢想や想像を抱え込む余地がないことが多い。人はなんとかして誰かと話すために表現し作っていたことが、容易いコミニュケーションの方法を開発したことによって、その中間が削り取られてしまったみたいに。
そういうことなのか、わからないけど。


ここではないどこかで、ほんのり想像出来るようなあそこで、きっと何かが起こるかも、という風な気持ちが懐かしくなっている。だって最近あまりに現実的に過ぎると思う。何かそういう気持ちを取り戻してもみたい。

2024年12月31日火曜日

田舎

新潟に何年振りかに行った。でも2年前に弥彦村にはいったけどいわゆる田舎は10年振りとかかも。小さい時の記憶と繋がっていて田舎の家に帰るのがいつも楽しみだった。そこの家の生活の感じ、陽当たりとか風通しとか美味しいご飯や台所、炬燵のある居間とか。書き出すとたくさん出てくる、それらが輝いて自分には感じられた。もうそこは取り壊しを待つ段階で、でもそこにあったから興奮して何枚かの写真を撮った。自分がもう少し良いカメラを持って時間をかけて、その家での時間を思い出すようなショットを撮れたらどれだけいいだろうか、と思った。自分にとっての幼少期の記憶の美しさはそれを越えられるものがないくらいになぜか大事だ。それはここ10年とかで強くなってきている気がする。とは言うものの、家族の方では色々あるので僕がそう見えていた、というのは切り離されてそうある、という感じなのだが。

早くして亡くなってしまったいとこにも2年越しでやっと会えて挨拶をし、老人ホームに入ったおばあちゃんにも会った。おばあちゃんは相変わらずおばあちゃんだったが少し可愛らしくなっていた。少しだけ僕が知らない方に傾いていったわけだ、要するに歳をさらに重ねてボケの方に向かっていっていた。でも覚えたり忘れたりをその短い時間の中で繰り返して話していた。コロナの対策もあり、部屋ではない無愛想な部屋で喋る際に出て来てしまう変な間はそのせいでむしろ埋まっていく感じもあった。おばあちゃんの生け花と自分の絵がどこか繋がる感覚があって、その場で持って来たお花を絵にしてプレゼントをした。飾ってくれるといいな。思えば大事な時にいくつか書いた花の絵の思い出がある。

結構な時間が経ったのでそろそろかなぁと思って切り上げて出る時に、なんだか自分で別れを切り出すようで、残酷な感じがしてきた。10年近く会いに来なかったこととか。そしてもしかしたらこれで会えなくなるかも、ということ。おばあちゃんと話しながら改めて家族は難しいと思った。それぞれに人で、それぞれの人が考えたいことや欲望というのはバラバラでそのせいで迷惑を受ける家族の人もいるし、でもそれが歳をとってしまってボケてしまっても自然に残ったものによってその人が見えてくる、というか。

それでも僕にとっては良くしてくれた人で、おばあちゃんは基本的には自分にやることがある人で暇のない人だったけど、もう少しあの時かまってあげたり一緒の時間を過ごすことが出来たけどいつも遊びにいったりめんどくさがって一緒の時間を過ごさなかったことが、今回も別れを自分で切り出す時にずっと同じだと感じられた。ずーっとそうだったなぁと思えて泣けてきてしまった。ごめん、というか。でもどうにもそれは出来ないことだったような気がする。すれ違いは、すれ違いのまま。帰りはギリギリまで送り出してくれた。なんだかもう会えない気もしてきた。そうするとこの思いやこの関係の構図はずっとこのままなんだと思えて、自分のいる場所がわかって泣けてしまった。

その後にいとこにあった。家族というのはすごいと思った。

2024年12月18日水曜日

午前中

 ここ数日、本当は午前中に時間をたっぷり作って制作や掃除、稽古にあてるつもりが連日の寝坊などによって時間をずいぶん削られたりなくしたりしてあちゃあ、という感じだったけどでも、その分寝たならそれはそれでokなのでは、みたいな思考も新しくやってきつつ。

今日はそれでもその借りを返したいと思い、小さな抵抗とスタジオを借りて練習。ずいぶん眠かったけど、こういうのありかもな、と踊ってる中での発見もあり、時間を確保してよかった。

3日連続で実は忘年会みたいな感じかも、、おかげでこのクソみたいな内臓が疲れ切ってる。明日で少し回復、、、と思ったら明日も忘年会しようぜ、と誘ったところだった、、やばい。朝ごはんで調整?だ、、

明日は色々調整し直そう。

2024年12月15日日曜日

愛に駆けつける人たち

 ラブアクチュアリーを久しぶりに観た。どうなるかなぁと思っていたらたくさん泣いてしまった。もう古い時代の映画になったかな、って思うところもあったけど、それも自分の中の景色として残っていた。あの曲たちとともに。この景色が思い出されて、自分の中にあって。

みんながそこに向かって走っていく姿。イギリスの映画って、ダニーボイルにしろ走るよなぁ。どこに向かっているかって、愛に駆けつけているんだと。そしてその駆けつけたところを見届けようとする人たちもいる。かつてそういう人たちがいた、にならないといいな。そんな夢物語を思った。今の自分はどうだろう?寛容じゃどんどんなくなっていると思った。

ジョニーミッチェルに出会ったのもこの映画だったね。あんな風に人々が嬉々としてどこかに向かって駆けて行く景色、それが90年代や2000年代だった、みたいなことにどうかならないでよ、という気持ち復活100%の。

2024年12月12日木曜日

やり方

 横浜通いが続いている。こんなにもたくさん舞台を観るのは久しぶり。ありがたい機会。それなのに全く難しい。職業病と言ってしまえばそれまでだけど。どんどんと暗い方に向かってしまう。世の中は悪くなる一方でこれらの方法は果たして有効なのだろうか。また世界とかとはもちろん無関係の世界なのかもしれない。だって僕だって別に世界と遠い態度をとっているくせに。

そんな夜にかつてのチームメイトから連絡があった。なんというかなんというタイミング。あの日、気持ちが離れつつあったブレイクダンスから舞台というオルタナティブなダンスのチラシを手にした日だった。しかしどこへ行ってもその所属先というのを見つけ切ることが難しい。


また別の話だけど、もう少しこうして生きよう、みたいなことのためには今のやり方ではなくて、別に新しく、いや根本的に、作っていく必要があるんじゃないかって今日少し思えた。今の心で行っても、うまくいかないとうまくいくの評価の下し方のままで、そうじゃないあり方みたいなところっていうのも可能性としてあるかもしれないぞ、と。