どうもaokidです。東京を中心に活動していますが、夢は大きくもっと色んなところで活動活躍出来たらと日々もんもんとしています。 活動はaokidとしておどったり、絵を描いたり、aokid cityという架空の街を作るというプロジェクトを持っていたり、ゲリラパフォーマンスなんかをしたりしています。
2025年8月20日水曜日
秋寝田新
2025年8月13日水曜日
空
ここ数日は休みのような日が続いた。今年はなんだかんだでそういう日が結構ある、作ったというか、作れたというか。来年はどうなるかわからないけども。
久しぶりに小さな怪我をしてしまったので今週ストリートしたかったけど中止にしよう。色んな人が来るようになって最近、場所みたいな感じもあったのだけどすいません。
なんというか現実的なアイディアと空想的なアイディアの両輪があってエネルギーにそれらがなったりしていたんだけど、歳を重ねるごとにどんどん現実的なアイディアの方に寄ってしまってまぁまぁしか面白くない、と思ってる。社会的にまぁわかるアイディア、対応しているところもあるアイディアという感じだ。そうじゃなくてそれどうやるの?とか、もっと社会的とかではない魔法のような世界の空想を思い浮かべていたあれらはどこへ行ったのか。それらはなくなってはいなくてかすかに思い出される時がやってくる。そのための繊細な準備というのもあると思う。もう少しそういうやつもだ。それはなんのためにだろう?生きていてどこかに行けるかもしれないって思うのは、ここを生きることだけでなく生きていて何かそういうことに出会って生まれたことだから、きっと大切にしたいんじゃないか。
映画のスーパーマンを観に行く。そうか、スーパーマンは飛びながらキスができるんだと思った。スーパーマンが空高く飛んでいって宇宙に近づいてからあり返して地面に向かって惑星のように落下していく、といのがただ単に上昇と落下の景色が広がってほんとに美しいと思った。空を飛ぶこと。
2025年8月2日土曜日
時間がすすみ
昨日、今日と肉体労働を久しぶりに入れた。本当に気休めみたいに登録して果たしてどうだろう?と思うのだけど、他とは違う居心地がある。誰も自分を知らない中で働く。
窓の向こうが強い風や雨の打つ音が聞こえる。でも窓を開けておく。なんだか半分外で寝てるみたいだ。そういえばバンコクで篠田さんの家にレジデンスした時のことを思い出した。コロナによって状況が変わったというのを自分のキャリアを思い出しても考えるかど、そういうことも想像せざるをえない。
生徒さんから教えてもらって改めて海の上のピアニストの映画を見直した。15年以上前に見ていた。全然覚えてなかったなー。そしてとても色んなことを積極的に試している映画だとも思った。
それからニューシネマパラダイスのことをそこから思い出した。考えてみればどんな事があってもそれは映画の途中なんだ、と以前から思っていた、だからいつも風が吹き抜ける只中を生きていたのを思い出した。人生が終わりだなんて、なんてことを思ったのだろう。また煌めくような気持ちもきっとその風にポイントを与えるね、
今日は本当に馬鹿みたいにSNSに流れてくるバカバカしい映像をたくさん見た。2時間とかもゴミみたいに過ごしたんだwそれにしてもSNSはキラキラはキラキラでも現実的な良さや限りを伝えてくる、けど、現実を生きるのは生き残るためにとても大事だけど、その外側にもっと違うところを生きることの、あの、最高の見晴らし、素晴らしいところの、風景のことを思い出そうっと。
なんかパイナップル、みたいにジューシーな、我々がいてラッキー、
色んな時間が進んでいく
2025年7月24日木曜日
やりふれる
今日こそは全然寝れると思って横になって本を読みながらうとうとしてきて、これが睡眠のトンネルだと思ったのにまるでトンネルがすぐに崩れてしまって、それで眠気が壊れてしまった。こうなると眠れない。全くどういう構造になっているというのだ。
フランスチームの中では、2人くらいのダンサーがそれぞれに睡眠のオーガニックの薬など飲んだりして調整しているって言っていた。あんまり眠れないならそれをしてもいいんだけど、そこまででもない。朝方にすればいいのかな、、すると夜の活動がやれなくなる、、、
むずい。
今日は人生に焦った。最近、色々元気かもしれない。夏とかもなんか久しぶりにあれや、これやしたい、みたいな気持ち。人生に焦ったのも、なんというかやれてないことがドバッとやってきて、それでだ。何もすることがない、から、何かしたいことがあったことに気付いてきてる。
と言いつつ、先崎さんのトークの中で自己啓発本の話になって、あれはアメリカの哲学で、西洋とも日本とも違うみたいな話。つまり、そういうマインド自体の輸入みたいなことを言っていて、そういう意味ではたくさんのアメリカ映画に育てられてきた部分もあると自覚的に言ってきた自分は、やはり元々はなかったものをそのアメリカ映画のエネルギーを頼りにしてそれで成してきたことがあったし、自覚もあったといえる。さて、それらとの付き合いのこと、か。
でもこの先はまぁ無視してもいい?いやいや、一緒に生きてる?の社会というものも含めての考えで、だ。
2025年7月12日土曜日
本当に
明日は二つのショーだ。鬼門です!
ここ最近は本当に数公演を乗り切れるかどうか、満身創痍の気持ちでいることが増えてる。そういえば以前は体力があり、気力もまた向かっていく気持ちでありながら、別のことを考えるようなスタンスも併せ持っていて、本番を行いながらも別のこともしていくような未来を想像していた。
しかしこうして実際に年齢を重ね、体力も落ちたくさんの舞台や本番やライブをしていく中で挑み方も価値観も変化していく中で、全くそんな以前描いていたようなやり方でやることはほとんど実際は難しいのでは、と年々なっていってる。
今となって、本番が大変な身としてはどのように"この人"と付き合っていくか、みたいなそんな心持ちである、まったく。
フランスがとにかく心配の前に、あと3回がとにかく心配。
2025年6月26日木曜日
寝蚊
眠れないのは顔の緊張も関係していると、顔の緊張を緩めようとふにゃふにゃした顔をイメージする、目を閉じながら。たまに半目を開くと向こうの部屋の窓から差し込む夜の街灯の明かりが少し眩しいと思う。
うとうとしているといつの間にか宮沢賢治の書いた小説の世界の中に入っていた。ここはどこだろう?やたらと静かで、黒い色の街だ。さらに街の建物のいくつかは窓とか扉さえついていない、すーっと立っているだけのなんのために作られた建物かわからない。そう言えぼくが描いた絵の中にも建物を存在させたものの使われ方までは想定していない書かれた建物たちがたくさん登場する。逆に言うと何か建物に見えるだけでただそこに平べったい棒のように存在している何かなのかもしれない。絵には実はそういうところがあるはずなのに、そういうことを面白がられるずに描ける人はどんどん描き進める。
最悪なことにここで蚊が登場する。まだ刺されてないから夜刺されたらこの夏最初の蚊だなぁ、蚊は本当に嫌だ。特に寝る前のは。隣の家の夜中の騒音くらいやだな。
2025年6月13日金曜日
列車
最近ひどいのは風邪ひいたまま本番に突入してしまうことで、今年になっておそらく毎月風邪ひいてるんじゃないかと思う。ひどい風邪ではないし、薬でグラつきを戻すのも根本的に良くない気がして薬も飲まない。
昨日だいぶ良くなったのでこれで治るかと思ったら今朝、むしろまた少し悪くなってて全くわからない。明日からまた小屋入り、そして今夜眠れない。
僕の身体のせいなのか、星かなんかの気まぐれなのか。色々そういう感じ。
フランスから帰る時は改めてアイメイクマイライフ。と意気込んでいたのに、いつの間にかほとんどゼイメイクマイライフになってしまってる。ぎりぎり考えや態度はねじ込んでいるけど、せめて自分でもう少しハンドルを切っている状態に取り戻す予定だったから。
そして明日からゲネでそれで本番だけど、前だったらそのことがドキドキで不安で楽しみだったのに、この気持ちは結構どこかになくなってしまっている。今、踊りの表現とかが非常にやれることとして現実的だ。だからなのか?前よりは奇跡とか魔法みたいとかを信じれなくなっている。あるあは魔法とか奇跡みたいと人々が思うような舞台を観る時、ほぼそれと同時に自分にとっての嘘や信じられない態度を見つけてしまうようにもなっているとも思う。ストリートで踊るのを重ねてしまったことも大きいのかもしれない、結局出来ることというのは非常に現実的だ、というのが今の考えだ。そしてだからこそ色んな人が踊ったりするべきで、その現実的な中で色々を互いに交換し合うフェーズ、みたいなものへの夢はあるのかもしれない。そう考えればしょうがない、じゃないか、と書きながら思った。
とにかく明日よくなれ、良い体調で集中して挑みたいだけなのだ、
そして苦役列車、日本映画久しぶりに観た。まぁ良かった。良い日本映画で少しホッとした。山下監督だった。森山未來さんだった、役者としての森山さんは決まって入るから良いのだろう、と思った。踊りでは決まりきってしまうと、向こうから入ってこない可能性もあるんじゃないか、そんなことを考えていた。逆に言うと映画は決め込んで、決め打ちでバーンっていうのも良いんだな、と思った。
だから意外に一般的なダンサーの人の傾向というのも決め切っていて、良いのかもしれない、とか勝手なことを思う。
西村さんの本を読まないと、って思うものだった。とにかく。映画ってよりは西村さんって人がこの現代においても気になるって映画になった、それも意図でしょ?と。
2025年6月7日土曜日
良い
やはり案の定寝れない。今日は本当に疲れた。火曜に本番が終わり、疲れきっていてその日は興奮して眠れなかった。数日経って寝れたり寝れなかったりで、今朝は少し風邪気味で起きた。筋肉痛みたいに、数日後に風邪ひくみたいなことなのか、昨日は全く読めない感じで朝起きると少し寒いみたいな。
なんとか調整して色々飲んでフィルに臨んで頑張りきった、、、のか?正直測り切れることではないんだけど。人を前にしてなんとか応えようとし続けたということか、それはなんか頑張ったとかだけでなく、自分の方にもきっと人への欲望がある、とかそういうのもあるんだろう。今日は色んな最近の友達や、懐かしい友達の顔にたくさん会った。終わった後の挨拶は少ししか出来なかったけど。顔がたくさんあって嬉しかった。嬉しかったなぁ。こないだの公演も色んな人の顔にとにもかくにも会えたことがとても嬉しかった。自分の気持ちとして、なんというかエネルギーそのものをぐびぐび飲むような感じ。めちゃくちゃ美味しいジュース。この1週間ラッキーだな。
踊りの反省はもちろんある。音楽の中で踊るのは、それぞれの人が観客として聴きながら踊っているわけだから、1人突出して踊り続けるというのは言わば強引なことでもある、といつも思ってる。現に嫌だった人もいる。でもそれは半分は表現としてしょうがないことだ、全員を納得させるのは無理だ、政治と同じだ。なんならむしろ言えることは、確かにストリートで踊ることをずーっとここ数年していると本当に踊りによって人が反応してくれて一緒にいる感じが強くあるから誰にでもとにかくこの感覚を知ってほしくて踊ることを勧めるわけだ。しかし一方で踊りも音楽も暴力に違いない。つまり人に殴ることを教えていることでもある、あ、、そこまでは意識したことなかったけどやっともう逃れ得ない側面を知ったという感じかもしれない。
明日が不安だ。
頑張ろう。というかしっかり寝れなくても休もうとして、明日が来たら楽しもうと思う。良い考え、
2025年5月20日火曜日
やり、
風邪ひいてるときくらいすぐにころっと寝かせてくれよ、と思うのだけど本当に都合よく眠れたりする身体じゃなくなってしまった。しかし思い返せばもっと前からずっとそうだったのかもしれない。
先日、高校の恩師とWATER BOYSの水中演技の指導などをされた不破さんのドキュメンタリーを誘われて観に行くことになった。誘いでもされなきゃ知らなかったかもしれないし、そういうことをいつも言ってくれることで何か引き戻されることというのがある。
不破さんというのは改めて不思議な人だ。メジャーでありマイナーであり、どっちでもあり、どっちでもないような、どっちでもいいような。その日は挨拶があり本人の身体がそこにあって、もろに考えないわけにはいかなかった。僕の活動や生きてきた社会とかへの眼差しみたいなこともどこか特殊に見ているところがきっとあると思うのだけど、その自分の目にとって、不破さんのことを身体ごとまるごと空気含めて見れるというのは中々、大事なことでした。
ずっと泣きながら今があり、しかしそのことはそんなに重要じゃなくて、なんか水が出ているっていう感じ、進んでいく、しかし目は生きている周りの環境や生物のことを捉えて離さないという感じ。
愛の話なんかもしていた。フランスに行った時に愛を大事にしていると思った。好きな人たちと生きているんだ、好きな人たちと互いに生きているんだ、と思った。どういう風に生きればいいのかわかりがたいと思っていたんだけど、その時はフランスでそれを見た時は、あるいはそう解釈した時は、じゃあ周りの人たちを愛すようにもっと生きたらいいんだって思ったのだ。そんなこと、日本に帰ってくると本当に自分の身からすぐに離れてしまうことだけど、その時は強く思った、そのことが強く自分を震わせた。 しかしそれ以外に果たしてあるだろうか?と思った。日本ではなぜか、慣習が人を生きさせている、人間のためじゃなくてより強い慣習が人を生きさせ、生きているうちに人間に会うことも大事だけど人間以外に会えるというのが素晴らしいところでもある。
、、、
面白いことをやろう。
2025年5月18日日曜日
歌と踊り
フランスで稽古期間中に1人が風邪をひいたのがどんどん別の人に移っていった。中々毎日ハードスケジュールだったのでそれも手伝ってる部分があると思うが、そこで少し感銘を受けたのは割と風邪でもそのまま来る、完治してなくても来る、それでまぁそれは1週間くらい続くっていう感じのスタイル。風邪ひいてくるくせによく動けるなぁって慄きもしたけど。僕は風邪をひいてある時期から全然ダメダメになった。高校生までは良かったけど美大に入って選択肢に絵を描いたり作ることが増えた時、踊るという一択じゃなくなってからそのことが弱くなったと思う。
とにかく今夜は風邪ひいていて眠いので寝ようと思った日に限って上からガンガン聞こえてくる悪夢のような重低音。何も気にしない無敵なキッズという感じでたまにあるこれ勘弁してほしい。管理人に伝えよう。
最近は隣の人もぼそぼそと電話してる声が聞こえてくる。そして少したぶん変則的な時間の仕事をしているのだろう、2時くらいに一度起きてくる音が聞こえる。東京の中心に住むというのはそういうことだろうか。東京の最近のダメなところは、東京のアーキテクトがSNSに移ったと思ってる人が増えたと思うところだ。お前たち、俺たちで東京を取り返すには現実のアーキテクトをやらないとダメなのだぜ。と最近、そういう意見に辿り着いて様子見。
帰り道、ロマンチックなことが浮かんでそのことだけで鮮やかに描き切って自分が立っている"ここ"を鮮やかにしようと思ったのにいつのまにか、現実的な物理的な嫌なことで挟まれてめげてしまいそうというのが増えていないか。
全く良くない。
七尾旅人の曲が久しぶりに聴いたところ、めちゃくちゃ良くて。歌を歌いたくなる。
いい歌を歌えるかもしれない準備というのは僕にとっては、その今立ってる場所に鮮やかにいようと挑む途中でその準備が出来る、ともう少し若い時に思っていたこと。今は緊張感や使命感が多少減ってしまって、信頼感が増えている気がする。東京の街や人に対しての。街の中で踊れば踊るほど人への信頼が増えていくのか、、
2025年5月16日金曜日
どうでもー
一瞬にして忙殺されるようなスケジュール。自分のことを大事に過ごすのが難しい。気付くと部屋がだいぶ大変なことになっている。この程度ならと組んだスケジュールに見事に自分を見失ってしまう。なんというか頭がぼんやりしたり、ため息のような時間(それはヨーロッパ行く前よりも減った気がするが)もある。頑張っているっちゃ頑張っているが目的やまだやるべきことのためには全然足りないとも言えるが、比較的ヨーロッパから帰ってきて自分に合格点を出すような気分でいようとはしている。(良いこと)
風邪またひいちゃった。毎月ひいてる。
むずー
でも絶対的に2ヶ月前よりはポジティブ。どうでもいいことはどうでもいい、と思おうとするようにはなってる。
2025年5月10日土曜日
眠れないけど
困った。また眠れない。昨日の夜も疲れていたので眠れるつもりがタイミングのせいか寝付けずしかも朝遅刻してしまった。今日はそのせいで睡眠不足の1日という感じで明日はワークショップだし眠るぞ、と意気込んでいたもののつい油断した生活を夜にしてしまい案の定今眠れない。友人の言うように睡眠導入剤を使うべきなのかもしれない。おそらく睡眠に困っている人は結構いるのでは?生活に支障をきたすことだってあるのに社会が崩れないのはすごいことだと感心する。w いやいや。
年のせいもあると思う。何か明らかに自分の中を流れている?ものの成分が変化したと思う。
でもフランスから帰ってきて思うのはもっと頑張れるところもあるんだけど基本的にはみんな十分に頑張っていると思うこと。そんなことは神様でもないので誰だよっていう話だけど。でもみんなよくやっている。何かが壊れてしまうような気がしてしまうけど、それでも基本的にはみんな頑張っているんだし、壊れてしまおうが大丈夫であるのだ。まだまだ。生きていることを狭く思わないことだ。
あの日、ぼんやりとだけど強くしっかりと胸を締めつけるように思ったこと、愛を諦めていないというメッセージみたいなものを強く感じたことを思い出すこと。世界中で見つけることが出来る。
2025年4月11日金曜日
あきらめネーションジェネレーション
ストラスブールにいて最初の10日間くらいはジェットラグや稽古、毎日が怒涛のように東京での時間が入る隙を作ることが難しいくらいに進んでいたから眠れもしたのだけど、段々と慣れてきたところ、東京の仕事のあれこれも考えする時間が生まれていく中で、夜眠れない日がやってくることになった。最初に眠れない日に思ったのはこれじゃあ東京の夜じゃないか、と思った。 そしてまたお腹を壊して眠れない日や、夜何かを訴えるような泣いているような声によって途中で起きてしまって眠れない日やら、そしてそして明日は最後のランスルーを控えるにも関わらず美味しいチベット料理を食べたにも関わらず変なお腹の痛み、気持ち悪いって感じとともに眠れないこの時間がやってきてしまった。
東京の生活を考えると絶望的だ。絶望的だなんていつから言うようになったんだろう。全てが最悪の方に向かっている。世界さえそうなんだから。と言うのは非常に簡単だ、イージーだ。
しかしこっちでは改めて違う何かを握り直そうとしている。科学的根拠を持っているはず。
日本でフレッシュであり続けることが困難さを極めているとすればそれはやっぱりSNSの影響が大きいと思う。自分はルッキズムとか関係ないからSNSの影響も、人との比較からも逃れているなんて思っていたら大間違いでずいぶん人と比べていることに気付く。
そんなことよりも世界は大陸や海や空で繋がっていて、人や物や空気とも繋がっていて、その繋がっている部分や繋がっていない部分の接続のあり方を変更することは可能なのだ。自分だけを見て不可能だなんて思うなら、他の人も不可能だ。他人の人を可能にするように自分が可能になるということがあるんだ。
あきらめないこと。楽しめること。
寝よう!
2025年3月14日金曜日
うぉんうぉん
時間を見ると3:11だった。さっきまでご飯を食べながら観ていたのは9/11に関する映画だった。その前は映画館から出て夜の長い道路を自転車で駆けていた。
こないだ搬出の帰り道、小雨の中タクシーに荷物を詰め込み飛び乗り後にする蒲田はさっきまで見ていたのと違って見えていた。たかが1枚ガラスを挟むだけで少し他人になった。旅をどこか違う街でしていて帰りに車やバスなどに乗ると急にさっきまでの街から遠かったのを感じるみたいに。 きっとフェンスの方が車窓よりは近くに感じられて、映画は車窓よりも他人に映るのだろう。
映画館で観たショーンベイカー監督によるアノーラは、数年前であればデビットフィンチャーとかに期待するようなアメリカを代表する監督だと思う。公に開かれているカテゴリーの中で。いつものきっとショーンベイカーならではのあの突如、特に気の利いた演出なんてものもなくまるで大きな落とし穴が現れるような、あの感じがどこかのタイミングに起こるのか、それともすでに見ている何かの中に仕掛けがあるのか、をずっと気にしながら見るような集中力と一方で抜けた感じ、が現代的だと思う。でも結局、何か超現実的でありながら今回のはより広く大衆向けでもあるということで魔法の粉を忘れずに描いたこの映画にいつのまにかずっと魅了されていた。そして2時間半ってたっぷりの時間をかけて、まるで一緒に時間をかけて沈黙も含めて相談し合おうっていうようにそのたっぷりの時間をかけてくれた、ということは現代においては態度そのものであるように感じられた。
少し昨日のタクシーの中で考えたこともあいまって感傷的な気持ちで映画館をあとにする。世の中から暗闇はきっと減ってしまったし、自分も歳をとってしまったけど、何か失うべきじゃないプライドの美しさを少し思い出した気がする。ずっとそれをどこか大事に腕の中で胸に抱え持っていて、守ろうとしていたのに、いつのまにか、そんな抱えたそぶりさえどこかへ行って、じゃあ抱えてたものなんてそもそもなかったの?みたいな気分で。でも、確かに抱えていたのを思い出していた。
現実を見て現実に取り組んで現実を良くしていくことでしてか生きていけないのかもしれないけど、こうありたい、と思って人目も憚らずに自分を見つめることがまだ出来るのならそれは試したっていいのではなかったか。暗闇の中で光って宇宙とも交信するような時を待っていたい。I want
2025年3月1日土曜日
よーい、そん、
またしても夜眠るペースに乗り込むことが出来ず。
展示が始まって落ち着いたり次のことに取り組めるかと思ったら、左目がピクピクと痙攣を始めた。何か疲れやストレスが抜けないのか。困ったものだ。
だけど今日は朝と夜にそれぞれ何気ない良いことがあった。朝のは公園で小さな子と保護者の方と他愛のない会話をしたこと。夜は仲間たちとのラップの時間を過ごしたこと。ラップをし、街を見渡しながら、昼に聞いた東さんのトランプ2.0の話を思い出した。これからきっと暗い時代になっていく。そういう時に自分たちの居場所があるだろうか、ということさえ心配になってきていた。色んなことがどんどん分断されるのなら、近しい人同士の間でさえ分断が増えていくのだろうか。それはちょっと見切り発車かな。何か少し心配な気持ちが出てきてるのかも、、、
随分と遠くまで時間のおかげで来れた気がする。距離を作るのに時間がかかる。
なんとなくそれで最近は再び良い意味で取り組んでるそれぞれのことが少しどうでもいいと思える瞬間がやってきて、確か以前はこういう風にして取り組んでいた気がする。なんだっていいけど、あれもこれも大事という態度。風が抜けてくような。
自分は何とも関係していない。遠く遠くにいると思え。
どうでも良いと思っているが何かへの準備をずーっとしていて、風が一瞬ふって、吹く時に強く集中する。そういうやり方。人のように何かを大事にするのは下手だし出来ない。 どうでも良いという状態ですっとする瞬間を見つける、楽しむ。解放する。
それにしても世界は窓だらけで窓で繋がっていて全ての世界を知ることが出来るようになった。知りたい世界はおそらくこの裏側にあって、瓶を振って下に落ちてこないか、下から覗いて見えるか、見えないか。全部の世界を知っているけど、あの暗闇だった部分や黒くて見えなかった部分や選り分けるのに難しかった色の混在したスペースたちの部分はどこへ行ったんだっけ?
わからないという部分は??
やっと遠くに少し来れて、それで、どうでもいいや、という気分がやってきた。
2025年2月19日水曜日
2025年2月9日日曜日
ガッカリ眠り
昨日の夜、なんの前触れもなく布団に入ってよく眠れないなぁと思ったらすぐに喉が痛い、風邪のやつが喉にやってきたと思った。それで今日を過ごした。朝ごはん食べたりして良くなってそれでリハを過ごしたけどあんまり元気によく踊ったりする気にはなれず。
そして今夜眠ろうとしたら今度は眠れない。明日が本番というのに。全く先週に続いてこの調子だ。
身体に関しての結論はここ一二年、菌が入りやすいような身体になっている気がする。傷口に侵入するように菌が隙を見つけやすい身体の状態にあるのでは、と思う。
眠れないことに関しては今のところガッカリするくらいしか方法がない。
でも明日起きたら全力で1日や出会すことを楽しもう、と思いつく。
2025年2月4日火曜日
せかいはじめて
最近、久しぶりに何年振りかにとてもポジティブな言葉が湧いてくる日があった。全力でその日のことに出会おう、取り組もう、抱きしめよう、みたいな言葉。口にすればありそうなことだけど、これが自分の中に再び現れたことは絶対的にポジティブだ。随分そこから遠いところにずっといたような気がする。まだ抜けきってはいないけども。
そもそも、抱きしめよう、とかそんな言葉ってこれも江戸時代よりもっとあとの近代以降に生まれた、戦後以降に生まれた言葉だとしたら。とか脱線は置いておいて。
さぁ、今夜も眠るのが下手くそだ。坂口恭平曰く、寝る時間を小学生の最高の頃の鬱病とか始まる前の居心地いい時のに合わせたんだってさ。そういうのもありだよな。
大人は夜も手に入れたと思い、そこに住み始め、一方で夜に体調を壊し続けてもいる。大きな人間はその夜に困っている。
容姿のことを自分なりにでも頑張っていたことを、やめてしまったなぁと改めて思った。それに加えて最近、子供たちとも遊ぶ機会も増えて、そうするとなんか先生みたいな親御さん達ともやっぱり同じ世代だし、そうするとなんか親御さんたちもどっちかというとみんなパパやママとしてそこにいて、自分もなんかそういう気分になって、そのように対応してしまうというのもあるかもしれない。色んなバランスが少し崩れてしまったのかも。
もうちょっと外に向けて頑張って、その方がきっと活動にも良い影響がある気もする。何かを諦めているのか、これでいいのだ、なのかどっちなのかずっとわからないでいる。その先までは考えるのは難しくてずっと色んな気持ちとともにそのままでいる。一年というのは365日で数えればそれなりの日数に見えるけど、命というのは中々全然一生単位の中の波の大きさというのは一定なんかじゃないのだろう。
これでいいのだ、じゃなくてなんかもう一回、キラキラするような気持ちを取り戻したい。
でも、世界も今本当に変わり目で、こんな世界初めてだろうって思う。けど残念ながらずっと、毎年毎年いつも世界にとっては今こそが世界初めてだ、くそー。
2025年1月27日月曜日
頭と体
久しぶりに派遣バイトに入った。ここまでの道のりも遠かったけど通りたかった道を使ってそのことと帰り道のバイトを終えた感じが何か暗い感じで繋がっていて、その感じを欲していたのでその選択をして良かった。
派遣バイトは昨年のはじめに仕事がなく始めたことの1つ。結果的に10回くらいしか1年で入れていなかった。100回は最低でもやろうとか思ったけどわからない。
しかしこのバイトをすると自分が全くのゼロの無知の、誰も知らない人という感じがする。しかしたまに知り合いに遭遇したりもする。ちょっと恥ずかしい。本当だったら数年前だったらこんな恥ずかしい思いはあと何年かで卒業だと強く思っていたのに、やっぱりここ数年変だ。気持ちがなんか弱くなっている。
でも状況は少しよくなったような気がしていたけど、油断してたらこうなったわけだし、状況が少しよくなった気がしたことと気持ちがそれでも弱くなっているとしたら、気持ちが弱くなっていることはマイナスだと思う。
一体どこをほっつき回っているんだろう、って気持ちが強くなって、姿勢を押し出してほしい。それでまた夢でも出てきてくれよ、と自分に思うのだった。
でのバイトで良いのは、ふとした時に色んな人間を観察する瞬間だ。普段会わないような人がたくさんいる。友達がここ以外にいるということを考える。
よし、よく働こう。人生を棒に振ってもいいじゃないか。広く広義で制作をしよう。一回きりなんだ。無い物ねだりしても仕方ない。この身体とこの頭でやるしかないのだ。
2025年1月26日日曜日
チャン
このベッドは魔法のベッドで、ふかふかとだんだん下の方から暖かくなってくる。だから油断すると暖かくなりすぎて寝にくくなってくる。夜うまく寝れなくなったのはいつからだろう。大学生くらいから?朝にぎりぎりちょうどよく起きて朝ごはんをモリモリ食べるのが好きだった時期があった。あれはやっぱり高校生の頃だろうか?高校3年の夏にやはりシンクロをしていた時はドラマのドキュメンタリーを真似して牛乳にきな粉を入れて飲んでいた。
文章を書く時、なんか順序立てて書くのがめんどくさくなってくる時がある。というかずーっとたぶんそれに納得できてないから、文章も読めないし、順序立てて書くのも苦手なままなんだ。
また文章を書き始めると文章も一人歩きし始めてさっき書こうと留まっていた色んな思考もどこにも行けない。
絵を描いたり今のように制作を始めるようになって、子供の頃の記憶にもう一回触りにいこうとするようになって、徐々にそれまでは目の敵だった子供たちも可愛いと思えるようになった。もう子供じゃなくなったという意識があったこともあるだろう。
そこから少しずつ時間の経過とともにその昔に接続したり考えることが出来ていくことが嬉しいと感じていた。
でもこれから"いい年齢"になっていて、そのことはまだ続けて接続したりしていけるのだろうか。
数年ほどぐるぐるとした自分がいて、そこからまた何か出来るのかずっとわからないでいて頼りない。
明日こそは、とここ最近はずだと思い始めている。最後のチャンスとか、なんとかいって。