2024年6月25日火曜日

覚えて

 今日は働き先で頑張って乗り切ったと思う。ので、たくさん疲れた。けどなぜかその前後の時間も充実して過ごしきったような気がして気持ちがよかった。最近は結構、この先どうしようとか、夜とか朝起きてすぐとかよく思う日も多かったけど現実を見てそれを否定するんじゃなくて、そうすると他の存在も否定しまうような感じとかどうしたってあるじゃない?(とか言ってよく否定しがちなんだけども、、)肯定しようと、ほれは動詞としてなんとかしようとした、みたいな。形容詞だったら変えられない状態を指すけどこれ自体が動詞なら、肯定するという動詞で動詞を全うするという選択肢が生まれる、そんなような理屈が動いていたのかも。

もう少し思い返すと、先日先生からもらっていた10年前の高校を振り返ったテキストを読んでいて、そういえば高校生の時、とにかく毎日全力で生きていた、ということがあった。毎日全エネルギーを使って生きていたことがあったと思う。胸張って言えていた気がする。それが一度大学に入って負けてしまう、そこから個人のオルタナティブな戦いに変わっていった。集団に負けたという経験。そこから社会や集団にちょっとずつ負ける時間が増えて、ここでは負けていていいんだ、みたいな時間が生まれていった気がする。特にバイトとか。これほ一時的なんだ、と。

でもそれはむしろ一時的にならずに、ぶらぶらと自分の生活の一部分に蝕んでしまった。あと少しでその時間を生活の中で追い出せそうとか思ったり、物理的には追い出せそうになったけど結局追い出せなかったし、そういう意味では今年になってそれがまた結構あともどりした気もする。でもそれは物理的というよりも自分にそういうクセがついてしまったということかもしれない。そっちの方が問題だよね、高校のその生活と比べたらと、やっと言語化レベルで今日ゴミ捨ての時に思えた。それを追い出せそう??もう一回高校の時みたいに生きれないかな。本当に毎日、学校に行くのが楽しかった。ありがとうみんな。

覚えているだろうか、

2024年6月23日日曜日

ブルーの街

 相変わらず寝るの下手な日が続いてるけど、寝不足でもそれでもそれなりに1日を乗り切れる日が出てきたのはどうしてかな。 腎臓の数値が高いと言われスナック菓子を寝る前に食べるのを控えたからかな?

今日はワークショップの帰り、お酒を飲んで1時間くらい日比谷まで歩いた。映画を見ようかと思ってたけどブルーの色が変化していく街を眺め歩くだけで映画みたいだった。歩いていて色が変化していく中に自分がいて、これだけで本当は生きていたいという理由になりそうなくらい色のお手本なわけだ。絵を描いたって勝てっこない。

そして10年前に先生から受け取っていたテキストをようやく読み終えた。多摩川の描写があり、久しぶりにそこの記憶へ戻っていく。いつまでも高校の頃の話を肴にするなんてとか、そんなことを思いそうになるけど、そういうのはあればあるほどいいし、そして今を抱きしめていくように生きるのが良いんじゃないか、っていう気分になった。

結構人生難しいな、とか思ったり何様だよ、って思ったりしていて、弱音と張り切りを行き来したり。

でもテキストを読めて良かった。

たぶん、よし頑張ろうとか、行こうとか思えて姿勢もそこに向いたようになっていることこそが何かを連れていくきっかけにもなる。もちろんそうじゃないとか、そうじゃないことをやる、っていうのもありなんだろうけど。






2024年6月16日日曜日

目がいたフラ

 仕事を終えて新宿へ向かう。ビルの1.2階を覗いたがいない。調べたら地下だとわかりそこで数年ぶりの顔を見つけ緊張する。数年振りに会うのは緊張する。人に多く会ううちに会う人の顔も刷新され続けていて久しぶりに会った時にその過去が引き出しの奥底にしまわれてしまうかのように取り出しにくくなったりする。

でも高校の友達は自分のことをなおすけと呼んでくれることで思い出されることがたくさんある。刷新され続けているそれぞれの人生の匂いを嗅ごうとするには2、3時間では足りない。でもなんかもう少し知りたいって思い続ける時間だった。

今日の幹事はつるくんがしてくれた。彼は友情を保つための努力をし続けていると思う。ウォーターボーイズの時もそうだった。とにかく何かを友人たちと出発させたい動機は作っても、それを維持する意識が乏しかったのかもしれない。先生に10年前に渡されたテキストを読み始めている。少なからず芸術に携わる身としては、何か形にできるんじゃないかという気持ちが起こる、またそれを見据えている部分がどこかあるからこそ先生は僕に狙ってテキストを渡したのではないか。

お酒をちゃんぽんし頭がフラフラだ、


こないだのライブも結果的にうまくいったみたいだ、と思う。ただこのままだと音楽系にも歓迎されないだろうなと想像がつく、もうちょい具体的にプランを練る必要があるな。

2024年6月15日土曜日

ここじゃないところ、

 おーい、そこじゃないぞ、と向こうのほうから聞こえてくる。違う気がしていたけどそれは自分が変になったか、歳を取ったせいか、とかそんな風に思っていたんだけど。根本的にそうじゃなかったじゃん、違和感が湧いてきているのはずっとあって、それに気付くしかなく、そこからいつもまた始まっていたんだったと思う。旅をするみたいに。だからその声が向こうに僅かにでも聞こえた気がしてそれは渇いてうれしい。

山の向こうのほうから。という言葉があるけど、そこで具体的に山が指されるのが嬉しい。言葉を知って使うということが私やあなたが生きている環境とかを再び照らす、その中に生きていることを遠くから間接的に知らせようともしてる、そんな風にも感じられないだろうか。


2024年6月12日水曜日

東、北の方

 仲間外れ、というワードは確かに驚いた。ネガティブ過ぎて憚られるように置いておかれるものでありながら、確かに根強くある概念みたいなところはある。

ゴイステが出てきた時も、そんな人たちのやる音楽とどこが思うところがあったからそこに寄りついたんだと思う。それは言うなればもしかしたら国際的な位置としても二重の意味を持つような気もする。

ミスチルには創作の初期衝動を覚えてゴイステはどこか自分の心境との親近感みたいなのを覚えていたんだと思う。その後、人気になったバンドはやはりそれはそれで別のこじれをファンとともに伴っているというように見受けられる現場もあった。

でももっと若い頃、自分がどこに所属し何をするかよりも、仲間外れみたいな状況こそを見るのも嫌がっていたような時期もあることを覚えている。言い当てそれだったかは微妙だけど。


2024年6月8日土曜日

裸のパンク

 インスタに流れてきたザコシの芸を見て竹内結子さんが笑いながら涙をこぼしている動画が流れてきた。コメントには綺麗だ、とかザコシのなにが面白いかわからないとか書いてある。それに真っ直ぐにこのコメントはおかしいとか、その通りだとか、何せよコメントをさらにつけようとすること自体が、推し量ること自体があまりにも野暮だけど、少し考えることがあった。

竹内さんといえば僕にとっては中学生くらいの時に映画やドラマで見ていた人で、いま会いに行きます、とかを見てとてもあの当時はあの映画が雨の物語であるというセンチメンタルな空気とかにも感じ入るものがあり好きだったと記憶している。

でも竹内さんのことをいい俳優だとか、はあんまり思ったことはない。むしろ何か違和感さえあるような。違和感?というか、なにか。


ザコシの芸を今まで見て面白いとか思ったことはなくでもとにかく激しく振り切っていて、そこに疲れとかを見せるセンチメンタルも排除し、ただあるのは躍動だけ。限られた身体や声の金切り声、お膳立てなし。そういう感じ。

番組でそれを見た竹内さんの涙が笑い泣きではなくて、何か本当に泣いてるように見えてしまった。何かこんなこをする人間がずいぶんいなくなってしまったような、勝手な憶測だけど。

とにかく全力で有限の身体で何かしている、お笑いなのか、ダンスなのか、歌なのか、アートなのか、コミュニケーションなのか、知らないがその体が何か強いエネルギーでやってしかもそこに感傷もくそも持ち込まない。前後さえ感じさせない。多くの人が通り過ぎる。でもそこで発散されるパワーは自分の身体に炸裂しそうだ。自分のことをやっている、そんなことを彼を見て思った。そしてそういう人がよく自分のことを励ましていたような気がする、なぜそういうことを思い出さなくなったんだろう。そんな風に竹内さんの涙から勝手に妄想が自分のことに返ってきたんだと思う。どんどん世の中が難しく技巧的であらねば生きていけないような気もしているけど、あの炸裂。

そうか、そう考えると久しぶりになんていうか、アライブなかんじ、生きていていい感じ。まじめにやんなよ、と。届くなんて思うな、みたいな。パンクだった。

2024年6月7日金曜日

瞼を過ぎて光が届く

 自転車でイメージフォーラムに向かうと入り口で地べたに座る大木さんと見にきた観客や知り合いの顔。この感じ。映画が始まるなり最後列に荷物を地べたに置き、相変わらず彼の身体がそこにある。映画を撮る時も見る時も人に会う時にもカメラや身体がそこにはあって、身体の記憶とカメラの記憶が作品の中で混ざり込む。久しぶりに見たそれのうちの一つはやはり想像していたように手ブレも含んだ映像が多くて、三半規管の弱い私はそそくさと映像酔いを始める。目を閉じてもダメなことに気付く。瞼を閉じたくらいじゃ光は目に像を追え、と侵入してくる。段々と酔った身体が強い硬直を強いる、久しく強張ったことのない状態に身体が変化していく。風が吸いたいと思う。思い返せば映画を勉強していた大学の頃もこんなことがたくさんあったような気がする。そのこととダンスの身体の解放、決して酔わせるようなことはほとんどなかったような。映画の教室に通っていたということ、大木さんの20年前の映像には昔の知り合いの顔も出てくる。青春をどんな体温で生きていたのか、思い出させるような瞬間だった。再び夜が明けようとしている。眠れない体はまだ酔った目をしていて、瞼の裏が気持ち悪い。

2024年6月2日日曜日

やふぃ、は、

 もう本当に疲れたし、本も読んで寝れると思ったら、なんか仮眠をとったような状態でむくむくと頭が布団の中で起き始めてしまった。ここの和室もあと2回しか眠れない。和室で縦文字の並んだ本を読んでいるのは似つかわしい気がする。そして絵画やダンスが西洋からの輸入物としてあって、依然として和室には普通にやっては浮くかのような状態で本は日本語や感じに合わせて装丁されていることもあるこのデザインは和室に合うような気がする。これは結構、力技のくそ理由かもしれないので撤回をすでにしそうだけど、それくらい和室のもとで読むのにしっくりくる時間がそこにあった。

こういううまく寝れないのはいつまで続くんだろう。もう癖みたいになっているのか。まるで赤ちゃんを寝かしつけるのにリズムが必要なみたいに。しかし、今日はうまいリズムで滑らせたはずなのにこけるようにして眠れなくなってしまった。

最近は2歳以下とかの子供とやりとりする時間がある。これまでの4歳とかとは全く違う。

彼にとって自宅の廊下の中にさえ近さと遠さが存在しているように思える。遠い部分は誘おうとしてしまっては泣いてしまうのを繰り返した。それが一体全体的にどういうことなのか知りたくなる。

または子供同士が互いに泣いてしまったのを見て大人たちは可愛くて笑う。その光景は牧歌的でとにかくかわいい。だけどこれと同じようなことを大人も引き続きしているわけだ、なんてことだろう。人は歳をとって俯瞰で子供を見れるのに大人自身のことはこうも難しいままだ。