2024年6月7日金曜日

瞼を過ぎて光が届く

 自転車でイメージフォーラムに向かうと入り口で地べたに座る大木さんと見にきた観客や知り合いの顔。この感じ。映画が始まるなり最後列に荷物を地べたに置き、相変わらず彼の身体がそこにある。映画を撮る時も見る時も人に会う時にもカメラや身体がそこにはあって、身体の記憶とカメラの記憶が作品の中で混ざり込む。久しぶりに見たそれのうちの一つはやはり想像していたように手ブレも含んだ映像が多くて、三半規管の弱い私はそそくさと映像酔いを始める。目を閉じてもダメなことに気付く。瞼を閉じたくらいじゃ光は目に像を追え、と侵入してくる。段々と酔った身体が強い硬直を強いる、久しく強張ったことのない状態に身体が変化していく。風が吸いたいと思う。思い返せば映画を勉強していた大学の頃もこんなことがたくさんあったような気がする。そのこととダンスの身体の解放、決して酔わせるようなことはほとんどなかったような。映画の教室に通っていたということ、大木さんの20年前の映像には昔の知り合いの顔も出てくる。青春をどんな体温で生きていたのか、思い出させるような瞬間だった。再び夜が明けようとしている。眠れない体はまだ酔った目をしていて、瞼の裏が気持ち悪い。

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