2020年7月10日金曜日

眠れる獅子

とにかくずっと踊ってばかりの国の曲ばかり聴いているここ何日かだ。無駄にSNSを指でスライドして過ごす時間が増えている。内容としては5月くらいの方がもう少し方向性があったのだけど、今はみんなバラバラなことが出始めている。
今日もストリートでやっていた。
SNSでストリートライブのことを検索してもほとんど出てこない。それが全てではないので気にしなくていいのだけど、一つ見つけた中で昨年のたぶん人が増えた際に通った人でストリートダンスをしている人からの意見が書いてあった。そしてそこには安田ビルのことを知らないのだろうか、というのも添付されていた。
なるほどそこが引き合いに出されるとは思わなかった。

でも考えてみれば、ダンスを人に影響を物理的に変えてしまうための手段として用いるみたいなことは普通にダンサーになる中で考えたりもしないことだろう。

今日も電車で現地に向かうまでの間、何を自分は信用しようとしているんだよ、と思っていた。
まるで魔法を信じてるみたいな形にさえ見えてしまうんじゃないだろうか。
あまりにも世間と逆を行っているのか。
しかし、通った道の上ではこう考えていくのが段階としてむしろ出てくるものなので。

明日も聴いちゃいそうだ。
そして上手くスケジュールを組み立てられなくても、どこかロックな気持ちが起こってる部分は伸ばしてあげよう、眠れるドラゴンを撫でるみたいに。

2020年7月9日木曜日

ふぅと風を吹かせて

夜はグレイ
ぼんやりした頭で書き出してみる
やがてすぐに今までのような忙しさがやってきて隠れられなくなっていって、近くのモールの植物たちの名前を覚えようとしていたことも引っ込んでしまった。

周りの慌てている人たちも、それはそれで別の人にお叱りを受けている。
いやいや、日常生活を丁寧に歩き通すことの困難さ、がある。

伝わるように書くのをたまに放棄してしまう。
自分なりの道を立てたいと思ってるのかもしれない。
それだって届く範囲は限られてくるというのに。
それは結局のところ、自分にかかってくるね。

いくつかの自主イベントを再開した。
それはなるべく自分のために行われるべきだ。
自分の制作として、自分を確保してみる、やりたいことを許してみる。
他の人がそこに参加するかどうかは置いておく。みんなそれぞれに見たいものがあるんだから。それが素晴らしいことじゃないかと思う。
でも少しこっそりここで集まれそうな人とひそひそと集まるのもいい。
闇の方から引っ張られ連れ去られてしまうまでは、この声で話そう。少し適当に。

ふぅそしてまた起きると明日が始まる。

2020年6月24日水曜日

砂丘

一昨日かな?3331でやっていた90年代のアーティストによるゲリラ活動をまとめた展覧会。そこには会田誠さんや小沢剛さん、宇治野さんに、曽根裕さん、そして村上隆もいた。それらはどちらかというとおまけ的に紹介されることのが多いのだけど、当時の資料を見る事が出来る貴重な機会。
自分らの現在の活動と比べるとどうだろう?比べられるかな?
この日は久しぶりに友達の展示を見に行こうという目的を持っての久々の外出だった。
途中、村上隆のラジオがあるというのでなんてタイミングだ、なんて思いながら聴いてみる。
懐かしい、学生の頃はよく村上さんの声を今より聴くことが多かった。
安直な夢もあった。安直だなんて、当時の自分に向けて言うなんて。
なんか色々思い出されるな。

今日はヒアリングというか、今後のプロジェクトの打ち合わせがzoomであった。
その際に周りの舞台の人たちの状態を聞かれて、僕が答えたのはみんなが各々に少し変わった事だと伝えていた。
自分でも話しながらそれを確かめていくんだけど、この遠隔での連絡しかとれない間にそれぞれが自分の身の回りや自分と向き合ったのか、別々のベクトルで変わったような印象を受ける事が多いと思った。
だから向こうが聞きたかったのはそれぞれの経済的だったり、気持ちの部分だったかもしんないけど別のことを結果的に話してしまった。
でも悪くないと思うし、その描写はむしろ新しい感じもした。まだ読んだりしてないかも。

あの自粛期間が少しづつ渦中にいなくなると同時に去っていく感じがある。
そう言ったからと言っていわゆるコロナ状況下にいることを忘れてる、と指差される感じは違くて。
というか忘れるということはなくて、変わってないことは一つもないかもしれない。
そんな中でいくつか人と会って話したり、それは意外な場所からの連絡だったりそういうのがいくつかあった。
こないだも10年ぶりくらいに旅先であった年上の音楽家の方からの連絡、出会ったことはうる覚え的に覚えてるけど顔が思い出せない。
だけどその連絡とともに出会った時の海の波の音が寄せてくる感じがある。

アントニオーニの砂丘をたまたま見ていて砂丘で出会ったばかりの少しづつお互いを話す時間は、旅先の感じに似ている。結構、真っ白で自分たちしかいない、みたいな。
少し自粛期間中は砂丘のようだったかもしれない。

またコロナ前までは見た映画を書き留めていたのに自粛期間に入ってから書き留めるのをやめていて、でも今思ってることはその時間の中で見た映画のことを忘れたくない気持ちだった。

明日こそは映画館に行けるかな。

2020年6月5日金曜日

うたと踊りのこの手を伸ばして

‪メロディーに言葉をつける。‬
‪すると時間が生まれる。‬
‪時間があるとそこに踊りをつけれる。‬
‪するとどうなるだろう?‬
‪見方につけれる?‬
‪手を振るとその時間が自分になる。‬
‪自分のパワーになる、そんな感じがした。‬

落ちるより早く、君が見つめるが早い

もしかしたらさっきあの時もう少しいい踊りが出来たなら世界を変えれたのかもし!れないのに。
そんなことを思ってしまった。
話していた目線の先を覗いて。
勝手なことを。
思ってしまった。
あの曲を選ぶべきだった。
でも一瞬じゃわからなかった。
若い人の速さで。
それをまだ愛していてもいいと思うんだけど。
世界は反対するかもしれない。

今日のお昼に思ったサイダーのシュワシュワと初恋の気分とクラブに到着してメインホールで自分の曲が鳴っている時の気持ち。
それらはそれぞれで違うのに、少しだけ重ねて見るとなんか似てる、みたいな。

外に出るというのはそういう瞬間に出くわすとこと。
出くわすと書くと出会すと出てくるんだね、知らなかったよ。

と綴るこの言葉たちは読まないマンガの主人公たち。

必死にあがる。熱おさえて話す、フォーエバー。
そうか、こうして都市を生きていたことを思い出す。
水が流れていたんだね!と。

長いと速さ失う?

涙が落ちるより早く踊ってみて!


2020年5月21日木曜日

2016

携帯を買い換えるとクラウドの中で更新されず溜まりっぱなしになっていたカメラロールが覗けてそのストックは2016年分のもの。
そのカメラロールを指でスクロールして思い出と対峙していく。
様々な写真が出てくる。どうぶつえんを始めた年だった。
その時に好きだった女の子と映ってる写真。代々木公園で幻の練習となった日の写真。吉祥寺でみんなを連れ出してパフォーマンスした日の写真。みんなで海に行った時の写真。
裸でライブする村上さんの写真。個展の時の写真。新聞家のドラマシリーズ。やっぱりまた公園に集まった時の写真。
すべてが愛おしくて切ない。
こんな気持ち久しぶりだ。
というかそんな振り返り方は最近していなかったのではないか。
ランダムに並んだカメラロールはただスナップを重ねた乱雑なその年の写真をページをめくるようにして時間を追いかけていけるから、それだからか。
思わず2016年なんて写真集を作りたくなっちゃうくらい。
愛おしい世界だ。
走り抜けてよかった。
しかしソロじゃない。その都度、一緒に走るランナーたちが写ってる。なんて輝いていることだろう。
4年が経つと、でも、その時にあったものがもうなくなっていたりそういうこともある。
そういう年齢なのか。とも思う。
でも一方で10年以上前とも変わらないところもある。
一体なんなのだろう。
このカメラロールを下がっていくと4月に渋谷のTSUTAYA前で都心における現代の最高の絵をパフォーマンスで描こうとした日の写真や映像がいくつかある。
村上さんがフィッシュマンズの似つかない完全にオリジナルに聞こえるようなカバーをしていて僕の描いた絵が雨に濡れている。
この日は雨の中、踊りあった。
誰の青春だよ、これ。って紛れもない自分たちの青春のためだった。
海でも上野くんが歌っていた。
吉祥寺では村上くんの裸の写真で。いつもお前、裸じゃんとカメラロールを見ながら思う。お客さんだって少ないのに。
でもそういう友達と過ごした時間は決して大勢の前で行われた勝利なんかではないけど、近くで過ごした僕たちにとっては非常にかけがえのない時間だったように思えてくる、このロールを見ていると。
手放しちゃいけないよ、と思った。
お前らが楽しめ、と。
もちろん他の人を巻き込むこともいつも最高に大事だけど。
僕らが楽しまなくちゃだ。
この人生や時間を少しでもなんとか出来そうな予感があるなら、それは離しちゃいけない。
実際それをやってる時、クソみたいとか思うかな?でもほら、振り返ると最高じゃないか。
目の前に人がいるということ。
もう何万回も生きる。
生きることに余裕こくなよ!

2020年5月19日火曜日

歌えない

最近の夜はやくたたず。
外に行ければこのパフォーマンスも変わってくるだろうよ、なんて思って他人任せ。
そこまで思ってるわけじゃないけど、あれ、こんな夜ダメだったっけ?っていう感じ。
1週間前にアキレス腱が片方痛くなりここ1週間はずっと続けていた公園練もランニングも中止。やれやれ、年齢をいよいよ感じるかも。ケアと歩まねば。
TSUTAYAに行けないのでNetflixでも入ろかと思っていたがそういえばカードの請求書にいつからかamazonから毎月500円ずつ引かれていて、もしかしてamazonprimeなら見れるかと思ったら案の定見れた。なんやねん
昨年、話題だった日本映画を今夜途中まで見る。
もやもやする。
ok、この客層からは漏れたんだ、今回は。監督色んなものとってるものね、と自分を納得させる。
最近、ステイホーム期間中に思いがけず試しているのは買い換えた画質の良いiPhoneのカメラを使った動きの撮影で、片方の手にカメラを持ったり、自分なりの物理とイリュージョンを行き来するような制作?を試しているっぽい。
この延長で映画を撮ることが出来たらそれなりの説得力を持ち得そう。
みんなが面白いと言うかはわからない。

映画の役者さんを見ながら、映画の中で求められる演技の観念性について。
その撮影現場でのライブ性、物理的なパフォーマンスというよりあくまで画面に残すんだ、とほとんどの仕事がまるで働いているかのような、ことなのか。